All Chapters of バ先のダウナー男子に、気付けば毎日溶かされています。: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話 対決と決着

 後日、俺と佐伯、橋本くん、そして……高橋の四人で、バイト終わりに個室の居酒屋に来ていた。暖簾をくぐって席に着いた瞬間から、場の空気は嫌な重さをまとっている。あまりにもおかしな組み合わせだ。 しかも俺と佐伯はともかく、向かい側に座った橋本くんは、まるで今から処刑でも宣告されるのかってくらい顔が真っ青で、その隣にいる高橋は「いやほんと、なんでこのメンバー?」と全身で訴えていた。 店員が手際よくお通しを並べていき、キンキンに冷えたビールや炭酸が運ばれてくる。けど誰も手を伸ばさない。グラスは光を反射しているだけで、完全に置物だ。 張り詰めた沈黙の中、箸を置く音ですら爆音に聞こえそうなほどだった。  その空気を割ったのは、高橋だった。「と、とりあえず……お疲れ?」 ぎこちない笑顔。明るくしようとしてくれてるのはわかる。でも正直、無理だ。橋本くんが俺の真正面で小さくなり、視線を泳がせているし、俺の隣では佐伯が相変わらずの無表情で腕を組んで、まるで全員を射抜くかのように目をすっと細めている。「単刀直入に言うんだけど」 佐伯が低く、冷静な声で言った。  テーブルに片手で頬杖をつきながら、もう片方の指で高橋を指す。ゆっくりと、狙いを定めるように。 指された高橋は「は?」という顔で目を丸くしたが、佐伯は容赦なく続ける。「……お前、小瀧のこと好きだよね?」 その場に落ちた言葉は、ほとんど爆音だった。  冗談でも脅しでもなく、ただの事実確認みたいなトーンなのが逆に怖い。 そ、そーいう切り口で行く感じ!? と俺が佐伯を見ると、高橋はみるみる顔を赤くし、まるで熱湯でもかぶったみたいに慌てて否定し始める。「いやいや、何? 急に……! てか、俺は別に……」「好きじゃん? 南緒のこと。入社した時から」 佐伯の目は真っ直ぐで、ぶつけるように鋭いのに、そこに揺らぎは一切ない。  高橋の隣で橋本くんが、音を立てないように肩を震わせているのがわかる。「……お、俺は……その……」「はっきり言うけど、小瀧、俺と付き合ってるから」 きっぱりと言い放たれたその言葉に、高橋の口元が片側だけ引き攣って、うまく笑おうとして失敗したみたいになった。  俺はもう居た堪れなくて、テーブルの影に逃げ込むように視線を落とす。「……そんで、橋本のことだけどな」 佐伯の視線が、ゆっく
last updateLast Updated : 2026-05-04
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第52話 仲直りのその後に

「高橋がどう受け取るかはお前次第だけどな。橋本なりにこうやって謝ってるし、お前にちゃんと真正面から向き合いたいって俺には言ってきた。……あとは二人で話し合えよ。俺と小瀧が首突っ込む話じゃねーから」 つき放しているようで、そうじゃない。 佐伯の声には、二人に道を選ばせるための距離感があった。「……最後にもう一つ、言っとくわ。あれで俺と南緒が別れてたら、高橋にもチャンス回ってくるってことにまで頭回せよ、橋本。 そーゆーとこが、詰め甘い。頭悪い。あとそのぶりっ子キャラやめたら?」 めちゃくちゃ、辛辣。でも、佐伯なりに橋本くんを想っての言葉……だと信じたい。 甘やかしでもなく、無関心でもない。不器用な優しさって、こういう形なんだろう。「……帰る。あとはお前らでなんとかしろよ」 佐伯は二人分の札をテーブルに置き、立ち上がった。 そして泣きじゃくる橋本くんにタオルハンカチを差し出している俺の肩を、当然のように抱いて個室を出ていった。 扉が閉まる瞬間まで、空気は重く、けれどどこか決着を求めていた。 *** 地獄の審判みたいな、あの緊張で胃がひっくり返りそうだった話し合いの後。 しばらくして、橋本くんとは何度かシフトが重なったけれど、高橋とは一度も会わなかった。 そんな中で、橋本くんと俺は、きちんと向き合って仲直りをした。 橋本くんは、これまでの振る舞いをぽつぽつと丁寧に謝ってくれた。涙をこらえながら、時々言葉を詰まらせて。 