一ノ瀬澄佳(いちのせ すみか)は、仕立てのいいスーツに身を包んだ藤森雅彦(ふじもり まさひこ)と腕を組み、得意げな笑みを浮かべて会場ロビーへ入ってきた。会場脇のラウンジの前を通りかかったとき、澄佳は隅のソファに座っている俺をすぐに見つけた。俺の名は遠野謹也(とおの きんや)。今日は、ようやく仕事を空けて息子と過ごすはずだった一日だ。それなのに親父から、富豪ランキングサミットに顔だけ出してこいと押しつけられた。妻はまだ出張先から戻っていない。仕方なく、俺は息子の遠野勇太(とおの ゆうた)を連れて会場に寄り、開会後に少し顔を出したらすぐ帰るつもりで、ラウンジで時間をつぶしていた。息子を抱いていても負担にならないよう、今日は柔らかい生地の服を選んだ。俺はカイエンのキーを指先で転がしながら、腕の中の勇太をあやしていた。けれど澄佳の目には、俺がただの使用人にでも見えたらしい。地味な服を着た運転手が、雇い主の子どもまで押しつけられている――そんなふうに決めつけたのだろう。澄佳は足早にこちらへ来ると、俺を上から下まで眺め、鼻で笑った。「謹也。まさか今は、運転手をやっているの?そのうえ子守まで押しつけられて……ずいぶん落ちたものね。私と別れたら、あなたって本当に何も残らない人だったのね」彼女はわざとらしくため息をついた。「あの時、私が与えたチャンスを無駄にしなければ、今ごろ私の隣にいたのは、あなただったかもしれないのに」澄佳は隣に立つ雅彦の手を、これ見よがしに握りしめた。「でも、おかげで分かったわ。私をちゃんと大事にしてくれる人は、あなたじゃなかったんだって」雅彦は澄佳をかばうように肩を抱き、余裕ぶった笑みを浮かべた。「今の彼を見れば、後悔しているのは明らかだろう。せっかく澄佳の隣に立てる機会を、自分から捨てたんだ。まあ、自分で選んだ結果だ。今さら同情する気にもならないな」雅彦は通りかかった会場スタッフを呼び止めた。「今日は名のある方々ばかりが招かれているんだ。なぜ、こんな素性の知れない男を中に入れた?万が一のことがあったら、君たちで責任を取れるのか。運転手か何か知らないが、早く外へ出してくれ」俺の服は一見すると地味だが、どれもイタリアの一流職人が俺のためだけに仕立てたものだった。この二
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