《我が子より他人の子?産後ワンオペ妻の離婚》全部章節:第 131 章 - 第 140 章

254 章節

第131話

静香はすぐさま美紀の話に耳を傾けた。「どんなことを聞いたの?早く教えてちょうだい」美紀が目を細めて話し始める。「蘭さん、S国から戻ってきたその足で、今日クラブ・ノクターンで長年働いてたマネージャーをクビにしたそうなの。なんでもそのマネージャーが店の規則を破ったからみたい。新人の大学生アルバイトの子にセクハラをしたらしいんだけど、その子が結構感情的になる子で飛び降り騒ぎまで起こしたもんだから、事態を収めるためにそのマネージャーをクビにしたんだって」静香は拍手をして喜んだ。「それはよかったわ!またとないチャンスよ!美紀、今すぐそのマネージャーに連絡をとってみて。ずっとあそこで働いていた人だから、店の裏を嫌というほど知っているはず」静香の目に復讐の光が宿る。「借金を全部返済して店を出してからというもの、蘭はいい気になっていたからね。前からあの女のことが気に入らなかったのよ。もっと評判を落としてやりたかったけど、部下をまとめるのだけは本当にうまいんだから。あの女についてる連中はみんな忠実で、組織の中はまるで一枚岩。外から何を仕掛けても、まったく崩せなかった。でも今度ばかりは、ようやくチャンスが巡ってきたようね!」美紀は静香が理解できず、怪訝な顔をした。「お母さんと蘭さんの間に、何か根深い恨みでもあるの?なんでお母さんと翠さんの二人とも、彼女をそんなに毛嫌いしてるわけ?」静香は寝ている裕弥をベッドにそっと戻すと、水を一口飲んでから椅子に座った。「恨んでるからね。恨まないはずがないでしょ?私とお姉ちゃん、そして蘭は同じ女子高の出身だったんだけど、あの女は昔から目立ちたがりで、私とお姉ちゃんはいつも引き立て役にさせられてたの」静香は恨みからか勢いよく水を飲み、その目に嫉妬の炎を燃やした。大人になって結婚の話が出始める頃、またしても蘭が目立っていて、深津市セレブ界のマドンナなんて呼ばれ、あなたのお父さんや麟太郎さんもみんな、蘭のことを落とそうと必死だった。パーティーのたび、男どもが我先にと蘭にダンスを申し込んで……私やお姉ちゃんだって、容姿が悪いわけじゃなかったんだけど、やっぱり蘭ほどの魅力や、奔放さがなかったみたい。それに、お姉ちゃんと麟太郎さんの縁談が決まっていたのに、麟太郎さんは蘭を追いかけて婚約
閱讀更多

第132話

美紀は自慢の長いネイルが折れるのも気に留めず、掌を強く握り締め、その瞳に憎悪を浮かべた。……奈緒が意識を取り戻した時、外はすでに真っ暗になっていた。病室には薄暗い常夜灯が点っている。起き上がろうとしたその時、ドアの方からドサッと何かが落ちるような、大きな音がした。驚いて目を向けると、椅子に座っていたはずの充が、寝ぼけていたのか床に倒れている。奈緒は驚きのあまり、思わず声を漏らした。「なんでまだいるの?」充は190センチ近い大柄な体で、小さな椅子に縮こまるように座り、一切眠ることもせず、ドアの前でただ静かに奈緒と黎を見守っていたのだった。最近、ずっと頭の中が混乱していた充だったが、こうして二人の傍にいると、不思議と気持ちが落ち着くことに気づく。外の世界で何がどれだけ騒がしくても、それはもうどうでもいい。本当に大切なのは、自分たち家族3人がこうして、誰にも邪魔されない空間で、静かに穏やかに過ごせること。何もしなくても、ただ奈緒と黎の寝顔を見守るだけで幸せと安らぎを感じるのだった。黎は自分と奈緒をしっかりと繋ぐ存在。その命の誕生から2か月が経ち、充はようやくその不思議な感覚を肌で感じていた。充の頭の中で色々な思いが駆け巡る。彼には奈緒にどうしても伝えたいことがたくさんあった。だが、奈緒に近づく勇気もなく、そのままドアの傍に立ったまま、静かに口を開いた。「奈緒、とりあえず話を聞いてくれ。黎と黒崎は眠っているから、少し外で話せないか?」奈緒は本能的に充に対して嫌悪感を抱く。「話すことなんてないから、帰ってくれる?」しかし、奈緒がこう言うだろうということは、充の想定内だった。「離婚の話がしたいんじゃなかったのか?今、しっかりと話そう」「離婚」その言葉が、奈緒の琴線に触れる。奈緒はずっと充との関係を断ち切り、この夫婦関係を終わらせることだけを望んでいた。これからは黎を連れて、静かに生きていきたい。もう二度と、充に人生を邪魔されたくはなかったのだ。奈緒はすぐさま掛け布団をはねのけベッドから降りると、冷たく答えた。「わかった。外で話そう」待ちきれないといった奈緒の態度に、充の心は引き裂かれるように痛んだ。寂しげな色が瞳に浮かんだものの、彼は黙って頷き、奈緒に一緒に出るように促す。充
閱讀更多

