幼い頃に契約した神様が、今も俺を離してくれない のすべてのチャプター: チャプター 31 - チャプター 38

38 チャプター

第31話 無数の絶頂で結ばれる契約①

 ──契約、成立。  その瞬間、世界の空気が反転したようだった。  光が、降る。  音もなく、細やかな粒子となって。  まるで、祝福とともに、何かが静かに切り離されるように。  その光の幕の向こうで──分霊たちの気配だけが、じっとこちらを見据えていた。  姿は薄れかけているのに、視線だけが確かに残っている。  俺は、ゆっくりとアマを振り返った。  彼の輪郭が、いまやはっきりと〈神〉のそれになっている。  けれど、俺を見つめる瞳は──あの夜と、変わらなかった。 「……ありがとう、リョウ」  アマが微笑む。  けれど、その目に、何かが溢れそうになっているのがわかった。  俺は、そっとその手を取る。  触れた瞬間──熱が、伝わる。  神聖な力が、俺の指先から腕を伝い、胸の奥まで染み渡っていくようだった。  アマが、耳元で囁く。 「……契約の印を、交わそう。  僕たちが確かに結ばれたって……君の身体に、刻もう」  アマの指が胸元に触れた瞬間、衣はふわりと光にほどけて消えた。  露わになった肌に冷たい空気が触れ、ぞくりと震える。  アマはその震えを見つめ、静かに笑った。 「……リョウ。全部、僕に見せて」  アマの手が、俺の胸に触れる。  その指先はあたたかく、けれどどこか冷たい──  まるで神性そのものが、俺の肌に直接触れているような感触だった。  ゆっくりと、指が滑る。  鎖骨の下、胸骨の上をなぞり、腹部へと下っていく。  その動きに、俺の身体はびくりと震えた。  (……こんな場所で……)  頭の片隅が警鐘を鳴らす。  ここは神域の中心、分霊たちがまだ在る場所だ。  契約は交わされた──もう、交渉も終わった。  それなのに、なぜ……まだ、こんな。  「……見られてる……っ」  思わず、小さく呟いた声に、アマはふわりと笑う。 「大丈夫だよ、リョウ……  僕たちの間にあるものは、もう何にも壊せない」  ──大丈夫じゃない。  でも、アマの指が肌に触れるたび、  神経が痺れたように敏感になっていく。  キスが落とされる。  鎖骨に、胸に、脇腹に。  ひとつひとつが熱を持ち、やがて芯から焼けるような感覚へと変わっていった。 「……アマ……だめ、だ……っ、あ、ぁっ……」  声が漏れる。  そ
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第32話 無数の絶頂で結ばれる契約②

「……リョウ、中、すごく熱い……僕のこと、全部受け止めてくれてる」  腰が速くなる。  ぬちゅ、ぐちゅ、ぬちゅっ、と粘ついた音が神殿の静寂を掻き乱す。  俺は立ったまま、供物のように曝され、貫かれ、喘ぎ続ける。 「……あ♡ あっ、あぁっ……♡ アマ、待って……っ、♡」 (こんなの……頭、熱い……思考が、どろどろに溶けて……)  下腹部の紋が、灼けるように震えた。  そこから立ち上る金光が、血の流れに溶け込んで全身へ駆け上がる。  まるで──紋そのものが、俺の神経を一本ずつ神の回路に組み替えているみたいだった。胸の先まで熱が走り、腹が疼き、思考の奥まで甘く侵されていく。 「リョウ……もっと、僕を感じて……」  その声だけで背筋がびくんと跳ねる。  神の声なのに甘くて、耳の奥が蕩け、理性が糸のように解けていく。 「んっ……♡ ひぁっ、そこ……だめ……っ♡ 頭、おかしくなる……♡」  奥をぐりゅ、と抉られるたび、視界が金色に揺らぐ。  身体の内側を満たす神力が、乳首の先から下腹部へ、そしてもっと奥へ──  触れられてもいないのに、そこだけアマの指が生きているみたいに疼き、焼けていった。熱が最奥で弾けた瞬間、背骨がびくん、と跳ね上がった。 「っ……♡ あ、いくっ……♡ アマ、いくっ……♡」  膝がガクンと崩れた。   頭の奥が真っ白に灼かれて、思考が溶ける。  ただ快楽だけが全身を駆け巡り、腰が勝手に痙攣する。  びゅっ、びゅっ、と白濁が腹から床に飛び散った。  石の床にぴちゃぴちゃと音を立てて落ちるそれが、でもすぐに光の粒となって消えていく。  冷たい石の床に両手をつき、肩で息をしながら、俺は自然と腰を高く掲げる形になった。背後からアマが優しく腰を抱え直し、俺は四つん這いのまま、完全に供物の姿勢で晒される。 「……もう、限界……っ♡ アマ、許して……っ♡」  掠れた声で懇願しても、アマは優しく微笑むだけ。 「だめだよ。まだ、ちゃんと見せてない」  腰を掴まれ、深く沈められる。  熱い塊が、俺の奥の奥まで容赦なく埋め込まれる。 「ひっ……♡ あぁぁっ……♡」 (もう……考えられない……全部、アマの熱で満たされて……俺、どこにいる……?)  思考が、どろりと溶ける。  人だった記憶が音を立てて崩れ、ただ「アマのも
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第33話 名は消え、祈りは続く

