Se connecter新橋碧(しんばし みどり)の五歳になる息子は、夫の義妹である小野寺舞(おのでら まい)によって殺された。 胸を引き裂かれるような悲しみを必死に押し殺し、碧は自身が勤める監察医事務所のコネを頼って、息子の司法解剖が行われる一部始終を細かく記録した。 証拠を手にしたとき、夫の小野寺朗(おのでら あきら)は「最高の弁護士を雇って、裁判で戦う」と彼女に約束した。 しかし、開廷当日。朗は敏腕弁護士を伴い、あろうことか被告席に座っていた。そして、碧こそが証拠を偽造し、義妹を陥れようとしたのだと糾弾した。 碧は懲役三ヶ月の実刑判決を言い渡された。 出所の日、朗が碧を迎えに来た。 怒りと悔しさに震える彼女に対し、彼は淡々と言い放つ。 「舞は一時の過ちで、不注意から息子の命を奪ってしまっただけだ。あの子は根が優しいんだ。どうしてそんなに執念深く責めるんだい? 子供なら、また授かることもできる。だが、俺にとって義妹は一人しかいないんだ!碧、俺を困らせないでくれ。いいだろう?」 朗の瞳に宿る、少しの曇りもない。それが当然だと言わんばかりの色を目にした瞬間、碧の心臓は激しく疼いた。 かつて、碧の父は舞を救うために片足を失い、その負傷がもとで退職を余儀なくされた。 退職後、父は長年の貯金を投げ打って朗の起業を支えたのだ。 あの時、碧を心から愛していると言わんばかりの表情で、朗は父の前に膝をつき、「一生、碧を幸せにします」と誓った。 それなのに今、舞が窮地に立たされるや否や、朗は我が子を失った痛みさえも、いとも簡単に切り捨ててしまった。 そこで碧は、ある番号に電話をかけた。 「……共通の敵がいる以上、手を組んで復讐をしませんか?」
Voir plus碧は手の汚れをぬぐい、本堂へと向かった。境内まで来たところで、彼女はふと足を止める。そこには、数人の人影が立っていた。制服を着た警察官、スーツ姿の検察官、そして監察医事務所時代の懐かしい同僚たちの姿もある。先頭に立っていた年配の男性が振り返り、碧の姿を認めた瞬間、目頭を熱くした。「碧……」父のかつての上司、周防慎吾(すおう しんご)だった。「周防さん?」碧は驚きを隠せなかった。「長い間、苦しい道のりだったな」慎吾は歩み寄り、碧の手を固く握りしめた。「お父さんの事件……すべて明るみに出た。朗と舞の犯した罪は、確たる証拠によって立証された」傍らにいた検察官が、一通の書類を差し出す。「碧さん、こちらはあなたのお父様と息子さんの名誉回復に関する書類です。当時、不正に関わった医師や警察官に対する処分は、現在司法手続きが進んでおります」碧は震える手で書類を受け取った。大粒の涙が次々と溢れ出し、紙面を濡らしていく。「それから、これもだ」慎吾はさらにもう一通の書類を取り出した。「民事裁判による損害賠償と、離婚時の財産分与として、相当額が確保されました。詳細は弁護士から説明があるだろう」彼は、決して小さくない金額を口にした。碧は呆然とした。「そんなに……?」「あなたが当然受け取るべきものだ」慎吾は彼女の肩を叩いた。「あなたのお父さんは……立派な警察官だった。そして、その娘であるあなたもまた、よく耐え抜いた」同僚たちが次々と彼女を囲み、口々に声をかける。「碧さん、機会があれば、また現場に戻ってきてくれませんか!私たちにはあなたが必要なんです!」「みんな、碧さんを待っていますよ!」「あなたの専門知識が必要な案件がいくつかあるんです。あなたがいないと困ります……」見慣れた顔ぶれ、心に響く言葉。碧の胸に、久しく忘れていたぬくもりが込み上げてきた。彼女は本堂の仏像を見上げ、それから手元の書類に視線を落とす。そして、ようやく悟った。終わらせるべき恨みがあり、取り戻すべき正義があった。けれど、それ以上に、続いていくべき人生があるのだ。---一ヶ月後、監察医事務所。碧は再び白衣に袖を通し、解剖台の前に立っていた。台上には身元不明の遺体が横たわり、死因
