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All Chapters of 氷龍の檻姫: Chapter 51 - Chapter 60

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1-51

「痛っ……!」腕を捩じ上げたまま、男が強引に歩き出す。引きずられるようにして、あやめの体が前へと引かれた。関節にかかる負荷が一気に増し、鋭い痛みが腕を貫く。「やめて……っ!」咄嗟に足を踏ん張る。―――連れていかれるわけにはいかない。その一心で、あやめは床へと崩れ落ちるように座り込んだ。重心を落とし、抵抗する。男はそのまま引きずろうとするが、姿勢が変わったことで勢いが鈍る。廊下に敷かれた絨毯に膝が擦れ、じりじりとした痛みが走る。だが、そんなものはどうでもよかった。(ここで止まらなければ——―)だが、男たちは容赦しなかった。 「きゃああっ!」 次の瞬間、髪を鷲掴みにされる。頭皮が引き裂かれるような痛み。強引に引き上げられ、さらに強くなった痛みであやめの視界がぐらりと揺れる。「グズグズすんな!」「やめてっ!」必死に体を捻るが、すぐに背後から別の男の腕が回される。腰を拘束され、逃げ場が完全に塞がれた。知らない男の体温。触れられているという事実そのものが、生理的な嫌悪と恐怖を増幅させる。「いやあああっ! やめてっ、離してっ!」喉が震え、叫びが漏れる。だが、それはすぐに荒々しい怒声で遮られた。「くそっ、黙れっ!」直後。―――ゴッ。鈍い衝撃が頭部に走る。視界が大きく歪み、天地が反転したかのように揺れた。力が、一瞬で抜ける。膝が崩れ、体の感覚が遠のいていく。「おいおい……余計に運びにくくしてどうするんだよ」呆れたような声。ぼやけた意識の中で、それがスーツの男のものだと分かる。「すみません、暴れたもんで」殴った男の声。そのやり取りを聞きながら、あやめは理解する。この場の主導権は、あのスーツの男にある。他の男たちは従っているだけ。だから、命令に対して迷いがない。「暴れるったって、女だろ。こういうお姫様はな——―こうして運ぶのが一番だ」軽い口調。だがその言葉の裏にあるものに、ぞっとする。直後、あやめの体がふわりと浮いた。「っ……」朦朧とする意識の中で、抱え上げられたのだとあやめが理解するのに、数秒かかった。視界が揺れる。床が遠ざかる。「ほら、見ろよ。ぼんやりしてる。脳が揺れちまったなあ。お姫様にひどいことするなよ」まるで壊れかけた人形を扱うような声音。(……人形……)ぼんやりとした
last updateLast Updated : 2026-01-31
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1-52

車は走り続けた。時間の感覚が曖昧になっていく中で、外の景色だけが変化していった。街灯は次第に減り、やがて途切れる。建物の輪郭は歪み、古びた鉄骨とコンクリートの塊へと変わる。 舗装の荒れた道路。車体が軋み、そのたびにあやめの体が小さく跳ねる。(どこへ、連れていかれるの?)何度も繰り返した問い。誰も、何も話さない。運転席の男は、時折あやめの隣に座るスーツの男を振り返って見るものの、やはり無言。また前を向き、ハンドルを握り続ける。スーツの男は、スマートフォンを弄りながら、何事もないかのように座っている。(……っ)ふと、スーツの男と視線が合った。その目はやはり同じだった。どうやって遊ぶかを考えている目。続り、と背筋が冷える。.やがて車は減速し、人気のない倉庫の裏手へと滑り込んだ。 錆びた鉄のシャッターが、軋む音を立てて開く。黒いバンはそのまま中へと入っていく。 外の光が遮断される。車内は一瞬、完全な闇に包まれた。「着いたな」あやめの隣で、スーツ男が口を開いた。楽し気に弾んでいる。「あーあ、お姫様の部屋の準備できてないや。まあ、急だったしなあ」(……急?)その言葉に、違和感が残る。計画的ではないということか。しかし、警備を無効化し、外に異変を感じさせないほどの短時間であやめを連れ出した。(……警備……)柊邸は現職大臣が暮らしているため警備は最新型。何代かに一人の大臣を出す家柄のため、警備をするほうにも慣れている。家の構造は複雑で目的の人物を探すのに時間がかかり、要人を保護しやすい屋敷だと警備会社から言われている。(……それなのに……)「まあ、いいや」スーツの男の言葉が、あやめの思考を遮る。あやめは、現実に戻る。「まあいいや。お姫様、準備ができるまで寝ててくれる?」眠らされる。その言葉に、あやめは危険を直観する。あやめは体を引こうとする。だが遅い。 スーツの男は、すでに上着の内ポケットから小さなケースを取り出していた。 ケースを開けると、中に収められていたのは細長い注射器。注射器の中で、透明な液体がゆらりと揺れる。 「んぐっ……!」声にならない声。布でふさがれた口では、抵抗すらまともにできない。腕を掴まれる。強引に引き寄せられる。あやめは必死に腕を引き抜こうとしたが、
last updateLast Updated : 2026-04-14
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1-53

