「社長、奥様がすでに自宅で夕食の準備を……」秘書が丁寧に告げるが、最後まで言う前に仁哉は言葉を遮った。「家に帰る前に、会っておかなければならない人間がいる」そう言うと、仁哉はスマホを取り出し、連絡先から相手を選んで通話をかけた。その頃、奈緒は蛍と二人で、混ぜ麺を頬張っていた。妊娠中から出産後の今まで、ずっと薄口の食事をしていたため、1年ぶりの濃い味付けに奈緒は心底満足していた。蛍は授乳中の奈緒のために辛さ控えめに調整してくれていたが、食べ終わると奈緒はなんとなく黎への罪悪感を覚えた。そんな自責の念に浸っていた時、不意にスマホが鳴り響いた。画面に仁哉の名前が表示され、奈緒はすこしポカンとした。仁哉は今、A国で秘密プロジェクトに携わっているはずでは?なぜ今、突然電話をしてきたんだ?奈緒は疑問に思いながら受話器を取った。「もしもし?」すると朗らかで落ち着いた声が聞こえてきた。「奈緒さん。今、深津市にいるんだが、会えませんか?」そう言われ、奈緒はドキッとして思わず警戒心が湧いた。「なんで私に会おうと思ったんですか?」だが、仁哉の声は至って平静としていた。「例のSNSの投稿について、少し話をしたいのですが」それを聞いた奈緒は少し目を細め、直感的に仁哉は美紀のために文句を言いに来たのだろうと思った。そんな重要な秘密の仕事があるにも関わらず、SNSの投稿程度でわざわざ帰国して美紀を庇うなんて。本当に、美紀の言う通りだ。仁哉は彼女のこととなると我を忘れるらしい。そんな考えを巡らせていると、奈緒の口から出る声は、自然と冷ややかなものになっていた。「奥さんのために文句を言いに来るなら、会う必要はありません」だが、仁哉の声は相変わらず穏やかだった。「そのつもりではありません。詳しいことは会ってから話しませんか?30分後、ロウゲツ・カフェで待っています」そして、奈緒の返事を待つこともなく、仁哉は通話を切った。その確信に満ちた口調からは、奈緒が来ることを見越しているような余裕が感じられた。奈緒がスマホを置くと、蛍と見つめ合った。蛍は言った。「あの美紀さんの旦那さん?あの伝説の建築家?しかもあなたの憧れの人が……会いたいって?」奈緒は頷いた。「ええ、行くべきかな?」蛍が勢いよく胸を叩
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