転んだ部下と入籍?呆れたので婚約破棄するよ のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

26 チャプター

第11話

涼太は無理に起き上がり、使用人を呼ぼうとした。莉子が弁当箱を持って部屋に入ってきた。「藤本さん、若葉はどこだ?すぐに呼んでくれ」涼太は枯れた声で命じた。莉子は溜息をつくと、水を差し出し、涼太が飲み終えるのを待ってから口を開いた。「若葉様には、どうしても連絡が取れないです」「なぜあの家から火が出たんだ?安全管理はどうなっていたんだ?」莉子は言い訳をしようとしたが、言葉が詰まってしまった。彼女は潔くタブレットの監視カメラ映像を、涼太に差し出した。「涼太様、こちらが火災直前の映像です」涼太は眉をひそめた。また監視カメラか、と内心で思う。訝しげながらも、タブレットを受け取った。最初は普通の様子しか映っていなかったが、ふと画面が明滅した。若葉が部屋に入り、そのすぐ後に自分の姿も映り込んだ。思い出せば、一昨日、中山家へ行く必要はないと若葉に告げた時の映像だ。あの時すでに葵を連れて行く腹積もりで、ただ若葉の怪我が気がかりで家に戻り、自ら伝えようとしただけだった。若葉は傷を負って帰宅したのに、自分は彼女を気遣うどころか、ドレスの件で腹を立てて冷たくあたってしまった。涼太の中で後悔が押し寄せた。映像は少しずつ進んだ。涼太がじれったくなり倍速にしようとしたその瞬間、画面が切り替わった。自分が去った直後、若葉は使用人たちを休暇を与えて帰らせたのだ。涼太は突然、莉子の「邸宅は燃えましたが、死傷者は出ませんでした」という言葉を思い出した。胸の奥が張り詰める。「まさか、若葉はあらかじめ火事になることを知っていたのか?」若葉は一体何をしたのだ?映像の中で、若葉はテーブルに置いてあった消毒薬をゴミ箱に投げ捨てると、そのまま2階へと上がっていった。5分後、スーツケースを引きながら再びリビングに現れた。涼太はシーツをきつく握りしめた。スーツケース?若葉は何をするつもりだ?若葉はしばらくリビングに佇み、倉庫からアルコールを持ち出し、カーテンなど燃えやすい場所にまき散らした。それを見て、涼太は息を飲んだ。若葉自らが放火したのだ。涼太の顔はみるみるうちに青ざめていった。なぜそんなことをする必要があったのか、到底理解できなかった。その時、部屋の静寂を切り裂くように激しい着信音が鳴り響いた。涼太の顔色
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第12話

涼太は少しほっとした。F国といえば、若葉が留学していた場所で、二人の思い出の地だ。F国に向かったのなら、捜し出すのはそう難しくないはずだ。F国という言葉に、あふれんばかりの過去の記憶が胸に込み上げてきた。当時、指導教員の志穂は若葉を高く評価していた。「研究者になる才能がある」と言って、早々に若葉を研究チームに入れ、大学に残って研究を続けることを強く勧めていたのだ。その後、二人が交際し始めると、母は激しく反対した。最後は自分の絶食によって折れたものの、若葉に対しては「中山グループで実績を出せたら結婚を認める」という厳しい条件を突きつけた。若葉は研究が何より好きだったのに、自分がそのことを知りながら、研究を諦めさせるのはどうしてもできなかった。条件を緩めてくれるよう母に食い下がろうと考えていた矢先、若葉は自ら研究を諦め、一緒に帰国すると言い出したのだ。自分としてはほっとしたが、同時に若葉への申し訳なさと愛しさが胸を満たした。若葉がどれほど研究を大切に思っていたか知っている。この突然の決断は、決して軽い気持ちで思い付いたものではなく、自分にかかる重圧を少しでも減らそうとしているのだと分かっていたからだ。若葉はそんな重大な決断をしたのに、あえて気丈に振る舞っていた。あの時、生涯をかけて彼女を愛し抜くと心に誓ったはずだった。それなのに今、若葉は自分のもとを去り、F国へ戻ってしまった。自分に絶望してしまったのだろうか?ここ最近、あまりにもバカげたことばかりしてしまった。祖母の言葉通り、今更ながら後悔の念が押し寄せてくる。激しい感情の起伏を経て、涼太は心身ともに疲れ切っていたが、一つだけ確信したことがあった。若葉のいない人生など考えられない、必ず迎えに行かなければ、ということだ。「F国で止まっているのか?それとも乗り継ぎをする予定なのか?」自分の声がひどくかすれているのに気づいた。F国は二人の思い出がつまった場所であり、よく知っている国だ。もし本当に隠れるつもりなら、F国を目的地に見せかけて、そこから別のどこかへ逃げている可能性もある。莉子は困ったように顔を曇らせ、その後の行方については把握できていないと伝えた。涼太は自分がいかに無理難題を言っていたか悟った。ため息をついて命じた。「もういい、まずはそ
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第13話

