Semua Bab 氷龍の檻姫: Bab 61 - Bab 70

215 Bab

1-61

「最近、襲撃が増えていますね」あやめの言葉に、早苗が頷いた。「系列施設に被害は?」「姐さんのご提案以降、大幅に減少しました」朱雀会が唆しているのか、最近龍神会の組員への”ちょっかい”が増えていた。一般人の被害が増えている上に、龍神会側の負傷者も増加。戦場を固定する。誘い込んで、最大戦力で叩きのめす。誘い込む先は、キングであるあやめのいる神崎邸。あやめが提案し、冬弥が実行している方針。「庭師には申しわけないですね」あやめは、庭を見ながら苦笑する。「しばらく頑張ってもらいましょう」「そうですね……しかし、特別手当が必要ではないかと」早苗に言葉に、あやめは負傷者を運ぶ車のほうを見る。「彼らは、法律上は“被雇用者”ですよね」「ええ。まあ。朱雀会傘下の企業の社員ではあります」早苗の答えに、あやめは頷く。「怪我させてしまった人、神崎の系列の病院に運びましょう。徹底的に検査し、できるだけ医療費をふんだくって、庭師の特別手当としましょう」早苗が笑う。「姐さんは、ちゃっかりしていらっしゃる」. * .夜。廊下を歩いていたあやめは、ふと足を止めた。 開け放たれた扉の向こう。「……あいつ、まだ口割らねえのか?」「歯は全部折れてる。でも、拠点を吐きやしねえ」「じゃあ、もう一発いくか」休憩中なのか、火がついた煙草を持つ彼の手には真っ赤な血がついていた。あやめは、その場を離れた。 心臓が早鐘のように打っている。だが―――怖いとは、前ほどには思わなくなっていた。それは。(私は、わがままなのだろう)これまでは、みんなのために正しくあろうとした。正しく、それは法律上なこと。法に背く者はもちろん、自分勝手な人間も社会に適合しないと軽蔑してきた。だが、そんな自分も、冬弥への思いだけで“法律”を捻じ曲げて解釈している。仕方がない。必要悪。それらの言葉は、これまでのあやめの価値観にそぐわないもの。あやめの価値観が揺れていた。暴力とは理不尽で、あやめの価値観にそぐわない、悪いもの。しかし、いまはそれを必要悪だと感じていた。力は悪いことではないと。問題は、誰がそれに向くのかと思っている。彼らの血に濡れた手も、それがあやめに向けられることはない。その確信があった。(だから……怖くない)「姐さん?」声をかけられ、顔をあげる。「どうしま
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-14
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1-62

月のきれいな夜だった。雲ひとつない空に浮かぶ月は、どこか冷たく、それでいて優しい光を落としている。その光に照らされながら、あやめは四阿に立っていた。頬を撫でる風はひやりと冷たく、春の名残と初夏の気配が入り混じるような夜気が、肌を静かに刺激する。薄手のカーディガンの上からでも、その冷気は伝わってきて、あやめは無意識に自分の腕を抱いた。眼下には、無数の灯りが広がっている。神崎邸は高台にあり、東京の夜景を遠くまで見渡せた。無機質な光の群れ。けれど、その一つ一つに人の営みがあると思うと、不思議と温もりも感じられる。(あの中にも、色々な暮らしがある……)そう思ったときだった。背後から、ゆっくりとした足音が近づいてくる。振り返らなくても、誰かは分かる。気配だけで分かるほどに、その存在はあやめの中に深く刻まれていた。「冬弥さん」名前を呼ぶと、すぐ隣に気配を並べたところで歩みを止める。「寒くないか?」低く、落ち着いた声。それだけで、あやめの胸の奥が微かに痺れる。「少しだけ。でも、平気です」そう答えると、冬弥は何も言わずに視線を正面に戻した。あやめと揃って、同じ夜景を見下ろす。言葉はない。けれど、その沈黙は、どこか心地よかった。息遣いの距離。体温の気配。触れてはいないのに、すぐそばにあると分かる存在。それだけで、あやめは十分だった。あやめは口を開く。「最近……よく血を見ます」静かな声だった。けれど、その奥にはゆるぎない芯があった。「手についた血、庭石についた血……一生分見た気もしますが、これからも見るのだなと、思っています」あやめの言葉に、冬弥は、わずかに目を伏せた。