All Chapters of 不仲と噂された財閥夫婦ですが、今夜も愛されています: Chapter 111 - Chapter 120

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第112話

「私がレオンの元に戻れば、颯太が捕まることはないんでしょ?」静まり返ったリビングに、櫻羅の声が静かに落ちた。その声は決して大きくはなかったが、五人の胸に重く響いた。櫻羅は申し訳なさそうな顔で、皆の様子を窺っている。その視線の奥には、覚悟と諦めが混じっていた。五人はソファに座り、テーブルの上に置かれたコーヒーを前にしていた。眠気覚ましに淹れたはずのそれは、誰一人手をつけることなく、すでに冷め切っている。誰も口を開けない。ただ重苦しい沈黙だけが流れていた。櫻羅の言葉に、最初に反応したのは颯太だった。顔を上げ、何かを言おうとする。だが、その言葉が形になる前に――「俺は、お前を行かせたくない」叶翔の声が、その場を断ち切った。迷いのない言葉だった。櫻羅はその声に驚いたように、ゆっくりと叶翔の顔を見る。二人の視線が交差する。その空気を読まないように、あえて崩すように――悠臣がヒューっと軽く口笛を吹いた。「叶翔、カッコイイ」場違いとも思える軽さだったが、どこか張り詰めた空気を和らげるものでもあった。叶翔はすぐに悠臣を睨みつける。「ごめん。やっぱ叶翔はカッコイイなと思っただけだよ」悠臣は悪びれる様子もなくそう言い、テーブルの上の冷めたコーヒーに手を伸ばした。そして一口、何事もなかったかのように飲み込む。その様子に、一ノ瀬英士は呆れたような顔を向けたが、すぐに真顔に戻ると、改めて叶翔を見た。「明日、DNA検査の結果が出る。もし、櫻羅が正真正銘、一条竜星の娘だという結果なら、一条竜星に婚約破棄させるしかない。しかし……」そこまで言って、英士は言葉を切った。だが、その続きを聞かなくても、叶翔には何を言いたいのかは分かっていた。万に一つ――本当に万に一つでも、櫻羅の父親が九条玲司だという結果が出た場合。その時は状況が一変する。レオン・クロフォードであっても、九条ホールディングスの九条玲司の娘に手を出すことはできない。勝手に婚約者として扱うことなど、絶対に許されるはずがない。どれほどレオンが裏社会に顔が利こうとも、どれほど恐れられる存在であろうとも――この政財界で、九条玲司を敵に回して生き残れる者がいるとは思えなかった。それほどの影響力を持つ男だ。だが――叶翔は知っていた。九条玲司という男が、どんな人間なのかを。彼は、鷹宮綾乃を裏
last updateLast Updated : 2026-04-08
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第113話

ふと、静まり返った部屋の中に、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。叶翔はベッドに横になったまま、その音にゆっくりと目を開ける。こんな時間に訪ねてくる相手など、限られている気がした。ゆっくりと体を起こし、ドアの方へと歩いていく。ドアノブに手を掛け、一瞬だけ躊躇したあと、静かに扉を開けた。すると、そこにはパジャマ姿の櫻羅が立っていた。柔らかな照明に照らされて、どこか頼りなげなその姿が、叶翔の胸を不意に締めつける。櫻羅は叶翔を見上げると、少しだけ迷うようにしてから「少しいいかな」と言った。その声は小さく、どこか震えていた。叶翔は何も言わずにドアを大きく開け放ち、体を横にずらして道を作る。櫻羅は静かに部屋の中へと足を踏み入れた。ドアを閉めたあと、叶翔はベッドに腰掛けると、自分の横を軽く叩いた。「座れよ」言葉にはしなかったが、その仕草で十分だった。櫻羅は一瞬だけ戸惑うような表情を見せたが、やがてそっと近づき、叶翔の隣に腰を下ろした。ただし、ほんの少しだけ距離を置いて。その距離が、今の二人の関係をそのまま表しているようで、叶翔は少しだけ苦笑しそうになる。やがて、櫻羅がぽつりと口を開いた。「ごめんなさい」その言葉に、叶翔はすぐに櫻羅の方へ顔を向ける。「何でお前が謝るんだ?」自然と出た言葉だった。櫻羅は俯いたまま、小さな声で続ける。「みんなを巻き込んでしまってごめんなさい。しかも、叶翔くんのお父さんを疑うようなことをさせてしまって……ホントにごめんなさい」その声には、これまで抱え込んできた負い目や罪悪感が、すべて滲み出ていた。そして――その頬を、一筋の涙が静かに伝った。その瞬間、叶翔の胸の奥で何かが弾けた。気づいたときには、もう動いていた。叶翔はたまらず櫻羅を抱きしめていた。突然の行動に、櫻羅の体がビクッと固くなるのが分かる。それでも叶翔は腕を緩めることなく、むしろ力を強めて、櫻羅を自分の胸の中へと引き寄せた。「お前は何も悪いことをしたわけじゃないだろう」低く、しかしはっきりとした声だった。そして、そっと櫻羅の頭に自分の頭を乗せる。「俺たちの親世代の因縁を、お前一人が背負わされてるだけじゃねーか。子どものころからずっと、冷たくされたんだろ?俺の親父と櫻羅のおふくろのことを疑って」その言葉は、優しさと怒りが入り
last updateLast Updated : 2026-04-09
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第114話