そして俺も、自分の胸の奥に隠していた本音――橋本くんに向けてしまった醜い嫉妬や、心の中で勝手に軽んじていたこと――全部打ち明けて頭を下げた。 言った瞬間は恥ずかしさで死ぬかと思ったけど、でもそのおかげで胸のどこかがふっと軽くなった。 腹の探り合いみたいな気配も、胸の奥に沈んでいたもやもやも、気がつけば少しずつ溶けてなくなっていた。 そして、あれからしばらく経ったある日のバイト終わり。 更衣室で、橋本くんがそっと声を落として報告してきた。「あの……大夢くんに、ちゃんと好きだって伝えたんです……」 蚊が話してるのかなってくらい小さな声。でも、その名前を呼ぶ声音だけは、ひどく愛おしそうだった。 かつては自信満々で、何をしていても余裕を漂わせていた橋本くんが、今は胸の前で手をぎゅっと握りしめながら、
last updateLast Updated : 2026-05-04
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第53話 恋人と一緒に過ごす日々

あのー、ちょっといいですか? 誰か俺に休憩時間を与えてください。本当に。マジで。 今日の店、完全に修羅場。もはや戦場なんですけど。 あり得ないくらい地獄みたいに忙しい。 連休キッズと中高生の群れが、わんこそば方式で朝昼夕ずっと押し寄せてくる。 さっきからドアベルの「チリン♪」が恐怖の合図にしか聞こえない。視界の端では、店の外にもレジ前にも長蛇の列。 高橋も橋本も顔が死んでるし、俺のHPはもう赤ゲージ。「いらっしゃいませー! メニューをご覧になってお待ちくださーい!」 声だけは元気っぽく出るのが、逆に悲しい。「小瀧、俺クレープ行くから注文入れる?」 「ん、おっけー」 厨房の方から佐伯の声が飛んでくる。 その声が聞こえただけで、肩の力が少し抜ける自分がいるのが悔しいような、なんというか複雑な気持ちだ。 でも――最近はこの忙しさすら、ちょっと好きになりはじめていた。 というのも、俺と佐伯の呼吸が、仕事中も妙に合うようになってきたからだ。 別に「阿吽の呼吸」なんて立派なもんじゃない。 けど、俺が混雑で半分パニクりそうになった瞬間、「小瀧はそっち」 みたいな感じで、スッと佐伯がフォローに入ってくれる。 その動きがあまりに自然で、最初から決めていたみたいなレベル。 逆に佐伯が突然“無言のスピード重視モード”に入る瞬間もある。 背中だけでわかる、あの「今は喋る余裕ない」って空気。 そうなると俺は俺で、何故か足が勝手に動く。焦りじゃなくて、「よーし、やったるわ」 って謎のスイッチが入る。 恋人としてだけじゃなく、完全に“バ先の相棒”になれてる感じ。 ……いや、相棒なんて言ったら調子乗ってるか。 本当は全部、佐伯が俺の動きを読んで合わせてくれてるだけって、分かってる。 それでも嬉しいもんは嬉しい。 ふと視線を向けると、クレープ台の向こうで佐伯が手を動かしながらちらっと俺を見てきた。 口元がほんの少し笑ってるように見える。多分仕事モードの無表情の延長なんだろうけど、俺には“大丈夫?”って聞かれてるみたいに見えてしまう。「次、クレープの15番入りまーす」 「了解」 さっきまで地獄だったのに、佐伯の声が聞こえると一瞬だけ空気が軽くなる。 その軽さを胸の奥で噛みしめながら、俺はまたレジに向き
last updateLast Updated : 2026-05-05
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第54話 サプライズ大作戦

だって、佐伯の家にはふっかふかになる乾燥機も、ルンバも居るんだもん。やることなくね? でも――家では佐伯は本当に優しくて甘い。 まるで別人みたいにスキンシップが多い。 バ先では、仲間にも店長にもスーパーバイザーにも、ナチュラル通り魔みたいに言葉でグサグサ刺していくくせに。 ご飯作ってると後ろから抱きついてきて「手際悪すぎ」とか言うのに離れなくて、 一緒に風呂入れば、俺の顎を掴んで後ろを向かされてキスして……そのまま、そのまますることもまぁ、何回かあった。片手じゃ足りないけど。 告白、初デート、初エッチ。 