 数年後。  冬の夕暮れ。  冷たい風が、東北芸術文化大学・研究棟のガラスを震わせていた。  大学院生の佐々原は、図書館で論文データベースを漁っている最中に──奇妙な論文群を見つけた。  筆者名は「音瀬 遼」。  見覚えのない名前だ。  それどころか──所属欄が空白のまま、著者略歴も存在しない。  まるで名だけが置かれているような論文だった。  だが、その論文群はどれも、ひとつの線で貫かれていた。  神根遺跡、神話、契約、記録、そして──祈り。  読み進めるほどに、胸の奥が熱くなる。  言葉のひとつひとつに宿る意志と温度。  そこにはすでに、ただの学術研究の枠を超えた魂の響きがあった。  ──これは、誰だ?  衝動のまま、佐々原は立ち上がった。  研究棟の廊下へ出ると、夕暮れの色はもうほとんど剥がれ落ち、窓の外には静かに夜の青が満ちていく。  佐々原は、考古学教室の教授室の前に立った。  ドアには「佐伯」の名札。  ガラス越しに見えた男は白衣にコーヒーを片手に、気だるげに片眉を上げている。  ──どこにでもいる大学教員。  でも瞳の奥に、底知れない熱が灯っていた。  ノックを迷いながらも、佐々原はそっとドアを開けた。  その瞬間、胸を撫でるような、淡い気配が通り抜けた。  誰かが、確かにここにいた──そんな名残のような、  冬の冷気の中で、まだ消えずに残っている祈りの温度。 「……音瀬遼?」  その名を口にした途端、佐伯の指が一瞬止まる。  湯気の立つカップを机に置き、短く息をついた。 「……どこで、その名前を?」 「論文です。神根遺跡関係で……すごく完成度が高いのに、所属も連絡先も載ってなくて」  佐伯は、しばらく黙ったままだった。  視線が机の端をさまよい、消えた誰かの記憶を探すみたいに。 「……変だな」  ようやく、かすれた声が落ちた。 「その名前、知ってる気がするのに。……誰だっけな。」  それから、わずかに笑う。 「最近疲れてるのかもしれん。夜になると、鈴の音が聞こえるんだ。」  院生は首をかしげたが、それ以上は聞けなかった。  窓の外では、風が鳴っていた。  その夜──  
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番外編 未来には俺がいないと気づいた夜①(佐伯サイド)