第133話

充はようやく安堵のため息をついた。奈緒がようやく食事に手をつけてくれたことで、充は夢心地なほど幸せな気分に包まれる。奈緒がかなりお腹を空かせていたことは、充にはお見通しだったのだ。並べられた料理を一つずつ順番に、ちょこちょこと小さく口に運ぶ様子は、奈緒がお気に入りのうさぎのように愛らしい。それに、食べ物に関しては、充が奈緒の好みを外すことなどまずなかったため、献立の内容から味付け、さらには副菜の選択に至るまで、全てが奈緒の好みのど真ん中。奈緒は箸を止めずに心ゆくまで食事を楽しみ、やがて小さくゲップを漏らすと、ようやく箸を置いた。奈緒が頭をあげると充と目が合った。少し気まずくなり、とっさに自分を正当化するように言う。「しっかり食べないと、黎の面倒をちゃんと見られないでしょ?それに、この数日ろくに食べていなかったから」充は思わず顔を綻ばせ、ここぞとばかりに甘い言葉を重ねた。「分かっている。本当に大変だったね。母親ってすごいな。お前を見ていて、母親の偉大さを思い知らされたよ」目の前にいる男への想いは、とうの昔に消え失せていたため、感じるのは強い嫌悪感だけ。それでも食事を終えた今、奈緒の心の中にあった怒りは、いつの間にか料理と一緒に腹の奥へと沈み込んでいた。怒りをぶつけようとしても、なぜだか気が抜けたような感じがして、どうしたらいいのか分からないのだ。食事を与えられこうなってしまうとは、情けない。気まずいほどの静けさが、いつの間にか二人の間に広がっていた。特に真夜中の静かな病院の食堂で二人きりだ。その静けさがより一層、居心地の悪さを際立たせる。「そんな意味のないことは言わなくていいから。離婚の話をしに来たんじゃないの?あなたに渡した離婚協議書の内容に、問題や修正が必要な箇所があれば言って。そこは話し合いの余地があるから」奈緒はどこまでも距離を取り、事務的な態度を崩さない。さっきまでは充の甘い言葉と振る舞いに、危うく心を奪われかけていたが、妊娠中から産後にかけて積み重なった恨みが脳裏をよぎった瞬間、そのわずかな好感は一気に冷え切り、跡形もなく消えていたのだ。先ほど、奈緒の表情がわずかに和らいだのを見逃していなかった充は、そのままの勢いで奈緒の気持ちを少しずつ変えるつもりでいた。だが次の瞬間には、す
閱讀更多

