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Lahat ng Kabanata ng 氷龍の檻姫: Kabanata 161 - Kabanata 170

231 Kabanata

3-40 役割

部屋に静かな沈黙が落ちた。あやめが口にした【愛人】という提案。笑い話として片づけるには具体的すぎる。しかし否定しようとすると、自分たちがこれまで積み上げてきた理屈そのものを否定することになる。迅は手元のワイングラスをゆっくりと回した。深紅の液体が静かに揺れる。(……まいったな)自分で蒔いた種だった。龍神会を守るため。神崎家の血を絶やさないため。跡取りを一人に集中させないため。そのために愛人制度は必要だと、何度も冬弥へ言ってきた。あやめにも押しつけた。爆弾入りの贈り物まで送りつけて。すべて龍神会のためだと信じて。だから今さら『愛人なんて嫌だ』とは言えない。それを口にした瞬間、自分自身の信念が崩れる。迅はゆっくり息を吐いた。「……その報酬」グラスを置く。「俳優としての契約とは別なんだよな?」冗談のような口調だった。だが部屋の空気がぴたりと止まる。樹が目を丸くする。冬弥は眉を寄せた。一方で、あやめだけは穏やかに微笑んだ。「その件は冬弥さんにご相談ください」迷いなく答える。「今宮さんは、私の手足ではありませんもの」そこには曖昧さが一切ない。自分の手足ならばメンテナンス費用は払う。迅は違う。「……なるほどね」迅は小さく笑う。冗談――そう思っていた。だが違う。(この女、本気だ)組織をどう動かすか。人をどう配置するか。そこに男女の区別はない。能力があり、忠誠があり、役に立つなら採用する。ただ、それだけ。「冬弥」迅は正面を見る。「どうする?」冬弥は腕を組んだ。しばらく考え込み、深く息を吐く。「有用なのは認める」その一言で迅は苦笑した。(そこは認めるのかよ)「だが」冬弥は額を押さえる。「少し待て」「待つ?」「ああ」真面目な顔で頷く。「心の準備が必要だ」樹が吹き出した。「若……そこですか」「重要だろう」冬弥は真顔だった。「いきなり幼馴染が愛人になると言われても整理が追いつかん」「……俺も追いついてない」迅がぼそりと呟く。その様子を見たあやめは申し訳なさそうに頭を下げた。「失礼いたしました」「ん?」「つい」少しだけ照れたように笑う。「いつもの癖で、先走って話を進めてしまいました」迅が聞き返す。「時は金なりというのか、焦ってしまうのです」冬弥は苦笑
last updateHuling Na-update : 2026-03-18
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3-41 新しい関係

「……気に入らねえ」迅はゆっくりと息を吐いた。「だが」グラスをテーブルへ置く。「納得はした」その視線は真っ直ぐあやめへ向けられている。反発は残っている。負けたとも思っている。それでも、自分の中で答えは出ていた。「いいだろう」小さく笑う。「俺も冬弥の【愛人】になる」静かな一言だった。その場の空気が、ふっと動く。樹は天井を仰いだ。「幼馴染二人が愛人って……」深いため息を吐く。「どんな状況だよ」「除け者が嫌なら、お前も【愛人】になるか?」冬弥が何でもない顔で言った。「……は?」樹が固まる。「給料をそのまま手当にすればいいだけだしな」当然のように続ける。「仲間外れが嫌なら」「嫌じゃねえよ!」樹が思わず立ち上がる。その横で、「ぶはっ!」迅が堪えきれず吹き出した。「アハハハハ!」腹を抱えて笑う。「冬弥、お前……本当に変わったな」「そうか?」本人は首を傾げるだけだ。「間違いなく変わった」迅は笑いながら頷く。「嫁に似てきた」「そうか?」冬弥は隣を見る。「あやめは可愛いぞ?」「そういう似てきたじゃない」樹が頭を抱える。「……そういう意味なわけないでしょう」「違うのか?」「どうして可愛いだと思った」真顔で返され、樹は完全に力尽きた。「もういいです……」迅は笑いすぎて目尻を押さえる。「愛人相手に妻のことを惚気るなよ」「駄目なのか?」「普通は厳禁だろう」「そうか」冬弥は素直に頷いた。その反応に迅はまた笑う。「……なるほどな」ようやく笑いが収まり、静かに冬弥を見る。「お前の愛人になっても、手足が手足なままなわけだ」苦笑した。「よく分かった」「そうか?」「お前」迅は肩を竦める。「完全に嫁の尻に敷かれて、それで満足している」「ああ」冬弥は迷わず答えた。「手も足も選べるなら魅力的な奴から生えたいもんな」「そうかもな」迅は吹き出す。「妻に負けてもいいのか?」「問題ない」「即答かよ」軽口を交わしたあと、迅は静かに姿勢を正した。あやめを見る。先ほどまでとは違う。敵を見る目ではない。「……姐さん」ゆっくり頭を下げる。「あなたと楓への無礼」一呼吸置く。「本当に申し訳ありませんでした」部屋が静まり返る。あやめはしばらく迅を見つめ、穏やかに微笑
last updateHuling Na-update : 2026-03-19
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3-42 楓の反応

