市川咲和(いちかわ さわ)は秘書の案内で、市川将暉(いちかわ まさき)のオフィスに向かった。結婚して2年になるが、彼の会社を訪れるのは今日が初めてだった。「社長はまだ会議中ですので、こちらで少々お待ちいただけますか?」秘書はそう言いながら、温かいお茶を出してくれた。「ありがとうございます」と咲和は礼を言ってソファーに腰を下ろす。オフィスには、窓から明るい光が差し込んでいた。灰色と白を基調としたシンプルかつ上品な空間で、いかにも将暉の好みという感じがした。秘書もそっと咲和の様子をうかがっていた。見たところまだ若く、ゆるくカールした長い髪が肩にやわらかく流れている。真ん中で分けられた前髪は、軽くカーブを描きながら耳元に自然に落ちていて、どこか大人しい、控えめで素直な雰囲気をまとっていた。派手さはないが、清楚で透明感のある美しさで、口数も多くない。秘書は、咲和が将暉の妻であるという事実がまだ信じられなかった。いつも冷静で誰にも心を開かず、人とは一定の距離を保つ将暉が、まさか結婚していたとは。将暉が誰かに優しく接する姿など、想像もつかなかったのだ。廊下の騒がしさが、秘書を現実に引き戻す。「会議が終わったようです」秘書は、慌ただしく言った。「少々お待ちください。様子を見てまいりますので」咲和は、秘書が向かったドアの先へと視線を向けた。ドアの方に背の高い男が現れる。誰かと議論をしているようで、少し首をかしげていた。逆光の中に浮かぶ彫りの深い横顔から、彼が真剣に仕事に打ち込んでいることが分かる。そんな彼の隣にいたのは……その華やかな笑顔を目にした瞬間、咲和の体は凍りつき、自然と立ち上がっていた。将暉もソファーの前に立つ咲和に気づくと、少しだけ表情を強張らせ、眉間に皺を寄せた。「なんでここにいるんだ?」将暉と話していた女性も、咲和を見て固まる。咲和は笑顔を作り、将暉を見ると、手に持っていた封筒を差し出した。「これ……」「あなたのお母さ……」と言いかけたが、「お義母さんから預かってきたの」と言い換えた。将暉の母は、咲和が家で「暇をしている」のが気に入らないらしい。それに、咲和もそんな姑と一緒の空間にいるのが嫌だったので、外出する丁度いい口実が見つかったと、書類を届けにきたのだった。将暉がそれを受け
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