第134話

奈緒は充の言葉に固まった。今の充の言葉は、彼が用意したこの食事と同じくらい、奈緒の心を揺らしたのだ。ここ数日、頭の中を怒りばかりが駆け巡り、ただこの苦しみから逃げ出したい一心で、黎の未来について真剣に考えたことなどなかった。自分には黎を守る責任がある。母親というだけで、本人の同意も得ず、受けるべき愛情まで奪い取る資格なんて自分にはない。しかし……充がこれまでしてきたことを考えると、本当に良き父親になれるとは信じ難かった。様々な感情で揺れ動いていた奈緒の瞳だったが、最終的には冷たいものへと戻る。「随分と聞こえのいいことを言うのね。まるで離婚さえしなければ、あなたが完璧な父親にでもなれるみたいじゃない?もしあなたが少しでも黎のことを考えていたなら、こんな状況になっていなかった。だから、聞こえのいい言葉で私を懐柔するのはやめて!そんなやり方、私には通じないから。でも一つだけ、約束してあげる。離婚しても、黎の父親である権利を奪うつもりはない。ただし、あなたが黎に誠実に向き合うことが前提だけど。もし少しでも黎を悲しませてみなさい。絶対に、あなたとあの子の親子の縁を切るからね」充は自分のここまでの働きかけで、奈緒の頑なな心も少しはほぐれたはずだと思っていた。しかし、奈緒の胸の奥にある冷え切った想いは、もう自分にはどうすることもできないのだと思い知らされる。それでも、奈緒の最後の言葉の中に少しの希望を見出した充は、勢いよく立ち上がった。「ということは、これから黎に会うことも、成長を見守ることも許してくれるのか?」奈緒の胸の中にためらいが生じた。本来なら全てを断ち切りたい。だが、かつて自分自身が父親がいないことにより受けた屈辱を思い出すと……どうしても完全には突き放せない。女は弱し、されど母は強し。我が子に、自分が味わったあの辛さや悲しみを経験させたいと思う母親など、どこにいるだろうか?「まずは、あなたが黎にどう接するかを見せてもらう。こんなに小さいうちから、あなたといて黎が傷つくことばかりなら、私はあなたのことが信じられないもの」奈緒も立ち上がり、充を静かに見つめた。「昔の私は、あなたとこんな風に対立して、憎しみ合う関係になるなんて想像もしなかった。どんな終わり方をするにしても、すっきりと
閱讀更多

第135話

奈緒は表情ひとつ変えず、静かに振り返る。すると、目に飛び込んできたのは、淡いピンク色のルームウェアに身を包み、長い髪を揺らした美紀の姿だった。食堂の入り口に立ち、黒いマスクで顔を覆いながら、潤んだ大きな瞳でこちらをじっと見つめていた。その時ふと、テーブルに並んでいる料理が美紀の目に入る。そして、彼女は一目見ただけで、それが深津市で一番高級な店のものであることに気づいた。嫉妬心に焼き尽くされそうになった美紀は、奈緒の前だというのに充の腕にすがりつき、今にも涙が溢れそうな瞳で充を見つめた。「充さん、やっと裕弥を寝かしつけられたの。夜ご飯すら食べてないから、私もすごくお腹が空いちゃって……」奈緒は黙って充を見つめていた。その口元に浮かんだ皮肉げな笑みが、充の胸を鋭く刺し貫く。彼は深く息を吸うと美紀の手を払い、反射的に奈緒の隣へ歩み寄ると、淡々とした声で言った。「夜ご飯がまだだっていうなら、デリバリーでも頼めばいいだろ?まあ、もし嫌じゃなければ、まだたくさん残ってるから、これらを食べてもいいけど」美紀は信じられないといった様子で目を見開き、奈緒を指さしながら、一段と高い声で叫んだ。「充さん……私に、彼女の残りを食べろってこと?私が他人の残りなんて食べたことないって、あなたも知ってるよね?今すぐ同じものを頼んでよ!」それでも、充は冷たい表情で首を振った。「お前も携帯を持ってるだろ?好きなものは自分で頼め。これから俺に頼るのやめてくれないか?美紀、お前も結婚しているんだぞ」奈緒は静かに立ち、美紀の表情が劇的に変わっていく様子を見つめながら、彼女が次はどのような反応をするのかを待っていた。次の瞬間、美紀は要求が通らなくて逆上した子供のように喚きながら、再び充の手を強く握りしめた。「充さん、あなたは永遠に私が頼っていい人だって、子供の頃から言ってくれてたよね?携帯があるのはそうだけど、奈緒さんだって持ってるじゃん。どうして彼女には用意して、私にはしてくれないの?今まではずっと、奈緒さんよりも私を最優先してくれたじゃない!」充の視線がさらに冷たくなる。「お前も言ったように、前の話だろ?でも今、もう俺には家族がいる。そんなのも分からないのか?」美紀は自分の耳を疑い、泣くのをやめた。物心ついてから、初
閱讀更多

