幼い頃に契約した神様が、今も俺を離してくれない のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

38 チャプター

第21話 愛される資格なんてないのに、忘れられない

 アマが消えて、一週間目。  俺は、神根遺跡を訪ねることにした。  夜の国道を抜け、ナビに載らない山道を進む。  アマが何気なく話していた「根」のある場所。  「いつか一緒に行こう」と笑っていた、その場所に、俺は一人で来た。  ここで──あの時、腕輪を拾った。  岩の裂け目に落ちていた、異様な金の光。  触れた瞬間、掌がじんと熱くなり、  どこか遠くで鈴が鳴ったような気がした。  あの夜、家に帰ると──あいつがいた。  もし……アマとまた会える場所があるとしたら、ここしかない。  そんな気がした。  フロントガラスの外、街灯のない夜が続く。  音もなく降る雪が、視界の奥を白く埋めていく。  一週間。  時間は経ったのに、胸の奥はまるで凍ったままだった。  何をしても落ち着かなくて、  仕事中も、食事中も、眠る前も、  ふとした瞬間に、あの消え方が頭を刺した。  ……もう、会えないのかもしれない。  そんな考えが日に日に強くなって、  そのくせ、どうしても何かをしないといられなかった。  冬の空気が、肺の奥まで刺さる。  舗装が途切れた先に、フェンスと警告板。  「関係者以外立入禁止」──黄色いテープが夜風に揺れている。  俺は、それを見ても引き返さなかった。  懐中電灯を手に、崖沿いを歩く。  地層が露出した岩肌に、白い柱が並んでいる。  風で草が鳴る。誰もいない。  それでも、ここに何かがいるのが分かった。  右手の紋が、かすかに熱を帯びる。  アマの気配。  心臓が、勝手に跳ねる。  この先に、何かがある。あってほしい──  そう願いながら、俺は名を呼んだ。 「……アマ」  返事はなかった。  でも、風が一瞬だけ止まった。  空気が凍る。何かがこちらを見ていた。  そのときだった。  右手が、焼けるように痛んだ。 「──っ……あぐ、っ……!」  光が走り、手首から肩まで痺れが広がる。  視界が白く霞んで、立っていられなくなる。  まるで、誰かに「来るな」と叩き返されたみたいに、全身が後ろへ弾かれた。  冷たい地面に背中を打ちつけ、肺から空気が抜けた。  咳すらできず、ただ空を仰いだまま動けなかった。  右手の紋が、赤黒く脈打っている。  それは──まるで
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第22話 はじめて本音で泣けた日

 夜。研究室。  もう何時間も、キーボードの上で手を止めたままだった。  文字は進まない。画面の光がやけに白くて、目が痛い。  ──アマが、消えてから三週間。  何をしていても、脳裏に焼きついたものがある。  声。匂い。体温。重さ。  どれも、俺の中に刻まれて、消えてくれない。  なのに、世界は当たり前の顔をして進んでいく。  仕事も、授業も、季節さえ。 「よお」  軽い声に、心臓が揺れた。  ドアが開いて、佐伯がコーヒー片手に入ってきた。   「……まだいたんか、お前」 「うるせえ。帰れ」 「冷てーな。さすが教授様」  笑いながら、佐伯は俺の机に勝手に腰かける。 「……で。神様は?」 「……」 「もう帰っちゃったのか?」 「……ああ」 「まじか……お前、ほんと男運ねぇな」  その言葉に、息が止まった。 「惚れた相手、全部いなくなるじゃん。俺のときもそうだったし」  やめろ。  言葉が喉まで出たのに、声にならない。 「……ま、寂しい夜には──」  にやっと笑って、佐伯が手を伸ばしてきた。 「昔みたいに、慰めてやろっか? 俺でよけりゃ、だけど」  その指が俺の肩に触れた瞬間だった。  びりっ。  掌の紋が、鋭く疼いた。  アマが怒った夜と、まったく同じ感覚。  拒絶の光。  ――俺はまだ、アマに触れられている。  そう気づいた瞬間、何かが弾けた。 「──ふざけんな!!!!」  椅子が倒れる音。  佐伯の手が空を切る。 「お前、何もわかってねえくせに……軽く触んな!!」  佐伯が目を見開いた。  俺は、震える拳を握ったまま、ただ叫んでた。 「慰めてやるよ? ……ふざけんなよ……っ」  喉が痛い。  でも止まらなかった。 「まだ……俺の身体は……あいつのもんなんだよ……」  ぽつりと漏れたその言葉に、自分で、自分の感情が崩れていくのが分かった。 「触れて、笑って、呼んでくれて……ほんの数ヶ月だったけど、俺の中じゃ……全部だったんだよ……!」  涙が溢れて、視界がぼやけた。  でも俺は止まらなかった。 「まだ……ここにいるんだよ……俺の中に……っ。勝手に慰めんな……っ。勝手に寂しい夜とか言うな……っ!!」  叫んだあと、  喉の奥から、言葉にならなかった本音が、まだずる
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第23話 刻まれた夜を、まだ終えられない

