Alle Kapitel von バ先のダウナー男子に、気付けば毎日溶かされています。: Kapitel 11 – Kapitel 20

46 Kapitel

第11話 肩ズンと唇の距離感

 今日は佐伯と、閉店までを任されるシフトだった。  とりあえず無難に仕事をこなし、最低限の挨拶を交わす。 俺だけがまた何か意地悪をされるんじゃないか、あの帰り際の「ばぶちゃん」発言の続きをからかわれるんじゃないかと身構えていたけれど、佐伯からは特に何もなかった。拍子抜けするほど、彼は「仕事のできるバイト仲間」に徹している。「佐伯くん、小瀧くん。今空いてるから休憩入っちゃって」 「ありがとうございます、休憩入りまーす」 店長の言葉に、俺の胃が少しだけきりりと鳴った。  ぶっちゃけ、休憩なんて入りたくない。  佐伯と二人きりになると、毎回想定外の何かが起こる気がするのだ。  馬車馬のように働くから、俺とこいつを密室に閉じ込めないでください。心の中で、まだ見ぬクレープの神様に懇願する。 従業員用の休憩スペースに向かうと、俺は真っ先にソファに座り込んだ。  黒い合皮で、ところどころ剥げてスポンジがむき出しになっているボロいやつ。  それでも、隣にある薄くて硬いパイプ椅子に座るよりは、数倍マシだった。「お疲れ」 ドアを開けて入ってきたのは、やはり佐伯だった。  俺も「お疲れ……」と小さな声で返し、逃げるようにスマホへ視線を移す。 俺は今、スマホに夢中です。  完璧に自分の世界に入っているんで、話しかけないでくださいねオーラ。 そんな必死のアピールも虚しく、佐伯が当たり前のように俺の隣に腰を下ろした。  ……いや、予備の椅子はいくらでもあるのに、なんで?「あー疲れた、ちょっと休憩……」 戸惑う俺の隙を突くように、佐伯は俺の肩に、自らの頭をぽすんと預けてきた。 一瞬で思考停止。  フリーズした俺の手の中で、スマホの画面だけが虚しく光っている。「えっと……なに」 「いつまでもクレープ作れない赤ちゃんが居るからさ。実質ワンオペで、マジでしんどいわー……」 ぐさり、ぐさり。佐伯の言葉が、自覚のある急所に突き刺さる。  それは紛れもない事実だった。俺は未だに一人で綺麗なクレープを焼けなくて、結局いつも佐伯に主導権を握られている。 言葉は最高にムカつく。けれど、今さら肩を貸すことを拒絶するのも、意識しすぎているようで逆に癪だ。俺は「不本意です」という顔をしながら、石像のように固まった。 バカだの二歳児だの、散々言っておいてこれかよ。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-15
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第12話 キスする時の視界

「……あの、佐伯」 小声で呼んでみたが、返事はない。  その代わりに、佐伯の呼吸がふっと深く、一定のリズムに変わる。(寝落ちしてんの? ……嘘だろ、いくらなんでも、早すぎない?) 肩にかかる重みがさっきより増して、俺は思わず背筋をピンと伸ばした。  佐伯の存在感が、静かな休憩室の中でじわじわと心の奥まで染み込んでくる。 誰かに見られたら、言い逃れできないほど誤解される光景だ。けれど、今日はもう出勤してくるバイトはいない。店長も、よっぽどの用事がない限りこの休憩室には入ってこないはずだ。 体感では五分以上経った気がした。それでも、佐伯が起きる気配は微塵もなかった。「佐伯、そろそろ肩が痛いんだけど……」 当然、返事はない。彼は深い眠りの底に落ちている。  いびきをかかないだけ上品だけど、こんなに爆睡するほど疲れていたのかと思うと、胸の奥に妙な庇護欲のようなものがじわりと湧いてしまう。 相当、疲れてるんだな、とか。  それなのに俺の分まで、文句言いながらも仕事させてたんだな、とか。 少しだけその寝顔を覗き込むように、俺はゆっくりと頭を下げた。  無駄に長い睫毛。整いすぎた肌。  いつもは見下ろされてばかりだけど、こうして無防備に寝ていると、本当に年相応……いや、年下みたいに幼くも見える。 気づけば俺は、反対側の手で、ふに、とその頬に触れていた。(すげー、肌すべすべ。てか白すぎだろ……インドア派なのか? でも、身体は鍛えてるっぽいしな……) ……全然、起きない。  起きてる時にやったら、確実に冷笑されるか殺されるかの二択だろう。  そう思うと余計に止められなくなって、ふにふに、と何度も指先でその柔らかな感触を確かめる。 唇が、ほんの少しだけ乾いている。 「リップくらい塗れよ」と心の中で悪態をつきながら、気づけば俺の顔は、さっきよりずっと近くまで降りていた。 あと数センチ。吐息が触れそうな距離だった。(これがキスをする時の、佐伯の恋人の視界……?) なんて、バカな思考が脳内を掠めた、その瞬間。 線の綺麗な二重瞼が、スローモーションのようにゆっくりと開いた。「……ありがと、小瀧。助かった」 ぎゅんっ、とスポーツカー並みの加速で俺の顔が横に跳ねる。「い、いや……別に……」 声が裏返りそうになるのを必死に抑えて、あらぬ方
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-16
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第13話 間接キスしないで

