Все главы 死ぬほど大嫌いな幼馴染と、政略結婚することになりました。: Глава 31 - Глава 40

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第31話 解かれる帯

 そんな時、冴がすっと前に出て、俺たちを取り囲む親族に向かって言った。「失礼します。美森さんの顔色が悪いようなので、奥の部屋で休んでも宜しいですか」 波風を立てない、穏やかだが確かな命令口調。  それを否定する者はいなかった。  さっきまで睨みつけるような視線を送っていた父さんも母さんも、冴の言葉には黙って従う。  冴は俺の両肩を抱くようにして立たせると、襖を閉じてから静かな声で言った。「……本当に大丈夫か?」 息を吐きたいのに、うまくできない。  帯を緩めようと手を入れたが、それより奥にある腰紐がきつく喰い込んでいるのだと気づく。  思わず壁に寄りかかり、口元を抑える。 その瞬間、冴がそっと腕を回し、倒れないように支えた。  肩と脚を優しく抱き上げると、自然と横抱きにされる。「お、降ろして!女扱いしないでってば!」「本当に可愛げがないな、お前は。具合が悪い時くらい、黙ってしおらしくしろ」 廊下を進んでいくたび、振袖の裾が揺れて、自分の心も揺れている気がした。  使用人とすれ違わなくて良かった。こんなことされて、もはや生き恥だ。 到着したのは、今は帰省の時くらいしか使わない、冴の自室だった。  そのままベッドに優しく降ろされ、冴は俺の背後にまわる。「緩めるぞ」「待って、解いたら自分で結べない……」 家では和装に慣れていても、さすがに矢帯結びは自分では無理だ。  これから写真撮影もあるし、帯を解いたまま戻らないと変な誤解を生みかねない。 でも冴は、まるで何事もないような顔で言った。「俺が出来る。だったら問題ないだろ」 言われるまま、冴の手は帯に触れ、するすると緩めていく。締め付けていた数本の腰紐もあっさり解かれ、長襦袢一枚の姿にされると、さすがに頬が熱くなる。  けれど、冴は気を遣って、部屋にあった上着を前にかけてくれた。「……ありがとう」「別に」 顔もこちらに向けず、冴は隣に腰を下ろした。  静かな沈黙が流れる中、時計を見ると席を離れて十五分。このあとは記念撮影もあるし、早く戻らなければならない――でも、正直なところ、戻りたくなかった。  外側だけを作り笑いで褒められる自分が惨めで、どうすることも出来ないと分かっているから。 俯いたままの俺に、冴がゆっくり顔を向けた。「……お前にしては、頑張ってると思
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第32話 結婚写真

「それだけは守るって誓う」 その言葉に、思わず顔を上げる。 冴は、俺が親戚たちのやりとりで心をすり減らしたのに気付いてくれていた。 (どうして急に……) どうしてこんなにも、優しくしてくるのか。 そんなに心配になるほど、俺は酷い顔をしてるのか?「嫌だったら、また叩いていい。殴ってもいい」 この間まで平手を喰らわせた婚約者に、今は静かに抱き寄せられている。 唇に視線を注がれ、恥ずかしさで目を逸らすと、さらに顔が近づく気配を感じた。 襦袢の襟元に手を置かれ、高鳴りが全身を貫く。「……ん、」 深くはない、でも確かな温もりと甘さを残すキス。 もう一度角度を変えて、そっと唇が触れる。 練習もいらない。 今はもう、恋人の振りをする必要もない。 この控え室には俺と冴しかいないのだから。 それでも、身体が拒まなかった。 これから先に待っているものを、何一つ信じられない。 名前と家のために飾り立てられ、自分の意思も未来も、すべて切り取られてしまったと、はっきり自覚していた。 この先、何を選んでも「俺自身」には戻れない。 そう思った時、胸の奥が空洞になった。 だからだ。 冴のキスは、欲望でも演技でもなかった。 慰めでも、所有の印でもない。 ただ、「守りたい」という合図みたいに感じられて。 それが、どうしようもなく、救いに感じてしまった。 肯定されたかったわけじゃない。 愛されたかったわけでもない。 ただ――存在を、否定されなかった。 その事実だけで、唇を離す理由を俺は見つけられなかった。 お互いに余韻を残して見つめ合っていると、不意にノックの音が響いた。 ドアの向こうから、低く響く声が割り込む。「冴様、美森様のお身体の具合は……」 一瞬、世界がひしゃげるような気がした。 冴は落ち着いた声で答える。「あぁ、さっきより少し楽になったみたいだ」 慌てて襦袢を整え、肌を隠すように手を伸ばす。 ドアの向こうから、使用人の足音が遠のいていく。 その間に冴は立ち上がり、俺の振袖を広げ、帯を丁寧に結び直す。 ファッションブランドの家に育っただけあって、そういう知識も心得ているのか、さっきと全く同じ形の帯を再現してくれた。 着付けを終えると、冴はそっと俺の髪を撫でた。「後少し、我慢して耐えられ
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第33話 嫌がらせの始まり