すぐには答えなかったが、しばらくするとその薄い唇が動いた。「……怖いか?」その言葉に滲むのは、ほんのわずかな不安。それを、あやめは敏感に感じ取る。誘拐されたとき、助け出された瞬間に自分が見せてしまった“恐怖”。誘拐犯のせいにして誤魔化したつもりだったが、誤魔化しきれていなかったことをあやめは悟る。(それなら……)「怖かったです」正直に、答える。「でも、最近は……慣れてきた、というより……受け入れられてきた、気がします」“慣れ”という言葉を、言い換える。それが正しいのかは分からない。けれど、慣れたなど軽々しく言ってはいけない気がした
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-02-03
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1-63

あやめは、冬弥の部屋の前に立っていた。襖は、大きく開かれている。「入れよ」短い言葉。それだけで、背中を押された。.初めて足を踏み入れた冬弥の部屋は、無駄がなかった。 整えられた空間は、静かだった。 壁に掛けられた墨絵が、月の光を受けて淡く浮かび上がる。「……来いよ」その声に、あやめは気づく。まだ、ほんの一歩しか中に入っていないことに。あやめは、視線を前に向ける。自然と、敷かれた布団に目がいく。僅かに躊躇する。「あやめ」冬弥の言葉は、簡単なものだった。「おいで」その一言に、全てが込められていた。あやめは、自分の足で歩いた。一歩ずつ、距離を詰める。すぐ目の前まで来たとき、冬弥の表情がやわらかくほどけた。頬に触れる指。吐息が触れる距離。「……俺も、怖い」冬弥が、低く囁く。「お前を抱いたら、もう戻れなくなるから」「戻り、たいのですか?」逃げ道を塞ぐようなあやめの問い。冬弥は短く笑う。 「いや、戻りたくない」そして、真っ直ぐに告げる。「お前が、俺のすべてでいい」あやめは微笑んだ。涙を滲ませながら、それでも確かに笑っていた。「私は、あなたの女になりたかったのです」あやめの声が震えた。「あなたの心に、身体にも……ちゃんと触れたかった」その言葉に、冬弥の手が強くあやめを引き寄せる。触れる。重なる。指先が、肩が、呼吸が。全てが、確かめあうようにゆっくりと。急がない。奪わない。ただ、埋めるように。壊れていたものが、静かに繋がっていく。月は変わらず夜空に浮かんでいる。街の灯りも、いつも通り瞬いている。けれどこの夜は、二人にとっては“特別”だった。.夜の帳は静かに降りていく。照明を点けていない部屋は、月明かりだけに満たされている。障子越しに差し込む淡い光が、畳の目をなぞり、壁にやわらかな陰影を落としていた。その光の中で、あやめと冬弥は、布団の上に向かい合って座っている。互いの距離は、手を伸ばせば触れられるほど近い。けれど、そのわずかな空間には、これまで積み重ねてきた時間と、言葉にならなかった想いが、静かに満ちていた。沈黙は、重くはなかった。むしろ、どこか甘く、息をひそめるような緊張を帯びている。「あやめ……」冬弥の指先が、そっとあやめの頬に触れる。その仕草はいつも
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-02-04
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1-64

あやめの指が、冬弥のシャツへと移った。一つ、ボタンを外した。また一つ……その動きはゆっくりで、ぎこちなくて、けれど確かなものだった。指先が微かに震えているのは、寒さのせいではない。戸惑っていた。男性の服を脱がせるなど、あやめには初めてのことだった。初めて触れる領域。初めて踏み込む距離。初めてのことばかりで、あやめの指先は震えていた。それでも、あやめは手を止めない。冬弥は、ただそれを見ていた。いつものように、静かな湖のような目で。止めもしない。急かしもしない。ただ、あやめの選択を、そのまま受け止めていた。「私は……あなたのすべてを、愛しています」ボタンを全て外し、襟元を開く。露わになった鎖骨へと、あやめは唇を寄せた。近づくほどに、強くなる冬弥の匂い。