頬に触れる冷たい感触。石のような硬さと、じわじわと伝わる底冷えが、あやめの意識をゆっくりと浮上させていく。 あやめは重たいまぶたを、ほんのわずかに持ち上げた。視界はぼやけ、光が滲む。頭の奥が鈍く痛んだ。焦点が合わないまま、天井の輪郭だけが歪んで映った。「……っ」喉の奥が焼けるように渇いている。呼吸をするだけで、ひりつくような痛みが走った。(ここは……)ゆっくりと、あやめの視界が定まっていく。そこにあったのは、低い天井。コンクリート打ちっぱなしの、無機質な空間。 湿った空気と、わずかな鉄錆の匂いが鼻をつく。明かりは、天井にぶら下がった蛍光灯が一つだけ。それも安定しておらず、ちらちらと明滅を繰り返している。 その不規則な点滅が、時間の感覚を狂わせる。 どれくらい眠っていたのか、あやめにはまったく分からない。視線を横へと動かす。壁に、黒い異物があることに気づいた。―――監視カメラ。この古ぼけた空間の中で、それだけがやけに新しい。小さな赤いランプが、規則的に点滅している。(……見られている)その事実が、ぞっとするほど生々しく、あやめの背筋を撫でた。さらに視線を落とす。カメラの真下に、黒い小さな装置。無造作に吊るされているそれは……。(マイク……)あやめは瞬時に理解する。音も拾われている。つまり―――声も、呼吸も、すべて。あやめは、喉元まで込み上げた声を、必死に押し殺した。叫びたい。助けを求めたい。だが、放っておかれるほど、時間が稼げる。時間が長引けば、それだけ助けが来るチャンスが増える。(……落ち着いて)あやめは、ゆっくりと目を閉じ、呼吸を整える。.右半身に、じわじわとした痛みが走りはじめた。冷たい床に長時間押し付けられていたせいで、感覚が鈍り始めている。あやめは耐えきれず、動こうとしたが――動けなかった。両手首は背中で縛られ、足首もきつく結ばれたままだ。少しでも体を動かすと、ナイロン製の結束バンドが皮膚に食い込む。あやめは、ゆっくりと心の中で数を数えた。じくじくとした痛みが走る。「……っ、……っ」悲鳴が漏れそうになる。だが、歯を食いしばる。声は出さない。絶対に。あやめは、ゆっくりと心の中で数を数え始めた。一、二、三……。せり上がってくる恐怖を押し込めるように。規
last updateLast Updated : 2026-01-31
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1-54