 もうすぐ二月になる。街は真冬の寒さに凍えているけれど、店内の温度計は夏の温度を指していた。  エアコンと電気ストーブをフル稼働させながら、俺たちは半袖で、今日もひたすらにアイスを売っている。「これ、新作のバレンタインフレーバーね! 試食しといてー」 客の波が途切れた夜、店長が新品のアイスタブを指差した。  バイトだろうが社員だろうが、店員は新作を必ず一度は味見することになっている。 「実体験に基づいた接客」という名目だが、俺にとっては一日の中で最も心待ちにしている至福のひとときだ。「今回は、『好きな人と食べれば恋が叶う』ってジンクスをSNSに流すんだってさ」 先輩の言葉に、隣の佐伯が無表情のまま鼻を鳴らした。「売り方えぐ……」 バイトリーダーらしからぬ冷ややかな一言。あまりの温度差に、俺は思わず吹き出しそうになる。「はい、小瀧」 佐伯が味見用のスプーンを差し出してきた。  受け取ろうと手を伸ばしたが、スプーンは俺の手をすり抜け、そのまま俺の唇へと運ばれる。(あ、これ、自分で食いに来いってこと?) 有無を言わさない視線に気圧され、俺は観念して口を開けた。「……あ、あまっ」 濃厚なチョコの甘みが、舌の上でとろりと広がる。  その余韻に浸る間もなく、佐伯が事もなげに、そのスプーンに残ったアイスを自分の口に運んだ。「……えっ」 「何?」 いや、何?はこっちの台詞だ。「……間接キスだよ、今の」 口に出してから、自分の語彙が小学生レベルであることに気づいて顔から火が出る。  だが佐伯は、ゴミを見るような……いや、それ以上に冷淡な目で俺を見下ろした。「別に。気にする方が自意識過剰。甘いの苦手だし、量もこれで十分」 新記録更新のムカつく顔だ。いつだったか、ネットで見た、半笑いの猫のミームにそっくりだ。  佐伯は空のスプーンをゴミ箱に放り捨て、さっさとアイスの補充へと向かってしまった。 最近の佐伯は、前ほど俺をいじらなくなった気がする。  俺の仕事が人並みにこなせるようになったからか、あるいは、ただ飽きられただけか。  よし、ならば今度は俺がこいつのペースを乱してやる。「ねーねー、ねぇ、佐伯」 無言。俺はバシバシと佐伯の肩を叩く。どうだ、イライラするだろ。「ねぇねぇ、佐伯。さーえーきー、こっち向いて?」 「……なに
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-16
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第14話 ふたりきりの冷凍室

