LOGIN発掘現場で見つけた古代の腕輪──それを研究室に持ち帰った夜、彼は現れた。 光をまとった金の髪。人ではあり得ないほど美しい、神。 「ぼく、リョウのことが好き。契約しよ?」 拒むべきだったのに、触れられた瞬間から、理性は少しずつ崩れていく。 抱かれるたび、身体は彼を求めるようになっていった。 神に愛されたその日から、音瀬遼の世界は静かに壊れ始める。 それでも彼を現実に繋ぎ止めようとする男がいる。 かつて愛し、今も身体だけは知り尽くしている元恋人──佐伯。 神と人間。 二つの引力のあいだで、遼はもう元の自分には戻れない。
View More ──佐伯から電話がかかってきたのは、
翌日の午後、遼は小さな水差しを抱えて離れへ向かった。 怖くないわけではなかった。姉に言われた言葉も、まだ胸のどこかに引っかかっている。けれど、それよりも、もう一度あの金の瞳を見たい気持ちのほうが強かった。 障子の前に立つと、昨日と同じように空気がひやりと変わった。夏の終わりの庭の匂いが遠のいて、古い木と畳の冷たい匂いだけが残る。 遼は小さく息を吸って、障子を開けた。 その人は、昨日と同じ場所にいた。 淡い金の髪が肩から背へ落ちて、薄暗い座敷の奥でじっとしている。けれど遼の顔を見た瞬間、金の瞳がほんの少しだけひらいた。 「……きた」 低い声だった。 その声を聞いた途端、遼の下腹の奥が、きゅう、と縮んだ。 嫌なような、でも少し甘い痺れが走って、遼は思わず息を止める。 なんだろう、これ、と思った。 「……うん。お水、持ってきた」 座敷へ上がって差し出すと、その人は不思議そうにそれを見たあと、そっと両手で受け取った。飲み方は少しぎこちなくて、喉が上下するのを見ていると、本当に喉が渇いていたのだとわかる。 昨日、戻れなかったことが急に申し訳なくなって、遼は膝の上で手を握った。 「……ごめん。昨日、戻るって言ったのに」 その人は水差しを抱いたまま、少し首を傾げた。 「きたから、いい」 それだけで許されるのが、かえって困る。遼はますます胸の奥が落ち着かなくなった。 しばらく黙ってから、遼はぽつりと訊いた。 「なんで、きみはずっとひとりでここにいるの」 その人は少し考えるみたいに目を伏せた。 「……まえは、ひとりじゃなかった」 「じゃあ、なんで」 金の瞳がゆっくりと遼を見る。 「ついてきたら、かえれなくなった」 遼は息を止めた。 うまくわからない。誰に、とは聞けなかった。でも、その言い方がひどく寂しくて、遼は胸の奥がきゅっとした。 「きみ、名前は?」 その人は少し首を傾げた。 「なまえ?」 「うん。きみのこと、なんて呼べばいいの」 しばらく黙っていたあと、その人はゆっくり首を振った。 「……ない」 遼は目を瞬いた。 名前がないなんて、そんなことあるのだろうか。犬にも猫にも、庭の鯉にだって名前はあるのに。 「……ないんだ」 思わずそう言うと、その人は何も答えなかっ
「……だいじょうぶ?」 変なことを聞いた、と遼は言ってから思った。 相手は少しまばたきをして、それから、ほんの少し首を傾げた。 「……だいじょうぶって、なあに?」 遼は息を止めた。 その返しが変だった。 言葉の意味が通じていない、というより、その言葉が最初からこの部屋にはないみたいだった。 ぞわ、とまた背中が粟立つ。 やっぱり、まずい。 ここにいてはいけない気がした。 遼は思わず一歩だけ後ずさった。廊下へ出て、大人を呼んだほうがいい。そう思うのに、相手の金の瞳がじっとこちらを見ていて、うまく足が動かない。 「えっと……つらくない、とか。いたくない、とか……そういうの」 説明しながら、自分でも何をしているのかわからなかった。 相手は黙って聞いている。 その顔が、綺麗なのにひどくわからなくて、遼はまた少し怖くなる。 やっぱり帰ろう。 今度こそそう決めて踵を返しかけたとき、相手がそっと手を伸ばした。 大きな指が、遼の手首を包む。 びくっと肩が跳ねた。 強く掴まれたわけではなかった。振り払おうと思えば、たぶんすぐにできた。 