 熱が引いていくように、俺の中の何かが、少しずつ、冷静さを取り戻していた。  研究室の空気はいつもの通り無機質で、ただ隅で淹れていたドリップコーヒーの香りだけが、やけに馴染んでいた。  佐伯が、紙コップを俺の前に置く。 「……落ち着いたか?」 「……ああ。悪かった、いろいろ」  ぼそりと呟くと、佐伯は小さく笑って、椅子をくるりと回転させた。 「お前、あんなふうに泣くんだな。ちょっと意外だったわ」  その言葉に、少しだけ視線を下げて──  一瞬だけ、口にするか迷って。  けれど、いまなら言えると思った。  俺は、静かに口を開いた。 「……お前のときだって、あんなふうに泣いたけどな」  佐伯が、ぴたりと動きを止めた。  視線が、真正面からぶつかってくる。  短い沈黙のあと。  彼はただ一言だけ、呟いた。 「……そうか」  それ以上、何も言わなかった。  だけどそれが、今まででいちばん優しい理解だった気がした。  それだけで、随分と呼吸がしやすくなった。 「じゃあ──まずは状況整理するか。頭のいい俺と、情緒崩壊中のお前でさ」  俺は、ようやく紙コップに口をつけて、呟いた。 「……言ってろ」  思わず苦笑がこぼれる。  笑っている場合じゃないのに、なぜか少しだけ肩の力が抜けた。  あいつが消えた夜のことを、佐伯に簡単に話す。  言いながら、視線が自然と自分の掌へ落ちる。  ──気づいたときには刻まれていた文様。  あの夜以来、ずっと消えずに残っている印。  佐伯は珍しく、真面目な顔で耳を傾けていた。  そして文様に目を落とし、なにか言いかけるように、微妙な表情を浮かべた。  ──整理するべきことは、山ほどある。 「まずは……その文様か。光ったって言ってたよな」 「ああ。……契約したあの瞬間だ。  あれが光って、それから……アマがいなくなった」  右手を見る。  時間とともに薄れているようで、それでも確かに残っている。  あの夜の痕跡が、まだ消えずに。  佐伯が俺に触れようとしたとき──  ぴりっと熱を持って反応した。  まるで、アマが怒って、「僕のものだ」と言わんばかりに。  アマと繋がっていた証が、こうして残っている──  それだけで、少しだけ救われる気がする。 「つまり……契約は継続
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第24話 この家は、俺が逃げようとしたものを全部覚えている