涼太と目が合った瞬間、葵は瞳に涙を浮かべた。「涼太さん、私、私が悪かったです。身の程知らずな人間でした。涼太さんが私を助けてくれるだけでも感謝すべきなのに、欲をかいて若葉さんを陥れようなんて、本当にどうかしてました。涼太さん、本当に反省しています。どうか許してもらえませんか?」涙ながらに謝る葵を前にしても、涼太はいつものようにすぐに許してあげることはなかった。葵はしばらく涙を拭っていたが、誰も彼女を気にかける様子はなかった。静かな部屋に響く葵の嗚咽は、ひどくいたたまれない空気を醸し出していた。葵が指の隙間からそっと涼太の様子を窺うと、そこには霜が降りたように冷酷な顔があり、装っていたはずの涙も恐怖で凍りついた。あんな目つきの涼太なんて、一度も見たことがなかった。「なんだ、もう泣き止んだのか?他に言いたいことはないのか?」偽造の防犯カメラ映像のことを思い出し、怒りに震えた涼太は、氷のような眼差しを向けた。「葵、よくもあんな偽動画で俺を騙してくれたな」嘘が暴かれた瞬間、葵の顔からみるみる血の気が抜けていった。言い訳も思いつかないうちに、莉子が現れ、葵が映像の偽造を依頼した相手との会話の音声を流し始めた。「安心しろって。涼太さんはただの世間知らずさ。私たちの細工に気づきもしないわよ。急いで動画を作って。早ければ早いほど、報酬も増やしてやる……」「世間知らず」、「気づきもない」、「報酬」などの言葉一つひとつが涼太の胸に刺さり、これまでの哀れみや優しさがひどく滑稽に思えてきた。涼太は強く唇を引き結び、莉子に録音を止めるよう合図した。葵が何をしたのか、それだけで十分明らかになったからだ。録音が流れるにつれ、葵の顔は青ざめていった。録音を止めても、安堵するどころか、かえって一層恐怖が押し寄せた。涼太はもうそれを証拠として信じている。言い逃れの余地など、どこにもなかったのだ。エアコンが効いた肌寒い部屋の中で、葵は生きた心地もせず冷や汗を流していた。それでも震える声で精一杯取り繕おうとした。「涼太さん、その録音は……」もう言葉が出てこない。中山家との長年の信頼関係を考えれば、莉子の言葉は若葉以上の重みがある。まして自分は……詳しく調べられれば、全く手を加えられていない音声であると証
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第14話