スーツの男はあやめから離れ、部屋の隅にいく。そこには古びた木箱。その上に、スーツの男は腰を下ろす。「どうぞどうぞ。俺は見てるだけでいいから」スーツの男は軽く手を振る。まるで、本当に観劇でもしているかのような態度だった。「お好みはありますか?」無精ひげの男の言葉。まるで料理の注文でも取るかのような、無機質な口調。「あはは、なんで俺に聞くの。お姫様に聞いてあげなよ」スーツの男の視線が、あやめへと向く。興味を隠さない目。「前からがいい? それとも、後ろから?」あやめの眉が寄る。意味が分からないと言ったあやめの態度に、スーツの男の笑みが深くなる。「一人ずつ、正常位で? それとも、騎乗位で二人同時にしてみる?」言葉の意味が、遅れて理解に追いつく。理解した内容に、あやめの血の気が一気に引いた。いや、攫われた時点でその可能性は考えていた。ただ、考えないようにしていた。だから、無理やりそれに直面させられて、その乱暴さにあやめの唇が震えかける。だが、あやめはそれを噛み殺した。震えないようにしっかりと唇を結ぶ。「優しくがいい? それとも痛いほうが好き?」沈黙を貫く。あやめは何も答えない。ただ、スーツの男を見据える。視線を逸らさない。スーツの男が首を傾げた。「……あれ? もしかして俺の好み気になってる?」くすりと、笑う。「俺、お姫様みたいなの、好きだよ。品があるし、楚々とした女が大胆に足を開いて上に乗ってくるのとか、興奮するし……強いのがさ、屈服して急に崩れるの。最高じゃん?」最後の言葉に、ピンときた。ずっと感じていた違和感のようなものが、あやめの中で、何かがはっきりと形を持った。「でも、あなたが本当に見たいものは、違う」その一言で、空気が変わった。スーツの男の笑みが止まる。沈黙。そして―――興味。先ほどの歪んだ興味とは違う、純粋な、面白いものを見つけたという視線。ただの玩具から、“面白いもの”に昇格した。「じゃあ、質問」ゆっくりと、スーツの男があやめに尋ねる。「俺が見たいものって、なに?」あやめは、一度だけ息を吸った。恐怖はある。だが、それ以上に。(……この人は、これで崩れるのかを見ている)ならば―――崩れない。「絶望」あやめの言葉が、無機質な空間にはっきりと響く。「特に、強い人が絶
last updateLast Updated : 2026-04-14
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1-55

「お姉さん?」スーツの男が首を傾げる。その仕草は、白々しいの一言だった。「どうして?」喉が詰まりそうになった。でも、あやめは口を開いた。「私と姉。どちらが“神崎の女”なのか、確かめるため」その言葉が、部屋に落ちた。重く。確かに。.柊邸の警備は、万全だった。門を“正しく開けなければ”、侵入は不可能。運よく侵入できても、ほんの数分で警備会社から応援が来る。柊邸から、あやめを攫うことはほぼ不可能。それなのに―――あやめは、ここにいる。(門が、開けられたから)誰かが。内部の人間が。(……お姉様)あやめの胸が、軋むように痛んだ。だが、あやめはスーツの男から目を逸らさなかった。. パチ、パチ、パチ——。乾いた拍手の音が、コンクリートの壁に反響して広がった。まるで舞台の上で役者を称えるかのような、軽やかで、場違いな音。「よくできました」スーツの男は楽しげにそう言いながら、ゆっくりと手を打ち続けた。その目は、明らかに評価する側のそれだった。「よく分かったね、すごいよ」「ありがとうございます」あやめは、感情を抑えた声で答える。喉はまだ、乾いている。だが、あやめの声は不思議なほど安定していた。「あなたはオブザーバーだと言ったけれど、計画の立てたのはあなたでしょう?」「どうしてそう思う?」「見たところ、お姉様が近づくのを許すのは、あなたくらいなので」スーツの男は、冬弥とはタイプが違うが顔立ちは整っている。背も高く筋肉質だ。「ん?」スーツの男が、わずかに眉を上げる。その反応を見て、あやめは確信を深める。この男は、他者の反応を観察することに長けているが、自分については無頓着。自分自身の感情が動いた瞬間には、妙に無防備になる。そこを、突く。あやめは、さらに言葉を重ねた。「あなた、お姉様の好みのタイプなんですよ」一拍おく。視線を逸らさずに、言い切る。その瞬間、スーツの男の目が、はっきりと見開かれた。驚き。それは、これまで見せていた作り物の反応ではない。(……やっぱり)あやめは、その一瞬の“素”を見逃さなかった。「……お姫様、あんた」スーツの男がぽつりと呟く。次の瞬間、ふっと笑みが浮かんだ。「おもしれえな」無精ひげの男とスキンヘッドの男を手でどかしながら、スーツの男はあやめの前にしゃ
last updateLast Updated : 2026-02-01
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1-56