嫉妬で気持ちをぶつけ合ったあの出来事以来、俺たちは完全に“蜜月モード”に突入していた。 佐伯に触れられるたびに、溺れるみたいに安心して……そして、どんどん欲張りになっていく。 俺たちのおうちデートは、いつも静かで甘くて、じわじわ熱くて。 これ以上ないくらい、毎日が幸せだった。 * 夜の十時を少し過ぎた頃だった。 ヘトヘトの体でバ先からダッシュ帰宅した俺は、玄関で靴を蹴り飛ばすように脱ぎ捨て、そのままリビングへ向かった。 さっき佐伯に“南緒、今日 泊まってく?”と言われた瞬間、胸がギュッとなった。 泊まりたいに決まってる。でも――「きょ、今日はちょっと……課題? があって……いや、洗濯? いや、あの……」 自分でも何を言ったのか覚えてないくらいしどろもどろで、意味不明な言い訳をして逃げてきた。 だって、そのまま泊まったらサプライズできない。 案の定、佐伯は微妙にムッとした顔をしていた。 でも俺は、その不機嫌な横顔を心の中でニヤニヤ眺めながら見送り、「ごめん佐伯、俺は今、超重大な作戦の真っ最中なんだ……!」と心の中で土下座しつつ帰宅した。 家に着くと、そっと冷蔵庫の扉を開ける。「ふふ、美味しそ〜♪」 思わず声が漏れた。俺が日中に手作りした“佐伯の誕生日ケーキ”がそこに鎮座している。 丸一日、いや試作含めたら一ヶ月かけて作った渾身の一台。 「お前、料理もスイーツも才能ねぇよ」と散々バカにしてきた男が、この出来を見てどんな顔をするのか……想像しただけでワクワクする。 泣いたらどうしよう。絶対ないけど。 初めての、恋人の誕生日だ。 これまで料理なんか全然しなかったのに、佐伯のためだと自然にやり
last updateLast Updated : 2026-05-05
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第55話 まさかのハプニング

玄関で、持ち物の最終チェックをする。「スマホ……鍵……PASMO……ケーキ……よし!」 これから俺は人生初の――“彼氏の誕生日サプライズ♡突撃訪問”を敢行する。 佐伯の驚いた顔が見たい。喜んでくれたら嬉しい。 驚くだけでもいいし、呆れられても怒られてもいい。 とにかく、俺がしたことに反応してくれたらそれだけでいい。 そう思ったら体が勝手に動いていた。 俺はルンルン気分で、バカみたいに浮かれながら玄関のドアを勢いよく閉めた。 * 佐伯の家の最寄り駅で電車を降りた瞬間、胸の高鳴りも歩幅も自然と弾んだ。「十一時……うん、余裕で間に合う」 声が緩む。ケーキは少し重い。しかし、それすら嬉しい。 今日、この重さを佐伯に渡せると思うと足取りは軽くなる。 その瞬間だった。 ポケットの中でスマホが震えた。画面には“佐伯 澄人”の文字。 え……なんで今? エスパー? でも出るしかない。「もしもし? 澄人?」『――お前、今どこに居るの? 外?』 背筋がゾクリとした。なぜ分かった? 風の音? 足音?「え、あ、うん。コンビニ。アイス買いに……来た、とこ」 自分でも情けなくなる浅い嘘。でも他に言い訳が浮かばない。『……ふーん』 低くて温度のない声。 恋人になっても、こういう時だけは未だに何を考えてるのか読めない。「あ、あのさ、なんか用だったの?」 そう言いながら細い道に入り、小さな階段を下りようとした――その時だった。 ほんの一瞬、つま先が段差に引っかかった。「あっ」 視界がふわっと傾き、そのままスローモーションで地面に落ちていく。 ケーキの箱が宙に浮き、スマホが手から抜けた。 ――――ドンッ!! 鈍い衝撃と共に、膝に鋭い痛みが走る。 スマホは道路の真ん中で派手に跳ね、通話画面が虚しく光っていた。「いったぁ……うわ、血……!」 オフホワイトのワイドパンツにじわっと血が滲む。 やばい。これ、やばい。 そしてもっと最悪なのは――道路脇に転がるケーキの箱。 角は潰れ、汚れている。中身がどうなっているかなんて見なくても分かる。 終わった……。 その時、スマホから佐伯の声が聞こえた。『南緒? おい、聞こえてる?』 呼ばれる声に慌ててスマホへ手を伸ばす。 膝はズキズキする。でも、それより
last updateLast Updated : 2026-05-06