葵のあまりに悲惨な声が、次第に大きくなっていった。涼太は手を挙げて、止めるよう合図した。「口をふさいでやれ。あと、こいつの手を二度と使えないようにしろ」悲鳴は止んだが、静まり返った部屋で、何かが体に打ち付ける鈍い音だけが不気味に響いた。涼太は手元のタブレットで監視カメラの映像を見始めた。画面には、邸宅の雰囲気には不釣り合いな、あまりに下品な服を着た姿が映し出されていた。葵のたった一言がきっかけで、若葉の腕を折らせた、あの時の光景がよみがえる。若葉は、3ヶ月もの間、痛みに苦しんでいたのだ。この借りだけは、必ず返してもらう。「藤本さん、病院の手続きをして。F国への航空券も取ってくれ」そう言うと、涼太はインスタを開いて、適当に知り合いのストーリーズを漁った。「間違いない、若葉は今、F国にいる」写真には食事を楽しむ若葉が映っていた。懐かしい顔を見た瞬間、凍りついていた涼太の表情に、かすかな笑みが浮かんだ。これは、若葉の男性後輩が上げたものだ。若葉にアプローチしていた頃、涼太は若葉の同門たちとわざわざ繋がっていた。趣味や好みを把握するためだった。当時はその後輩が二人をくっつけようと必死だった。涼太が付き合い始めてからは疎遠になったが、インスタのフォローは外さずにいたのだ。たまたま目に入ったのだ。莉子が驚きを隠せない様子で問いかけた。「涼太様、本当にF国まで行くのですか?」涼太は少しきょとんとした。そんなに冗談のように見えたのか?莉子はすかさず弁解する。「この2年間、若葉様に会いにいくことなどなかったものですから。つい驚いてしまいまして……手続きはすぐ済ませますので、待っててください」莉子の言葉に、涼太は考え込まされた。いったい、いつから若葉に対して冷淡になっていたのだろうか?葵のミスを、若葉に押し付けたときからだろうか?それとも、葵のために高級なプレゼントを買い漁っていた頃か?あるいは、葵を特別枠で採用したときだろうか?実際、多くのことはやってはいけないと分かっていた。ただ、これくらいなら、と甘く見ていただけだ。たまに羽目を外してもいいと思ってた。どうせ結婚するのは若葉だし、将来またいいものをあげられるし、少し火遊びをするくらい大目に見てくれるだろう。そんな風に、自
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第15話

ここは中山グループ直属の病院で、葵の手当はすぐに済んだ。痛みや、涼太の恐ろしい一面を見てしまった恐怖はあるものの、こうして治療を受けられたことが、葵にとっての小さな慰めになった。若葉の安否はまだ不明だが、涼太は自分を許していないとはいえ、手当を受けさせてくれた。それは、彼がまだ自分への情を断ち切れていないということではないだろうか?若葉さえいなくなれば、涼太のそばにいるのは自分だけになるのだ。時が経てば涼太は若葉のことを忘れ、やがて許してくれるはずだ。そうなれば、中山家の嫁になるという目標に、むしろ近づいているのではないか?そう考えると、体の痛みもそれほど耐えがたいものではなくなった。葵の様子を眺めながら、莉子は内心で嘲笑った。もう涼太はこの女のことなんてすっかり忘れているっていうのに。人を死なせたくないというだけで手当てをさせたに過ぎなかった。涼太が後々この女を思い出すかもしれない。でもそれは、彼女が期待するような温かい記憶ではない。莉子は病室を出ると、すぐに涼太に葵の状況を報告した。葵が目を覚ましたと聞いた涼太は、鼻で笑い、莉子に冷たく命じた。「歩けるようになったら、すぐに会社へ行かせろ。俺がたっぷりと『指導』してやるからな!」涼太が言った「指導」という言葉には、不穏な響きが混じっていた。葵の入院生活は、想像していたものとはまるで違った。以前はちょっとした切り傷一つでも、涼太は取り乱すほど心配して、医者に手当てをしてもらい、丁寧なケアをしてくれた。色んなサプリメントやプレゼントが届くのも当たり前だった。しかし今、担当してくれるのは研修医ばかりで、薬も一番安いものだ。点滴の針を刺す看護師も新米で、いつも何度も失敗してしまう。かといって文句を言えば、相手の手が震えてさらにひどい目にあうので、何も言えない。数日で、葵は精神的に苦しめられていった。最初は涼太の機嫌を直すための「お仕置き」だと思い、必死に反省する姿を見せていれば許してもらえるはずだと自分に言い聞かせていた。しかし、涼太のもとで1年以上も大切に守られてきた葵にとって、こんな生活はもう限界だった。毎食、彩りも悪くて味気ない激安弁当を見るだけで吐き気がする。ついに我慢の限界にきた葵は、看護師が点滴の準備をしている時に
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第16話