 あの日来、佐伯との間に流れる空気は、どこか奇妙に凪いでいた。 シフトが被っても、かつてのように肩を貸し合うような無防備な隙が生まれることは一度もなかったし、あれほど執拗だったイジワルの頻度も、目に見えてがくんと減った。  バイトが終われば、あいつの方から『お疲れ』という簡潔な四文字が投げられる。ようやく佐伯に一個の人間としての権利を認められたような、対等な関係になれた気がしていた。  それでいて、どこか拍子抜けするような、胸の奥が少しだけチリつくような。 安堵と寂しさが混ざり合った正体不明の感情を、俺はずっと捨てられずに引きずっていた。「小瀧くん、佐伯くん。今月はバレンタイン関連でアイスケーキが動くと思うから、在庫数を正確に確認しといてくれる?」 アイスケースの霜を払っていた手を止めると、副店長の横山さんが柔らかい声で指示を出してきた。その瞬間、条件反射のように俺と佐伯の視線がぶつかる。ほんの一瞬、火花が散るような火照りを感じて、慌てて目を逸らした。  気まずいわけじゃない。 決して気まずくはないのだけれど、俺だけが過去の残像に囚われ、過剰に意識してしまっているこの感じ。 あの日、肩にかかった佐伯の頭の重みや、予期せず耳を打った「好きなタイプ」の話。家まで送ってくれたこと。思い出そうとしなくても、記憶の底からふっと浮上してくる。  しかも、今回の任務は在庫確認。場所はバックヤードのさらに奥、冷凍室。 完全なる密室で、二人きり。 これで緊張するなと言う方が、今の俺には酷な話だった。「はい、これリストね。キャラクターコラボのも何個かあるから、種類を間違えずに確認するようにしてね」 横山さんが差し出したバインダー。俺が手を伸ばすより一瞬早く、佐伯がすん……とした表情のまま通り過ぎ、奪い取るようにリストを攫っていった。「あ、え? あれ……?」 完全に置いていかれ、伸ばした手が空を斬る。困惑する俺を見て、横山さんが楽しそうに口角を上げた。「……嫉妬かな? 寒いと思うから、そこにあるカイロ、貼っていい作業してね」 からかわれているのは佐伯の方なのに、何故だか俺の顔が熱くなる。  「違いますよ!」と心の中で叫びながら、俺は慌てて佐伯の背中を追い、ロッカーから予備のベンチコートをひっ掴んだ。「さ、佐伯。カイロ貼らなくていいの……?」 追いついて手
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-16
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第15話 もっとこっちに寄れば?

「ケーキ……全部で、二十六?」 確認のためメモを見ながら呟くと、すぐ横から、佐伯の顔がすっと近づいてきた。 近い。あまりにも、近い。「……うん。ズレてないな。これでオッケーだと思う」 佐伯は相変わらずの無表情だ。けれど、吐息がかかるほどの至近距離。真っ白な吐息が俺の頬をかすめ、冷気の中に混じっていく。ただ黙々と、俺の持ったバインダーの数字を目視で確認し、それ以上の言葉を続けない。  それが、余計に俺の心をかき乱す。 あの日以来、ずっと影のように付き纏っていた「意識」が、この極寒の密室で最高潮に達しようとしていた。「もう終わったし、早く出よ。寒すぎ」 佐伯が短くそう告げた、その直後だった。 ――ピー、ピピッ。 静寂を切り裂くように、出入り口の電子錠から、聞いたこともない不快な警告音が響いた。「……え?」 慌ててドアノブに手を伸ばし、力任せに引くけれど、扉はびくともしない。まるで壁の一部に同化したかのように、俺たちの退路を断っていた。「いやいや、え、嘘でしょ……? 佐伯、ドア開かないんだけど!」 焦燥感に突き動かされ、体当たりするように押しても引いても、無機質なドアは沈黙を守るばかりだ。佐伯が横から手を伸ばし、ノブの感触を確かめる。「……完全にロックされてる。エラーで電子錠が死んだのかも」 「ちょっ……無理無理無理! これ、本気でやばくない!?」 裏返った声が、狭い空間に反響する。救いを求めてポケットを探り――絶望が指先を掠めた。「スマホ、ロッカーに置いてきた……!」 俺は半狂乱で、分厚い鉄製のドアを何度も拳で叩いた。「横山さーん! 誰か! 開けてくださーい!! 横山さーん……っ!」 しかし、鉄扉の向こう側からは何の反応もない。店頭では今頃、陽気なBGMが流れ、接客に追われているはずだ。防音性の高いこの部屋から漏れる叫びなんて、喧騒にかき消されて届くはずもなかった。「……とりあえず、無駄な体力使うのやめたら?」 パニックに陥る俺をよそに、佐伯はいつも通りの淡々としたトーンで言い放った。そして、流れるような動作でドアの前に座り込む。「いつ出られるか分からないし、叫んでも酸素と体力を浪費するだけじゃん。横山さんが異変に気づくのを待つのが合理的」 その氷のように冷静な理屈に従い、俺も力なく隣に座り込んだ。体育座りで少しでも体温を
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-17
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第16話 もう二度と口を利かない

