私の素性が知れた以上、六本木のマンションに住み続けることは出来なかった。 今となっては霧島の面影が残るこの部屋にも未練はなく、オフィスも引き払い、結城の屋敷に戻ることにした。 最後に一度だけ部屋を見回した。 薔薇の花束を飾っていた花瓶は空のまま、キッチンには二人が使ったコーヒーカップがまだ並んでいる。私はそれを冷たい指で触れ、静かに息を吐いた。「もう、いいわ」 荷物はほとんどなく、必要なものはすでに卯月が運び出していた。 私は鍵をテーブルに置き、ドアを閉めた。カチャリという小さな音が、まるで過去を断ち切る合図のように響いた。 黒いセダンがマンションの車寄せで待っていた。後部座席に乗り込むと、卯月がルームミラー越しに静かに尋ねた。「お嬢様、よろしいですか?」 私は窓の外に広がる夜の街並みを眺め、短く答えた。「ええ。もうここには用はないわ」 車が動き出す。六本木のネオンが後ろに流れていく。霧島との甘い記憶も、裏切りの痛みも、すべてこの街に置いていく。 結城の屋敷に着くと、白檀の香りが私を迎えた。お祖父様は書斎で葉巻をくゆらせながら、静かに頷いた。「よく帰ってきたな、美穂子」 私は深く頭を下げ、はっきりと言った。「はい。これからはよろしくお願いいたします」「屋敷も賑やかになる......のぉ、卯月」 卯月が私の後ろに控え、静かに頭を下げる。◇◇◇ 私は”例の件”でお祖父様に呼ばれた。「美穂子、黒崎組の裏金ルートをマスコミに流したのはお前じゃな?」 その表情は険しく、私は叱責される幼子のように正座で縮こまった。畳の冷たさが膝に染みる。「……申し訳ありません」 お祖父様は大きなため息をひとつ吐くと、葉巻を灰皿に押しつけた。「報復はまだじゃと言う取ったのに……とんだじゃじゃ馬じゃな」 苦笑いがその口元に浮かぶ。厳しい目はそのままに、どこか楽しげな響きが混じっていた。私は畳に視線を落としたまま、静かに答えた。「お祖父様のお言葉は重々承知しております。でも……卯月が撃たれた傷を見た瞬間、私の中で何かが切れてしまいました。あの連中に、何もさせたくなかった」 お祖父様はゆっくりと頷き、ウイスキーのグラスを手に取った。氷がカチリと乾いた音を立てる。「気持ちはわかる。だが、結城の跡目として動くなら、もっと冷たく、もっと深く考えろ。
Última actualización : 2026-04-13 Leer más