三ヶ月後、A市郊外の寺院。碧は墨色の質素な服に身を包み、位牌堂に安置された二つの小さな位牌の前に膝をついていた。一つは安晴のもの、もう一つは隆太郎のものだ。立ち昇る線香の煙はゆらゆらと揺れ、遠くから鐘の音が静かに響いてくる。「碧さん、またお参りですか」住職が歩み寄り、穏やかに声をかけた。碧は小さく頷いた。「ご住職様……なんだか、心にぽっかりと穴が開いたような気がするんです」「お気持ちはよくわかります。でも、お生きの方が前を向いて歩かれることが、何よりの供養になりますよ」住職は静かに合掌した。「あなたがなさった供養は、もう十分です」碧は目を閉じ、涙が音もなく頬を伝い落ちた。この三ヶ月、彼女はすべての気力を亡き者たちの供養に注ぎ込んできた。しかし、夜が更け、静寂が訪れるたびに、あの光景が脳裏に蘇る。息子の笑顔。父の遺言。そして、かつて朗が見せていた優しさ。朗を憎んでいた。けれど同時に、彼を愛していた年月を、どうしても忘れることができなかった。「碧様、お客様がお見えです。綾小路とおっしゃる方です」小僧が呼びに来た。碧は立ち上がり、本堂の外へ出た。辰巳は銀杏の木の下に立っていた。足元には黄金色の落ち葉が一面に広がっている。今日の彼は松葉杖を使っておらず、一本のステッキを手に、背筋を伸ばして立っていた。「その足……」碧は驚きを隠せなかった。「義足をつけて、リハビリをしているところです」辰巳はふっと笑う。「医者の話では、あと三、五ヶ月もすれば普通に歩けるようになるそうです」碧は静かに頷いた。「……おめでとうございます」二人の間に、しばし沈黙が流れた。「小野寺グループは正式に破産清算されました」辰巳が口を開いた。「朗と舞の遺体が……引き揚げられました。舞は死ぬ間際、割れたガラスの破片で朗の胸元に四つの文字を刻んでいました」「なんて……書いてあったの」「『子を返せ』です」辰巳の声は低かった。「警察の話では、二人は互いの首を絞め合ったまま海へ飛び込んだらしいです。舞の目は大きく見開かれたままで、死んでもなお朗を睨みつけていたそうです」碧は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。これが、私の望んだ結末だったのだろうか。なぜ、晴れやかな気持ちにはな
朗の悪夢は、相変わらず苛烈を極めていた。舞を傷つけまいと、彼は歯を食いしばって苦痛に耐えながら、必死に理性をつなぎ止めていた。幸いなことに、悪夢から目覚めるたび、傍らにはいつも舞がいて、震える彼を静かに抱き寄せ、慰めてくれた。地獄のような苦悩の日々は、一日、また一日と、容赦なく積み重なっていく。そしてついに、舞が産気づく時が訪れた。眠りの中で激痛に襲われ、舞は跳ね起きた。「助けて、助けて……! お兄ちゃん、助けて! 赤ちゃんが生まれる!」舞は朗に向かって必死に叫んだが、その時の朗はなおも深い悪夢の底に沈み込み、抜け出せずにいた。彼は眉間に深い皺を刻み、両手を振り回してうわ言を繰り返す。「来るな……来るな……」舞の悲鳴は、彼を現実へ引き戻すには至らなかった。腹部の痛みはますます激しさを増し、舞は脂汗を流しながら床に崩れ落ちた。「助けて……お願い、助けて……ああっ……!」