体温。呼吸。心臓の鼓動。冬弥のすべてが、あやめの感覚を満たしていった。そっと唇を触れさせた瞬間、冬弥の身体がわずかに強張った。その反応は、意外なほど素直だった。強く、揺るがないはずの男の、ほんの一瞬の戸惑い。まるで、初めて触れられた少年のような。(……かわいい)そんな感情が、あやめの胸の奥に灯る。それと同時に。(大切にされている)そんな実感が、じわりと広がっていった。けれど―――。(この先……って?)あやめの手が止まった。思考も、戸惑いを露わにしていた。この先のことについては、知識はある。でもそれは、映画やドラマで見ただけ。しかも、こういう雰囲気からの先は曖昧で、次のシーンでは朝へと繋がっていた。行為として最終的になにを、どうするかは、保健体育の授業レベルでしか知らなかった。つまり―――頭の中で知っていることと、実際に進むことの間には、あやめが思っていた以上の距離があった。自分が、どれほど守られてきたかを、思い知らされた。指先が戸惑い、目が泳いだ。そんなあやめの変化を、冬弥は見逃さなかった。「……どうした」低い声に、あやめはさらに視線を彷徨わせたものの、覚悟を決めるために小さく息を吸う。「その……分から、ないんです」言葉を選びながら、続ける。「ここからどうしたら、いいのか……」この先を知らないのだと、その正直さに、冬弥は軽く驚く。そして、静かに笑った。「……それでいい」あやめの手を取り、そっと包む。指先が絡まり、体温が確かに重なった。「俺も、分かってい
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-15
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1-65

「あやめ」髪をそっと引かれる感触とともに、低く名前を呼ばれる。その声音は、昨夜とは違う静けさを帯びていて、けれど確かに熱を孕んでいた。「……あやめ」もう一度呼ばれ、あやめはゆっくりと顔を上げる。視線の先には、至近距離にある冬弥の瞳。夜の余韻を残したその眼差しは、どこか柔らかく、それでいて逃がす気のない強さを宿していた。冬弥の指が、あやめの髪をすくい上げるように撫でる。梳くように、確かめるように。指先が髪の流れを辿るたび、あやめの背筋にかすかな震えが走った。その仕草は優しいのに、どこか所有を確かめるようで。あやめはそれを拒まず、受け入れていた。「おはようございます」小さく、けれど整った声で告げる。「おはよう」短い返事。それだけなのに、ふたりの間には確かな親密さが満ちていた。冬弥の手は止まらない。髪を撫で、頬に触れ、顎のラインをなぞる。まるで、そこにあやめが存在していることを、一つひとつ確かめているかのようだった。やがて冬弥はぽつりと呟く。「体は? 大丈夫か?」「あ……はい。優しく、していただけたので」ほんの少し視線を伏せながら答えると、冬弥の目元が緩む。安堵と、どこか誇らしげな色。だがその次の瞬間、冬弥の表情にわずかな影が差した。「……そうか」そして上体を起こすと、あやめの上に、体重をかけないように気をつけつつも、のしかかる様にあやめを抑える。「……冬弥、さん?」静かに身体を起こしたかと思うと、そのままあやめの上に覆いかぶさるように身を落とす。重さはかけていない。けれど、逃げ場を塞ぐような距離。「あの……冬弥、さん?」朝の光が遮られ、冬弥の影に包まれる。夜とは違う明るさの中で、肌をさらされているという現実が、遅れてあやめの頬を熱く染めた。冬弥の視線が、あやめの身体をゆっくりとなぞる。その視線は決して乱暴ではない。だが、逃げ場のない熱を孕んでいた。「我ながら……よく優しく抱けたと思うよ」低く、押し殺したような声。その中に混じる僅かな棘に、あやめは戸惑う。「あやめ」冬弥の指先が、胸元へと落ちる。そして、ゆっくりとその一箇所に触れた。「お前の胸に……俺より先に痕をつけたのは誰だ?」空気が、一瞬で変わる。あやめの呼吸が止まる。「……っ」「誘拐から十日……それでも消えていない」「あ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-02-04