 モーターの重低音と、無機質に点滅する赤いデジタル表示。 俺はただ、生きたいと思った。  親に感謝を伝えればよかった。弟のプリンを勝手に食べたのを謝ればよかった。あのバンドのライブ、行けばよかった。そんな後悔の濁流が押し寄せる。 そして、隣にいるこの「大嫌いなはずの男」に、まだ何も返せていないことに気づく。「さ、佐伯……」 「なに」 「……俺のこと、嫌いなのに色々教えてくれて、ありがとう。迷惑ばっかかけて、ごめん」 「……急に、縁起でもないこと言わないでくんない」 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、俺は佐伯の体に縋りついた。「……ちゃっかり俺のコートで鼻水拭くなよ」 「だ、だって……佐伯のこと意地悪だから大嫌いだけど、ちゃんとお礼言わないまま死ぬの、絶対嫌だから……ッ!」 「死なない、大丈夫。絶対助かる」 佐伯が呆れたように俺を見つめる。でも、その手はしっかりと俺を抱き留めたままだ。「あ、あともう一個……言わなきゃいけないこと、あって……」 「……まだあんのかよ」 呆れたような佐伯の声。けれど、その響きはどこまでも優しく、俺の不安を溶かしていく。  今夜、このままここで凍えて死ぬのなら、胸の奥にあるものを全部さらけ出しておきたい。  格好悪くても、場違いでも、今のこの瞬間だけは後悔したくないんだ。  告白なんて、二十年の人生で一度もしたことがない。  寒さで麻痺しかけている唇を必死に動かして、俺は核心に触れようとした。  ぎゅう、と凍えて青白くなった手で、佐伯のベンチコートの胸元を、力の限り掴みしめる。「……っ、」  息を呑む気配。それを受け止めて応えるみたいに、佐伯の俺より一回り大きな手のひらが、俺の震える手の上にそっと重なった。  その僅かな温もりが、佐伯の静かな鼓動が、手のひらを通じて伝わってくる。 たまらなくなって、じわじわと涙が瞳の奥からせり上がってきた。「小瀧?」 不思議そうに名前を呼ばれ、俺はゆっくりと顔を上げた。  普段は透き通るように白い佐伯の肌は、刺すような冷気の中でいっそう青白く、まるで氷細工のようだった。  けれど、その鼻先や耳たぶだけが痛々しいほど赤く染まっていて、長い睫毛の先には、凍りついた微かな霜がダイヤモンドの粉みたいに光っている。  その光景に、もう佐伯も俺も、本当にダメにな
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-17
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第17話 優しくして欲しかった

「……あのさ、ずっと前から感じてたから、ハッキリ言うけど」 視界が歪む。止まらない涙が頬を伝い、顎から滴り落ちる。泣くのはダサい、格好悪い。 そう分かっているのに、一度溢れた感情はもう誰にも止められなかった。「佐伯って、なんでそんなに意地悪なの? ……どんだけ俺のこと嫌いなの?」 胸の奥を鋭い爪で掻き毟られたような痛みが、ずっと、ずっと続いている。「他のバイトの人たちには……もっと明るく返事したり、優しく教えたり、褒めたりしてるじゃん! なのに……俺の時だけ、いつもひどいこと言って、からかって。……なんで俺だけなの……?」 ぐすっ、と大きくしゃくり上げるたび、情けなく肩が震えた。「俺だって……本当は……もっと、佐伯に優しくしてほしかったのに……っ」 確かに、俺は要領も悪い。手先だってお世辞にも器用とは言えないし、性格も可愛げがあるとは言いがたい。 けど、それでも。俺はいつだって、佐伯に認めてほしかった。 迷惑をかけている自覚がある分、少しでもあいつの背中に追いつきたくて、慣れない手つきで必死に食らいついてきたんだ。 意地悪を言われても、散々からかわれても、俺なりに一生懸命やってきたつもりだった。 いつか、他のアルバイトの皆にたまにふっと目元を緩めて笑う、あの柔らかな表情を。ほんの一瞬でいいから、俺にも向けてほしい。 そんなささやかで、けれど誰にも打ち明けられないまま抱え込んできた独りよがりの願いが、今はもう、止める術もなく溢れだしていた。「……っ、ふ、うぅ……っ」 ハタチの男が人前で出すべきじゃない、無様なしゃくり上げ。けれど一度決壊した涙腺から溢れる涙は、鼻先を刺すような痛みと一緒に頬を伝い落ちていく。「小瀧」 目の前で俺の号泣を黙って受け止めていた佐伯は、さすがにバツの悪そうな、見たこともないほど動揺した顔をしていた。 いつもの鉄面皮はどこへ行ったのか、その瞳はひどく狼狽えていて、俺を見つめる睫毛が微かに震えている。 あんなに自信満々に俺を振り回していたはずの男が、俺の涙ひとつで、言葉を失くして立ち尽くしていた。 バカみたいだ。本当に、馬鹿みたい。こんな奴に、認められたいなんて願っていた自分。 いつかあいつの隣に立てるようにと、必死に背伸びをしていた自分。あまつさえ、散々弄ばれて、心根の優しさを勝手に期待して、好きに
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-17
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第18話 話しかけてこないで

