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60 챕터

雨上がりの朝

黒崎組と結城組の舎弟たちが殴り合う混乱の中、卯月は右肩を押さえながら私を支えて車まで歩く。血がシャツを真っ赤に染め、顔色が悪いのに、卯月はいつもの冷静な笑みを浮かべる。私は声を震わせ、卯月を見上げた。「馬鹿…! 私のために無理するんじゃないって言ったのに…!」「……お嬢様が無事なら、それで......」その言葉を最後に卯月は意識を失い、私の背中に彼の温かな重みを感じた。けれどそれは徐々に熱を失い、顔色は青白く変わる。私は卯月を抱きかかえるように車に押し込み、運転席の若い衆に向かって叫んだ。「屋敷に急いで! 医者を呼んで!」◇◇◇屋敷の卯月の私室は、薄暗く静かだった。畳敷に障子から雨の音が聞こえてくる。卯月は布団の上に身を横たえ、眉間にうっすらと皺を寄せている。医者が応急処置を終え、「熱が出るかもしれませんが、命に別状はありません。安静に」と去った後、私は舎弟たちを全員下がらせた。部屋に残ったのは、雨の音と、二人の息遣いだけ。私は救急箱を手に、ベッドの傍に膝をついた。包帯に血が滲んでいる。「服、脱いで。……私がやるから」卯月がわずかに眉を寄せる。「……お嬢様、それは」「黙って! あなたが私のせいで撃たれたのよ? 責任、取らせてちょうだい」私の声は強がっていたが、指先は小さく震えていた。ゆっくりと卯月のシャツのボタンを外し、右肩を露わにする。新しい銃創が赤く腫れ、古い傷跡がいくつも刻まれているのを間近で見て、胸が締めつけられた。消毒液を染み込ませたガーゼで傷口を丁寧に拭う。卯月が小さく息を漏らした。額に汗が浮かび、微熱が上がり始めている。「……痛い?」「痛くはありません。ただ……お嬢様の指が、熱い」私は顔を上げ、卯月の目を見つめた。「熱いのは、あなたの方よ……バカ」新しい包帯を巻きながら、私は自然と卯月の左手を握っていた。離したくなくて、ぎゅっと力を込める。「……怖かったわ。本当に、怖かった。あなたがいなくなったら、私……どうすればいいの?」卯月が熱で潤んだ目で、私を見下ろした。普段は抑え込んでいる感情が、わずかに溢れ出している。「……私はお嬢様の影です。いつでも、どこにでも。お嬢様が望む限り、傍にいます」私は我慢できなくなって、卯月の胸——傷を避けた左側に額を押しつけた。体温が伝わってくる。心
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子を産め

私が卯月の部屋で一夜を過ごしたという噂は、すでに舎弟たちの間に広まっていた。朝の廊下を歩くだけで、気まずそうに目を逸らす者、深々とお辞儀をする者、微妙な空気が流れていた。誰も何も言わないのに、視線と沈黙がすべてを物語っている。ダイニングで遅めの朝食をとっていると、若い舎弟が緊張した面持ちで近づいてきた。「お嬢様……奥の座敷でお祖父様がお呼びです」「……あぁ、もうお耳に入ったのね」私は箸を置き、頬が赤らむのを抑えきれなかった。呼吸が浅くなるのを抑えようと、深く息を吸い込む。胸の鼓動がうるさい。昨夜、卯月の傷を手当てし、朝までそばにいただけなのに、屋敷全体がまるで私と卯月が一夜を共にしたように噂している。私は立ち上がり、深呼吸をもう一度してから、ゆっくりと奥の座敷へと向かった。白檀の香りが濃く漂う廊下を歩きながら、私は自分の頰の熱を意識した。お祖父様は葉巻をくゆらせ、厳しい目で私を待っていた。私は正座し、静かに頭を下げた。「……お呼びでしょうか、お祖父様」お祖父様は煙をゆっくり吐き出し、低い声で言った。「美穂子、卯月と一夜を過ごしたそうだな」私は顔を上げられず、ただ小さく頷いた。座敷に重い沈黙が落ち、白檀の煙がゆらゆらと揺れる。私は頰の熱を抑えながら、心の中で静かに思った。これは、ただの看病だった。でも、もう誰も信じてくれない。お祖父様の次の言葉を、私は息を詰めて待った。「美穂子、これで卯月と添い遂げる気になったか?」「……え?」私は一瞬、言葉を失った。あぁ、そうだった。お祖父様は霧島の一件があり、素性の知れない男より、身内から婿を取るように勧めていた。その相手が卯月だった。その当時は、卯月はただの部下でしかなく、結婚相手と言われてもピンと来なかった。忠実で、静かで、いつも私の影にいる存在。それ以上でも以下でもないと思っていた。でも今は違う。昨夜、血を流しながらも私を守ろうとした卯月。傷だらけの肩で、龍也の銃口の前に立った彼。そして、朝まで私のそばで静かに息をしていた温もり。私は頰が熱くなるのを感じ、視線を畳に落とした。お祖父様は葉巻の煙をゆっくり吐き出し、静かに続けた。「卯月は結城の人間だ。お前の血を汚さず、跡目を守れる。……それに、お前ももう、卯月をただの部下とは見ていないようだな」私は指
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朝の抱擁

