綾小路辰巳――A市最大の財閥を擁する名家の、ただ一人の跡継ぎ。その家柄、容姿、才覚のすべてにおいて、非の打ちどころのない男だった。唯一の欠点があるとすれば、数年前の事故で片足を失っていること。それだけだ。「綾小路さん、ずっと不思議だったんです」碧は腕を組み、感情を抑えた声音で問いかけた。「あなたほどの力があれば、小野寺舞を叩き潰すなんて造作もないでしょう?それなのに、なぜわざわざ私と手を組む必要があるんですか?」辰巳と舞は、かつて恋人同士だった。そして辰巳は、舞を救うために片足を失った――その過去を、碧は知っている。その名を出された瞬間、辰巳の表情が険しく歪んだ。背後に控えるボディガードたちは、息を潜めた。彼らにとって「小野寺舞」という名前が、主の最大の禁忌であることは周知の事実だったからだ。長い沈黙の末、辰巳はようやく口を開いた。「碧さん、我々の共通の敵は一人だけです」低く、重い声だった。「それは小野寺朗。奴の後ろ盾がなければ、あの女が俺に近づくことすらできなかった。ましてや、俺の命を狙うなどという大それた真似ができるはずもありません」碧の瞳に、はっきりとした驚愕が走った。二人の間にあるのは、ただの男女の愛憎劇だと思っていた。だが、そこに朗まで深く関わっていたとは。辰巳はそれ以上の説明を加えず、ただ静かに碧を見据えた。「碧さん、俺は長年、朗と争ってきました。奴は、君が思っている以上に残忍で、狡猾な男です。そして……君こそが、この戦いを制する鍵になります」碧は自嘲するように、わずかに口角を上げた。「鍵」だなんて、買いかぶりもいいところだ。朗の世界において、新橋碧という存在は取るに足らない。彼の心を占めているのは、ただ一人――義妹の舞だけなのだから。だが辰巳は、その話題をそこで切り上げ、一台のタブレットを差し出した。「この中に、舞が君の息子を殺害した証拠が入っています」数秒、間を置き、さらに低く付け加える。「それから……朗と舞の情事の現場も、な」碧の胸に、鋭利な刃を突き立てられたような痛みが走った。震える手で、彼女はタブレットを受け取る。探し求めていた証拠が、今まさに目の前にある。それでも、碧の胸には抗いがたい恐怖が芽生えていた。目を閉じれば、無惨に命を奪われた
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