翌朝――。ほとんど眠れないまま夜を明かした五人は、重い空気をまとったままホテルを出ていた。誰もが口数少なく、それぞれが自分の考えに沈み込んでいる。向かう先は、一ノ瀬重工グループの関連会社――DNA鑑定を依頼した研究機関だった。本来であれば、結果を受け取るだけなら英士一人で十分だった。実際、最初はそうするつもりだった。しかし――英士を一人で行かせることへの不安、そして何より櫻羅を一人でホテルに残すことへの不安が、全員の中にあった。結局、誰もその案に賛成せず、五人で行動することになったのだ。研究所の建物は無機質で静まり返っており、外観からして一般人を寄せ付けない空気を纏っていた。入口で身元確認を求められ、英士が代表して手続きを行う。厳格なチェックの末、入館が許可されたのは英士一人だけだった。「すぐ戻る」短くそう言い残し、英士は建物の中へと消えていく。残された四人は、研究所に併設されたテラスの休憩スペースへと案内された。ガラス張りの明るい空間だったが、その場の空気はどこか重苦しい。それぞれがコーヒーや飲み物を頼んだものの、誰も積極的に口をつけようとはしない。叶翔は無言でカップを見つめ、颯真は腕を組んだまま落ち着かず足を揺らしている。悠臣だけが普段と変わらぬ様子でオレンジジュースを手にしていたが、その目はどこか鋭く、状況を見据えていた。櫻羅は、両手でカップを包み込むように持ちながら、ただじっとテーブルを見つめている。その指先がわずかに震えているのを、叶翔は見逃さなかった。(大丈夫だ……)心の中でそう呟くが、確証などどこにもない。時間がやけに長く感じられた。そして――。しばらくして、研究所の扉が開き、英士が姿を現した。手には、一通の封筒。白く無機質なその封筒は、やけに重たい意味を持っているように見えた。英士はゆっくりと歩み寄り、四人の前に立つ。そして何も言わず、テーブルの上に封筒を置いた。封は厳重に閉じられている。まだ、未開封のままだ。その存在だけで、場の空気がさらに張り詰めた。英士は静かに視線を上げ、他の四人の顔を順に見渡す。「誰が開ける?」悠臣が、ストローでオレンジジュースを飲みながら、軽い口調でそう言った。だが、その声音とは裏腹に、視線は鋭い。颯真は無言で英士を見つめ、櫻羅も同じように視線を向けている。その目には、不
last updateLast Updated : 2026-04-11
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第115話