 遼と出会ったのは、佐伯がまだ特任研究員で、遼が助教になったばかりの頃だった。  研究室の端で、遼は初めてのシラバス作りに悩んでいて、髪をぐしゃっとかき上げながら、真剣にパソコン画面とにらめっこしていた。  そのくせ、学生が質問に来ると急に柔らかい笑顔をつくって丁寧に対応して、戻った途端に「……難しいなこれ……」と小声で嘆く。  その落差がどうしようもなく可愛かった。  研究の話になると、専門でもない文化人類学の資料を真面目に読み込んで「佐伯さん、これ解説して」と少し照れながら本を差し出してくる。  そんな距離の近づけ方をされて、佐伯が平然としていられるはずがなかった。 (……なんだよその顔。可愛すぎるだろ)  気づいたときには、この人を好きになっても仕方ない、と思い始めていた。 ***  ――きっかけは、ありふれていた。  仕事帰りに飲みに行くのも、互いの家に泊まるのも、最初はほんとうにありふれた共同研究の延長だった。  遼の家はやけに片付いていて、佐伯の家は本と資料が積まれていて、「……散らかってるじゃん」と言われて笑った夜もある。  ソファで資料を読みながら、遼が寝落ちして肩にもたれかかる。  そのまま毛布をかけて、明け方までそばにいたこともある。  触れてもいい距離は気づいたら自然に育っていた。 ***  その日は研究室の飲み会だった。  遼は珍しく弱い酒を飲んでしまい、帰り道で靴を引きずるように歩いていた。 「……眠い……さむ……」  半分寝ている遼の腕を佐伯が支えると、遼は素直にしがみついてきた。  その瞬間だけで、胸がぐらつくほど可愛い。 (……やばい。可愛すぎる)  家に連れ帰ると、遼は靴を雑に脱いでソファに倒れ込む。 「みず……」  佐伯がグラスを渡すと、遼は両手でそれを包んでゆっくり一口飲む。  喉が上下する動きが妙に色っぽい。 「……ありがとう……佐伯」  その声の甘さに、心臓が跳ねた。 「寝る前にシャワー浴びたら?」 「やだ……寒い……」  遼はそのまま佐伯の手首を掴んで、ぎゅっと引き寄せた。  細いのに力のこもった指が、頼りなげに震えていて、胸が疼く。 「……じゃあ、横になるか」 「ん……一緒に」  一緒に。  その一言で、もう理性はどこかへ飛んでいった。  寝室に連
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番外編 未来には俺がいないと気づいた夜②(佐伯サイド)

 あの夜から、いくつ季節が過ぎたのか。  気づけば、遼は教授になっていた。  肩書きが変わっても、飲み会で眠くなると佐伯の袖をつまんでくるし、論文が詰まるとソファに転がって「頭なでて」と甘えてくる。 そんなところは、まったく変わらない。(……反則だよ。可愛すぎる) 何年経っても、遼は佐伯を簡単に無力化する。 ベッドで遼が蕩ける瞬間も、キスのあとに胸に顔を埋めてくる癖も、佐伯は全部覚えてしまった。 覚えすぎて、愛着が深くなりすぎて──  だからこそ、ある時ふと気づいてしまった。 遼の未来のどこにも、自分がいないことに。*** その日の遼は、珍しく大学から暗い顔で帰ってきた。  コートも脱がず、リビングでぽつんと座ったまま、手元のカップだけぎゅっと握っている。「……家、戻れって連絡があった」「音瀬家?」 遼が頷く。  その目の奥には、諦めにも似た静けさがあった。「跡継ぎの話が出てる。研究は続けていいけど……いつまでも一人じゃ困るって」 その時に、はじめて迷った。  自分にも普通の未来がある、と何度も思い込もうとしてきた。  それでも、弱った顔を見た途端に全部どうでもよくなって、ためらいながら、気づけば口が勝手に動いていた。「……俺、ついていこうか?」  たぶん、これが初めてだった。  未来の話を一歩踏み込んだのは。 けれど。 遼はすぐに、ほんとうにすぐに、笑ってその言葉を撫でつぶした。「なに言ってんの。  佐伯は結婚して子ども作る人だろ?」 軽く。  まるで当たり前みたいに。 佐伯は何も言えなくなった。(……どうして、決めつけるんだよ) そう問い詰めたかったのに、遼の笑顔があまりに自然で、優しくて、その「当然」の前で声が出なかった。  その言葉は、心を縛る呪いみたいだった。 遼は続けた。「俺は……一度、戻るよ。家のこと、放っておけない」 それが、遼の選んだ未来だった。*** その数日後。 佐伯は偶然、高校の同級生に会った。  落ち着いた雰囲気で、笑った顔が柔らかい人だった。  懐かしさで話しているうちに、「今度食事でもどう?」と誘われた。 嫌じゃなかった。  胸が高鳴るほどでもなかったけど、その人となら、穏やかで安定した家庭を作れる気がした。(……俺の未来は、そっちなんだろうな)
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番外編 きみを神根へ返したかった①