静かな部屋に、小さな寝息だけが響いていた。障子越しに射し込む午後の日差しが、やわらかな光となって室内を満たしている。その穏やかな光の中、ゆりかごでは楓が気持ちよさそうに眠っていた。外の世界に渦巻く思惑も、権力争いも、この小さな命にはまだ届かない。ただ安心しきった表情で眠る姿は、それだけで不思議な力を持っていた。その傍らに立つ迅は、珍しく何も話さない。ただ静かに楓を見つめていた。「どうした?」後ろから冬弥が声を掛ける。迅は視線を外さないまま答えた。「……これが、お前の息子か」「ああ」短い返事だった。だが、その一言には父親としての誇りが滲んでいる。迅は一歩だけ近づいた。足音を立てないように、慎重に。ゆりかごを覗き込み、小さな寝顔を見つめる。「……小せえな」思っていたよりも、ずっと小さい。触れれば壊れてしまいそうなほど儚い。映画の撮影で赤ん坊を見たことはある。だが、それとはまるで違う。――現実だった。「抱いてみますか?」後ろからあやめが声を掛ける。迅は即座に首を振った。「いや」少し笑う。「落としたら洒落にならねえ」「大丈夫ですよ……多分」「信用できねえよ」「大丈夫と断言できるほどの経験値がなくて」「なるほどな」迅は苦笑した。「それなら余計に無理だ」軽口を交わしながらも、結局ゆりかごを覗き込むだけに留める。その距離がちょうどよかった。そのときだった。ふ、と楓の目が開いた。黒く澄んだ瞳が、まっすぐに迅を見つめた。「……お」迅が少しだけ身を引く。赤ん坊と目が合う。そんな経験は初めてだった。(泣くか?)子どもは敏感だ。自分の雰囲気を怖がる子どもも少なくない。(まあ、赤ん坊だしな)迅は苦笑する。「泣くから……」そう言って一歩下がろうとした。だが——楓は泣かなかった。じっと迅を見ている。その視線には恐怖も拒絶もない。ただ、興味だけが浮かんでいた。「……あー」小さな声。続いて、「うー」機嫌のいいときに漏れる柔らかな声。「……は?」迅が固まる。もう一度楓を見る。楓は楽しそうに手を動かしていた。(泣いてねえ)その事実に戸惑う。「……おい」迅はあやめを振り返った。「これ、どういうことだ」「どういうこととは?」あやめは穏やかに首を傾げる。「普通、泣くんだ
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3-43 古い常識