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1-66

「若」組員の声に、あやめの体が強張る。現実が割り込んできた。あやめはそう思った。冬弥も同じなのだろう。大きく息を吐いて、一瞬だけ名残を残しながら、わずかに上体を起こした。「なんだ?」何事もなかったかのように応じる声。「姐さんがいらっしゃらないのですが」「ああ、ここにいる」あまりにもあっさりとした返答に、あやめは顔を覆いたくなった。(そんな……!)羞恥で言葉も出ない。だが冬弥は構わない。「取り込み中だ。そこで用件を言え」(言い方……!)内心で叫びながらも、声には出せない。恥ずかしい。気まずい。その他諸々の感情は、扉の向こうもどうやら同じ。確かに、いま扉を開けられては困る。しかし、着替え中だとか他にいい言い訳はないのか。そんな気持ちで、あやめは冬弥を睨む。「いや、ある程度は予想していたと思うぞ」(……え?)あやめが戸惑うと、冬弥は苦笑する。「早苗が、お前を寄越したのか?」「はい。姉に言われまして、私が確認にきました」(……“姉”?)落ち着いてきたら、この声が誰の者かあやめには分かった。如月樹。鷹見の代わりに、冬弥の側付きになった男。冬弥の側付きはずっと鷹見だったが、それは若くして組長になった冬弥を支えるという補佐役も兼ねてのものだった。あやめとの結婚を機に、鷹見はあやめの傍に護衛を兼ねて就いた。その代わりに冬弥は幼馴染であり、冬弥の側付きになるために教育されてきた樹が採用された。そこまでは聞いていた。ただ、早苗の弟とは聞いていなかった。(鷹見さんの後継者として若頭になる予定だとかよりも、重要な紹介だと思うのですけれど)甘い雰囲気が霧散すると、素肌を触れ合わせていることに気恥ずかしくなる。あやめは冬弥を押しのけようとした。重い冬弥の体はあやめの力ではびくともしない。両手を突っぱね、赤い顔をして目いっぱい押すあやめの姿に、冬弥は目元を優しくする。「何があった?」冬弥は自らあやめの隣に体を横たえると、掛け布団でしっかりあやめの体を包む。離れたことにあやめの羞恥心は落ち着いた。しかし、離れてしまったことにあやめの恋心は寂しさを感じる。布団越しにぴったりとくっついてきたあやめに、冬弥の口元が緩んだが……。「柊さくらの処遇が決まりました」その一言で、空気がまた
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-15
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柊邸の応接間には、重く、沈んだ空気が満ちていた。外は昼だというのに、厚手のカーテンによって光は抑えられ、室内はどこか薄暗い。そのわずかな陰影が、場に集う人間たちの表情をより深く刻み込んでいた。ここは、ただの家族の話し合いの場ではない。神崎家と柊家――そして龍神会。三つの“力”がぶつかり合い、一つの決着を下す場。その中心にいるのは――柊さくら。あやめの誘拐事件の首謀者。あやめの姉でありながら、明確な敵となった存在だった。.柊謙一の隣に座るさくらは、背筋を崩し、脚を組んでいる。その態度は、まるでこれから裁かれる人間のものではなかった。むしろ、退屈そうですらある。対して、上座に座る冬弥は微動だにしない。冬弥の左手側に、あやめが座る。その隣には、腕を組んで座る鷹見。護衛としての鷹見ならこ態度はとらないが、今日の鷹見は龍神会の若頭として参加している。沈黙の圧は、明らかに神崎側が支配していた。ここは柊邸だが、冬弥の位置は、単なる客ではない。この場の裁定者。つまり―――最終的な判断は、彼が下す。その事実に、この場は支配されていた。.「柊家として、今回の件、まことに責任を痛感しております」謙一の声は、かすかに掠れていた。疲労と、悔恨と、そして父親としての痛み。それらが混じった声音だった。(お父様……)あやめの胸が締め付けられる。やつれた頬、落ちた肩。この数日でどれだけの決断をしてきたのか、想像するだけで苦しかった。だが―――。あやめは視線を父親から、その隣にいるさくらへと動かす。さくらは、笑っていた。口元に浮かぶのは、余裕の笑み。その目は、まるでこの場を“舞台”として楽しんでいるようだった。(……やっぱり)あやめは確信する。さくらは、自分が裁かれないと信じている。その理由は明確だった。あやめはすでに神崎家に嫁いだ。さくらは、そう思っているのだ。つまり、柊家を継ぐのは、さくらしかいない。大臣を定期的に輩出する家系。その後継者を、極道がどうこうできるはずがない。政治と裏社会。表と裏の均衡。そう思っているからこその、さくらの態度。だが―――。「さくらは、朝倉家に嫁がせます」その一言で、空気が変わった。さくらの眉が、ぴくりと動く。さくらが初めて見せた、感情の揺れ。「……朝倉?」低く、