朝食の盆を両手に丁寧に持って、卯月の私室の前で立ち止まった。味噌汁の椀に映る自分の頰が、ふんわりと綻んでいる。昨夜、卯月の胸に顔を埋めて過ごした余韻が、まだ体中に甘く残っていた。心臓が少し速い。頰が熱い。「卯月、入るわよ」軽く声をかけ、障子を滑らせるように開けた。卯月は布団から身を起こそうとして、右肩に走った痛みに顔を顰めた。眉間に深い皺が寄り、唇がきつく引き結ばれる。「あぁ、待って! 私が支えるから!」慌てて盆を近くの小机に置き、卯月の背中にそっと手を回した。その瞬間、指先が熱を帯びた広い背中に触れた。……虎。背中に大きく広がる虎の刺青が、朝の柔らかな光の中で息をしていた。墨の濃淡が作り出す力強い筋肉の起伏の上を、牙を剥き、目を吊り上げた猛虎が咆哮を上げている。一筆一筆が生きているかのように躍動し、肩から腰にかけての曲線が、まるで本物の虎が今にも飛びかかろうとしているようだった。その美しさに、思わず息を飲んだ。「……っ」無意識のうちに、指がその虎の輪郭をなぞっていた。墨の盛り上がった部分を、ゆっくりと、優しく。「…………アッ」卯月が、喉の奥から絞り出すような艶かしい声を漏らした。普段の冷静で低く抑えた声とは違う、甘く溶けるような響き。肩が小さく震える。「ご、ごめん! くすぐったかった?」慌てて指を離し、取り繕うように笑った。でも心の中では、昨夜の記憶と今の感触が混じり合って、胸が熱くざわついていた。卯月は右肩を撃たれて以来、両腕の自由がほとんど利かない。左腕だけを少し動かせる程度で、右肩はまだ激痛が残っているはずだ。私は自然と匙を手に取り、温かいお粥をすくって彼の口元に差し出した。「あーん」卯月が一瞬、目を丸くした。「……お嬢様」「文句言わないの。今日は私が看病してあげるって決めたんだから」彼は素直に口を開け、お粥をゆっくりと飲み込んだ。喉が動く様子が、なんだか無防備で愛おしい。「美味しい?」「……は、はい。とても」声が少し掠れている。熱のせいか、それとも私の指がさっき触れたせいか。もう一口運びながら、私はお祖父様から聞いた言葉を、わざと軽い調子で告げた。「そういえば、お祖父様がね。『祝言は早い方が良い』って仰ってたわ」「ブホッ!」卯月が盛大に咽せ、目を白黒させた。お粥が少し
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黒崎からの書状