 ガタン、と電車が揺れた。  冬の光が、曇った窓ガラスに白く反射する。  映った自分の顔は、思っていたよりも疲れていた。  ──門跡町。  地方とはいえ、数百年の歴史を持つ神職の家系が点在する町だった。音瀬家はそのなかでも別格だった。神社と屋敷を併せ持つ名家で、戦前までは「式内社の分家筋」として遇されていたという。  学生時代に何度も乗ったローカル線。ホームのベンチ、川沿いのカーブ、木造の駅舎──全部見慣れているはずなのに、遠い記憶の中から滲み出すようだった。  次の停車駅のアナウンスが流れる。  心臓が、ひとつ鳴った。  ──帰るのは、何年ぶりだろう。  姉が出ていったのは、高校を出た直後だった。この家のことは、もうあんたに任せると、そう言って荷物をまとめて、それきり帰ってきていない。  俺は逆だった。  継がなきゃいけない。  家を守らなきゃいけない。  ゲイであることも、子供を持てないことも、自分のなかで呑み込んできた。  ──それでも、なにかを告げて、愛されることを選ぶべきだったのかもしれない。  ドアが開いた。  冷たい空気が、車内に滑り込んでくる。  小さな無人駅。黄色い警告線と、少し傾いたベンチ。  白い吐息がひとつ、空に散った。  道の形も、川の流れも変わっていない。家へと続く坂道に足を踏み出すと、凍った土の感触が、靴底を通して伝わってきた。  この道を、何度歩いたか。姉と並んで、無言で帰った夜も。契約の儀式の夜、布を被されたまま歩かされた夜も。  門が見えてくる。黒漆に金具を打った、重厚な木の門。唐破風の屋根が、雪をうっすらと載せている。その向こうに──俺が背負ってきたものの、すべてがある。 ***  門をくぐると、敷石が雨に濡れていた。  玄関までの道に、白南天が咲いているのが見える。  手入れされた庭──だが、どこか無機質な静けさが漂っていた。  玄関を開けると、すぐに気配を感じた。  迎えの者が立っていた。 「──奥さまが、応接間でお待ちです」  屋敷の中は変わっていなかった。重い襖。季節ごとに掛け替えられる掛軸。  そして、母は、変わらない所作で、薄く微笑んでいた。  「……遼。ちゃんと帰ってきたのね」  その声に、どこか安堵が混ざっていた。
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第25話 音瀬家が犯した罪と、祠の少年

 夜の屋敷は、息を潜めたように静かだった。 眠れなくて、ひとりで廊下を歩いていた。 昔からいた家なのに、この奥の間にはほとんど来たことがない。 使われていない離れ──そう教えられてきた。 でも、今は何かが違って感じた。 縁側に出ると、風が頬を撫でた。草の匂い。湿った空気。 ──この感じ、知ってる。 胸の奥が、きゅっと痛んだ。 気づけば、幼い頃の記憶が蘇っていた。 夜、迷い込んだ屋敷の奥。 怖くて泣きそうだった俺の前に、光のように現れた少年── 金の髪。白い浴衣。祠の前に立つその姿。 風もないのに髪がふわりと揺れていて、月明かりの中で淡く光って見えた。 息を飲むほど、綺麗だった。「……だいじょうぶだよ」 そう言って、少年は俺の手を取った。 そのときの手のぬくもりは、今でも忘れられない。 ただ、優しくて、あたたかくて──なぜか、泣くのをやめた。 ──アマだ。 あのとき、俺が出会ったのは、アマだったんだ。 ……でも、どうしてアマがここに? あの神根遺跡と、音瀬の家は、直線距離で100キロ以上離れてるはずだ。 当時の俺はまだ、小学校にも上がっていなかった。 家族にも説明できなかったあの夜── 泣きながら迷い込んだ先に、彼がいたなんて、ありえるはずがない。 (じゃあ、あれは夢だったのか?) けれど、あのときの手のぬくもりは、今でも鮮明に覚えている。 優しくて、あたたかくて……不思議なほど、安心できた。 思い返せば、あの夏の夜から何かが変わった気がしていた。 知らずに惹かれていた。 たった一度きりの出会いが、ずっと胸の奥に残っていた。 ここは、俺の家だ。 だけど、その奥に、そんな存在が住んでいたことを、俺はずっと知らなかった。 そう思った瞬間、全身の毛が逆立つような感覚が走る。 ──だから、俺は音瀬の家を捨てられなかったんだ。 あの光に、再び触れたくて。 気づかないふりをしていたものに、触れるために。 ……でも今、この家には、あいつの気配はわずかに薄くしか残っていなかった。*** ──気がつくと、屋敷の奥へと足が向いていた。 幼い頃に迷い込んでは叱られた廊下。薄暗い空気と、畳に染みついた墨の匂い。 懐かしいはずなのに、背筋がざわりとする。 使われなくなった祖父の書斎。その襖を開けた瞬間、空気が
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第26話 代償を越えても、ただ一人を