結納を済ませた俺たちは、その後も変わらず―― いや、むしろ以前にも増して、恋人同士として振る舞うことを求められた。 これ見よがしに食堂でイチャつき、それを見て大騒ぎする生徒たち。そして、もはや開き直った俺にとっては、冴を「恋人」の名目で振り回すことの出来る遊びの一つになりつつあった。 「おい……美森、あそこまでする必要ないだろ」 「なんで?恋人同士なら “あーんして♡” くらいは、すると思うよ」 「もう二度としなくていい。節度を弁えろ」 学園という閉ざされた世界の中で、その関係は瞬く間に拡散し、ほぼ全校生徒にとって「既成事実」として消化されていった。 全校集会で生徒会が壇上に並べば、好奇と興味が入り混じった視線が一斉に突き刺さる。 冴が原稿を俺に手渡す、それだけの仕草で悲鳴が上がり、切り取られ、誇張され、面白おかしく噂として流通していく。 その騒がしさに辟易していたのは、俺たちだけじゃない。 「全く……いい加減、静かにならないもんかね」 苑真が書類をまとめながら、呆れたように息を吐く。 「しばらくは無理だろ。燃料がでかすぎる」 後堂家と美森家の“結びつき”は、父親たちが満足するには十分すぎるほど、派手に機能していた。 会話の途中で、生徒会室のドアをノックする音が響き、冴がいつも通り短く言った。 「入れ」 次に現れるのは、どうせ親衛隊長たちの“プレゼントお届けタイム”だろう。 そう思っていたから、ドアの向こうに立っていた人物が顔を見せると、俺たち四人の空気が固まった。 黒瀬だった。 「はい、死んだー」 苑真が面白がるように小声で囁き、玲央も苦笑いする。 冴と黒瀬は早速睨み合いを始めていて、胃の奥がきり、と痛んだ。 「失礼いたします。美森様宛のプレゼントと、花束をお持ちしました」 淡々とした声。 感情の起伏が一切読み取れないその口調で、黒瀬は大きな紙袋を二つ机に置き、さらに―― 赤い花束を、俺の腕にそっと乗せた。 「え……花束?」 思わず声が漏れる。確かに今までも何度か受け取ったことはある。 けれど最近は固辞していたし、贈り主も自然と減っていたはずだ。 「後堂様の親衛隊、及び隠れファンの間で、お二人の交際を祝す動きが強まっているようです。 特に、美森様宛の贈り物
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第34話 憎しみと愛