かつて葛城株式会社のマネーロンダリングに利用されていた、帝都建設が湾岸プロジェクトに大きく関与することが判明した。「美穂子、復讐するか?見過ごすか?」私は即答した。「葛城の家に関わったものは全て排除します」お祖父様は葉巻の煙をゆっくり吐き出し、わずかに目を細めた。「ほう……随分と冷たい判断だな」私は畳に視線を落とさず、静かに続けた。「葛城株式会社がマネーロンダリングに利用していた帝都建設が、湾岸プロジェクトに深く関わっている以上、見過ごす理由はありません。あの家で味わった屈辱も、忠則の弱さも、菊乃さんの陰湿な仕打ちも……すべて、葛城の残滓として消し去ります」卯月は書斎のモニターを凝視しながら、最安値で帝都建設の株を買い占め始めた。指先がキーボードを素早く叩く音が、静かな部屋に響く。「お嬢様、現在帝都建設の株は急落しています。黒崎組の影が露呈した影響です。このまま買い進めれば、明日中には10%を超える保有比率になります」私は彼の隣に立ち、画面を見つめながら低く言った。「さらに買い増して。帝都建設の取締役を送り込み、内部からすべて暴く。葛城の名前が付いたものは、表も裏も残さず潰す」卯月は一瞬手を止め、私を横目で見た。その瞳には、忠誠と、わずかな熱が宿っている。「……お嬢様の復讐は、静かで容赦ないですね」「また、それ?」私は小さく微笑んだ。笑みは冷たく、しかし確かに燃えていた。「そうよ。葛城家で私を踏みにじった者たちに、甘い顔はしない」お祖父様がグラスを回しながら、満足げに頷いた。「良い心構えだ。だが、急ぐな。帝都建設を潰すのは、湾岸プロジェクトを手中に収めてからだ」白檀の香りが漂う書斎で、私は静かに息を吐いた。葛城の残党を排除する。黒崎組を追い詰める。そして、結城の血として、この街の闇を塗り替える。そこで若頭が奥座敷に一通の書状を手に頭を下げた。「親父、黒崎組の遣いが持ってきました」それは私宛てで、黒崎龍也からのものだった。「ランチのお誘いぃ?」あんぐりと開いた口が塞がらない。お祖父様は目を細め、葉巻の煙をゆっくり吐き出した。「黒崎の坊主、よほどお前を気に入ったようだな」背後に控える卯月から、鬼気迫る気配が立ち上った。空気が一瞬で張りつめ、温度が下がるのがはっきりとわかった。私は書状を開き、中の短い
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蒼穹亭①

「蒼穹亭」は眺望の良い高台にある高級料亭だった。 高台に構えるその料亭までは、車一台がやっと通れるほどの細い石畳の道。いざという時に逃げられない場所だ。黒いセダンが玉砂利を踏んでゆっくりと停まる。後部座席に座った私は、思わず息を呑んだ。卯月が周囲の気配を鋭く伺いながら、恭しくドアを開ける。私は豪奢な刺繍が施された鼻緒の草履をそっと石畳に下ろした。草履の底が小石を踏む乾いた音が、静かな高台に響く。料亭の表門には、すでに黒崎組の舎弟たちがずらりと並び、深々と頭を下げて腰を低くしていた。彼らの視線は一斉に私に向けられ、敵意と好奇が入り混じった重い空気が漂う。私は背筋を伸ばし、ゆっくりと門をくぐった。卯月が私のすぐ後ろに付き従う。右肩の傷はまだ完治していないはずなのに、彼の足取りは一切乱れない。門を抜けると、黒崎龍也が悠然と立っていた。今日も焦茶のサングラスをかけ、口元に冷たい笑みを浮かべている。「ようこそ、美穂子。よく来てくれた」その声は優雅だが、底に潜む闇がはっきりと感じられた。私は彼の目をまっすぐに見据え、静かに言った。「ランチのお誘い、ありがたくお受けしました。黒崎龍也……総長」龍也の笑みがわずかに深くなる。「今日はゆっくり話そう。湾岸プロジェクトのこと、そして……君と私の、これからのことについて」高台から見下ろす景色は美しく、しかしその美しさは、今の私にはただの冷たい舞台装置にしか見えなかった。私は草履の音を響かせながら、一歩踏み出した。この料亭は、逃げ場のない場所。だからこそ、私はここで、龍也の真意を暴き、黒崎組に一撃を加えるつもりだった。卯月の気配が背中にあり、私は静かに息を整えた。料亭「蒼穹亭」の個室は、静かすぎて息苦しいほどだった。黒崎龍也は向かいの席にゆったりと腰を下ろし、漆黒の着物姿で私を見つめている。サングラスは外していたが、その瞳は冷たく、獲物を値踏みするような光を湛えていた。私は正座したまま、背筋を伸ばして彼と向かい合った。畳の冷たさが膝に染みる。「ようこそ、美穂子。よく来てくれた」龍也の声は低く、穏やかだが、底に潜む圧力が部屋全体を支配している。テーブルに並んだ懐石料理の湯気が、静かに立ち上る。私は箸に手を伸ばさず、静かに切り出した。「ランチのお誘い、ありがとうございます。
last update최신 업데이트 : 2026-04-23
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蒼穹亭②