 音瀬家の子どもは、離れのいちばん奥に近づいてはいけない。  遼は、小さい頃から何度もそう言い聞かされてきた。  夕方から先は行くな。  鈴の音がしても、呼ばれたと思うな。  見ても、知らないふりをしなさい。  理由を聞いても、大人たちは誰も答えなかった。答えないくせに、その話になると、みんな少しだけ声をひそめた。障子を閉める手つきまで、どこか急いでいた。  だから遼も、離れの奥には口にしてはいけない何かがいるのだと、なんとなく知っていた。  その日も、夕方の縁側から使用人が膳を運ぶのが見えた。白い飯、湯気の立つ汁物、季節の菜。けれど、それはいつもほとんど手つかずのまま下げられる。  どうして食べないのだろう。  どうして誰も、そのことを気にしないのだろう。  気になって、遼は庭へ下りた。  石畳はまだ昼の熱を残していたのに、離れに近づくにつれて足元の空気だけがひやりと変わった。夏の終わりの夕方だった。蝉の声も、母屋のほうの話し声も、そこだけ薄い布を一枚かけたみたいに遠くなる。  離れの前に置かれた膳は、そのままだった。  汁の表面に張りかけた膜が、時間の経ち方を見せている。  そのとき、奥で鈴が鳴った。  ちりん。  遼の肩がびくっと揺れた。  細い音だった。高くも低くもないのに、耳ではなく、背中の真ん中に直接落ちてくるみたいな鳴り方だった。  もう一度、ちりん、と鳴る。  呼ばれている気がしたわけではない。  けれど、誰かがそこにいて、じっと息をひそめているのだとわかってしまった。  行ってはいけない。  見ても知らないふりをしなさい。  頭の中で祖母の声がした。  それなのに、遼はその場を離れられなかった。  怖い。  なのに、どうしてか胸の奥が妙にざわつく。逃げたいのとは少し違う、もっと落ち着かない感じだった。障子の向こうにあるものを見なければ、今夜は眠れない気がした。  遼はそっと縁に手をかけた。  障子紙は夕方の光を薄く吸って白く光っていた。近くで見ると、桟の木は古く、指先にざらりと毛羽立っている。  その白さの向こうに何かいると思うだけで、ぞく、とした。  開けたらいけない。  ここを開けたら、何かが変わる。  そんな気がしたのに、指は離れなかった。  ほんの少しだけ。  中を見て、
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番外編 きみを神根へ返したかった②