それからも、俺の身の回りでは、説明のつかない出来事が静かに続いた。 派手な嫌がらせではない。物が壊されるわけでも、直接的な言葉を投げつけられるわけでもない。 ただ――俺の机に、何かが入れられている。 それは決まって、「一度無くした物」だった。 ハンカチ。 使いかけのリップクリーム。 目薬。 どれも、確かに「無くした」と思った記憶がある。 そして、どれもが例外なく、ジッパー付きの透明な袋に入れられて戻ってくる。まるで、保管されていたかのような状態で。 「拾いました」というより――「戻しました」。 そんな印象が、どうしても拭えなかった。 誰かが俺の物を拾った。それ自体は、善意で説明できるはずなのに。袋に入れ、丁寧に机の奥へ忍ばせるその手つきまで想像してしまうと、胸の奥がひやりと冷えた。 これはストーカーなのか。それとも、嫌がらせなのか。 判断がつかないまま、俺は一人で抱え込んでいた。 * いつも通り、冴と腕を組みながら、生徒会専用フロアを抜け、寮の部屋へ戻った時だ。 「……あれ?」 ドアノブに、白い紙袋が下げられていた。 反射的に立ち止まり、中を覗く。 冴には「苑真か玲央からか?」と尋ねられたけど、俺はサッとそれを背後に隠して言った。 「苑真に頼んでた、ドイツ限定のお菓子だった!」 その一言だけ言って、俺は冴の返事を待たずに部屋へ入り、素早くドアを閉めた。 もう一度中身を確認し、それが見間違いではないことが分かると、ビニール袋を二重にして口を縛り、さらにゴミ袋で覆ってベランダに置いた。 「……どうしよう……」 こういう時、黒瀬に相談できたらよかったのかもしれない。 けれど、あの花束の一件以来、俺と黒瀬のやり取りは業務連絡程度に留まっている。今さら頼れる関係ではなかった。 頭の中で、可能性を一つずつ潰していく。 俺の私物を盗み、返す。 次は、生徒会メンバーしか入れないはずのフロアに侵入し、物を置く。 カードキーを持っているのは、俺たち四人。もしくは、その複製を持つ親衛隊幹部。 あとは――強いて言えば、苑真のお気に入りの数名。 最初に黒瀬の顔が浮かんだ。けれど、すぐに打ち消す。 いくらなんでも、こんな気持ちの悪いことをする人間じゃない。 俺が笑
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第35話 黒瀬と冴の対峙

「言ってくれないと、俺も対処できない」 そして、少しだけ声の調子を落とす。「……怒らないから。言ってみろ」 命令ではなく、珍しく“頼む”響きだった。 それが、余計にきつかった。 俺は唇を噛み、視線を床に落としたまま、かすれるような声で告げる。「……俺の、写真が入ってた」 冴の気配が、ぴたりと止まる。「笑ってるやつ。勝手に撮られたっぽくて……顔のところにアレが塗りたくられてるっていうか……」「は?」「……だ、だから。一人でシたあとの……やつ。あとは、使い終わった、ティッシュが大量に……」 空気が凍りつく。冴の表情から、感情がすっと消えている。 感情的な激しい怒りよりも、怖いものを見たような気になった。「……分かった」 低く、押し殺した声。「もう、一人で抱え込むな。次に何かあったら、必ず俺に言え」 そう言って、俺の手首を離す。 その瞬間、ようやく気づいた。冴の手が、微かに震えていたことに。 * その日の昼休み、食堂に行く気にはなれなかった。「今日は、玲央と教室で食べる」 そう告げると、冴は一瞬だけ俺の顔を見てから、「……わかった」 と、短く返事をした。 大勢の生徒が集まる場所に、あの“贈り主”がいるかもしれない。 そう考えただけで、胃の奥がひやりと冷えた。 誰なのか。何をしたいのか。 好意なのか、悪意なのか、それとも――そのどちらでもない歪んだ執着なのか。 狙いが分からないことが、いちばん怖かった。意図すら読めない相手ほど、対処のしようがない。 次の授業の準備をしようと、机の中からペンケースを取り出す。 その拍子に、違和感に気づいた。 ――ファイルが、ない。 心臓が嫌な音を立てて跳ねる。 また、盗られた? 一瞬そう思ったけれど、すぐに首を振る。 昨日、生徒会室で使った記憶がある。忘れてきただけかもしれない。 そう自分に言い聞かせながら、生徒会専用フロアへ向かった。 廊下を進み、視聴覚室の前を通り過ぎようとした、その時だった。聞き慣れた声が、扉の向こうから漏れてきた。「……ですから、その件については」 低く、淡々とした口調。思わず足が止まる。「承知しております。後堂様のお考えも理解しているつもりです」 聞き違えるはずがない。黒瀬の声。 意図
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第36話 俺を助けて

