翌日。仕事は、思っていたより慌ただしかった。外来の合間に資料を確認しようと思っていたのに、午前中はほとんど座る時間もなかった。患者さんの説明。紹介状の確認。看護師さんからの相談。一つ終わると、すぐ次が来る。そうしているうちに、優の資料も。綾瀬先生の言葉も。考えなければいけないはずの返事も。一度、頭の奥へ押し込まれていった。それは、少しだけ助かった。考え始めると、また胸が落ち着かなくなる。付き合ってよ、俺と。その声が、ふとした瞬間に耳の奥で蘇る。先生に惹かれている。それは事実だ。でも、優との距離を断つために先生と付き合うような形にはしたくない。その考えだけが、朝からずっと胸の中で行ったり来たりしていた。夕方。ようやく最後の確認を終え、白衣のポケットからスマートフォンを取り出した時だった。画面が震えた。表示された名前を見て、思わず息が止まる。直くん。二番目の兄、直哉だった。胸の奥が、ぱっと明るくなる。真哉お兄ちゃんの名前を聞いた時とは違う。身体の力が少し抜けるような、懐かしい安心感。直くんは、あの息苦しい家の中で唯一、私が心を許せた人だった。父の機嫌が悪い日も。母が黙り込んで家の空気が冷たくなった日も。直くんだけは、私の隣に座ってくれた。何かを解決してくれるわけではない。でも、私の味方でいてくれる人だった。私はすぐに通話を押した。『もしもし』『綾香?』少し低くて、少し早口の声。昔から変わらない。忙しい時でも、私に話す時だけ声が少し柔らかくなる。『直くん』自分の声が、思ったより嬉しそうに響いた。電話の向こうで、直くんが少し笑う。『なんか、久しぶりにその声聞いた』『こっちこそ』『ごめん、最近ちゃんと連絡できてなくて』『ううん。忙しいでしょ』『忙しいけど、それを理由にしていい話でもないんだよな』その言い方に、私は少しだけ首を傾げた。『どうしたの?』直くんは、少しだけ息を吐いた。『真哉兄さんから話を聞いた』その名前に、胸の奥が少しだけ固くなる。『……プロジェクトのこと?』『それもある。でも、それ以前に』直くんの声が、少し低くなった。『綾香が離婚したこと、俺、ちゃんと報告受けてない』私は言葉に詰まった。たしかに。直くんには、ちゃんと話せていなかった。離婚したこ
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