若葉がまだ生きてる?もしあの大火事がただの煙幕だったとしたら、時間を稼ごうとした自分の策はすべて無駄だったのか?それに涼太が、若葉のために会社まで放り出すなんて……若葉を深く傷つけた自分にとって、二人がよりを戻したとしたら、もうチャンスなんてない。胸の中で絶望が広がった。恐怖で青ざめる葵を見て、真司は鼻で笑って去っていった。葵は震えるしかできなかった。もう限界だ。ここから逃げなきゃ……涼太の冷酷さと、彼の若葉に対する罪悪感。二人が帰ってきたら、自分に何をするか分からない。いつの間にか、莉子がボディーガード二人を連れて背後に立っていた。「葵様、お怪我はもうよろしいですか?」怯えきった葵は振り返った。大柄なボディーガードたちを見て、手首を折られた記憶が蘇り、足がすくんだ。涼太が若葉を追って海外へ行った以上、もう自分の居場所なんてないと確信した。そんな中、涼太の部下が自分を探しに来るなんて、良い理由があるはずがない。泣きそうな声で葵は言った。「藤本さん、お願いだから、見逃してくれませんか?どこか遠くへ行って消えますから。これまで一度も失礼なことをした覚えはありません。一命を救ったと思って、何卒慈悲を……」莉子は淡々と言った。「葵様、何を言っているのですか?私たちは葵様に何もしていませんよ。ただ、ご自分で歩いて退院できるなら、もう傷が治ったかと思いまして。病欠は今日まで、明日からは通常通り出社してください、と伝言しに来ただけです」それだけ言い残し、莉子たちは立ち去った。葵はしばらく呆然としていた。本当に何もなかったの?ただ出勤しろというだけ?恐る恐る家に帰ると、誰も尾行してくる様子はない。ようやく胸をなでおろした。だがその安堵は、あまりにも早すぎたということを後で知るのだ。会社に戻っても職は変わらなかったが、社内の雰囲気は一変していた。同僚たちは涼太の意を受けて、かつての親しげな態度を捨てた。今やパシリのように扱われ、買い出しから掃除まで全て押し付けられた。反抗しても笑いものにされ、なだめるフリをした連中に取り押さえられ、逆に痛い目に遭わされる始末だ。以前なら、やりたいプロジェクトだけを選び、手柄だけを持っていくのが葵の得意芸だった。だが今は違う。残り物は難易度が高い案件ばか
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第17話

目を閉じて頬を撫でる風を感じる。こんなにゆったりとした時間を過ごすのは、久しぶりだった。ここ数年、私は涼太中心の生活を送っていた。仕事に追われるか、涼太のご機嫌取りに明け暮れるかだった。ようやく、本当の自分を取り戻せる気がする。もう、一箇所にとらわれることはない。バルコニーから、街の明かりを見下ろした。何年も前、私も夢見ていた。無数の窓の明かりの中から、私だけを待っていてくれる光を探すような恋を。卒業後、大学の仲間の忠告を振り切り、私は迷わず涼太についていくことを選んだ。最初の6年間、どれほど苦しくても、恩師の志穂や仲間たちには一言も泣き言を漏らさなかった。自分の力を証明し、涼太の選択は間違いじゃなかったと中山家の人間に示したかったからだ。だが何年頑張っても、最後には涼太の心変わりと、苦労の末に疲れ切った自分の姿しか残っていなかった。職場の心ない陰口すら避けられなかった。会社には中山家からの古参も多く、夏美と同じく「釣り合わない」という目をあからさまに向けられた。そんな態度に同調して、他の社員たちも私を、コネで入ったカナリアか何かのように見ていた。後に業績を残してエース社員になっても、みんなの偏見は消えなかった。仕事で行き詰まると、皆が裏でそう言い合っていた。涼太はそういう噂をずっと知っていたはずなのに、知らないふりをして、一度もかばってくれることはなかった。付き合い始めの頃、涼太はグループに入ったばかりで立場が弱かっただけだと言い訳できた。だが、それ以降は?社長の座を確立し、誰にも逆らえない立場になったが、涼太はずっと黙りを通したままだった。それなのに、葵が会社に入って1ヶ月、同僚が何気なく「コネ」という言葉を口にしただけで、涼太はすぐに葵を守るために立ち上がったのだ。その情熱や勇気が、今は他の誰かに向けられていることは明白だった。たまに、涼太が葵をどう思っているのかすら分からなくなることがある。私は自分を潔い人間だと思っていたのに、このあやふやな関係を1年以上も我慢していたなんて。本当に笑える。そう思うと、思わず鼻から笑い声がこぼれた。すると志穂が、酔い覚ましの薬を持ってきて尋ねてきた。「何かおもしろいの?」私は仕方なく首を振った。「いえ、先生と再会できたのが嬉し
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第18話