「……理解に苦しみますな」低く重い声が、神崎組本部の会議室に響いた。その一言だけで、場の空気が硬くなる。長年、龍神会を支えてきた古参幹部たちが顔を揃える定例会議。彼らは組のために血を流し、利益を積み重ねてきた男たちだ。忠誠も実績も疑う余地はない。だからこそ厄介だった。(変われない)冬弥は静かに全員を見渡す。彼らにとって龍神会とは、守るべき完成形。時代に合わせて作り変えるものではない。だから、新しい考え方を受け入れられない。「愛人制度そのものを否定するつもりはありません」穏やかに口を開いたのは蛟組組長・水原だった。「しかし――」「何を言っている!」言葉を遮ったのは辰組組長・塩沢だった。塩沢老から辰組を継いだ、彼の息子だ。塩沢は怒気を隠そうともせず、水原を睨みつける。辰組はかつて筆頭分家として龍神会を支えた組だ。しかし現在は若手の大量流出により勢いを失い、その多くが蛟組へ移っている。塩沢は同世代である水原への対抗心も隠そうとはしなかった。「……失礼」塩沢は形式だけ頭を下げる。だが視線は一歩も引かない。「迅は確かに優秀です」一度言葉を区切り、塩沢はゆっくり続けた。「ですが……男でしょう」その瞬間、部屋の空気が止まる。誰もが思っていたことだった。「男を愛人にするなど、聞いたこともありません」その言葉に、数人の組長が静かに頷く。否定する者はいない。「若」塩沢は冬弥を見た。「今回の件は、どうか再考を」冬弥は表情を変えなかった。(想定通りだ)驚きはない。自分も以前なら同じことを言っていただろう。だが、もう違う。「何が問題だ」静かな問い。誰もすぐには答えられない。冬弥は続ける。「迅は芸能界に太い人脈を持つ。」「裏も表も理解している。」「龍神会への忠誠もある。」一人ひとりの顔を見る。「龍神会にとって、安全かつ有能な人材だ」合理性だけなら、これ以上ない答えだった。しかし。理屈だけで人は動かない。沈黙が流れる。そのときだった。ノックもなく部屋の扉が開く。「失礼」場違いなほど柔らかな音が響く。視線が一斉に集まる中、あやめは変わらぬ笑顔で冬弥の隣に座った。「どうした?」冬弥が尋ねる。「廊下の外にまで聞こえていましたので」「そうか」「思わず笑ってしまいましたの」あやめ
last updateHuling Na-update : 2026-03-20
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3-44 論理の行き着く先

「……終わりか?」冬弥の低い声が、静まり返った会議室に落ちた。確認の言葉だった。だが、その裏には「これ以上は建設的な議論にならない」という判断が含まれている。「……ええ」歯切れの悪い返事が返る。先ほどまで勢いよく代案を口にしていた幹部たちも、今は言葉を失っていた。冬弥は小さく頷くと、隣に座るあやめへ視線を向ける。「俺は三人だな」淡々とした口調だった。「あやめは?」「一人です」迷いのない返答だった。その短いやり取りに、幹部たちは顔を見合わせる。冬弥は静かに続けた。「今、お前たちが推薦した候補者だ。俺が名前と顔を一致させられたのは三人。あやめは一人」「誰かの元愛人という記憶に引っかかったのなら、あと数人足せますけれど」会議室が静まり返る。「つまり、だ」冬弥は肘掛けに指を置いた。「神崎芸能を率いる俺たち夫婦ですら知らない人間を、愛人として迎える価値があるのか?」「ありませんわね」あやめが穏やかに引き継ぐ。「知名度も影響力もない方を紹介されましても、龍神会に利益はございません」「そういうことだ」冬弥は頷いた。「知名度」「将来性」「龍神会への忠誠」「そして芸能界との繋がり」一つひとつ確認するように並べていく。「迅以上の人材がいるなら紹介しろ、と俺は言った」誰も口を開かない。「いないなら」冬弥は結論を告げた。「迅で決まりだ」一拍。「異論は認めない」その宣言が部屋を支配する。だが。「しかし……」塩沢がなおも食い下がった。「迅は男ですよ」その言葉に、冬弥は静かに視線を向ける。「気に入らないのか」「それは……」塩沢は答えられない。「以前」冬弥が口を開く。「俺は愛人制度そのものに反対した」塩沢の表情が強張る。「そのとき、お前たちは何と言った」誰も答えない。「組長の好き嫌いで組の利益を損なうな。愛人制度は必要だ。そして――感情論を持ち込むな」冬弥は静かに言葉を重ねた。「そう言ったが」塩沢が拳を握る。「では聞く」冬弥の視線が真っ直ぐ突き刺さる。「今、お前は何を理由に反対している」「…………」返事はない。「男だから。気に入らないから。お前の感情以外に理由はあるか?」誰も答えられなかった。合理性で押し通してきた制度を、最後に否定しているのは自分たちの感情だった。「時
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3-45 想定外の援軍