けれど、その手は思ったより温かくて、遼は一瞬、息を止めた。 人の手の温かさとは少し違った。 火みたいに熱いわけでもないのに、触れられたところからじんわり何かが染みてくるようで、手首の内側が落ち着かない。 「……いかないで」 掠れた声が落ちる。 その声が、あまりにも寂しそうだった。 遼は息を止めたまま、掴まれた手首にそっともう片方の手を添えた。 振り払うというより、傷つけないように指を外していく。 大きな手は、少し名残惜しそうに、けれどあっさり離れた。 「……すぐ、戻るから」 そう言って、遼は座敷を出た。 けれど、結局その日、戻ることはできなかった。 水を持っていくつもりだったのに、離れを出た途端、急に怖くなった。誰かに見つかることも、この家の言いつけを破ったことも、あの金の瞳にまた見つめられることさえも、急に現実味を帯びたからだ。 それでも、掴まれた手首のあたたかさだけは、いつまでも消えなかった。 *** その夜、遼はなかなか眠れなかった。 目を閉じるたび、離れの暗い座敷と、あの金の瞳が浮かぶ。 怖かったはずなのに、
音瀬家の子どもは、離れのいちばん奥に近づいてはいけない。 遼は、小さい頃から何度もそう言い聞かされてきた。 夕方から先は行くな。 鈴の音がしても、呼ばれたと思うな。 見ても、知らないふりをしなさい。 理由を聞いても、大人たちは誰も答えなかった。答えないくせに、その話になると、みんな少しだけ声をひそめた。障子を閉める手つきまで、どこか急いでいた。 だから遼も、離れの奥には口にしてはいけない何かがいるのだと、なんとなく知っていた。 その日も、夕方の縁側から使用人が膳を運ぶのが見えた。白い飯、湯気の立つ汁物、季節の菜。けれど、それはいつもほとんど手つかずのまま下げられる。 どうして食べないのだろう。 どうして誰も、そのことを気にしないのだろう。 気になって、遼は庭へ下りた。 石畳はまだ昼の熱を残していたのに、離れに近づくにつれて足元の空気だけがひやりと変わった。夏の終わりの夕方だった。蝉の声も、母屋のほうの話し声も、そこだけ薄い布を一枚かけたみたいに遠くなる。 離れの前に置かれた膳は、そのままだった。 汁の表面に張りかけた膜が、時間の経ち方を見せている。 そのとき、奥で鈴が鳴った。 ちりん。 遼の肩がびくっと揺れた。 細い音だった。高くも低くもないのに、耳ではなく、背中の真ん中に直接落ちてくるみたいな鳴り方だった。 もう一度、ちりん、と鳴る。 呼ばれている気がしたわけではない。 けれど、誰かがそこにいて、じっと息をひそめているのだとわかってしまった。 行ってはいけない。 見ても知らないふりをしなさい。 頭の中で祖母の声がした。 それなのに、遼はその場を離れられなかった。 怖い。 なのに、どうしてか胸の奥が妙にざわつく。逃げたいのとは少し違う、もっと落ち着かない感じだった。障子の向こうにあるものを見なければ、今夜は眠れない気がした。 遼はそっと縁に手をかけた。 障子紙は夕方の光を薄く吸って白く光っていた。近くで見ると、桟の木は古く、指先にざらりと毛羽立っている。 その白さの向こうに何かいると思うだけで、ぞく、とした。 開けたらいけない。 ここを開けたら、何かが変わる。 そんな気がしたのに、指は離れなかった。 ほんの少しだけ。 中を見て、
あの夜から、いくつ季節が過ぎたのか。 気づけば、遼は教授になっていた。 肩書きが変わっても、飲み会で眠くなると佐伯の袖をつまんでくるし、論文が詰まるとソファに転がって「頭なでて」と甘えてくる。 そんなところは、まったく変わらない。(……反則だよ。可愛すぎる) 何年経っても、遼は佐伯を簡単に無力化する。 ベッドで遼が蕩ける瞬間も、キスのあとに胸に顔を埋めてくる癖も、佐伯は全部覚えてしまった。 覚えすぎて、愛着が深くなりすぎて── だからこそ、ある時ふと気づいてしまった。 遼の未来のどこにも、自分がいないことに。*** その日の遼は、珍しく大学から暗い顔で帰ってきた。 コートも脱がず、リビングでぽつんと座ったまま、手元のカップだけぎゅっと握っている。