まとめたデータを志穂に送ると、すぐに返事が届いた。【データがちゃんと取れているね。次のステップへ進んでよし】私は大きく息を吐き出した。心地よい充実感が、じわりと胸に広がる。作業を再開しようとしたその時、廊下から軽快な女性の声が響いた。「先輩!いいお知らせがありますよ!」この声、厄介な後輩の谷口智子(たにぐち ともこ)だった。ドアの隙間から顔を半分出した智子が言う。「ねえ先輩、何だと思います?下のグラウンドで走っていたら、イケメンが先輩を訪ねてきましたよ!」智子はわくわくして、笑顔を浮かべている。私は深いため息をついた。智子は学業の成績は優秀で性格も良いのだが、カップルの噂話が大好きなのだ。最近は志穂の影響で、誰にでも恋の仲立ちをしたがる困った癖までついている。「イケメン?ここに戻ったばかりだし、知り合いなんていないはずだよ。また先生に頼まれて見合い話でも持ってきたの?」智子は焦ったように食い下がった。「本当なんです!嘘ついてもしょうがないでしょう?その人、バラの花束まで持ってましたよ。先輩の恋人さんにしか見えないよ」私の顔から笑顔が消えた。涼太が訪ねてきたのだ。あそこまでされたら、会わずに追い払うのも流石に良くないだろう。私は諦めて涼太のもとへ向かった。私を見た瞬間、涼太の瞳が真っ赤に潤んだ。「若葉、なぜ俺を騙したんだ?ちゃんと説明してくれよ」街で泣き出す涼太の姿に、周囲の人々が足を止め始めた。私は辺りを見渡し、「場所を変えよう」と告げた。私たちは人通りの少ない湖畔へと向かった。落ち着きを取り戻した涼太が、即座に問い詰めた。「若葉、どうして黙ってF国へ逃げたんだ?俺のことを考えなかったのか!」彼の涙を横目に、私は冷淡に答えた。「それはもう、涼太には関係のないことよね。私を責める資格なんて、もう涼太にはないからね。忘れないで。私たちは既に終わった仲よ」そう言われ、涼太は葵と籍を入れた日の出来事を思い出した。でも、あれは恋人同士の売り言葉に過ぎないのに、本気でそう言ったわけがない。涼太は食い下がった。「あれは喧嘩の勢いで言っただけだ!本気にしてたのか?」彼は気まぐれだったと言うけれど、私はそうとは思わなかった。言葉に出したことには、責任が伴う。結婚をお遊び
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第19話