「竜星さん、圭です」鳴り続けていたスマートフォンを手に取り、通話ボタンを押した瞬間、受話器の向こうから聞こえてきたのは南條圭の落ち着いた声だった。その声を聞いた竜星は、一瞬だけ露骨に嫌そうな表情を浮かべる。(今は……こいつと話している場合じゃない)だが、すぐにその表情を消し、声だけは平静を装って応じた。「ああ、久しぶりだな。こんな夜更けにどうしたんだ?」努めて落ち着いた口調。しかし、その内側では苛立ちが燻り続けている。圭はすぐには本題に入らず、わずかに間を置いた。その沈黙が、かえって不穏さを増幅させる。そして、静かに切り出した。「櫻羅のことなんだけど……」その言葉を聞いた瞬間――竜星の中で何かが弾けた。(またか……また櫻羅か……)なぜだ。なぜ誰も彼も、櫻羅のことばかり口にする。自分の会社は崖っぷちに立たされている。融資は途絶え、次の一手も見えない。その焦燥と苛立ちが、すべて櫻羅という存在に向けられていた。「櫻羅に何の用だ?」先ほどまでの平静な声とは打って変わり、刺すような口調だった。その変化に、圭はわずかに戸惑う。しかし、ここで引くわけにはいかないと気を取り直し、言葉を続けた。「櫻羅を颯太が連れ出したと聞いた。事情は聞いたが、あのレオンの嫁に出すのはちょっとやり過ぎだろう?」あくまで穏やかに、だが核心に触れる問いかけだった。――その瞬間だった。竜星の中に溜まりに溜まっていた怒りが、一気に堰を切ったように溢れ出す。「櫻羅をどこへ嫁にやろうと、あんたに何の関係があるんだ?」怒声が書斎に響き渡る。「どいつもこいつも櫻さくらさくらって、俺のやることにいちいち文句は言わせないぞ!!」もはや理性の欠片もなかった。会社の窮地、資金繰りの焦り、そして何より――長年心の奥底に押し込めてきた疑念。櫻羅の存在そのものが、自分を追い詰めている。そう思わずにはいられなかった。電話越しに、その異様な激高ぶりを受け止めた圭は、言葉を失っていた。(……これは、ただ事じゃない)櫻羅について少し問いただすつもりだっただけだ。それなのに、この反応はあまりにも過剰すぎる。竜星の精神状態が、明らかに常軌を逸していることを感じ取った。これ以上話しても無駄だ――そう判断し、圭は静かに通話を切った。スマートフォンを見つめたまま、しばらく動けない。
last updateLast Updated : 2026-04-11
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第116話

深夜――。ホテルの高層階にある自室の窓際に立ち、叶翔は静かに街の夜景を見下ろしていた。遠くまで広がる無数の灯りは、まるで星のように瞬いている。だがその美しさとは裏腹に、彼の胸の中は妙にざわついていた。今夜聞いた話が、頭の中で何度も繰り返されている。自分の父親は、母のことをあんなにも愛している。誰が見ても分かるほどに、一途で揺るがない感情だ。そんな父が、南條沙耶に言い寄られたとしても、体の関係を持つハズがない――それだけは、叶翔には確信があった。だが現実には、櫻羅の父親である一条竜星は、その可能性を疑い続けている。二十四年もの間。その疑念を抱えたまま、実の娘である櫻羅を避けるように生きてきたという事実は、叶翔には理解し難いものだった。櫻羅の話では、母親である沙耶もまた、竜星の態度に強い不満を抱き続けているらしい。娘を認めようとしない父親と、それに反発する母親。二人の関係はすでに修復不可能なほどに悪化しているようだった。さらに、櫻羅に贅沢をさせないようにしていた理由も、単なる躾ではなかった。竜星が何かにつけて小言を言うため、あえて沙耶が櫻羅に厳しく当たっていた――その歪んだ配慮が、結果的に櫻羅を孤立させていたのだ。叶翔は、ふと目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、先ほど見た櫻羅の横顔だった。どこか遠くを見つめるような、あの寂しげな表情。胸の奥が、じわりと痛む。自分はどうだったか。叶翔はゆっくりと目を開け、夜景から視線を外した。自分と妹の心春は、両親から惜しみない愛情を受けて育ってきた。物心ついた頃から、それが当たり前だった。愛されることに疑問を持ったことなど、一度もない。そして、それは他の三人――颯真や英士、悠臣も同じだ。財閥家の御曹司として生まれ、何不自由なく育ってきた。時にはその立場に甘え、傲慢で我がままに振る舞ってきたこともある。欲しいものはほとんど手に入り、一般家庭では到底手に入らないような物に囲まれてきた。今では、自分の判断一つで大金を動かすことができる立場にいる。そんな自分とは対照的に――。叶翔の脳裏に、初めて櫻羅を見たときの光景が蘇る。母親の沙耶とは比べものにならないほど質素な身なり。決して貧しいわけではないはずなのに、どこか遠慮するような、控えめな佇まい。あの時は気にも留めなかった違和感が、今になってはっきりとした意
last updateLast Updated : 2026-04-12
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第117話