凄惨な絶叫が何度も地下室に響き渡り、やがて舞は血の海の中に横たわった。どれほどの時間が経っただろうか。赤ん坊の産声が、静まり返った地下室の隅々まで響き渡った。舞の身体はひどく衰弱し、呼吸も途切れ途切れだった。彼女は残された最後の力を振り絞り、赤ん坊を抱き上げようと手を伸ばす。その瞬間、朗が叫び声を上げて跳ね起きた。彼の視界に飛び込んできたのは、一面に広がる鮮血と、生まれたばかりで身悶えしている小さな赤ん坊だった。「お兄ちゃん……私たちの子供が……生まれたわ……早く、この子を……抱き上げて……」舞はかすれる声で訴えた。朗は床に転がる血まみれの赤ん坊を見て、目を剥くほどに見開いた。次の瞬間、彼は獣のように飛びかかり、赤ん坊の首を強く締め上げた。「お前か……お前なのか……俺を殺そうとしているのは! 言っておくがな……二度と俺の前に現れるな! 運が悪かったんだよ。見てはいけないものを見た、お前が悪いんだ!」赤ん坊はか細い泣き声を上げた。舞は産後の激痛も忘れ、必死に這い寄った。「やめて! お兄ちゃん、私たちの子供よ!あの子は安晴くんじゃない、放して……お願い、早く手を離して! このままじゃ息ができなくなる!」舞は必死に朗を叩いたが、まるで届かなかった。朗の目は血走り、完全に正気を失っていた。「死ね! 死
「誰……あんた、誰なんだ?俺に何をするつもりだ」朗は舞を認識できず、それどころか彼女を突き飛ばした。「お兄ちゃん、私よ、舞よ。お願い……私を見て」半狂乱の朗の姿を目の当たりにして、舞の胸に残っていた最後の希望は、音もなく崩れ去った。朗をここまで追い込んだ犯人が誰なのか、彼女には分かっていた。碧は朗の命を直接奪いはしなかった。だが、彼の心を壊した。人でも幽霊でもないようなその成れの果ては、死よりもはるかに残酷な罰だった。舞は胸を締めつけられる思いで、瞳に涙を滲ませる。朗はいまだ怯えた視線で彼女を見つめていた。舞は涙に濡れた顔のまま彼のもとへ這い寄り、朗の手を強く握りしめた。「お兄ちゃん……妹の舞よ。本当に、私のこと、忘れてしまったの?」朗は張りつめた表情で彼女を見つめ返す。舞はゆっくりと彼の手を引き、自分の大きく膨らんだ腹部へとそっと添えた。「お兄ちゃん、これは私たちの子供よ。もうすぐ生まれるの。ほら……触ってみて」その言葉に、朗の睫毛がかすかに震え、瞳の奥に渦巻いていた混乱が、少しずつ薄れていった。彼は唇を震わせながら呟く。「子供……?俺たちの……子供か」思い出してくれたのだと信じて、舞の目に一瞬、喜びの光が差した。朗は次第に落ち着きを取り戻し、立ち上がろうともがいた。だが、片足を失っているため重心を保てず、そのまま床に倒れ込んだ。「お兄ちゃん、その足……どうしたの?!」舞は彼の欠けた肢体を見て、顔色を失った。その瞬間、朗の意識に束の間の清明が戻る。切断された自分の足を目にした途端、彼はついに耐えきれず崩れ落ちた。二人は互いに抱き合い、声を上げて泣いた。長い時間が過ぎ、ようやく気持ちを落ち着かせた朗は、これまで自分の身に起きた出来事を、ありのまま舞に語った。それを聞き終えた舞は、しばらく沈黙したままだった。「碧だ……あいつが俺を恨んで、息子の復讐をしているんだ……」朗はうわ言のように呟く。「あいつは俺を逃がさない……舞、早く逃げよう」朗は、自分が一難去ってまた一難の、さらなる地獄に落ちていることにさえ気づいていなかった。その言葉を聞いて、舞は苦い微笑を浮かべる。「お兄ちゃん……ここがどこだか分かってる?私たちは、もう逃げられないのよ」朗はは