「……っ」あやめの反応に、スーツの男は満足気に頷いた。「やっぱりな」その一言に、あやめは顔をあげる。「神崎の女は、やっぱりあやめちゃんか」「……やっぱり?」「さくらちゃん。あんな簡単に脚を開く女が、“神崎の女”なわけねえって思ったんだよ。神崎冬弥って、そのあたりは妙に潔癖だって聞くし」一人納得したように、スーツの男は頷く。「でもさ、あんたみたいに男を知らなさそうなのも、逆に信じにくい」その言葉に、あやめの頬が一瞬で熱を帯びた。屈辱も怒りもあるが、スーツの男の軽い口調のせいか、動揺が大きい。だが、あやめはスーツの男から視線はそらさない。それを、スーツの男は楽しそうに見る。「さて」スーツの男が、ゆっくりと立ち上がる。「あやめちゃん、自分が神崎冬弥にとって、どんな存在か——知りたくない?」(それは……)悪魔の如き誘惑。喉元まで、言葉が出かかる。だが。「まあ、いいや」スーツの男は軽く肩を竦めた。「返事はどっちでもいいや。俺が知りたいだけだからさ」スーツの男がポケットから取り出したもの。あやめのスマートフォンだった。「あ、そうだ」スーツの男は、後ろの男たちに声をかけた。「なあ」蚊帳の外に置かれていた、無精ひげの男とスキンヘッドの男が、スーツの男に顔を向ける。「お前たち、さくらちゃんから金をもらっただろ?」一瞬の沈黙。そして。「ああ」あっさりとした肯定。その一言が、あやめの胸に突き刺さる。(……この男たちは、お姉様に雇われて私を……)予想はしていた。頭では、理解していた。それでも実際に言葉として突きつけられると―――痛い。あやめの胸の奥が、ぎしりと軋む。スーツの男は、そんなあやめを見て笑った。「大した女だよな」心底楽しそうに。「神崎冬弥の妻になるため、実の妹を排除しようってんだから」スーツの男の言葉は、まるで刃だった。あやめが分かっていたことを、あえて言葉にして、傷つける。「こいつらに男を集めさせて、輪していいって言うんだぜ? 自分の妹相手に」まるで雑談のように、刃のような言葉を軽く振るう。「すげえよ。俺たちよりよっぽどヤクザだ」笑い声。「小林さん……」スキンヘッドの男が、戸惑ったように声をかける「ああ、悪い悪い」スーツの男、小林が、あやめに視線を戻す。「あや
last updateLast Updated : 2026-04-14
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1-57

小林が、あやめのスマートフォンの電源ボタンを押した。静かな部屋に、起動音がやけに大きく響く。「よーい、どん」場違いに軽い、小林の声。その声音には緊張感の欠片もなく、まるで遊びの開始を告げる合図のようだった。無精ひげの男とスキンヘッドの男は、互いに顔を見合わせる。事態の急変についていけていないのは明らかだった。あやめも彼らのことを笑えない。あやめも、この事態についていけなかった。ただ、劇を見るように、彼らを見ていた。「こ、小林さんはどうするんですか?」不安を隠しきれない声。それに対して小林は、肩をすくめて笑った。「もちろん、逃げるさ。あやめちゃん、またな」軽い別れの言葉。だが、その背中に一切の迷いがない。躊躇も、未練も、責任もない。ただ“観察対象”から離れるだけの、冷淡な撤退。.扉が閉まる音がして、小林の気配が消えた。(……逃げた、わけじゃないでしょうね)あやめは、直感的にそう思った。あの男は、逃げるために去ったのではない。(どこかで、見ている)安全な場所から。全てを。(きっと、笑いながら……)あやめの胸の奥が、ひやりと冷たくなる。(どうして、あんなに冬弥さんに執着しているの……?)あやめの中で、小林という存在はまだ輪郭が定まっていなかった。朱雀会の人間である可能性は高い。だが、あやめの知る「敵」とは決定的に何かが違う。(あれは、敵意……じゃない)小林の目にあったのは、憎悪でも、敵愾心でもなかった。(好奇心……それも、歪んだ)試している。その言葉が、最も近い。(それに……私も、気に入ったって……)冬弥と並べて語られた、その一言。(もしかして……)あやめの思考が、一つの可能性に辿り着く。(朱雀会の中で、何かが起きている……?)方針の不一致。あるいは、内部分裂。(見極め……)完全な推測にすぎない。それでも、朱雀会が一枚岩ではないこと。その可能性は、あやめにとっては新情報だった。「……え?」突然、肩を強く掴まれる。あやめの視界がぐらりと揺れた。「痛っ……」後ろ手に縛られた手が尾てい骨に当たり、鋭い痛みが走る。顔が歪む。だが、その痛みはすぐに別の恐怖に上書きされた。無精ひげの男が、あやめの上に覆いかぶさってくる。「ひっ……」距離が、近い。男の息がかかる。
last updateLast Updated : 2026-02-01
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1-58