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-02-05
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場の空気が、音もなく塗り替えられていく。それまで確かに存在していたはずの温度が、すっと引いていくような感覚。誰もが言葉を失い、ただ一人の男の存在に意識を引き寄せられていた。支配は、完全に冬弥へと移っていた。謙一が、わずかに息を飲む。その小さな変化さえ、この場ではやけに大きく響いた。(……違う)胸の奥で、あやめも同じ感覚を抱く。これまで見てきた冬弥とは、決定的に違う。優しさも、情も、すべてを削ぎ落としたような――純度の高い“支配”。静かで、冷たい。そして、揺るがない。そこにいるのは、一人の男ではなかった。龍神会の長。数多の人間を従え、その生死すらも掌の上に置く者。その“役割”そのものが、今この場に立っていた。「柊さくら」低く、よく通る声が響く。感情の色は、ほとんど感じられない。「お前に分かりやすく、“価値”で話をしよう」その言葉に、場の空気がさらに硬質なものへと変わる。価値。さくら自身が持ち出したその基準で、冬弥は語ると言ったのだ。逃げ場は、ない。「俺にとって、お前に価値はない」あまりにも明確な、拒絶だった。曖昧さも、含みも、一切ない。切り捨てるための言葉ですらなく、ただ事実を述べたに過ぎないような声音。その無機質さが、余計に残酷だった。さくらの表情が、初めて崩れる。目を見開き、言葉を探すように唇が震えた。「神崎に必要なのは、あやめだ」続けて告げられたその一言が、すべてを決定づける。静かな断言。覆る余地のない、選別。その言葉は、鋭く、真っ直ぐにあやめの胸を打った。どくん、と心臓が大きく脈打つ。嬉しさも、誇りもある。でも重要なのは、もっと重く、逃れられないもの。“選ばれた”という事実の重さ。一方で、さくらは完全に言葉を失っていた。理解が、遅れてやってくる。自分が選ばれないということではない。最初から、選択肢ですらなかったという現実。その事実が、さくらの中に沈み込んでいく。沈黙が落ちた。誰も、何も言わない。その静寂の中で、あやめはゆっくりと息を吸い込んだ。(終わり、なんだ)胸の奥で、ひとつの区切りがつく。家族としての時間。姉妹として過ごした日々。それらが、音もなく断ち切られた。これから先、どこかで再び関わることがあるかもしれない。しかしそれはもう、“家族”としてで
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-04-15
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「お父様」開いたままの書斎の扉口に立ち、あやめは静かに声をかけた。夕刻の光が廊下から差し込み、書斎の中に長い影を落としている。部屋の奥、窓際に立つ謙一の背中は、その光を背負うようにして外を見ていた。あやめの呼びかけに、謙一はすぐに振り向くことはなかった。あやめもまた、それを急かすようなことはしない。言葉を挟むには、この静けさはあまりにも繊細だった。窓の外では、庭木の葉が風に揺れている。かすかな葉擦れの音が、かえって室内の沈黙を際立たせていた。どれほど時間が経ったのか。数十秒かもしれないし、数分だったのかもしれない。謙一は、小さく息を吐いた。その吐息は、長く、深く、どこか重たい。謙一はゆっくりと踵を返し、部屋の中央へと歩みを進めた。そこにはマホガニーの重厚な机。長年使い込まれたそれは、光沢を帯びながらもところどころに細かな傷を刻んでいる。