龍也は言葉を続けた。「黒崎と結城が兄弟の契りを交わす……最強の布陣になるとは思わないか?」私は静かに首を振った。「それは、湾岸全体を黒崎の縄張りにするためじゃないの?」龍也はうっすらと挑発的な笑みを浮かべ、私の背後に控える卯月をちらりと見た。「聞き捨てならないな。俺たちが夫婦になれば共同資産になるじゃないか」私は深く息を吸い、龍也の目をまっすぐに見据えた。「それはできない相談ね。私、卯月と婚約したの」一瞬、部屋の空気が凍りついた。龍也は「はっ!」と嘲るように短く笑い、卯月を一瞥した。「結城の跡目の連れ合いが犬か!」その声には明らかな侮蔑と、抑えきれない苛立ちが混じっていた。私は背筋を伸ばし、静かに、しかしはっきりと言った。「犬でも何でも構わないわ。少なくとも卯月は、私を裏切らない。あなたのように、甘い言葉で近づいて、裏で銃を突きつけるような真似はしない」龍也の笑みが消え、冷たい眼光が私を射抜いた。「面白い……本当に面白い。結城の跡目が、忠犬を選ぶとはな」彼はゆっくりと盃を置き、身を乗り出した。声のトーンが一段低くなる。「だが、美穂子。お前はまだわかっていないようだ。結城と黒崎が結べば、この湾岸は我々のものになる。プロジェクトも、資金も、すべてだ。お前がその鍵を握っている」私は龍也の視線を受け止め、冷たく微笑んだ。「鍵なら、壊してしまえばいいわ。湾岸プロジェクトも、黒崎の野望も……私が全部潰す」龍也の目が危険な光を帯び、部屋の空気がさらに重くなった。卯月が私の背後で、静かに一歩前に出た。二人の視線が交錯し、張りつめた緊張が頂点に達する。私は胸の奥で静かに燃える炎を感じながら、龍也に向かって言った。「ランチのお誘い、ありがとう。でも、もう十分よ。次に会うときは、もっと血なまぐさい場所になるかもしれないわね」龍也はゆっくりと立ち上がり、冷たい笑みを浮かべたまま答えた。「楽しみだ。結城美穂子……お前を俺のものにする日を、楽しみにしている」個室の空気が、火薬のように張りつめていた。私たちの一発触発の危険なランチは、庭の鹿威しが「カコーン……」と響く音と共に、ようやく終わりを告げた。東日本を二分する結城組と黒崎組が手を結ぶことなど、最初からあり得なかった。龍也は席を立ち、私の全身をゆっくりと見下ろしながら、薄く笑っ
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婚約の報告

「お祖父様、ただいま戻りました」白檀の香りが濃く漂う奥座敷で、私は三つ指をついて頭を下げた。廊下の古い板が軋む音が、まだ耳に残っている。お祖父様は葉巻を灰皿に押しつけ、深く安堵の息を吐いた。目尻の深い皺が少し緩む。「無事じゃったか……よかった」私はゆっくりと顔を上げ、静かに報告を始めた。「黒崎龍也は、予想通り湾岸プロジェクトの話を切り出してきました。帝都建設の裏金を使っての入札妨害が、彼らの主な目的だったようです」「ほう……」お祖父様の目が鋭く細まる。私は言葉を選びながら続けた。「そして……私も手に入れたい、結城と手を組みたいと仰いましたので、丁寧にお断りしました」「ふむ」短い相槌の後、私は少し間を置いて、最後の言葉を告げた。「私は、卯月と婚約したと伝えました」瞬間、お祖父様の硬い表情が一気に崩れた。テーブルに身を乗り出し、珍しく大きな声を出した。「そうか! ついに決めたのか!」私は頰が熱くなるのを感じ、視線を少し逸らした。背後に控えていた卯月を見やると、彼もまた神妙な面持ちで小さく頷いていた。耳の後ろまで熱が上がるのが自分でもわかる。お祖父様は満足げに笑い、グラスを手に取った。「ようやく決心したか。卯月、お前も本望だろう」卯月は深く頭を下げ、声を低く抑えながら答えた。「はい……お嬢様のお心が決まるなら、私はこの身を捧げてお仕えいたします」部屋に白檀の香りが重く立ち込める中、私は指先を強く絡めた。婚約という言葉が、現実の重みを持って胸に落ちてきた。霧島の裏切り、龍也の冷たい視線、卯月の血に染まった肩——すべてが、私をここまで突き動かした。お祖父様は葉巻を再びくわえ、満足そうに煙を吐いた。「良い返事だ。式はできるだけ早く挙げろ。黒崎の坊主が動き出す前に、結城の血を固めておかねばならん」私は小さく頷きながら、心の中で静かに繰り返した。結城美穂子として、私はもう後戻りはできない。卯月の温かい存在が、そっと私の背中を支えてくれている。この選択が、どのような未来を連れてくるのか——私はまだ、恐れと期待を胸に抱いたままだった。 「......そこでお祖父様、湾岸プロジェクトの件ですが......」「おお、そうじゃった。浮かれている場合ではないな」卯月がまとめた分厚い報告書を静かにめくった。黒崎組の妨害工作
last update최신 업데이트 : 2026-04-24
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表と裏