スキンヘッドの男の拳が、冬弥の視界に入った――はずだった。だが、その拳が届くことはなかった。掠ることすらなく、空を切る。冬弥は、ほんの半歩だけ動いた。それだけで、距離が消える。次の瞬間には、すでに間合いの内側。スキンヘッドの男に逃げ場を与えない位置。そして、冬弥はスキンヘッドの男の腕を掴む。無駄のない動きで、そのまま肘を固める。―――ミシリ。骨の軋む、嫌な男が響いた。「ぐああっ!」スキンヘッドの男の悲鳴が上がる。だが、その声は長くは続かない。冬弥の膝が、迷いなくスキンヘッドの男の腹に突き刺さった。息が強制的に抜ける音。空気を失った大きな身体がくの字に折れる。スキンヘッドの男は、そのまま床に膝をついた。 ドンッ重たい音に、あやめの肩がびくりと震えた。そんなあやめの視界で、崩れ落ちかけたスキンヘッドの男の頭部を、冬弥はためらいなく蹴り抜いた。躊躇はない。一切の感情を排した動き。スキンヘッドの男の体は横に倒れ、そのまま動かなくなる。すべては、ほんのわずかな時間での出来事だった。その時間の中で、あやめは呼吸することすら忘れていた。(……すごい)あやめの頭の中に浮かんだのは、それだけだった。あやめの周りには、小さい頃から護衛の人たちがいた。危険から守られる場面も、少なくなかった。あやめに向けられた暴力に、彼らが対処する動きを何度も見てきた。そのあやめでも、「すごい」としか思えなかった。(違う)冬弥と護衛の彼らとの、明確な違い。あやめを守るという動きは、冬弥も、彼らも、同じだが、冬弥は。(迷いが、ない)冬弥は力を使うことへの躊躇がない。いや、正確には躊躇をすでに乗り越えているという印象。必要な力を、必要な分だけ、適切に振るう。そこに、躊躇いは存在しない。恐怖も、怒りも、暴走しない。でも、冬弥は、躊躇しない。すべてが制御されている。冷静で、正確で、無駄がない。(……怖い)その感情が、あやめの胸の奥から静かに湧き上がる。分かっている。冬弥が自分に危害を加えることはない、と。それでも、この圧倒的な力は、純粋な“恐怖”として、あやめの中に刻まれた。「あやめ」呼ばれて見ると、冬弥の手がこちらに伸びてきていた。それを認識した瞬間、あやめの身体が、わずかに震えた。ほんの一瞬。だが、それ
last updateLast Updated : 2026-02-02
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1-59