放課後も、部屋に戻るまで落ち着かなかった。 また何か置かれているんじゃないか。 ドアを開けた瞬間、見てはいけないものが視界に飛び込んでくるんじゃないか――そんな予感が、ずっと背中に張りついている。 校門をくぐり、生徒会専用フロアへ続く道を、俺は冴と並んで歩いていた。「今週末から、外部へのアピールの一環で月に一度は外出してデートしろって指示が来てる」「……良いけど、どこに行くの?」「それなりに人目があるとこらなら、どこでも良いだろ。三年後の発表に向けて、マスコミに嗅がせるための所詮は偽装デートだ。学園同様に手を繋いで歩いて、どこに行ったか、その日の最後に俺から報告することまで決まってる。……移動には、使用人の車を使っても良いそうだ」「急に言われても行き先が思いつかない……。しかも、これから毎月? 面倒くさ……」 会話に相槌を打ちながらも、意識は常に先を行く足取りと、その先にある自分の部屋のドアに向いている。 フロアの奥が見えてくるにつれて、足が重くなる。 怖くなって、気づけば冴の腕に絡めた指先に、無意識に力が入っていた。「…………」 冴は何も言わず、それに気づくと、俺の手を一度そっと解いた。 一瞬、拒まれたのかと思って心臓が跳ねる。 けれど、次の瞬間には、指先を絡め取られた。 恋人繋ぎ。 指と指の隙間を埋めるみたいに、しっかりと握り返される。 握る力は強くも弱くもなく、ただ「離さない」と主張する確かさがあった。 ――これが、恋人同士の“ふり”だとしても。 本当は、そんなことどうでもよかった。 脳を騙されたままでいい。錯覚でも、演技でもいいから。 今はただ、この手の温度に縋っていたかった。 部屋の前まで来たけれど、ドアノブには何も掛けられて居なかった。少しだけホッとする。 冴には「じゃあ、デートの話はあとで決めようと 」と、形だけは恋人っぽい会話を交わす。 冴はそれに小さく頷いただけで、俺たちは自分の部屋にそれぞれ入った。 ――大丈夫。今日は何もない。 そう思いながら、スイッチに手を伸ばして、照明が点いた瞬間、信じられない光景が広がっていた。 クローゼットの扉は開け放たれ、服も下着も見境なく床に散乱している。棚という棚が引き出され、日用品は無秩序に放り出されていた。バスルームに目をやれば、洗
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第37話 まさかの同居生活

膝を抱えて身を丸める。しばらく沈黙が続いたあと、冴が口を開いた。 「お前の部屋のカードキーを持ってる奴、他にいるのか」 「……黒瀬だけ」 答えた瞬間、空気が目に見えて重くなった。 冴は少し考えるように視線を落とし、それから俺を見る。 「……ちゃんと、黒瀬との関係には区切りをつけてあるのか? 別れ話の縺れとか、そういう可能性は?」 胸の奥が、ひくりと鳴った。 「……付き合ってないよ」 自分でも驚くくらい、はっきり言えた。 冴はその言葉に、わずかに目を見開く。 「黒瀬は……家族同然の、弟みたいな存在だから。付き合ってないし、部屋に呼んだのも業務連絡の時だけ」 冴は腕を組み、低く息を吐いた。 「……でも、お前。キスしたことはあるって言ってなかったか」 「言ってない。“別に平気”とは言ったけど。それを勝手に解釈したの、冴でしょ」 そこまで言い切ると、再び沈黙が落ちた。 冴は、まるで計算が合わなくなった数式を見るような顔で、俺を見つめている。 「……体の関係も?」 顔に熱が集まるのが、はっきり分かった。 「あるわけないじゃん! 未遂っていうか……ていうか、なんでそこまで言わせるの。ほんと、ノンデリ」 視線を逸らしながら吐き捨てる。 言った瞬間、自分で分かってしまった。 これはもう、白状しているのと同じだ。 ファーストキスも、その後の二回目も三回目も―― 全部、冴。 要するに俺は、「冴としか」経験がない。 視線でさっきよりも深く俺を捉えて、やがて冴はぽつりと口を開いた。 「……部屋には、もう戻らなくていい」 「……え?」 意味が分からず、間抜けな声が出る。 冴は気まずそうに視線を逸らし、言葉を探すように少し間を置いてから、低い声で続けた。 「俺の部屋で生活すれば良いだろ」 一瞬、時間が止まったように感じた。 「俺は誰にもカードキーを渡してないし、入られる可能性は、お前の部屋より低い」 淡々とした口調だけれど、どこか慎重だった。 「会長室の部屋だから、一応リビングの他に二部屋ある。……ほとんど使ってない。お前が良ければ、一部屋分けてやる」 あまりにも自然に言うから、逆に現実感が追いつかない。 「……俺のこと、嫌じゃないの?」 思わず、そう聞いていた。 俺が我
last updateПоследнее обновление : 2026-05-03
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第38話 夢のなか