 音瀬の家から戻った俺は、駅前の古い駐車場で佐伯と落ち合った。  夜明け前の空気は、どこか張りつめていた。  駅から少し離れたコンビニ裏、人気のない駐車場に、黒い車がぽつんと停まっていた。 助手席には、佐伯が座っていた。ハンドルにもたれ、無言のまま煙草をくゆらせている。  俺は、薄いドキュメントケースをそっと持ち上げた。  中には、家で見つけた古文書と──契約書。 「……見つけた。家にあった、古文書。記録と──契約書」  佐伯は煙を吐き出し、ゆっくりと手を伸ばす。資料を広げると、眉根を寄せた。 「寛永元年、神霊との契約を結び、血脈をもって守る……?」 「音瀬家は、四百年前から神根遺跡の神と契約してた。信仰を捧げる代わりに、繁栄を授かっていたんだ」 「……力を貸す代わりに、崇められる。神にとって、信仰こそが力の根源だからな」  佐伯は目を細め、手元の契約文を指先でなぞった。 「宗教的な意味じゃなくて、本当に契約……か。これはもう、伝承とか神話とかいう話じゃないな」  俺は頷き、重く息を吐いた。 「アマは、その神から分かたれた分霊の一体だった。……俺たちの家が、神域から連れ帰った」 「……つまり、あいつは逸脱した存在だったってことか?」  佐伯が低く言った。 「アマが消えたのは、お前の家の中だ。正確には、寝室。多分、どこかに引き込まれたと考えるべきだな」 「神域、だと思う。……分霊が戻された」 「じゃあ今、あいつは……神根にいるのか?」 「……」  俺は黙り込んだ。  けれど佐伯は、そこに責める色をのせない。  あくまで冷静だった。 「ただ──これだけ情報があるなら、やりようはあるかもしれない」 「……どういう意味だ?」 「神域に接続する儀式が、ある。いや、あったはずなんだ。400年前に契約を交わした以上、人間の側から神域にアクセスする手段が用意されていたはず。 道具や祝詞……そういう手段を使って、神と交信するルートが」 「……じゃあ、儀式を再現すれば……会えるかもしれないのか?」 「会うことはできるかもしれない。でも、問題はその先だ」  佐伯の指が契約文の一文をなぞる。 《神意に応え、神殿を守り継ぐものとす》 「分霊を戻すってのは、単に呼び戻すんじゃない。 もともと神のものであるものを、人の側
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第27話 戻らない覚悟と、隣の温度

 翌日。  朝焼けが始まる頃、俺たちはもう峠道を走っていた。  運転席の佐伯は、煙草をやめたらしい。窓を少しだけ開けて、外気を取り込みながら、無言でハンドルを握っている。  俺はしばらく迷った末に、口を開いた。 「……ついてこなくていい。ここから先は、俺ひとりでやる」  それだけ言って、目を閉じる。  路面を踏むタイヤの振動が、やけに静かだった。  返事はなかった。  ただ、数秒して──かすかに笑うような声が聞こえた。 「……いや、無理だろ」 「……なにが」 「お前、今ひとりにしたら──もう、二度と戻ってこなさそうだから」  言葉が喉の奥で詰まった。  冗談のような口調だったのに、ひどく刺さった。  「神に会う」とか、「契約」とか、「代償」とか──  そんな言葉よりもよっぽど、今のほうが怖かった。  佐伯は目を伏せたまま、続ける。 「……正直、止めたいと思ってるよ。でもな、あいつのことになると、お前、顔が変わるんだよ」 「そうか?」 「ああ──だからお前は止めらんねぇ」  沈黙が落ちた。 (こいつとはもう恋じゃない。だけど──それでも、今こうして隣にいてくれるのは) (……なんだろうな。うまく言葉にならない) (感謝? 信頼? ……いや、もっとぐちゃぐちゃで、ややこしい) (ただ、今ここにいてくれる。それだけでいい)  遺跡へ向かう途中、佐伯はふいに車をコンビニへ滑り込ませた。 「ちょっと寄る」 「……え、今?」  問いかけても、佐伯は何も言わずに店内へ入っていく。  仕方なく後を追うと、コピー機の前に立った佐伯が、USBメモリを差し込んで操作を始めていた。  数十秒後──プリンターから、薄い紙が数枚、静かに吐き出された。 「それ……?」 「祝詞。向こうに繋ぐための。書き起こす時間はなかった」 「コピー機で?」 「ああ。意味が通じれば十分だ。紙とインクの違いに神がこだわるとは思えない」  俺は思わず黙り込む。  白いコピー用紙に印刷されたそれは、ただの文章には見えなかった。  複雑な縦書きの文字列、漢字とも違う異形の符号、そして文字の間に埋め込まれた図形のような模様。  なぜか、目が滑る。  読もうとすると、意味を捉える前に、頭の奥がざわついた。 「……これ、どこで拾ったんだよ」 「
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第28話 境界の向こうで、君が待っていた