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第56話 もうこんなこと、しないから

「お前、何でスマホの電源切って……って、はぁ? 何これ、どういう状況……」 廊下の奥から走ってくる佐伯は、スマホ片手で、部屋着に上着を雑にひっかけただけ。 前も閉めてなくて、その慌てぶりと焦りがそのまま露わになっていた。額にかかった髪も乱れていて、普段の完璧さとは程遠い。 俺は、なんとか明るい空気を装おうとして、ぐしゃっと笑ってケーキの箱を見せる。「さ、さぷら〜〜〜いず……!」 しかし、佐伯の眉間の皺は一ミリも緩まない。むしろ深くなった。「……いや、スマホのGPS動いてたから分かってたし。マジで何してんの? お前」 ……へ? GPS? なにそれ、どういうこと? 俺のプライバシーってどこ行ったの? 慌ててスマホを取り出そうとした瞬間、 ああ、そうだ。さっき落として、画面が死んだんだった。 黒く沈んだスマホ、破けかけて血がついたズボン、そしてケーキの箱。全部を順に見てから、佐伯は気の沈んだようなため息をついた。「お、お誕生日サプライズに来ました」 もう言い訳も、隠しきる気力もない。 てへっ、なんて誤魔化すつもりだったのに、痛みと気まずさで頬が引きつるだけだった。 立っているだけで情けなさに泣けてくる。「とりあえず……手当。ほら、掴まれ」「ま、待って。まだ歩けない……ぶっちゃけ結構痛いから」「あー、めんどくさ。肩じゃなくて首んとこ掴めって言ってんの」 その瞬間、思考が止まった。 次に気づいたときには、体がふわっと浮き上がっていた。 佐伯が、俺を、お姫様抱っこしている。「え、ちょ、ちょっと……!」 恥ずかしい。何これ。恥ずかし過ぎて死ぬんだけど。 ケーキの箱を抱え直す俺の腕の下で、佐伯の腕がしっかり支えてくれる。「落とすよ? ちゃんと掴まって」 その佐伯なりの愛情を感じる行動に、じわり、と涙がこみあげてきて、恥ずかしくて顔を佐伯の首筋に埋めた。 そこから伝わる体温がやけに熱くて、心臓がばくばくとうるさい。 佐伯は何も言わない。 ただ、玄関のドアを乱暴に開けた。鍵もかけずに飛び出してきたんだって分かって、それだけで胸がまた苦しくなった。 ベッドにそっと下ろされ、佐伯が俺の右足首を支える。 ズボンの裾がまくり上げられると、膝のあたりの赤黒い痣と傷口が露わになった。「……っ」 視界が揺れた。血
last updateLast Updated : 2026-05-06
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第57話 お前にあげたかった、手作りのケーキ

強すぎず、弱すぎず、泣く俺を包む腕。「……ホント、バカ可愛い。これで俺が『ありがとう、嬉しい』って喜ぶと思ったの?」「99%ないって思ったけど……ちょっとだけ……っ」 佐伯の鎖骨に額が触れる。 その場所から伝わる熱が、涙の温度と混ざり合っていく。 ゆっくり、丁寧に、髪を撫でられた。 それだけで、また泣きそうになる。「まぁ南緒がやりたいなら、と思って黙って放置してたけど。 ……夜遅くに出歩くのはもうやめて。分かった?」 低く、でもどこか震えてる声。 俺の怪我を見て心底怖かったんだって、言わなくても伝わる。 呼吸がひゅっと鳴り、俺は鼻をすすりながら箱を指差した。「ほんとは……これ……じゃーんって見せたかった……うまくできたから……」 佐伯は箱を開け、中身を見て、ほんの一瞬だけ目を大きく見開いた。「……出来たってことは、これ手作りなの?」「うん」「……買ったんじゃなくて?」 呆れでも怒りでもなく、ただ、静かに驚いていた。 そのまま、しばらく沈黙。佐伯の視線は床の方へ落ちていて、口元を硬く結んでいる。 やっぱ、重いかな。 ていうか、箱からしてグチャグチャだし、どう受け取ったらいいのか困ってるのかも。 俺は佐伯の思考を読めずに、あれこれ考えを巡らせる。 でも、嬉しい、怒ってる、面倒くさい……どれもないような表情をしている。 一度だけ溜息をついて、佐伯は俺の方を見ないまま、静かに呟くように言った。 「……こんなんされて、どうしたらいいの、俺」 ほんの息みたいな声だった。 低いのに震えてるような、いつもの佐伯とはまるで違うトーンで。 