明彦と陽彩のいない空気は、これほどまでに甘美なものだったのか。駅を降り立つなり、佳苗ははやる気持ちを抑えきれず、タクシーに乗り込んで実家へと向かった。彼女の故郷は、海辺の小さな町にある。両親は早くに他界しており、残された空き家は雑草に覆われ、すっかり荒れ果てていた。佳苗は業者に頼んで家を全面的にリフォームし、暇を見つけては庭に色とりどりの花を植えた。一か月の時間をかけて、ようやく居心地の良い温かな住まいが完成した。以前住んでいた豪邸のような華やかさはないものの、ここは誰にも邪魔されず、誰の顔色もうかがう必要のない、佳苗だけの家だった。もう、あの父娘のために毎朝五時に起きて栄養満点の朝食を作る必要もないし、真夜中に明彦のために夜食を作る必要もない。料理にラードを使ったというだけの理由で、罰として物置部屋に閉じ込められることもない。何より、丹精込めて作った手料理を、気に入らないからと娘から頭から浴びせかけられることもないのだ。佳苗はふかふかのベッドに寝転がり、窓越しに広がる海景色を眺めた。数羽のカモメが空を舞うその光景は、どこまでも自由の息吹に満ちていた。海を前にして、春の暖かな日差しと咲き誇る花々に囲まれる――こんな穏やかで幸せな日々を送れる日が来るなんて、以前の彼女には想像もできなかった。実家での生活が始まると、佳苗は何もする気が起きず、これまでの失った睡眠をすべて取り戻すかのように、ただ泥のように眠り続けた。目が覚めれば縁側でお茶をすすり、ぼんやりと空を眺める。そんな気ままな生活を半月ほど過ごした後、佳苗は鏡の前に立つ自分を見つめた。血色は良く、生命力に満ち溢れている。そこにはもう、かつての生気を失った哀れな自分の面影はなかった。明彦から離れた人生は、これほどまでに素晴らしい。さらに半月をかけて、心身のコンディションを整えていった。早朝の澄んだ空気の中で軽く体を動かし、ラジオ体操やストレッチで強張った体を解す。その後は、最新のデザイン雑誌を隅々まで読み耽るのが日課となった。佳苗は元々デザイン専攻だった。明彦の世話をするために有名デザイン会社からのオファーを辞退したが、後に足の自由を失い家に引きこもるようになってから、再び独学で勉強を再開し、密かに発表していた作品は業界で少しばかり名を知られるようになっ
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