「……だいじょうぶ?」  変なことを聞いた、と遼は言ってから思った。  相手は少しまばたきをして、それから、ほんの少し首を傾げた。 「……だいじょうぶって、なあに?」  遼は息を止めた。  その返しが変だった。  言葉の意味が通じていない、というより、その言葉が最初からこの部屋にはないみたいだった。  ぞわ、とまた背中が粟立つ。  やっぱり、まずい。  ここにいてはいけない気がした。  遼は思わず一歩だけ後ずさった。廊下へ出て、大人を呼んだほうがいい。そう思うのに、相手の金の瞳がじっとこちらを見ていて、うまく足が動かない。 「えっと……つらくない、とか。いたくない、とか……そういうの」  説明しながら、自分でも何をしているのかわからなかった。  相手は黙って聞いている。  その顔が、綺麗なのにひどくわからなくて、遼はまた少し怖くなる。  やっぱり帰ろう。  今度こそそう決めて踵を返しかけたとき、相手がそっと手を伸ばした。  大きな指が、遼の手首を包む。  びくっと肩が跳ねた。  強く掴まれたわけではなかった。振り払おうと思えば、たぶんすぐにできた。  けれど、その手は思ったより温かくて、遼は一瞬、息を止めた。  人の手の温かさとは少し違った。  火みたいに熱いわけでもないのに、触れられたところからじんわり何かが染みてくるようで、手首の内側が落ち着かない。 「……いかないで」  掠れた声が落ちる。  その声が、あまりにも寂しそうだった。  遼は息を止めたまま、掴まれた手首にそっともう片方の手を添えた。  振り払うというより、傷つけないように指を外していく。  大きな手は、少し名残惜しそうに、けれどあっさり離れた。 「……すぐ、戻るから」  そう言って、遼は座敷を出た。  けれど、結局その日、戻ることはできなかった。  水を持っていくつもりだったのに、離れを出た途端、急に怖くなった。誰かに見つかることも、この家の言いつけを破ったことも、あの金の瞳にまた見つめられることさえも、急に現実味を帯びたからだ。  それでも、掴まれた手首のあたたかさだけは、いつまでも消えなかった。 ***  その夜、遼はなかなか眠れなかった。  目を閉じるたび、離れの暗い座敷と、あの金の瞳が浮かぶ。  怖かったはずなのに、
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番外編 きみを神根へ返したかった③

 翌日の午後、遼は小さな水差しを抱えて離れへ向かった。  怖くないわけではなかった。姉に言われた言葉も、まだ胸のどこかに引っかかっている。けれど、それよりも、もう一度あの金の瞳を見たい気持ちのほうが強かった。  障子の前に立つと、昨日と同じように空気がひやりと変わった。夏の終わりの庭の匂いが遠のいて、古い木と畳の冷たい匂いだけが残る。  遼は小さく息を吸って、障子を開けた。  その人は、昨日と同じ場所にいた。  淡い金の髪が肩から背へ落ちて、薄暗い座敷の奥でじっとしている。けれど遼の顔を見た瞬間、金の瞳がほんの少しだけひらいた。 「……きた」  低い声だった。  その声を聞いた途端、遼の下腹の奥が、きゅう、と縮んだ。  嫌なような、でも少し甘い痺れが走って、遼は思わず息を止める。  なんだろう、これ、と思った。 「……うん。お水、持ってきた」  座敷へ上がって差し出すと、その人は不思議そうにそれを見たあと、そっと両手で受け取った。飲み方は少しぎこちなくて、喉が上下するのを見ていると、本当に喉が渇いていたのだとわかる。  昨日、戻れなかったことが急に申し訳なくなって、遼は膝の上で手を握った。 「……ごめん。昨日、戻るって言ったのに」  その人は水差しを抱いたまま、少し首を傾げた。 「きたから、いい」  それだけで許されるのが、かえって困る。遼はますます胸の奥が落ち着かなくなった。  しばらく黙ってから、遼はぽつりと訊いた。 「なんで、きみはずっとひとりでここにいるの」  その人は少し考えるみたいに目を伏せた。 「……まえは、ひとりじゃなかった」 「じゃあ、なんで」  金の瞳がゆっくりと遼を見る。 「ついてきたら、かえれなくなった」  遼は息を止めた。  うまくわからない。誰に、とは聞けなかった。でも、その言い方がひどく寂しくて、遼は胸の奥がきゅっとした。 「きみ、名前は?」  その人は少し首を傾げた。 「なまえ?」 「うん。きみのこと、なんて呼べばいいの」  しばらく黙っていたあと、その人はゆっくり首を振った。 「……ない」  遼は目を瞬いた。  名前がないなんて、そんなことあるのだろうか。犬にも猫にも、庭の鯉にだって名前はあるのに。 「……ないんだ」  思わずそう言うと、その人は何も答えなかっ
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