腐女子。男性同士の恋愛を好む女性たちを指す言葉だ。長らく一部の趣味として扱われ、表立って語られることは少なかった。だが時代は変わっている。その文化は静かに裾野を広げ、いまでは一つの巨大な市場として成立するほどになっていた。だからこそ――。「男同士など誰も受け入れない」龍神会の古参幹部たちが口を揃えて断言したその前提は、最初から崩れていた。 ◇◇◇神崎芸能社長室。昼下がりの陽射しが窓から差し込み、静かな執務室を柔らかく照らしている。「見ました?」書類を抱えたまま入ってきた樹が、楽しそうにタブレットを差し出した。冬弥はペンを置き、画面へ視線を落とす。そこに映っていたのは、見覚えのある二人の男だった。派手な演出。過剰なまでに甘い構図。そして大きく表示されたタイトル。【俺様組長と俺様俳優 #107】冬弥はしばらく無言で画面を見つめ、ぽつりと呟いた。「……百話を超えていたのか」「そこじゃありません」樹が即座に突っ込む。冬弥は小さく肩を竦めた。「理解はできん」率直な感想だった。だが、その直後に静かに続ける。「……だが、使える」樹が苦笑した。「そこは俺も同感です」その漫画は、都内の女子高校漫画研究部が公式SNSで公開しているショート漫画だった。実在する人物をモデルにしながらも、内容は完全な創作。現実とは似ても似つかない恋愛模様が、軽快なテンポで描かれている。本来なら、笑って終わる程度の作品だった。ところが。予想以上の反響を呼んだ。腐女子たちは瞬く間に飛び付き、作品は爆発的に拡散されていく。【この解釈は違う】【いや、この距離感が最高】【攻めと受けが逆】【この設定ならα×αもあり】作品は次々と二次創作を生み、議論を呼び、さらに拡散される。気付けば、最初に投稿した女子高の漫画研究部はフォロワーを何十倍にも増やし、一つの社会現象と呼べる規模へ発展していた。「恐ろしい拡散力ですね」樹が感心したように呟く。「好きなものに対する熱量は侮れん」冬弥も静かに頷いた。そして、想定外だったのはその先だった。この騒動は、龍神会幹部たちの家庭にまで飛び火したのである。.「え?」「お母さんも知ってるの?」「もちろん」「この二人、最高なのよ」それまで趣味を隠していた妻たちが、堂々と作品を楽しみ始めた。
last updateHuling Na-update : 2026-03-21
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3-46 時代が味方をする

「結局は――女を舐めていたということだろうな」冬弥はタブレットから目を離し、小さく息を吐いた。その声音にあったのは怒りではない。長年積み重ねてきた価値観が、静かに崩れていくことへの納得だった。「俺、高校の漫画研究部なんて趣味の延長だと思っていましたよ」樹は学校案内の冊子をめくりながら感心したように言う。「でも、この子たち、一人ひとりがクリエイターなんですよね。SNSで作品を発表して、収益化までしてる」「時代だな」冬弥は短く答えた。「女だからとか、高校生だからとか――そうやって線を引いた時点で負けている」樹は苦笑する。「認識を改めます」樹は冊子を閉じる。「頭のいいお嬢様学校、くらいにしか思っていませんでした」「改めろ」冬弥は即答した。「あそこは、あやめや花沢綾乃を育てた学校だ」「そうなんですよね」樹が頷く。「聞いた話ですけど、姐さんの先輩がAURELIUSのチーフパタンナーらしいですよ」冬弥は小さく目を細めた。「……なるほど。それで迅の衣装が作れたのか」点と点が繋がる。「姐さんの同窓ネットワークって、本当にすごいですね」「経済制裁も、その延長線上だと思うと笑えん」冬弥は苦笑した。人脈。それは金でも権力でもない。だが時として、組織そのものを動かす力になる。冬弥は再びタブレットへ目を落とした。画面には通知が止まらない。次々と更新されるコメント。再生数。共有数。どれも想像を遥かに超えていた。「……本当に笑えんな」自然と本音が漏れる。樹も画面を覗き込みながら肩を竦めた。「熱狂してますね」画面には次々とコメントが流れていく。【美形×美形は反則】【この二人、実写なの強すぎる】【公式ありがとう】【囲われる迅が最高】【組長の余裕が尊い】冬弥は眉を寄せた。「……何だこれは」漫画の中の出来事だけではない。現実の写真。会見。並んで歩く姿。迅が帰国した際に自分へ挨拶した場面まで、一つの物語として消費されている。現実と創作の境界が曖昧になり、全てが「作品」の一部になっていた。「完全にコンテンツですね」樹が呟く。「コンテンツ……」冬弥はその言葉を反芻する。理解はできない。だが、無視できない力を持っていることだけは分かった。さらに画面を流れる。【迅の格が上がった】【選ばれる男っ
last updateHuling Na-update : 2026-04-25
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【第4部】4-1 新たな拠点