第136話

奈緒が病室に戻ると、黎と香織はまだ深い眠りについていた。充の言葉など全く気にも留めず、簡易ベッドに横になった奈緒も、すぐに深い眠りへと落ちていった。深夜。それからしばらくして、ふと体に重みを感じた。誰かが優しく毛布をかけてくれたようだ。この夜、黎が入院してから、奈緒は一番長くて安らかな眠りにつけた。なぜなら、黎の泣き声が聞こえなかったから。……隣の病室。全く眠れずにいた美紀。簡易ベッドで何度も寝返りを打っては、時折涙をこぼし、心細さで震えていた。静香も疲労の限界から、すでに家に帰ってしまっていた。元々来てくれると言っていた翠も、家の事情で急遽来られなくなってしまったらしい。だからこの夜、裕弥を見守るのは、美紀と介護士の二人だけ。睡眠薬の影響がほとんどなくなっていた裕弥だったが、なぜだか以前よりもひどく泣くようになり、眠りも浅くなった。そのことが、美紀をさらに苛立たせる。彼女は何度もこっそり、隣の病室を覗きに行った。そこでは充が黎を抱いて部屋の中を歩き回り、優しくあやしていた。その横の簡易ベッドでは、奈緒がぐっすりと眠っている……その光景は、美紀の心を鋭いナイフのように酷く傷つけた。何度、病室に押し入って充を引きずり出したい衝動に駆られたことか。だが、今回は我慢した。美紀もそこまで愚かではない。もし今飛び込んで充に嫌われれば、一生距離を置かれ、この関係が終わってしまうと分かっていたから。それにしても、なぜ充がこれほどまで急に奈緒を気に掛けるようになったのか?訳が分からない……焦りから、一人孤島に取り残されたような絶望感に美紀は襲われる。誰かの救いと慰めが彼女には必要だった。夜が更けてから、美紀は自ら仁哉へ連絡し、無事にA国へ着いたのかおずおずと尋ねてみた。だが、返信は一向にない。胸に巨大な岩を載せられたように、美紀の心は底なしの絶望へと沈んだ……これまで感じたことのない喪失感に襲われたことで、逆にふっと妙な冷静さを取り戻す。夜が明けた。翠が手作りの料理を手に、美紀の病室にやってきた。翠の姿を見た途端、美紀は目を真っ赤にして泣き崩れる。「翠さん、やっと来てくれたんですね……翠さんがきてくれなかったら私……もうこのまま一人かと……仁哉は一言もなくA国へ行ってしまうし、昨
閱讀更多

第137話

美紀は心細げに翠の服を掴み、涙を拭う。「翠さん、そんなに怒ってるなんて、何かあったんですか?」翠は怒りで全身を震わせながら答える。「昨日、麟太郎が帰ってきたから、私が食事を準備してあげたの。それで、食事中に奈緒の罪を全部暴露したんだけど……最初は激怒して、テーブルを叩きながら問い詰めてやるなんて言っていたのに、あのお人好しの胡桃が戻ってきちゃったのよ。私がいくら視線で合図を送っても、胡桃は奈緒の味方ばかり。さらには、青木家が奈緒とその娘に冷たくしてきた、なんて言い出して。そうしたら、麟太郎も態度を一変させて、逆に私がひどいことをしたみたいに言ってきたんだから!」翠は怒りをあらわにしながら、これまでの経緯を捲し立てた。その怒りようを見て、美紀は涙が止まり、途端に冷静になった。「翠さん、このままではまずいですね。充さんの心も、奈緒さんたちに向き始めているようで、昨夜の態度もかなり今までと違うものでした。胡桃さんが奈緒さんの味方についている今、麟太郎さんまで丸め込まれたら、翠さんの青木家での立場が危うくなります。このまま青木家の中で奈緒さんの立場が確かなものになってしまったら、昔の因縁がある翠さんのことは、絶対に許さないはずです」その言葉を聞いた瞬間、翠の瞳は冷たさを増し、彼女は勢いよく立ち上がった。「そんなこと、絶対にさせない!充は今どこにいるの?奈緒たちも同じ病院なのよね?どの病室?今すぐ連れ戻してやる!」美紀の瞳に一瞬だけ、得意げな光が走った。そして、ゆっくりと外を指差す。「左手にある、二つ先の病室です。翠さん、早く行った方がいいですよ。二人きりの時間を長引かせたら、充さんの心を取り返せなくなってしまいますから」目を真っ赤に充血させた翠は、嵐のように病室を飛び出していった。美紀は翠が持ってきてくれた料理を手に取り、美味しそうに食べ始めた。顔はまだ熱を持っていて、食事をすることすら痛みが走る。頭の中は奈緒への憎しみでいっぱいだった。何としてでも充の愛情を奪い返さなければならない。充の母親である翠が動いた今、何かしらの結果が得られるだろう。昨夜の敗北から美紀は学んでいた。冷静さを保ち、決して感情に流されてはいけない、ということを。……奈緒は朝の7時まで眠り続けた。目覚
閱讀更多