九条玲司は、息子である叶翔が、一条竜星と南條沙耶の娘、『櫻羅』に拘っていることを、すでに把握していた。発端は、南條圭からの一本の連絡だった。圭は淡々とした口調で、しかしどこか含みを持たせるように告げたのだ。自分の息子であり、叶翔の親友でもある颯太が、一条櫻羅を連れてパーティー会場を去った、と。その報告だけでも十分に興味深かったが、さらに不可解な情報が重なった。一条竜星が、九条玲司とノヴァ・テクノロジーズのレオン・クロフォードとの関係を知り、玲司が妨害のために叶翔を送り込んだのではないかと疑っているというのだ。玲司にしてみれば、まさに「寝耳に水」だった。叶翔はあくまでロケット開発事業のプレゼンテーションに赴いたのであり、一条の娘に会うためでも、ましてや誰かを妨害するためでもない。そもそも――一条とレオン・クロフォードの交友関係など、九条玲司にとってはどうでもいい話だった。興味の対象にすら入っていない。だが、その話題が浮上したことで、玲司の中に一つの疑念が生まれた。「……妙だな」そう呟いた玲司は、すぐに側近へ指示を出し、一条家の内情を極秘裏に調査させた。数日後、届けられた報告書は、予想外の内容を示していた。一条竜星は、ある時期に知り合った、宇宙工学を得意とする企業の代表に深く傾倒していたという。その人物の語る未来像――宇宙産業への参入、探査機開発、国際プロジェクトへの参加。そのすべてに、竜星は魅せられていた。もしも、自分の会社が宇宙を相手に活躍できたなら。このタイミングで参入できたなら。天文学的な利益が、自分の手元に転がり込む。そうすれば、これまで国内で自分を軽んじてきた企業の社長たちの鼻を明かすことができる。そして何より――自分の妻である沙耶が、頑なに竜星の娘だと言い張る櫻羅の出生について、最も疑念を抱いている男。九条玲司。その男の鼻を明かすことができるなら、それは竜星にとってこの上ない快感となるはずだった。報告書にはさらに、竜星の思考の断片が記されていた。この宇宙プロジェクトが成功した暁には、沙耶と櫻羅を玲司の元に返してやってもいい――そんな歪んだ優越感すら抱いていたという。玲司はそこまで読み進めたところで、ゆっくりと紙から目を離した。「……愚かだな」一長一短で宇宙に挑むなど、常識的に考えてあり得ない。莫大な資
last updateLast Updated : 2026-04-13
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第118話

深夜の静寂の中、叶翔の頭の中では、父・玲司の言葉が何度も繰り返されていた。――「一条はもうダメだ」その一言は、まるで現実を突きつけるように重く、鋭く胸に残っている。そして玲司は、さらに続けてレオン・クロフォードについて語った。「お前たちが叶うような相手じゃない。本当に、一条の娘をレオンが要らないと言ったのか?」叶翔は、あのパーティーでレオン・クロフォードが口にした言葉を、そのまま玲司に伝えた。冷酷で、侮蔑に満ちたあの態度。櫻羅をまるで価値のないもののように扱った言葉。それを聞いた玲司は、意外にも小さく息をついた。「そこまで言うのなら、レオン・クロフォードの方は一条を切りたいんだろうな。しかし、レオン・クロフォードという男は、一筋縄でいくような男じゃないんだ。お前たちは、できるだけ接触しないようにしろ。アイツは裏の業界にも顔が利く。攫われたりしたら、もう二度と戻って来られないぞ」その声は低く、警告というよりも確信に近かった。「一条の娘を何とかしたいなら、一条竜星と話をしろ。それから言っておくが……」玲司は一度言葉を切り、わずかに考えるような間を置いた。「俺は、惚れた女を泣かせるようなことは絶対にない。しかも、南條沙耶は論外だ。それだけは忘れるな」そう言い残し、玲司は静かに電話を切った。通話が途切れた後も、叶翔はしばらくスマホの画面を見つめたまま動けなかった。自分の父親が、「惚れた女」という言葉を口にするのを聞いたのは初めてだった。あの冷静で感情を見せない男が、そんな言葉を――。それは、叶翔にとって意外であり、同時にどこか誇らしいものでもあった。もしかすると、自分のことを一人の大人として認めた上で話してくれたのかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。――翌日。英士は、前夜集めたそれぞれのDNAサンプルを持ち、一ノ瀬グループの関連企業へと向かった。検査の結果はすぐに出るものではないと分かっていたが、それでも少しでも早く事実を知るための行動だった。数時間後、戻ってきた英士は、わずかに肩をすくめながら言った。「たとえ専門機関でも、三日は待ってくれと言われた」その言葉に、全員が小さく息をつく。結果が出るまでの三日間――それは、短いようで長い時間だった。しかし、その時間をただ重苦しく過ごすことはしなかった。四人
last updateLast Updated : 2026-04-14
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第119話