葵と式を挙げた日、シワシワの書類にサインした記憶が突然フラッシュバックしたのだ。涼太はパニックになり、こう叫んだ。「そんなはずはない!あんなボロボロの紙切れが退職届なわけないだろ!若葉、それは俺が内容を知らずにサインしたものだ。法的に認められるはずがない!」笑わせる。退職証明だって、もう手元にあるんだ。面倒になって、私は適当にあしらった。「それなら、訴えればいいじゃない?とにかく、あなたとは二度と戻れないし、私たちはもう他人よ」私が背を向けると、涼太が再び私の腕をつかんで縋り付いてきた。「若葉、行くなよ。お前が誰よりも俺を愛してるって知ってるんだ!あれだけ困難を乗り越えて、素晴らしい思い出も作ってきたのに。本当に全部投げ出すのか?」私は振り向きもせず答えた。「私が捨てたのは愛情じゃないわ。間違った関係よ。涼太、もう終わりよ。葵と堂々と付き合えばいいじゃない?」腕が濡れた。涼太が泣き始めたのだ。「もう少し待ってくれないか?葵とはすぐに別れるから、ちゃんと決着をつける」涼太の涙が私の肌をつたい、なんとも言えない不快感が走った。心が重くなり、私は強引に腕を引いた。彼はどうしてここまで無邪気で、残忍なのだろう?愛などなかったかのように私を平気で傷つけておきながら、今はプライドも地位もかなぐり捨てて引き止めてくる。自分のした非道な行いを棚に上げて。まるで、私たちが愛し合っていた20歳の頃の涼太に戻ったかのように。もう分からなくていい。ただ離れたいだけ。涼太の無邪気さも残忍さも、全て私とは無関係にしてほしい。数歩歩くと、涼太は不意に泣き止み、冷たい声で言った。「若葉、ずっとF国で隠れ住めると思ってるのか?」そこには、付き合いたての甘い涼太なんてどこにもいなかった。やはり、これこそがこの数年の涼太なのだ。私を脅し、欺いてきた中山グループの社長。無邪気さと残忍さをあわせ持ち、平気で表情を使い分ける。私は向き直り、涼太をしっかりと見つめた。7年経ってもその顔はさして変わらず、この場所の風景もあの頃のまま。それなのに、私の胸には奇妙な違和感だけが湧いていた。「それで、私にどうしろって言うの?」涼太は一瞬たじろいたが、すぐに威圧的な態度に戻った。「お前は研究の方が大
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第20話

葵が逃げたとなれば、離婚手続きができなくなるからだ。すべては自分のせいだった。葵に、以前若葉が味わった苦しみを教えようと、副社長の肩書きを残したまま、雑用の仕事を押し付けたのだから。一番きつい仕事を押し付けられ、手柄を横取りされ、他人の尻拭いをさせられ、同僚からバカにされる……かつて葵が若葉にしたことを、そっくりそのまま味わせた。だが葵のことは社内でもスキャンダルだ。このような浅はかで欲深い女にまんまと騙されたと公言するわけにもいかない。だから上層部しか事情を知らず、平社員たちは単に葵が冷遇されただけだと思っている。社内の人間すらそうなのだから、取引先はなおさらだ。自分と葵が決裂したことすら知らない取引先もいた。その隙をついて葵は取り入り、金を巻き上げて逃げ出したのだ。涼太は電話を急いで切ると、冷たく言い放った。「若葉、離婚が済んだら必ず迎えに行く。絶対に納得のいく説明をするし、俺たちの長年の付き合いを見捨てるつもりもない」その瞳には強い決意が宿っており、まるで昔、私を追いかけていた頃の熱い少年のようだった。当時、私に断られた時も、涼太は同じような顔をしていた。苦労も厭わず、友人たちに私の好みを聞き回って。いろいろなプレゼントを一生懸命準備してくれていたことも。けれど、今の涼太は、あの頃とは変わり果てていた。20歳の涼太は私を大切にしてくれたが、28歳の涼太は違う。今の彼は駆け引きに長けていて、人を欺くことも、権力で押さえつけることもできる。相手を追い詰めようとも、自分の権力を振りかざすことにためらいがない。私たちはもう、二度と元通りにはなれないのだ。涼太は無理に笑みを作って、空港へ向かって急ぎ足で歩いていった。背中が遠ざかっていくのを見ながら、私は20歳の涼太がこちらに手を振っている幻を見た。あの頃の彼はよく言ったものだ。「今度から金の無駄遣いするなよ、俺はそんな弱くないんだから」あまりに遠い昔の話だ。私が望む答えを、今の28歳の涼太がくれるはずもない。私は視線を逸らし、踵を返した。研究室に戻り、次の実験を進め、新しいデータを志穂へ送る。すぐに返信が届いた。【データは確認した。次のステップへ進んでよし】【ただ、研究室に引きこもるなよ。来週、文学サークルのパー
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