「冬弥さん……」情事の余韻がまだ肌に残る寝室。あやめは火照った身体を預けるように冬弥へ身を寄せ、そのまま上半身を重ねるように抱きついた。細くしなやかな腕が首へ絡み、頬が裸の胸へそっと押し当てられる。その甘えるような仕草に、冬弥は目を細めた。「どうした?」「……」「物足りなかったか?」あやめの体力を考えて切り上げたが、あやめが望むなら応じることに異論はない。むしろ、その望みには応えてやりたいと思っている。すると、あやめは小さく首を振った。「……それは、勘弁してください」弱々しいながらも、きっぱりとした拒絶だった。冬弥は思わず苦笑する。(その格好で、それを言うか)胸へぴたりと寄り添いながら甘えてくる姿は、どう見ても理性を試しているようにしか見えない。だが、半分ほど閉じかけた瞼を見れば、それが無意識だということも分かってしまう。眠気と甘え。その境界が曖昧になっているだけなのだ。あやめは頬を胸へ押し付けたまま、小さく身じろぎする。柔らかな体温が伝わり、冬弥は静かに息を吸った。(……煽るな)そう思いながらも、その身体が限界に近いことも知っている。理性を押し込めるように深く息を吐くと、その呼吸に合わせて胸が上下した。すると、あやめはくすぐったそうに笑い、猫のように頬を擦り寄せてくる。「あやめ」「……眠い」「鬼か」呆れ半分で頭を撫でる。「話なら朝でも聞くぞ」「あぅ……」返事とも寝言ともつかない声を漏らしながら、あやめはさらに腕へ力を込めた。その無防備さに、冬弥は天井を見上げる。(勘弁してくれ)ようやく落ち着いたはずのものが、また揺さぶられる。「でも……」渋る言葉に冬弥は気づいた。「誰に吹き込まれた?」問い掛けると、あやめは少しだけ考えるように眉を寄せた。「綾乃か……藤堂さんか……あれ、どっち……」(その時点で嫌な予感しかしない)ろくでもない相談をされたことだけは容易に想像できる。「……お願い」「お願い?」あやめはふわりと笑った。その柔らかな笑顔に冬弥は視線を逸らし、小さく息を吐く。(……その顔は反則だ)「神崎芸能のワンフロア……丸ごとください」「……お願い?」あやめが首を傾げる。可愛いが、お願い内容は可愛くない。「ワンフロア?」「いまの体制だと……少し不安で……」途切れ途切れ
last updateHuling Na-update : 2026-03-22
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4-2 個性が集う場所