あの男にしては、驚くほど優しい申し出だった。冴なりの、精一杯の譲歩だったのかもしれない。 けれど、たとえ言葉に甘えたとしても、家主である冴を差し置いて主寝室のベッドに潜り込むなんて、そんな不敬が許されるはずもなかった。少なくとも、今の俺には到底できそうにない。 俺はリビングの隅に置かれたソファーの肘掛けにクッションを押し込み、そこに身体を丸める準備を整えた。 上質な革の座面はそれなりに広いけれど、あの冴の恵まれた体格がここに収まる図は、どうしても想像できなかった。それどころか、彼より一回り小さいはずの俺でさえ、足を曲げれば少し窮屈さを感じるほどだ。 閉め切ったドアの向こう、バスルームからシャワーの飛沫が床を叩く音が微かに響いてくる。 降り注ぐその規則的な音を耳にしているうちに、一日中張り詰めていた神経の糸が、一巻きずつ解けていくのが分かった。 冴が戻ってくるまでは起きていようと思っていたはずなのに。 重力を増した瞼が、抗いようもなく落ちてくる。 ソファーの隙間に身体を埋め、体温を逃さないように丸まると、意識がゆっくりと深い場所へ沈み込んでいった。 (やばい……寝落ちしそう……) 今日という一日、自分がどれほど気を張って、どれほど必死に息をしていたのか。 容赦なく襲いくる眠気が、重たい泥のように、その疲れを静かに教えてくる。 遠くで響く水音が止まるのを待たず、俺は心地よい睡魔に身を任せ、そのまま意識を失うように眠りに落ちていた。 * 久しぶりに、夢を見た。 “――うぇぇーん……” 野原の真ん中で、ひとり泣いている。 風が吹けば草だけがざわざわ揺れて、周りには誰もいない。 これはきっと、幼稚園に入る前の記憶。 父さんも母さんも俺に見向きもしないし、兄たちは忙しくて、使用人たちも仕事中。 遊んでもらえる相手が居なくて、いつも家の裏手にある庭で、ひとりで野花を詰んで。 その色ごとに並べたり、組み合わせるような生花の真似事をしていた。 “さみしいよぉ……” ごしごしと袖で涙を拭っていると、ぽんぽんと優しく頭を撫でられる感触があった。 “美森、大丈夫だよ。ほら” この手が、いつも俺を安心させてくれて。大好きだった。 “____くん、ぎゅってして。ひとりぼっちでこわかったの” “美
last updateПоследнее обновление : 2026-05-03
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第39話 【冴視点】過去の記憶