「……ほんとにつながったのかよ」  佐伯が俺の隣で、ぽつりとつぶやく。  俺は一歩踏み出そうとした。  それを察したように、佐伯が問う。 「行くのか?」 「ああ。行かなきゃアマに会えない」  佐伯は、何かを言いたそうに口を開いた。  でも、何も言わなかった。  風が、静かに吹き返す。  境界が、俺を呼んでいる。 「……遼」  俺は足を止めて、振り返る。  佐伯が立っていた。  手も出さず、ただそこに。何も言わないのに、全部伝わる表情だった。 「……ありがとう、佐伯」 「……っ」  もしかしたら、佐伯と会うのももう最後かもしれない。  言いたいことなんて、山ほどある。  でも今は、これしか言えなかった。  俺は一歩、境界に向かって踏み出した。  ──そのときだった。  後ろから、手首を掴まれた。  反射で振り返ると、佐伯がそこにいた。  目が合う。何も言わない。けれど、その瞳がすべてを語っていた。  強くない。けれど、離したくないと訴えるような手。  俺は、笑った。 「……行くよ」  そのまま、ゆっくりと、自分の手を引き抜いた。  少しだけ力をかけて、彼の指をほどくみたいに。  掌が離れる。空気が、冷たい。  もう何も言わずに、俺は境界へと歩いた。  背中で裂け目が、静かに閉じていく音がした。  空気が変わる。呼吸が、深くなる。  最後に聞こえたのは──あの鈴の音だった。 ***  ──足元が、ふっと浮いたような感覚がした。  気づけば、俺は、もうあの裂け目の向こうにいた。  空はない。地面も、ない。  けれど、足は確かに何かを踏みしめていて、  光でも闇でもない粒子が、世界を形づくっている。  その中に、ぽつんと、ひとつだけ。  金の髪が揺れた。 「……アマ」  声を出すより先に、体が動いていた。  駆け寄って、抱きしめた。  その腕が、迷いなく俺の背にまわる。  この感触を、もう一度味わえるなんて思わなかった。  冷たくも熱くもない、どこまでもやさしい抱擁。  けれど──芯には、確かな強さがあった。 「リョウ」  耳元で名を呼ばれて、喉が詰まった。  涙が出そうになるのを堪えながら、強く目を閉じた。  アマは、ずっと待っていてくれた。 「もう、大丈夫。来てく
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第29話 消えかけた背に、俺は叫んだ