「小瀧」 出勤して早々、背後から低く、どこか湿り気を帯びた声で名前を呼ばれた。その瞬間、喉の奥がひゅっと鳴った。 けれど、俺は鉄の意志で前を向いたまま、聞こえないフリを貫き通す。 「……ちょっと、話したいんだけど」 「…………」 返事をする代わりに、佐伯の真横をすり抜ける。 鏡で制帽の中に髪が収まっているかを確認すると、俺は逃げるようにバックヤードのドアを押し開け、店頭へと立った。 「おはようございまーす! よろしくお願いします!」 今日は二月十四日、バレンタイン本番。 休日の昼下がりということも相まって、店の外には溢れんばかりのカップルや学生たちが列をなしている。 SNSでの宣伝がバズりすぎたせいだ。「映え」と「恋が叶う」というジンクスのダブル効果を求めた熱狂的な空気に当てられながら、俺は迷いを断ち切るように注文を受け始めた。 ――あの極寒の冷凍庫事件から今日まで、俺はずっと佐伯を無視し続けていた。 店長は『あいつも反省してるし、そろそろ許してあげてよ』なんて気楽なことを言う。ついでに、佐伯も高校生の頃に同じ悪戯をされて、真顔で『え、ガチでおもろくないです』と言い放って空気を北極にしたという、いかにもあいつらしい可愛げのないエピソードまで聞かされたけれど。 俺だってガチでおもろくなかった。一ミリも、これっぽっちも。 「小瀧、謝りたいから。バイト終わったら、少し話せない?」 この戦場のような忙しさの中で、わざわざ隙を見つけて話しかけてくる。その必死さに、佐伯が本気で焦っているのが伝わってきて胸がチクリと痛んだ。 狭いカウンターの中、すれ違いざまに肩が触れそうになる距離で食い下がられても、俺はつーんと横を向き、ケースの中のどのアイスよりも冷たく無視を決め込む。 話す時間がないわけじゃない。本当は、向き合ってその顔をまともに見てしまったら。 あの日、極限状態で言いかけた「好き」という感情が、また制御不能になって溢れ出してしまうのが、ただ怖いだけだった。 「お待たせしました。ストロベリーチョコレート味です、どうぞ!」 必死に営業スマイルを作ってお客さんにアイスを渡しながら、視界の端で佐伯を盗み見る。 俺と話すのがこれ以上は無理だと悟ったのか、佐伯は諦めたように、でもどこか暗い目をしながらレジの
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-18
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第19話 隠せない苛立ち