私は書斎のモニターを見つめ、静かに息を吐いた。結城組――いや、表の顔である結城興業は、帝都建設の株を13%まで買い占めていた。これで株主総会での発言権を確実に手に入れたことになる。卯月が隣で低く報告する。「お嬢様、帝都建設の取締役会に圧力をかける準備は整いました。政治家や役人とのパイプを繋ぐために、必要な『黒い金』もすでに用意してあります」私はゆっくりと頷いた。「政治家には十分にばらまきなさい。黒崎組が帝都建設を通じて湾岸プロジェクトを牛耳ろうとしている以上、こちらも同じ土俵で戦う。表の顔は綺麗に保ちながら、裏で確実に締め上げる」お祖父様は葉巻の煙を吐きながら、満足げに目を細めた。「美穂子……お前は本当に冷たくなったな」私は静かに微笑んだ。笑みは冷たく、しかし確かに燃えていた。「葛城家で味わった屈辱を、ただ忘れるわけにはいきません。帝都建設は、黒崎組の牙を折るための最初の駒です」窓の外に広がる夜の街を見下ろしながら、私は心の中で誓った。黒崎龍也、あなたが私を欲するなら、私はその欲望ごと、あなたのすべてを潰す。株主総会での一手が、静かに、しかし確実に動き始めていた。私の逆襲は、着実に加速している。政治家たちは、私が取引の場に現れると、必ず侮蔑の眼差しを向けてきた。「小娘が来たか……」そんな視線が会議室の空気を淀ませる。私は静かに微笑み、アタッシュケースをテーブルの上に置いた。蓋を開け、中から薄いファイルを抜き出す。「山本議員、去年の夏、銀座の会員制クラブで未成年の女性と三人で……楽しかったそうですね。奥様はまだご存じないんでしょう?」山本議員の顔から血の気が引いた。隣の佐藤代議士には、さらに重い一撃を。「佐藤先生、公共事業の受注見返りに、黒崎組のフロント企業から現金を受け取った記録がここにあります。五百万円……領収書も綺麗に揃っていますよ」佐藤代議士は額に脂汗を浮かべ、唇を震わせた。私はもう一人の若手議員に向き、静かに囁いた。「そして田中先生……お子様の留学費用として、闇ルートから三千万円が流れていたそうですね。税務署に知られたら、ただでは済みませんわ」三人の政治家は一様に顔面蒼白となり、膝を突いた。侮蔑の眼差しは完全に消え、代わりに恐怖と懇願の色だけが残る。私はファイルを閉じ、冷ややかに言った。「これでわ
last update최신 업데이트 : 2026-04-25
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祝言