「……見せてもらった。確かに想いは、ここにある」  重なるように、別の声が続く。 「されど、それが我らの意志を動かすに足るかは、まだ判じがたい」  俺はゆっくりとアマの背後に目を向けた。  そこには、いつの間にか立っていた、四つの気配がある。  どこから現れたのかはわからない。  けれど、それは間違いなかった。  多分、これが……地、水、火の分霊。そして、天の分霊であるアマは俺を後ろからしっかりと抱きしめていた。  一人目は、怒っているようだった。けれど、それを荒々しくぶつけてくるわけじゃない。静かに、でも深く、積もった怒りを湛えた目で、俺を見ていた。  ──おそらく、地。  二人目は、どこか寂しそうだった。哀しみなのか、諦めなのか、底の見えない水のような視線で、ただこちらを見つめていた。  ──水、だろう。  三人目は、真正面から拒絶していた。燃えるような眼差しで、一歩も譲らないと告げていた。怒りというより、信念に近かった。  ──火。 (……来た。ここからが、本番だ)  背中に、アマの体温がある。  温かい胸板が、そっと俺を包んでいる。 「大丈夫、リョウ。ぼくは、ずっとそばにいるから」  静かに息を吐き、俺は前に踏み出した。  交渉の時が来た。 ***  俺は、静かに膝をついた。  アマのぬくもりが背中にある。  けれど──俺自身の意志で、ここに向き合う。 「……俺は、音瀬の末裔です」  空気がわずかに震えた。 「そして──音瀬家は百年前に神に属する存在であるアマを、神域の外に連れ出した……そのうえで、俺は再びアマと契約を交わしてしまった」  重く、深く、頭を下げる。 「……そのことが、あなたたち〈分霊〉の怒りや拒絶の理由だと、わかっています。  契約は、いかなる形であれ、神の理に反してはならない。  けれど──俺は、自分の想いを抑えられなかった。  本当に、申し訳ありませんでした」  風が止まる。  その沈黙を破ったのは、アマの声だった。 「違うよ、それは……遼のせいじゃない」  小さく、それでもはっきりとした声。 「契約は……僕が、望んで、したことだから。  あのときも、今も──僕は、遼とつながっていたいって、そう思ったんだ」  言葉に、光の粒子が呼応するように舞った。  〈天〉
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第30話 震え声で紡ぐ祈りの契約

 〈火〉の炎が、一瞬、揺らいだ。  〈地〉の岩槍が止まり、〈水〉の奔流が霧のように散った。  沈黙が、神域を包む。  燃えるような痛みの中で、俺は彼らを睨み返した。  心臓の音が、世界の鼓動と重なった気がした。 (そうだ、俺が──話をしなきゃ)  〈火〉の分霊の目が細まる。  〈地〉が息を止め、〈水〉の笑みが消える。  沈黙が走る中──俺は、震える足で一歩、踏み出した。  視界が、にじんでいた。  恐怖で、涙が出たのかもしれない。  膝が笑う。喉が焼けつく。  けれど、それでも立っていなきゃ、何も守れない。  空気がまだ熱い。  焦げた匂いが肺に刺さって、呼吸のたびに喉がひりつく。  皮膚の下で、鼓動が荒く鳴っていた。  それがまるで「死ぬな」と、内側から叫んでいるようで、痛かった。 (……怖い。ほんとは、怖い。死ぬのも、消えるのも、怖いに決まってる) (でも──)  目の前で、アマが光に包まれている。  その背中が、淡く透けていくのを見た瞬間、胸の奥で何かが決壊した。  俺は、唇を噛み締め、声を押し出した。 「……お、俺の命でも……構わない」  その言葉は、祈りでもあり、絶望でもあった。  喉の奥が震え、言葉が血の味を帯びる。  そして、息を吸い直す。  心臓が早鐘のように打ち鳴らす中、もう一度、はっきりと口を開いた。 「……で、でも、もう一度だけ、聞いてください」  声が震えた。けれど、消えなかった。  恐怖と痛みの中に、たしかな意志が残っていた。  目を逸らさず、俺は言った。 「……あ、あなたたちが望むのは、罰じゃ……ない。  信仰と、継承……ですよね」  舌がうまく回らない。  喉が勝手に震えて、声が細く揺れた。  その瞬間、アマの手がそっと肩に触れ、ようやく呼吸が戻る。 「……だから──四百年前に、音瀬家と契約した」  分霊たちの眼差しが、わずかに揺れる。  その変化を前に、張りつめていた呼吸が、すっと静かにほどけていった。 「だから提案です。  音瀬家の契約は、俺の代で終わらせる。  代わりに、俺個人の意思で、あなたたちと新たに契約する。  神と人が、対等な意志で結び直す──新しい契約を」  分霊たちが静かにこちらを見据える中、俺は言葉を続ける。 「我が身ひとつで、
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