ノヴァ・エクスパンス・テクノロジーズ――その頂点に立つ男、レオン・クロフォード。彼は表向きには最先端宇宙技術を扱う企業の若きカリスマCEOとして知られている。しかしその実態は、単なる実業家という枠には収まらない。彼の本質を一言で表すなら――感情を排除した合理主義者(ただし倫理は無い)人間関係=取引。婚約=契約・担保。女性=所有物。協力者=使い捨て可能な資源。その価値観は徹底しており、揺らぐことはない。あの夜、パーティー会場で一条櫻羅に対して放たれた「要らないなら持っていけ」という言葉。それは単なる侮辱ではなく、彼の思想そのものだった。人間は感情を持つ存在ではなく、交換可能な資産でしかない――そう信じて疑わない男。レオンの非情さは、いくつもの層で構成されている。まず、社会的冷酷さ。彼は婚約者である櫻羅を公の場で無視し、紹介すらしなかった。それどころか、人前で平然と価値を否定する。相手の尊厳など考慮するという概念自体が存在しない。恥をかかせることすら、交渉の一手段に過ぎないのだ。次に、支配欲。彼にとって女性とは「所有物」であり、愛情の対象ではない。手元に置くのは、必要だから。不要になれば切り捨てる。それだけの話だ。だが厄介なのは、彼が物理的な拘束よりも心理的な支配を好む点にある。逃げられないと思わせることで、相手を縛り続ける。そして交渉の冷酷さ。一条竜星とのやり取りが象徴的だった。婚約という形すら、彼にとっては価値を測る材料に過ぎない。「報酬が足りない」と判断すれば、平然と拒絶する。脅しに対しても、逆に威圧で押し返す。主導権を渡すことは決してない。さらに――裏社会との繋がり。九条玲司の言葉が、それを端的に示していた。「裏の業界にも顔が利く」「攫われたりしたら、もう二度と戻って来られない」それは単なる噂ではない。レオンは、表では最先端企業のトップとして振る舞いながら、裏では違法ネットワークや闇取引にも関与する、二重構造の支配者だった。その力を使い、彼はライバル企業を容赦なく蹴落としてきた。まず、経済的締め付け。資金難に陥りかけた企業に対し、救済をちらつかせて契約を結ぶ。そして、徐々に条件を厳しくし、相手の自由を奪っていく。気づいた時には、経営の主導権はすべてレオン側に握られている。最後には吸収されるか、価値が無ければ切り捨
last updateLast Updated : 2026-04-14
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第120話