白檀の香りが濃く立ち込める結城の屋敷は、朝から静かにざわめいていた。私は純白の打掛に身を包み、長い黒髪を優しく結い上げられていた。鏡に映る自分は、まるで別人のように凛としていた。数年前、葛城の屋敷で縮こまっていた小娘の面影は、もうどこにもない。「お嬢様……とてもお美しいです」卯月が後ろから静かに言った。彼もまた、黒の紋付袴に身を包み、いつもの冷静な表情の中に、わずかな緊張と喜びを浮かべている。私は鏡越しに彼の目を見つめ、そっと微笑んだ。「卯月……本当に、私でいいの?」彼は私の肩にそっと手を置き、熱のこもった声で答えた。「私は最初から、お嬢様だけを想って生きてきました。この日を、どれだけ待ち望んだか……」式は屋敷の奥にある神前で行われた。白い幔幕が風に揺れ、厳かな琴の音が響く中、私は卯月と並んで神前に進んだ。三三九度の杯を交わすとき、卯月の指がわずかに震えているのがわかった。私は彼の手をそっと握り返した。熱い。確かな温もり。杯を重ねるたび、私の胸にさまざまな思いが去来した。葛城家での屈辱、霧島の裏切り、龍也の冷たい視線、そして卯月が流した血……。すべてを乗り越えて、今、私はここにいる。杯の儀式が終わると、お祖父様が静かに声を上げた。「これより、結城美穂子は卯月と夫婦となる」舎弟たちが一斉に頭を垂れ、深く祝福の言葉を述べる。祝言の宴は静かで、しかし重厚だった。白檀の香りと、庭の鹿威しの音が、二人を優しく包み込む。夜が更け、客が去った後の屋敷は、静けさに包まれていた。卯月は私の手をそっと握り、指を優しく絡めてきた。その掌は温かく、少し硬い。長年、私を守り続けてきた手の感触だった。「これからは、ただの部下ではなく……あなたの夫として、傍にいます」彼の声は低く、穏やかだった。いつも私を影のように支えてくれた声が、今は少しだけ震えている。私は彼の胸にそっと寄りかかり、初めて心から安らぐ吐息を零した。白い打掛の袖が畳に広がり、ランプの柔らかな灯りが二人の影を長く、優しく伸ばす。「ありがとう、卯月……これからも、ずっと一緒に」卯月は私の背中に腕を回し、そっと抱きしめた。力は強くなく、けれど確かで温かい。傷ついた肩の包帯が、かすかに触れる。「美穂子様……お嬢様……」「二人だけの時は、美穂子でいいわ」「.
last update최신 업데이트 : 2026-04-26
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卯月と歩む道

これまでは別々の食卓で食事をしていたが、これからは卯月も結城の屋敷のダイニングテーブルを囲むことになった。朝食はご飯、わかめと豆腐の味噌汁、塩ジャケ、きゅうりの生酢だった。シンプルで、どこか家庭的な献立。卯月は緊張の面持ちで座り、箸を持つ手がぎこちない。いつも冷静で影のように控えている彼が、こんなに固くなっている姿が新鮮で、少し可笑しかった。お祖父様が湯飲み茶碗を手に、意味深な笑みを浮かべて言った。「昨夜はよく眠れたか?」卯月は耳まで真っ赤になり、慌ててきゅうりの生酢を口に運んだ拍子にむせてしまった。咳き込む彼の背中を、私はそっとさすった。お祖父様は意地悪く目を細め、さらに追い打ちをかける。「子は早い方がいい。頼むぞ、卯月」私は思わず味噌汁を吹き出し、慌てて口元を押さえた。卯月はますます赤くなり、箸を置いて深く頭を下げた。「……お祖父様、お言葉ですが……」私は頰が熱いのを抑えきれず、そっと卯月の袖を引いた。これから毎朝、このようなやり取りを目にするのかと思うと、胸がくすぐったいような、照れくさいような、不思議な気持ちになった。白檀の香りが漂う朝のダイニングで、私は静かに微笑んだ。卯月が、そっと私の手に自分の指を重ねてくる。その温もりが、朝の光の中でとても優しく感じられた。 これが、私たちの新しい朝の始まりだった。私たちはシマの見回りと、卯月との婚姻挨拶を兼ねて、結城組の事務所を回った。黒いセダンの窓に流れる景色は、いつもと違って見えた。街並みが少し柔らかく、朝の光が優しく感じられる。これが結婚したということか……。私は左の薬指に光るプラチナのエンゲージリングを、そっと指でなぞった。シンプルで、けれど重みのあるリングは、まだ自分のものだという実感が薄い。卯月が運転席から静かに言った。「お嬢様……いや、美穂子。緊張していますか?」私は小さく微笑み、ルームミラー越しに彼の目を見つめた。「少しね。でも、嬉しい気持ちの方が大きいわ」最初の事務所は、港近くの物流倉庫を兼ねた建物だった。表向きは「結城運輸」の営業所。働いている社員のほとんどはカタギの人間だ。彼らは自分が働いている会社が、結城組の表の顔であることを知らないか、薄々察している程度だろう。事務所に入ると、所長をはじめ社員たちが一斉に立ち上がり、深々と
last update최신 업데이트 : 2026-04-27
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