耳の奥で残響して、心臓が一瞬きゅっと止まる。 え、待って。 “嬉しい”って言ってくれるはずの場面で、なんでそんな声出すの。 怖くなって、俺は涙の名残でくしゃっとした目を上げた。「澄人?」 佐伯の表情は真剣で、ぎゅっと眉が寄っていた。 喜ぶでも呆れるでもなく、返ってきたのは、この一ヶ月で俺が予想もしなかった言葉だった。 「こんな尽くされてさ……いつか南緒が離れて行ったら、俺、耐えらんないんだけど」 ――息が止まった。 なんで、なんでそうなる? なんで喜ぶはずの場面で、佐伯は「終わり」を想像しているのか分からない。 俺は焦った。「離れるわけ
last updateLast Updated : 2026-05-07
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第58話 生まれて来てくれて、ありがとう

初めて見るその弱々しい姿に、俺も驚きと戸惑いを隠せなくて、心の中では大パニックだった。 どうしよう、俺、泣かせちゃった。喜んで欲しかったのに。 佐伯の過去に、家族に、どんな辛いことがあったんだろう。 触れたら壊れてしまいそうなくらい、今は佐伯が脆く見えた。 我慢できずに俺はぎゅっと背中に腕を回して、抱きしめる。 俺より大きなその背中を、ぽん、ぽん、と落ち着かせるようにゆっくり叩く。「澄人、大好きだよ。お誕生日おめでとう。……これからも、俺がずっとお祝いしてあげる」 言葉では表せないほど、深い愛情が俺と佐伯の間にあった。 勝手に溢れそうになるこの気持ちを、どんな言葉を使っても伝えきれない。 佐伯は体をそっと離すと、俺の手のひらに唇を寄せ、頬を擦り寄せて静かにキスをした。 その掌を頬に触れさせ、じっと見つめあう。 流れるようにそのまま抱きしめ、俺の肩口に顔を寄せると、その吐息は小さく震えていた。「……ごめん、もっと安心させて」 そう言うと、佐伯は俺の服の裾をそっと捲り、お腹のあたりに唇を寄せた。 膝の傷を労わりながら、優しく、ゆっくりとベッドに押し倒す。「す、澄人……? どうしたの……?」 動揺を隠せないまま、静かに見守る。その行為は、求めるとか触れるとかではなく、ただお腹や胸に顔を埋めて、安心するために、匂いや体温を確かめるようなものだった。 俺はそっと佐伯の髪をくしゃっと撫で、ゆっくりと包み込む。 なんだろう、子供が親に甘えたい時に、背中から抱きついたり、抱っこで甘えるような、そういうのに似ている気がする。 軽いキスはしたけれど、その後も佐伯が求めたのはセックスではなく、心の奥があたたかく満たされるようなスキンシップだった。「澄人、大好き。いちばん大事だよ」「…………俺も」 いつも、俺ばかりが言葉にしていて。 いつも、佐伯はそれに黙って相槌やキスで返事をするのに。 その短い言葉だけで、お互いの存在を深く感じ、愛していることを確認できたような気がした。 * 翌朝。 まぶたをゆっくり上げると、ぼんやりした視界の先に、佐伯の背中があった。 まだ早い時間なのに、すでに起きていて、ベッドから少し離れたローテーブルの前に座り、静かにスマホを構えている。 その画面にはカメラモード。 一瞬で眠気が吹き飛
last updateLast Updated : 2026-05-07
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第59話 【佐伯視点】小さい頃の記憶

【side:佐伯澄人】 人生は、つまらない。 面白さも刺激もなく、ただ終わりの見えない作業のように続くだけだ。 暇潰しにしては長すぎるし、意味を求めるほど価値もない。 惰性で呼吸して、惰性で時間が過ぎていく。 生きているというより、“止まらず流れているだけ”というほうが近かった。 俺は両親の仕事の都合で、海外で生まれた。 物心つく前から、俺はやけに静かな子どもだったらしい。 「泣かない」「笑わない」「手がかからない」。 人間としての必須機能の、いくつかが最初から欠けていた。『すみとー、ママとパパだよ。にこにこ~して?』 実際、表情はほとんど動かなかった。 周囲の状況に心が揺れることもなく、ただ淡々と見ているだけ。 欲しいものもなく、怖いものもなく、嬉しいと感じる理由もなかった。 