私は今、窓口で200万円を越える大口現金取引の対応をしている。400万円……私の銀行員としての年収を遥かに上回る額で、指先が震え手に汗が滲んだ。札束の重みが掌にずっしりと伝わり、息を潜めながら一枚一枚丁寧に数える。顧客の視線が背中に刺さるように感じ、ミスは許されない緊張が全身を支配する。こんな大金を日常的に扱う世界があるなんて、入行した頃は想像もしていなかった。「こちらの申込用紙にお名前、ご住所、連絡先と……あと……、なんでしたっけ?」 隣の同僚に聞いても素っ気ない態度で「係長にでも聞いてくれば?」と顎でしゃくった。私は慌てて立ち上がり、椅子は大きな音を立てて床に倒れた。クスクスと失笑が頭上から降ってくる。私は同僚にウケが宜しくない。葛城株式会社社長夫人という肩書も、ここではただの新入り扱い。一人の私を妬み、要するに虐められている。大人のイジメは陰湿だ。誰も表立って敵対しないのに、視線と小さな仕草でじわじわと追い詰めてくる。400万円の札束を前に震えていた指が、今度は恥ずかしさで熱くなった。「運転免許証かマイナンバーカード……パスポートでも結構ですので、お顔が確認出来るものを」 男性はマイナンバーカードを差し出した。卯月真広、30歳。夫の忠則と同い年なのに、どこか落ち着いた大人の色気がある。いや……ただ単にマザコンの忠則がいつまでもガキっぽいだけなのかもしれない。「ご職業は?」「会社員だ」 端正な顔立ちに深く澄んだ湖のような声色が重なる。思わず聞き惚れてしまい、頷くのが遅れた。「失礼ですがご利用目的をお伺いしても宜しいですか?」「売買……」「はい?」 卯月様は一瞬視線を逸らし、すぐに「自動車を購入する」と訂正された。声が少し上ずっている。400万円もの現金を車購入のためだけに持ち歩くものだろうか。ちょっと怪しい。胸の奥に小さな棘のような違和感が刺さった。「ありがとうございます」 100万円の入った封筒がカウンターに山積みになる。次々と積み重なる札束の山が、まるで私を嘲笑うようにそびえ立つ。彼は持参したアタッシュケースを開くと、ぞんざいに札束を掴んで放り込み、ガチャンと蓋を閉めた。金属の音が静かな窓口に響き、周囲の視線が一瞬こちらに集まる。私は精一杯の笑顔を作ったが、脇の下には汗が滲んでいた。早くここから立ち去って欲しいと心から願った。
最終更新日 : 2026-04-12 続きを読む