胡桃が寝室から出てきたと言うのに、誠司はちらりとも胡桃を見ない。 それどころか、胡桃が部屋を出てきた事にすら気がついていないようだった。 ほれほどまでに。 たった3文字の「もみじ」という女の名前に、誠司の意識は今、向けられているのだ。 誠司の子供を身篭っている自分よりも、別れた元妻の名前にすら過剰に反応する目の前の男を、胡桃は悔しくて悔しくて睨みつけた。 「どうして私がこんなに惨めな思いをしなくちゃいけないの……?」 ぽつり、と呟いた胡桃の声。 その声は誠司には届いていないようだが、母親の桔梗には正しく届いていた。 胡桃の姿に桔梗はハッとすると、誠司からすぐに視線を外し、胡桃に話しかけた。 「胡桃、おはよう。体調はどう?変わりないかしら?」 「──っ」 桔梗の言葉に、そこでようやく初めて誠司が胡桃に視線を向ける。 バツが悪そうに「しまった」というような表情をくっきりと浮かべている誠司。 そんな誠司を見ないようにしながら、胡桃は務めて明るく振舞った。 「おはよう、お母さん。体調は良いわ!今日からお母さんが私の傍に居てくれるんだもの!絶好調よ、早く会社に出社したいくらい!」 「ふふふっ。安定期に入ったとは言え、油断は禁物よ?胡桃に何かあったらあの人が大変だわ」 「お父さんは心配し過ぎなのよ。私の事は……誠司がしっかり守ってくれるもの。……ね、誠司?」 母娘2人が和気あいあいと話をしている。 自分に話は振られないだろう、と誠司は我関せずという態度だった。 だが、突然胡桃から話を振られ、しかも胡桃の父親の話までされて誠司はびくりと肩を震わせた。 胡桃の父親を怒らせるのは得策ではない。 忠が胡桃のため、駅舎のデザインの仕事に潜り込ませようとしているのだから。 誠司は愛想笑いを浮かべ、胡桃と桔梗に向き直った。 「ああ、勿論だ。俺が胡桃を守るのは当然だろう?」 「ふふ……っ、嬉しいわ」 「頼もしいわね」 誠司の言葉に、胡桃も桔梗も満足気に笑う。 だが、胡桃の目は笑っておらずどこか薄ら寒さを感じた。 誠司はさっと目を逸らし、この場から逃げるように立ち上がった。 「──そうだ。今日は人が車を回収しに来る。それを忘れていた。……その対応をしてくるから、お義母さんは胡桃に朝食を作ってあげてください」 「……あら、コーヒーはい
Última actualización : 2026-08-18 Leer más