倉庫の外は、騒然としていた。赤色灯が夜の闇を切り裂くように回転し、断続的にサイレンの音が響く。その光と音の中で、現実が一気に引き戻されるようだった。その喧騒の中を、冬弥は迷いなく歩いてくる。腕の中には、あやめを抱きかかえたままだった。「若……!」そんなふたりに最初に気づいたのは、鷹見だった。鋭い視線が一瞬で状況を把握し、次にあやめへと向けられる。「姐さんは……」言葉を途中で止めたのは、あやめの姿を見たからだろう。冬弥の上着にしっかりと包まれているその姿に、何があったのか、さまざまな可能性が一瞬で鷹見の頭をよぎったのがあやめには分かった。「大丈夫」あやめは、自分の口から否定する。「服を破かれたくらいで……それ以上は、何もありませんでした」正確には、恐怖も、暴力も、屈辱もあった。だが。(いまは……)冬弥の腕の中にいる。それだけで、すべてが遠くなる気がした。そして―――あやめは周囲の状況に目を向けた。鷹見の周り、地面に転がる男たち。うめき声を上げている者もいれば、完全に意識を失っている者もいる。(……え?)あやめの思考が、一瞬止まる。(これ、全部……?)「派手にやったな」冬弥が淡々と、感想を呟く。それに対して鷹見は、わずかに肩をすくめる。「必要な制圧です」あまりにも平然とした鷹見の返答。(これ、鷹見さんが一人で……?)あやめの中で、理解が追いつかない。「……あの」思わず、口を挟んでいた。「早苗さんって、鷹見さんよりもお強いんですよね?」その瞬間、空気が微妙に固まった。冬弥と鷹見、二人の表情が同時に引きつる。あやめは、その変化を見逃さなかった。(あれ……?)さらに、鷹見の肩がわずかに震えた。「早苗は……」冬弥が、少し言葉を選ぶように口を開く。「慣れているからな」「慣れ……?」あやめは首を傾げる。「冬弥さんも?」「俺も、早苗ほどではないが……」鷹見が口を挟んだ。「それは、年の功というやつですよ」どこか遠い目をしながら。「早苗は、若が小さい頃のお世話係でしたから」(お世話係……)あやめの中で、ひとつの疑問が浮かぶ。(早苗さんって……おいくつ……?)「しかしな」冬弥が、少しだけ口元を緩める。「俺も負けまいといろいろ身につけたが……白星は最近ようやく、というところだ」「
last updateLast Updated : 2026-02-02
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1-60

誘拐という一件は、結果だけを見れば計画的に見えた。だが、その発端は——あやめの中では、あくまで「さくらの思いつき」に過ぎないと結論づけられていた。動機は単純。嫉妬、焦燥、そして承認欲求。それらが混ざり合い、歪み、暴発した結果があの襲撃だった。捕らえられた無精ひげの男とスキンヘッドの男の身柄は、現在、龍神会の管理下にある。どのような手続きがとられたのか。どこに拘束されているのか。あやめは知らない。そして、知ろうとも思わなかった。(知る必要はない)それは冷たい無関心ではなく、割り切り。冬弥や鷹見の振る舞いを見ていれば分かる。彼らが扱っている領域には、表の法では測れない場所もある。法律の、黒寄りの灰色部分。そこは、冬弥の領域。あやめは、そこに踏み込まないと決めている。(……いつか、手続きだけは学ぶ必要があると思うけれど)一方で、法律の白寄りの灰色部分は、あやめの領域。今回は、被害者である自分を案じて、父・謙一が処理された部分がある。だが、それを当然とは思っていない。(本来は、私がやるべきだった)それが、あやめの認識だった。.そんなあやめの姿勢から、何かを感じ取ったのだろう。冬弥は、それまで意図的に隠していた「黒寄りの部分」を、完全には隠さなくなった。もちろん、境界線はある。踏み込むなという線は、明確に引かれている。だが、その線を越えない限りにおいて、あやめが“見る”ことを、冬弥は許容するようになった。それは信頼か。それとも覚悟か。いずれにせよ、その変化は組員たちにも伝わっていた。. * .朝。柔らかな光が庭に差し込む時間。あやめは縁側を歩きながら、ふと口元を緩めた。「姐さん、どうかしましたか?」背後からかけられた声に、振り返る。そこにいたのは、早苗だった。「……もういいだろって、組員が言っていたことを思い出して」あやめは少しだけ照れたように笑う。「ああ……」早苗は一瞬だけ目を伏せ、頭を下げた。「申し訳ありません。私たちは、姐さんを見誤っていました」「気にしないでください」それは紛れもなく本音。冬弥たちがいる黒寄りの灰色部分の、どこまでをあやめが受け入れられるかなど、あやめ自身も分からなかったのだから。——どこまで受け入れられるのか。皮肉なことに、あの誘拐がその試金石になった
last updateLast Updated : 2026-02-03
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