「ここは、鷹宮さんの部屋ですね」樹の言葉に、冬弥は静かに頷いた。部屋へ足を踏み入れた瞬間、最初に感じたのは徹底した静寂だった。白いデスクと椅子。壁一面を埋める大型モニター。それ以外に目を引くものはほとんどない。装飾も、私物も、趣味を感じさせる品も一切置かれていない。ここまで何もない空間は、かえって異様だった。しかし、不思議と殺風景には感じない。そこには、無駄を一切許さない張り詰めた意志が満ちていた。(何もないのに、これほど鷹宮昴らしい部屋もないな)必要なものだけを残す。それが彼女の価値観であり、生き方そのものなのだろう。機能性を最優先し、結果だけを追い求める。その性格が、この部屋にはそのまま映し出されていた。.「向かいの花沢さんの部屋とは真逆ですね」「目が疲れそうだ」扉を開けた瞬間、視界いっぱいに色彩が飛び込んできた。花沢綾乃の部屋は、まるで少女の夢をそのまま形にしたような空間だった。パステルカラーのクッション。大小さまざまなぬいぐるみ。壁にはリボンやハート型のライトが飾られ、机の上には宝石のように輝く文房具や小物が並んでいる。可愛らしい。甘い。柔らかい。そうした印象が部屋全体を包んでいた。だが――。(怖いな)冬弥は率直にそう思った。この部屋の主が、ただ可愛いだけの女ではないことを知っている。可愛らしさを武器に距離を縮め、いつの間にか主導権を奪ってしまう。その危うさが、この空間にも滲んでいた。自然と一歩、後ろへ下がる。それだけで、この部屋が放つ圧力を物語っていた。.「これ、地震が来たら危なくないですか?」「三枝に耐震対策を徹底させろ」「この部屋で怪我したら労災ですよね」樹が苦笑しながら覗き込んだ先には、三枝真琴の仕事部屋があった。壁一面を埋め尽くす書棚。そこへ隙間なく並ぶファイル。色分けされたラベル。完璧な分類。机には開いたままの資料が何冊も積まれ、複数のモニターには分析データが絶え間なく表示されている。情報の海。それを整理し、価値へ変換するための空間だった。無機質でありながら、不思議な熱量がある。知識そのものが息づいているような部屋だった。「崩れたら洒落になりませんね」「本人も分かっているだろう」それでも、この配置を変えようとはしない。仕事のしやすさを最優先した
last updateHuling Na-update : 2026-04-25
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4-3 招待状

「今宮さん!」仕事を終え、神崎芸能へ戻ってきた迅は、自室へ向かう途中で呼び止められた。振り返ると、大迫が軽く手を挙げながら歩み寄ってくる。「お久しぶりです。改めまして、大迫です」柔らかな関西弁。穏やかな笑顔。だが、その名は龍神会では知らぬ者のいない存在だった。廊下を行き交う社員や所属タレントたちも、その姿を見ると自然と道を空ける。「花園の管理人、か」迅が口元を緩めると、大迫は肩をすくめた。「雅な呼び方ですよね」苦笑しながら続ける。「俺としては、『神崎あやめの犬』の方が気に入ってるんですけど」「冬弥が嫌がりそうだな」「だから面白いんですよ」悪びれる様子はない。むしろ楽しんでいる。(なるほど)迅は内心で笑った。(早苗姉さんや鷹見兄さんが面白がる理由が分かる)飄々としている。だが、人の懐へ入り込む距離感が絶妙だった。「それで?」「本日の用件です」大迫は一通の封筒を差し出した。「ご招待状になります」「招待状?」受け取ろうとした迅の手が止まる。白い封筒には、菖蒲の花紋。それを見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。「……そんな物騒なもの、いらない」「ええ、そうですよね」大迫は心から同意するように頷く。「そう言うと思いました」そう言った次の瞬間だった。迅が躊躇した隙を突き、大迫は半ば無理やり封筒を握らせる。「おい」「すみません」にこりと笑う。「俺も自分が可愛いんで」「……だろうな」迅は苦笑した。受け取った時点で、もう逃げられない。そのことだけは十分理解していた。 ◇◇◇指定された場所は、神崎芸能十二階。あやめ専用に与えられたワンフロアだった。「……これは」エレベーターを降りた瞬間、迅は足を止める。「すごいな」噂には聞いていた。だが、実際に目の当たりにすると印象はまるで違う。壁を取り払った広大なフロア。中央だけ一段低く設けられた円形スペース。その周囲を取り囲む回廊。さらに外周には個室が放射状に並んでいる。まるで宇宙艦隊のブリッジ。誰が中心なのか。誰が全体を見渡すのか。自然と理解させる設計だった。(……だが)迅は違和感に気づく。中央へ視線を落とした。「お茶会?」そこにはティーセットが整然と並び、焼き菓子やサンドイッチが美しく盛り付けられている。紅茶の香りが静か
last updateHuling Na-update : 2026-03-24
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