ホテルの自動ドアを抜け、外のひんやりとした空気に触れた瞬間、ようやく叶翔は櫻羅の腕を離した。 つい先ほどまで確かに感じていた体温が、すっと消えていく。櫻羅は思わず、自分の腕を見下ろした。叶翔に掴まれていた場所。そこに残っているような気がするぬくもりを、無意識に確かめる。――少しだけ、寂しい。そんな感情が胸に浮かんだことに、自分でも驚いていた。叶翔はそんな櫻羅の様子には気づかず、すぐに通りへと出て手を上げた。 タイミングよく一台のタクシーが止まる。ドアが開くと同時に、自然な動きで櫻羅を先に乗せる。続いて自分も横に滑り込み、行先を運転手に告げた。車がゆっくりと動き出す。街の景色が流れていく中、叶翔はふっと横を向いた。隣に座る櫻羅を見る。その横顔は、どこか緊張しているようにも見えた。「大丈夫か?」低く、優しい声だった。櫻羅はその声に反応し、少し驚いたように目を瞬かせる。そして――ほんの少しだけ微笑み、静かに頷いた。その小さな笑顔に、叶翔の胸がわずかに緩む。だが次の瞬間、叶翔は何を思ったのか、そっと手を伸ばした。そして――櫻羅の手を、しっかりと握りしめた。突然のことに、櫻羅の体がわずかに強張る。驚きで息が止まりそうになる。だが――その手から伝わる温もりは、思っていたよりもずっと優しくて、安心できるものだった。握られた手から、じんわりと体温が広がっていく。先ほどまで胸を締め付けていた不安が、少しずつほどけていくのを感じていた。櫻羅は抵抗することなく、そのまま手を預けた。視線は前を向いたまま。だがその表情は、先ほどよりも明らかに柔らいでいた。――その頃。叶翔たちを追ってホテルを飛び出した悠臣も、通りに出るなりすぐにタクシーを止めていた。素早く乗り込み、ドアが閉まる。「ちょっと急ぎで」そう一言だけ告げると、すぐにスマホを取り出した。英士にメッセージを送り、櫻羅の家の住所を聞き出す。返ってきた住所をそのまま運転手に伝えると、車は滑るように走り出した。悠臣は背もたれに軽く身を預けながら、すぐに次の行動に移る。スマホを操作し、父親へと電話をかけた。数コールで繋がる。「俺。ちょっと今、面倒なことになってる」簡潔に状況を説明する。レオン・クロフォードの名前を出した瞬間、電話の向こうの空気がわずかに変わ
last updateLast Updated : 2026-04-15
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第121話

叶翔と櫻羅が一条家へと向かい、夜の街をタクシーが滑るように走っていた頃――。その同じ時間、遠く離れたノヴァ・テクノロジーズ本社最上階の社長室では、まるで別世界のような冷たい空気が支配していた。重厚な絨毯の上に、一条竜星は跪いていた。かつては国内でも名の通った企業のトップとして、誰もが頭を下げていた男。その威厳も、誇りも、すでに見る影はない。ただ一人の男の前で、地に額を擦りつけるようにしていた。「申し訳ありません、レオン様。どうかお許しください!!」震える声で何度も同じ言葉を繰り返す。額が床に触れるたび、わずかな音が静寂の中に響いた。その姿を、レオン・クロフォードはソファに腰掛けたまま、まるで興味のないものを見るかのように一瞥した。冷たい沈黙。そして、低く落ちる声。「俺が人を許そうとするときは、金でしか解決しない。お前にその金があるというのか?」その一言は、刃のように鋭く、容赦なく竜星の心を切り裂いた。竜星はゆっくりと顔を上げた。血の気の引いた顔、乾いた唇。もはや誇りなど微塵も残っていない。「私にはもう……娘の櫻羅を差し上げます。ですからこのことは穏便に……」言葉を絞り出すその様は、まるで自分の命を差し出すかのようだった。だが――レオン・クロフォードは、鼻で笑った。それは軽蔑そのものだった。「お前の娘は、お前の甥と九条玲司の息子に連れ去られたではないか」その指摘に、竜星の表情が凍りつく。完全に盲点だった。いや、正確には――考えないようにしていた現実だった。「……!」竜星は慌てて懐からスマートフォンを取り出すと、震える手で番号を押した。「すぐに娘を連れ戻します」その言葉は、レオンへの弁明であり、同時に自分自身への言い聞かせでもあった。やがて電話が繋がると、竜星は怒鳴るように命じる。そして数秒後――「なに!? 櫻羅が見つからない!? 探せ!!生きていても死んでいてもいい、俺の前に連れて来い!!」焦燥と苛立ちが混ざり合った叫びが、室内に響き渡る。電話を乱暴に切った竜星は、すぐにレオン・クロフォードの顔を見た。その視線には、すがるような色が滲んでいた。だが、レオンは無表情のまま竜星を見下ろしていた。その目には、一切の感情がない。ただ、冷静な観察者のように――。やがて、呆れたように口を開く。「死んでいたら
last updateLast Updated : 2026-04-20
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