しかも、佐伯はあろうことか。 「困るんで。……アイスだけでお願いしますね」 なんて、普段のあいつからは想像もできないほどソフトなトーンで断り、ふっと目尻を緩ませたのだ。 (……なんなんだよ、その顔。) 俺には一度だって向けられたことのない「お客様用」の穏やかな微笑み。 あの極寒の密室で、逃げ場のない距離で。匂いも吐息も、心臓の音さえも、これでもかってくらい俺に叩きつけてきたくせに。俺はそれに振り回されて、勝手に自爆して、勝手にボロボロになったのに。 なんで今、その優しさを、赤の他人に無料で配って歩いてるんだよ。 「……お待たせしました。クレープでお待ちの四番の方ー」 女子たちが佐伯を見て「顔面強すぎ」「死ぬ」と盛り上がるたびに、胸のど真ん中をぎゅううっと万力で締め付けられるように痛む。 これが「嫉妬」だなんて、口が裂けても認めたくない。そもそも、俺に嫉妬する権利なんかない。俺はあいつの恋人でもなんでもない、ただのバイト仲間だ。 それでも自分一人でイライラして、馬鹿みたいにモヤモヤして。その言葉以外、この焦げ付くような不快感に当てはまる名前が見つからなかった。 俺にばっかり意地悪して。俺にだけ、あんな温度の狂った距離感で接して。俺の情緒だけを、ぐちゃぐちゃにしてくるくせに。 バイト仲間ですらない誰かに、あんなにスマートに、綺麗に笑いかけている姿を見るのはつらい。 悔しくて、情けなくて、喉の奥に熱い塊がじわじわと溜まっていく。 ステンレスの什器に映る自分の情けない顔を見ないように、俺はただ無心にディッシャーを回し続ける。 (俺にも、ちょっとは優しくしろよ。……バカ) そんな風に、心の中で、あの日と同じ「届かない言葉」を小さく呟いた。 *** バイトが終わり、やり場のないモヤモヤを抱えたまま更衣室で着替えを済ませる。 エプロンを畳む指先にも苛立ちが滲み、大学のテキストや飲みかけのペットボトルでごちゃついたリュックの底に、それを乱暴に押し込んだ。勤怠の「退勤」をタップした、その時だ。 「小瀧」 店鍵のチェックを終えたらしい佐伯が、背後から声をかけてきた。 「……話しかけんなって言ってんじゃん」 反射的に跳ね除けたけれど、声が微かに震えて裏返ってしまった。案の定、佐伯はその動揺を見逃さない。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-18
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第20話 仲直りのいちごクレープ

「――っ、」 熱い鉄に触れたみたいにぱっと手を離し、リュックを背負うと、バンッ!とロッカーを叩きつけるように閉める。 「お疲れ様でした! それでは、ごきげんよう!」 逃げようとした手首を、佐伯の大きな手が強く掴んだ。 「ちょ、何!? マジで謝罪とか要らないから、離してよ!」 「……いい加減、しんどくない? その態度」 静かな、けれど有無を言わせぬトーン。本気で俺との仲を憂いているような、そんな切実な目を向けられ、脆い涙腺がじわりと熱を帯びる。けれど、俺はあえて自分を尖らせた。 「自分が意地悪したくせに、される側になったら許してなんて、都合良すぎるだろ……っ!」 叫んだ瞬間に後悔が押し寄せる。こんな喧嘩を続けたいわけじゃない。俺だってそろそろ折れたい。仲直りして、いつもみたいに笑い合いたいのに。 天邪鬼の角が、どうしても、どうしても抜けてくれないんだ。 「……小瀧さ。苺、好きだよね?」 「……は? 苺? 好きだけど、何の関係があるの?」 あまりに脈絡のない質問に、拍子抜けして問い返す。佐伯は無言のまま、従業員用の冷蔵庫を静かに開けた。 中から取り出されたのは、丁寧にラッピングされた持ち帰り用のクレープ。それを、俺の目の前に差し出してきた。 「……あげる」 「え……?」 いつもの刺すような冷たさじゃない。ほんの少しだけ熱を帯びた、甘い声だった。 クレープと佐伯の顔を交互に見つめ、俺が当惑して受け取れずにいると、佐伯は促すように言葉を重ねた。 「小瀧スペシャル。俺が焼いたから、味は保証する」 なんだそれ。こいつ、こんな変なこと言う奴だったっけ? 毒気が抜かれた俺は、怪しんでじろりと見上げる。 「……何それ。これで、俺の機嫌を取ろうって魂胆?」 「カスタード、生クリーム、苺とチョコ。あとはブラウニー。……全部、お前の好きなものだろ」 佐伯は、照れを隠すようにわずかに目を伏せて言った。 それは間違いなく、俺がクレープの練習中に「いつかこれを全部載せて食べたい」と溢していた、最強のトッピング全部載せだった。 おずおずと手を伸ばし、袋の上から綺麗に詰まったトッピングを見つめる。 すると、耳を疑うような言葉が降ってきた。 「俺からの、バレンタイン。……受け取れよ」 一
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-04-18
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