謙一はその机の角に手を置き、指先でなぞるように撫でた。まるで、過去を辿るかのようだった。次に、椅子の背に手をかけ、ゆっくりと腰を下ろす。肘掛けに施された装飾に指を添え、その感触を確かめるように軽くなぞる。一連の動作は、どこか儀式めいていた。この場所に戻り、この椅子に座ることで自分を、自分の理想とする“柊謙一”へと戻しているかのように見える。あやめは、その姿を黙って見つめていた。「……冬弥君は?」ようやく発せられた声は、先ほどの場とは違い、人間らしい疲労を含んでいた。「先に帰りました。夕方、迎えを寄越すそうです」「そうか……」短い応答。それ以上の言葉は続かない。あやめは静かに歩み寄り、応接テーブルの上に置かれていたティーセットへと手を伸ばした。茶葉の瓶の蓋を開ける。ふわりと広がる香り。謙一が好んでいる銘柄だと、あやめには分かった。昔から変わらない香り。(おそらく、お母様が淹れていたもの……)幼い頃、感じていた匂いだった。手慣れた動作で湯を注ぎ、蒸らし、カップへと注ぐ。あやめの動きに、無駄はない。あやめはカップを謙一の前に差し出す。謙一は無言でそれを受け取り、一口だけ口をつけた。その仕草に、ほんのわずかな安堵が滲む。「……疲れたな」謙一はぽつりと、そう漏らした。あやめは、その一言にほっとする。あやめにとって父親は、自分の疲れを簡単には口にしない人だった。それを口にしたということは、本当に
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-02-05
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謙一はあやめに視線を向けた。「私は冬弥君の父親、神崎宗一郎とは、若い頃からの付き合いだった」「そうだったのですね」初めて聞く話だった。「表には出せない関係だったがな。あいつは俺の親友だった。互いに家を継ぎ、表と裏で支え合ってきた」短い言葉で語られる関係。だが、その言葉には長い年月が凝縮されているように感じた。「……あやめ、冬弥君の母親については何か聞いているか?」「いいえ、なにも」そう答えつつも、その不自然さを、あやめはずっと気になっていた。冬弥の母親。彼女については、不自然なほどに語られていない。冬弥の父親のことはよく聞くのに。だからこそ、逆に印象に残っていた。「そうか……」謙一は少しだけ目を細めた。「冬弥君の母親も、お前と同じように“籠の中”にいることを望まれた女性だった」その言葉に、あやめの脳裏に自室の光景が浮かぶ。神崎邸の中で、どこか異質な洋室。外界から切り離されたような、静かな空間。「神崎は妻のため、籠の中の生活が苦にならないようにと、要求に応え続けた。完璧な環境を作ろうとしたんだ」(完璧な檻……)あの日、冬弥に初めて会った日の言葉が蘇る。居心地は悪くない檻。冬弥はそう言った。あやめは静かに考える。“居心地がいい”ではない。“悪くない”という言い回し。そこには、居心地の良さをあたえることはできない、諦めにも似た現実認識があった。(つまり、“完璧”など不可能であるということ)「神崎の妻の要求はどんどんエスカレートした。家具、宝石、服……そして愛人」「……愛人?」思わず、聞き返す。理解が、追いつかなかった。しかし、あやめは立ち止まる。理解ができないのは、“今”だからだ。冬弥と結ばれた今だから思うこと。あやめ自身も、結婚したとき、あくまでも政略結婚だったときは、“愛人”について理解していた。愛のない政略結婚では、それも必要なのであると。「神崎は、男児を産めば愛人を認めると約束した。冬弥君が生まれたあと、彼女は複数の愛人を持った」(……もしかして、あの部屋で?)愛人について理解しつつも、そこは別。生理的嫌悪感があやめの胸をよぎる。屋敷に戻ったら早急に部屋を変えてもらおうと決めた。「それでも、神崎の妻は満たされなかった。次を求め、さらに次を求め続けた」「……自由が、なかったから」あやめは呟く。謙一は、ゆっく
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-02-06
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