第138話

黎に優しく言葉をかけながら、充は慣れた手つきで黎のおむつを替えた。彼はそっとその小さな体を抱き上げ、再び胸に引き寄せると、黎を腕の中へ寝かせた。その間、充の眼差しは一瞬たりとも黎から離れることはなかった。陶酔しきったような穏やかな表情は、確かに立派な父親そのもの。奈緒はその光景を静かに眺めていたが、唇の端をふっと歪め、思わず笑ってしまった……美紀の産後を彼女と過ごすうちに、随分と鍛えられたのだろう。先ほどの流れるような手つきに、新米パパ特有のぎこちなさは微塵もなかったのだから。その事実に気づいた途端、奈緒の中に灯りかけていた温もりは一瞬で消え去った。それどころか、胸の奥底から得体の知れない嫌悪感が込み上げてくる。「昨夜もずっとここにいたの?何かの間違いじゃなくて?」奈緒は付き添いベッドから身を起こすと、皮肉たっぷりに言った。黎を抱いたまま振り返った充は、奈緒の姿が目に入ると、優しい笑みを浮かべた。「ああ。昨日は一晩中、寝ずにずっとこうして黎を抱いていたんだ。風邪はもう治ったし、検査も受けてきたから安心して。それにしっかり消毒もしたからな」充の目の下の酷いクマを見る限り、彼が一睡もしていないという言葉は嘘ではないのだろう。香織が笑みを浮かべて口を挟む。「奥様、昨夜は本当に旦那様が頑張っておられました。奥様がゆっくり休めるようにと、黎様が泣き出せばすぐに抱き上げてあやしていたんですから。それに、本当に不思議なんですが、旦那様が抱っこすると黎様はピタリと泣き止むんです。自分の父親だってちゃんと分かっているんでしょうね。きっと旦那様に一日中ずっと抱かれていたいのでしょう」奈緒は無意識のうちに眉をひそめた。またこれだ。このところ香織は、離婚など考えずに充とやり直した方がいいと、事あるごとに諭してくるのだった。それどころか、夫婦仲について小うるさい説教を繰り返す始末なのだ。奈緒は彼女の言葉を右から左へと聞き流していた。無言のまま立ち上がり、充の腕の中から黎をさっと取り上げる。「こんな小さな子に何が分かるっていうの?ただ男の腕の中のほうが大きくて、安心できるだけのことでしょ。こんなことをしても、何も変わらない。充、私の意志はもう決まってる。絶対に覆らないから」そう言い放った直後、病室のドアが激
閱讀更多