「……家、戻れって連絡があった」「音瀬家?」 遼が頷く。 その目の奥には、諦めにも似た静けさがあった。「跡継ぎの話が出てる。研究は続けていいけど……いつまでも一人じゃ困るって」 その時に、はじめて迷った。 自分にも普通の未来がある、と何度も思い込もうとしてきた。 それでも、弱った顔を見た途端に全部どうでもよくなって、ためらいながら、気づけば口が勝手に動いていた。「……俺、ついていこうか?」 たぶん、これが初めてだった。 未来の話を一歩踏み込んだのは。 けれど。 遼はすぐに、ほんとうにすぐに、笑ってその言葉を撫でつぶした。「なに言ってんの。 佐伯は結婚して子ども作る人だろ?」 軽く。 まるで当たり前みたいに。 佐伯は何も言えなくなった。(……どうして、決めつけるんだよ) そう問い詰めたかったのに、遼の笑顔があまりに自然で、優しくて、その「当然」の前で声が出なかった。 その言葉は、心を縛る呪いみたいだった。 遼は続けた。「俺は……一度、戻るよ。家のこと、放っておけない」 それが、遼の選んだ未来だった。*** その数日後。 佐伯は偶然、高校の同級生に会った。 落ち着いた雰囲気で、笑った顔が柔らかい人だった。 懐かしさで話しているうちに、「今度食事でもどう?」と誘われた。 嫌じゃなかった。 胸が高鳴るほどでもなかったけど、その人となら、穏やかで安定した家庭を作れる気がした。(……俺の未来は、そっちなんだろうな)
遼と出会ったのは、佐伯がまだ特任研究員で、遼が助教になったばかりの頃だった。 研究室の端で、遼は初めてのシラバス作りに悩んでいて、髪をぐしゃっとかき上げながら、真剣にパソコン画面とにらめっこしていた。 そのくせ、学生が質問に来ると急に柔らかい笑顔をつくって丁寧に対応して、戻った途端に「……難しいなこれ……」と小声で嘆く。 その落差がどうしようもなく可愛かった。 研究の話になると、専門でもない文化人類学の資料を真面目に読み込んで「佐伯さん、これ解説して」と少し照れながら本を差し出してくる。 そんな距離の近づけ方をされて、佐伯が平然としていられるはずがなかった。 (……な
数年後。 冬の夕暮れ。 冷たい風が、東北芸術文化大学・研究棟のガラスを震わせていた。 大学院生の佐々原は、図書館で論文データベースを漁っている最中に──奇妙な論文群を見つけた。 筆者名は「音瀬 遼」。 見覚えのない名前だ。 それどころか──所属欄が空白のまま、著者略歴も存在しない。 まるで名だけが置かれているような論文だった。 だが、その論文群はどれも、ひとつの線で貫かれていた。 神根遺跡、神話、契約、記録、そして──祈り。 読み進めるほどに、胸の奥が熱くなる。 言葉のひとつひとつに宿る意志と温度。 そこには
「……リョウ、中、すごく熱い……僕のこと、全部受け止めてくれてる」 腰が速くなる。 ぬちゅ、ぐちゅ、ぬちゅっ、と粘ついた音が神殿の静寂を掻き乱す。 俺は立ったまま、供物のように曝され、貫かれ、喘ぎ続ける。 「……あ♡ あっ、あぁっ……♡ アマ、待って……っ、♡」 (こんなの……頭、熱い……思考が、どろどろに溶けて……) 下腹部の紋が、灼けるように震えた。 そこから立ち上る金光が、血の流れに溶け込んで全身へ駆け上がる。 まるで──紋そのものが、俺の神経を一本ずつ神の回路に組み替えているみたいだった。胸の先まで熱が走り、腹が疼き、思考の奥まで甘く侵されていく。 「リ
──契約、成立。 その瞬間、世界の空気が反転したようだった。 光が、降る。 音もなく、細やかな粒子となって。 まるで、祝福とともに、何かが静かに切り離されるように。 その光の幕の向こうで──分霊たちの気配だけが、じっとこちらを見据えていた。 姿は薄れかけているのに、視線だけが確かに残っている。 俺は、ゆっくりとアマを振り返った。 彼の輪郭が、いまやはっきりと〈神〉のそれになっている。 けれど、俺を見つめる瞳は──あの夜と、変わらなかった。 「……ありがとう、リョウ」 アマが微笑む。 けれど、その目に、何かが溢れそうになっているのがわかった。