香月美森という存在に、俺が魂の根幹から囚われたのは、十数年前のうららかな春のことだ。 父が自宅で開催した、新製品発表を兼ねたレセプションパーティー。世界的ファッションブランドの看板を背負う我が家の催しには、政財界の重鎮から、メディアを賑わす華やかな芸能関係者まで、眩暈がするほど贅を尽くした顔ぶれが揃っていた。 シャンパングラスが触れ合う高い音と、何十種類もの高級香水が混ざり合った芳香。その「洋」の極致、人工的な美の集積とも言える空間の中で、そこだけ時間が止まったような、ひどく異質な一角があった。 香月家――一家揃って和装を纏ったその一団は、狂騒の中に、凍てつくほどに凛とした静寂を連れてきた。 落ち着いた色味の着物を端正に着こなす両親の傍らで、ひときわ目を引く子供がいた。淡い珊瑚色の着物。陶器のように透き通る白い肌に、その柔らかな色彩が、ある種の残酷さを孕むほど鮮やかに映えていた。「はじめまして。こうづき みもり、です」 鈴を転がすような、清澄な響き。俺は思わず息を呑んだ。子供心に、その瞬間、目の前の存在が本当に自分と同じ「男」なのかと疑ったほどだ。 大人たちの退屈な社交辞令に飽きたのだろう。美森はわずかに頬を膨らませると、蝶が羽ばたくような軽やかさで、するりと色の波を抜けていった。その危ういまでの無防備さに、俺は磁石に引き寄せられる鉄屑のように、無意識に後を追っていた。 喧騒を離れ、静まり返った廊下に出ると、美森はゲスト用の椅子に腰を下ろし、飾られた大きな花瓶を熱心に覗き込んでいた。「……ばら、すたーちす、れざーふぁん、にゅーさいらん」 節のない白い指先で花を数え、一音ずつ確かめるように名前を呟く。その横顔があまりに浮世離れしていて、立ち去ろうと奥の部屋へ吸い寄せられるように歩き出す彼の手首を、俺は反射的に掴んでいた。「……それより、奥はだめ。父さんたちが怒るから」 自分でも驚くほど、ぶっきらぼうで、けれど焦燥を孕んだ必死な声が出た。 急に呼び止められ、振り返った美森は、大きな瞳をいっそう丸くして俺を見上げる。「……じゃあ、べつなとこで、いっしょにあそぼう?」 思考が白濁し、時間が止まった、と思った。 ――可愛い。 それは、海外のトップモデルや日本を代表する女優を間近で見て育った俺にとって、初めて触れる種類の「美」だった。計
last updateПоследнее обновление : 2026-05-04
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第40話 【冴視点】過去の記憶②

俺は吸い寄せられるように歩み寄り、ひどく小刻みに震えるその細い肩に手を置いて、柔らかな髪を撫でた。「みもり、だいじょうぶ? 俺がいるよ。もうなかないで」 隣にしゃがみ込んで視線を合わせると、涙でぐしゃぐしゃになった美森の頬が、俺の手のひらの中にすっぽりと収まった。そのあまりの脆さに、胸が締め付けられる。「……悲しくなくなるおまじない、してあげるね」 それは、子供が思いつく精一杯の気休めだった。けれど、俺が彼の額に「ちょん」と触れるだけの、羽毛のような軽いキスを落とした瞬間。美森の激しい肩の震えが、嘘のようにぴたりと止まった。「……なみだ、とまったぁ……!」「うん。だって、俺がした特別なおまじないだから」「さーくん、すごい! 魔法使いみたいだねっ」「これは俺じゃなきゃできないんだよ」 根拠もなく胸を張る俺に、美森は濡れた睫毛を揺らしながら、こくんと健気に頷いた。「じゃあ……また、かなしくて泣いちゃったら、して……?」 その時だ。胸の奥が、焼けるように熱く、そして苦しく鳴ったのは。 泣いたときも、怖いときも、全部俺のところに来ればいい。他の誰でもなく、俺だけを見ていればいい。 その傲慢な感覚を、当時の俺はまだ純粋な「約束」だと思い込んでいた。けれど今なら、はっきりと理解できる。あれは――歪な独占欲が産声を上げた瞬間だったのだ。 誰に傷つけられても、最後に彼を救い出し、その涙を拭うのは俺でありたい。そんな醜い優越感と支配欲を、俺は「おまじない」という都合のいい皮に包んで、無垢な彼の中に深く埋め込んだ。「さーくんは、ほんとうにやさしいね」 花が綻ぶようにはにかむ彼に、俺は庭の片隅で摘んだ白詰草の指輪を贈った。 小さな手のひらを空にかざし、「見て、きれい」と笑う美森の横顔こそ、この世の何よりも綺麗だと思った。今もなお、瞼の裏に焼き付いて離れてくれない、呪いのような光景だ。「いつか、さーくんのお嫁さんになりたいな!」 男同士では結婚なんてできないんだぞ、と生意気に諭してみても、彼はきょとんとした顔で笑い返す。「でも、ずっとずっとだいすきだったら、それって『けっこん』とおんなじでしょ?」 そんなあどけない、けれどあまりに重い口約束に、俺自身もまた救われていたのだ。 親の愛情という決定的な欠落を、互いの「すき」という体温で埋め合う日
last updateПоследнее обновление : 2026-05-04
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