第139話

充の氷のような眼差しに、翠はたじろぐ。命がけで産んだ息子が、他人の前でここまで自分を追い詰めることは、これが初めてだった。「そう……分かったわ!充、あなたも言うようになったみたいね」怒りで体を震わせながら、翠は勢いよく椅子を引き寄せ、どすんと腰を下ろした。そして指を2本突き立て、ヒステリックな声を張り上げる。「あなたに二つの選択肢をあげるわ!一つ目、私を母親だと思うなら、奈緒と黎とは完全に縁を切って、二度と会わないこと。二つ目、奈緒と黎を選ぶなら、今日から私はあなたの母親じゃなくなる。さあ、どっちを選ぶの?!」目を血走らせ、充に決断を迫る翠の形相に、病室は緊張感に包まれた。充はこめかみを押さえ、ため息をついた。「母さん、話が飛躍しすぎだ。奈緒も黎も、母さんも、俺にとっては同じくらい大切な家族なんだから、そんな二択はありえないよ」翠が鼻で笑う。「私を選ぶか、この二人を取るか……あなたが決めないなら、私はここから一歩も動かないからね!」翠の叫び声が病室中に響き渡った。その声に驚いた黎が目を覚まし、顔をしかめて大きな声で泣き出してしまった。泣き叫ぶ黎を抱きながら奈緒が怒りに震え、口を開こうとした瞬間、手首をそっと掴まれた。充が奈緒に軽く首を振り、落ち着くよう目配せをする。そして、充が向きを変えて病室から出た。すると次の瞬間、戸惑う奈緒の前へ屈強なボディーガードが二人入ってきた。翠が事態を呑み込むより早く、ボディーガードたちが彼女を椅子ごと抱え上げる。「ちょっと何するの!失礼ね!降ろしなさい!」翠は慌てて抵抗したが、鍛えられた大男たちの腕には敵わなかった。そしてそのまま、翠は病室から消えていったのだった。翠の罵声が遠ざかると、ようやく静寂が戻ってきた。先ほどの一連の出来事に、奈緒は自分の目を疑っていた。充のことはよく分かっている。充といえば親孝行者と評判で、何事も翠の言うことを聞いていた。だから翠をこんな強硬手段で追い出すなど、天地がひっくり返るほどの出来事なのだ。父親になるとここまで変わるのか?娘が生まれたことで、父親としての責任感が芽生え、ついに母親に逆らう勇気が生まれたとか?呆気に取られている奈緒の横で、充が突然動き出した。彼は奈緒に向き直り
閱讀更多

第140話

充の温かい掌が奈緒の手の甲を優しく包み込んだ。言い知れぬ熱が神経を伝って心臓へと流れ込み、今まで築いてきた奈緒の心の防壁が打ち砕かれそうになる。ほんの一瞬だけ、奈緒の心が本当に揺らいだ。腕の中で眠る黎を見て、奈緒は妊娠した当初の希望を思い出した――娘に温かい家庭を与え、両親の愛情の中で育てること。しかし、奈緒の心の壁が崩れかけたその瞬間、思いもよらない言葉が、充の口から発せられた。「奈緒、これまでのことは全部忘れて、もう一度やり直そう。だから、お前のお母さんの一件は不運な出来事だったってことで、これ以上追及するのはやめてくれないか?これからは俺たち家族3人で、幸せな生活を送ろう。絶対に嫌な思いはさせないって約束するから」奈緒の瞳孔が震えた。彼女は数秒黙り込んだ後、ありったけの力を振り絞り、充を突き放す。「充、あなたはやっぱり何も変わってない」一歩下がった奈緒の瞳は、翠がいた時よりも凍りついたものだった。「どうして私が、お母さんの潔白と尊厳を犠牲にしてまで、あなたの言う『家族3人の幸せ』を選ぶと思ったの?お母さんの件は、私は必ず最後まで調べ抜くし、関わった人間は誰であろうと、一人残らず許さないつもりだから」奈緒は充の目をまっすぐに見据え、はっきりと言い放った。「充、もう誤魔化そうなんてしないで、私の質問にちゃんと答えて。もし私が当時の真相を突き止めて、その中にあなたの母親が容疑者の一人として浮かび上がったら……あなたはどうする?自分の母親をかばって真実を隠す?それとも私の味方になって、私のお母さんの無念を晴らしてくれるの?選んで」充は完全に言葉を失った。ここまで手を尽くし、母親に背くことまでして、ようやく奈緒の心をほんの少し動かせたと思った矢先……親たちの因縁が、そのわずかな歩み寄りさえ一瞬で打ち消してしまうとは、充は思ってもみなかった。充の表情は硬くなり、眉間には深いしわが寄った。「もう何年も前のことだろ?なのに、わざわざその過去を掘り返すなんて。全てを丸く収めるのが、お互いのためじゃないか?」「丸く収める」という言葉を聞いて、奈緒の表情が暗く重く沈む。軽蔑した眼差しで充を睨みつけ、もう込み上げる怒りを抑えるのは難しかった。「充。そんな簡単に丸く収めるなんて言えるのは、当時被
閱讀更多
上一章
1
...
1213141516
...
26
掃碼在 APP 閱讀
DMCA.com Protection Status