神崎芸能の本社ビルは、都心の一等地にそびえ立つガラス張りの高層ビルだった。 朝の光を受けて、外壁が鋭く反射する。無機質な輝き。だがその内側では、無数の人間の思惑と感情が交錯している。このビルは、華やかな芸能の世界を支える“現場”であり、同時に、情報と力が集まる戦場でもあった。あやめは、週に数回この場所を訪れている。最初はただの“同行者”だった。だが今では、明確な役割を持ってこの場所に立っている。文書の確認と法律面での相談。広報部との連携による戦略立案。タレントのリスク管理についての相談。どれも表には出ないが、確実に結果に直結する仕事だった。.「神崎様、次の会議は十時から。その後、広報部長との面談が十一時半。午後は新規プロジェクトの契約締結式がございます」淡々と、しかし正確にスケジュールを告げる声。水原玲奈。冬弥の秘書の一人であり、龍神会の分家の娘でもある女性。あやめがここに来る日は、冬弥の指示で、水原玲奈はあやめの補佐を務める。年齢は、二十七歳。あやめより二歳年上。黒のスーツを無駄なく着こなし、背筋は真っ直ぐに伸びている。余計な動きは一切なく、視線の動かし方すら計算されているようだった。 知的で、冷静で、そして―――隙がない。(見事ね)あやめは素直にそう思う。秘書としては、申し分ない。むしろ、理想的と言ってもいい。「水原さん、いつもありがとうございます」あやめが声をかけると、水原玲奈は軽く一礼し、穏やかに微笑んだ。「いえ、神崎様のご指示が的確なおかげです」(”神崎様”……)その呼び方。水原玲奈は、決して「奥様」とは言わない。それは一見、あやめ個人を尊重しているようにも聞こえる。“奥様”という誰かに付随する存在ではなく、“神崎あやめ”として扱うだが―――。(違うわよね)あやめは、直感的に理解している。個として認めているのではない。奥様とは“冬弥の妻”であることであり、水原玲奈はそれを認めないと言っている。. * .打ち合わせの合間。ふと視線を感じて、顔をあげる。ガラス張りの会議室の向こう。そこに、冬弥と水原玲奈の姿があった。並んで座り、冬弥は資料を見ていて、水原玲奈が何かを指さしている。その距離は自然で、過不足はない。補佐する者と、される者。長く積み上げてきた関係が、
Last Updated : 2026-01-27 Read more