そのかわり、頭だけは勝手に成長していったらしい。 情緒の分のスペースを埋めるように、言葉を覚えるのは他の子より早かった。 文字もすぐ読めたし、計算も苦労した記憶がない。『絵本より図鑑が好きみたい オモチャも遊ばないのよ』 周りは「賢い」「天才だ」なんて騒いでいたけど、俺にとってはどうでもよかった。 褒められても、けなされても、どっちでも同じだった。 ひとつだけ分かっていたのは、 自分は他の子どもと“似ていない”という事実。 それが優れているとか劣っているとか、そういう意味じゃなく、ただ単純に―― 俺は周囲と同じ世界の色を見ていない、そういう種類の違いだった。 そもそも、周りの子どもがやっているような遊びが、どうしようもなくつまらなかった。 鬼ごっこも、かくれんぼも、積み木もおままごとも、すべてが幼稚で、意味のない行為に見えた。『澄人くんと遊んでも つまんない』 なぜあんなにも必死になって走り回り、意味もなく笑い、些細なことで泣いたり怒ったりするのか。 理解できなかったし、理解しようとも思わなかった。 泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり。 そんな感情を些細なことで爆発させる人間たちが、正直、鬱陶しかった。 制御できない衝動に振り回されているようで、滑稽ですらあった。 * そんな俺を見かねたのか、単に異物として恐ろしくなったのか、両親は次第に、あらゆる“専門家”の前へ俺を連れていくようになった。『先生、どうすればこの子は
last updateLast Updated : 2026-05-08
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第60話 【佐伯視点】摩擦の減らし方

俺は、「できるのが当然」という前提で扱われるようになった。 テストで満点を取っても、スポーツで賞を取っても、 新しい分野に放り込まれて即座に結果を出しても、反応は同じだった。 『あなたなら出来て当然よ。始めからパパもママも信じてた』 驚きも、感動も、賞賛もない。 ただの既定事項として処理されるだけ。 それが、俺の“普通”として固定された。 どれほど優秀でも、どれだけ突出しても、 それは評価の対象にはならない。 期待を越えたところで、基準が勝手に引き上げられるだけだった。 満たすべきラインは常に上書きされ、永遠に届かない位置へ移動し続けた。 『今日も遅くなる 飯は外で食べる』 父はそのうち、露骨に俺へ興味を失った。 仕事に逃げ、家庭から距離を取り、 「出来のいい息子」は、見栄えのいい妻と同じく、 自分の価値を飾るための“トロフィー”に過ぎなかった。 異国での長い孤独な子育て。 言葉も文化も異なる環境で、たった一人で俺を抱えた母は、 ただでさえ扱いに困る「普通ではない息子」に、確実に消耗していった。 『ママを困らせたくて、わざとそうしてるんでしょ』 何度も繰り返されたその言葉は、呪いというより通知に近かった。 『あんたのせい。あんたが産まれてきて、あたしの人生を台無しにしたのよ』 事実の提示。俺はそのたび、機嫌を取るための最適解を探した。 「ごめんなさい ママ、大好きだよ」 必死、という概念さえ当時の俺には曖昧だったが、とにかくそう言えばいいのだと学習した。 それが唯一の正解に見えた。 結果として――俺が五歳の誕生日の夜、母はベランダから身を投げた。 葬儀の最中、父は涙すら見せずに言い放った。 『心が弱い人間は、いずれこうなるんだ。覚えておけ』 その言葉の意味を理解しようとも思わなかった。 ただ、教会に置かれた棺のなかで、白い百合に囲まれて眠る母の顔だけが静止画のように脳裏に焼き付いた。 それ以外の記憶は、ほとんど残っていない。 母がどんなふうに笑っていたのか。 どんな声で、どんな表情で俺の名前を呼んでいたのか。 今となっては、何ひとつ思い出せない。 * 皮肉なことに、その二年後――父の仕事の異動で日本へ帰国することになった。 悪い冗談み
last updateLast Updated : 2026-05-08
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