Tous les chapitres de : Chapitre 11 - Chapitre 20

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第11話

頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱され、正常な判断力などとうに失われていた。朔也は感覚の鈍った手で箱を受け取ると、ふらつく足元をどうにか堪えながら、麻痺したようにその蓋を開けた。目に飛び込んできたのは、無惨な光景だった。中に詰め込まれていたのは、かつて二人の愛情の証だった数々のペアグッズ――そのすべてが、粉々に叩き割られ、ハサミでズタズタに切り裂かれていたのだ。ガクッと膝から力が抜け、朔也は箱を取り落としかけ、あわやその場に崩れ落ちそうになった。「これが、杏からのプレゼントだと……?あり得ない!一体どこの誰がこんな悪趣味な嫌がらせを……! 杏が、俺たちの思い出の品をこんなにするわけがない……!」そこまで口走ったところで、ふと、ある最悪の可能性が脳裏を過る。まさか……栞奈との関係が、全部あいつにバレていたとでもいうのか?青ざめたまま硬直している朔也を見かねて、秘書がさらに言葉を重ねた。「社長、杏様からの『二つ目のサプライズ』は、上の披露宴会場に用意されております。すぐにご案内いたします」「……行かない」朔也は激しく顔を歪め、後ずさった。杏の用意したその「サプライズ」とやらを目にすれば、自分はもう二度と這い上がれない絶望の底に突き落とされる。本能がそう告げ、全身の細胞が拒絶していた。だが、秘書は伏し目がちに、どこまでも冷ややかなトーンで告げた。「杏様から伝言を預かっております。『もし朔也が会場へ上がるのを嫌がったら、こう伝えてください』と」そして、一切の感情を排した声で、杏の言葉を代弁する。「『――これがあなたに贈る最後のサプライズ。受け取るか受け取らないかは、あなた次第よ』」朔也は土気色になった顔を引きつらせ、数秒の逡巡の末、重い足取りでエレベーターに乗り込んだ。彼の背後に付き従った秘書は、ドアが閉まる直前、手元のスマホを操作して「あるもの」を一斉送信した。同じ頃、上の披露宴会場では、招待客たちのスマホがいっせいに震えていた。皆が何気なく画面を覗き込み、一様に目を見張る。「おい、なんだこれ。朔也と栞奈の結婚披露宴の招待状が送られてきたぞ?」「栞奈って誰だ?今日は杏ちゃんとの式だろう?」「……こりゃあ、とんでもない修羅場になりそうね」チーン、と音が鳴り、エレベーターが目的の階に到着
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第12話

挑発的な音声メッセージの下には、「朔也」のアカウントから送られたベッドでのあられもない二人の写真や、バニーガールのコスプレ姿で鏡越しに自撮りした画像が堂々と貼り付けられていた。続いて二枚目のスクリーンショット。そこには、朔也と杏の交際七周年記念日という大切な日に、「朔也」が栞奈とキャンドルディナーを楽しむロマンチックな写真。三枚目は、「朔也」が共有した、例の海辺のベンツでの情事の現在地情報。そして最後の一枚は、「朔也」から送られてきたウェディングドレスの試着写真と共に添えられた、【一人の男を二人でシェアするのも悪くないよねぇ】という、常軌を逸した挑発メッセージだった。招待客たちは画面を指差し、不審そうにヒソヒソと囁き合う。「ねえ……どうして朔也のアカウントなのに、栞奈の声が録音されてるの?」先ほど映像の女の正体に気づいた目ざとい招待客が、核心を突く声を上げた。「もしかしてこの女、朔也のスマホを勝手に使って、本命の杏ちゃんにわざとこんな画像やメッセージを送って挑発してたってこと!?」その一言で、招待客たちはすべてのゲスな絡繰りを理解し、いっせいに怒りを爆発させた。「うわっ、最悪!今どきの浮気相手ってここまで図々しいの!?」「男のスマホを盗み見て、本命の彼女にマウント取るとか……性悪にも程があるでしょ!」「こんな泥棒猫、思いっきりビンタしてやりたいわ! いや、それ以上に女にスマホ弄られてた男のほうは、ボッコボコにして社会的に抹殺されるべきね!」罵声が飛び交う中、朔也もまた、頭から氷水を浴びせられたようにようやく事の真相を悟った。彼は両目を真っ赤に血走らせ、ギリギリと歯を食いしばりながら栞奈へと歩み寄った。「お前っ……!俺のスマホで自撮りするとか言っておきながら、裏でこっそり杏にこんなメッセージを送りつけていたのか……!」胸ぐらを掴まんばかりの剣幕で怒鳴りつける。「俺は何度も念を押したよな! 欲しいものは何でも買ってやるから、絶対に杏にだけはお前の存在を気づかせるなって!俺が一生の妻にするのは、杏ただ一人だけだと、そう言ったはずだ!!!!」スクリーンにデカデカと映し出されたトーク履歴を見上げ、朔也の胸に、杏への激しい後悔と底知れぬ憐憫の情が津波のように押し寄せてきた。考えただけでも恐ろしかった。こ
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第13話

「ほう?そうか」千晃の声は氷のように冷たく、絶対的な優位に立つ者の冷笑を含んでいた。「だったらお前、杏さんが八歳の時に飼っていた、あの子犬のことを覚えているか?」その言葉を聞き、朔也の意識は数年前の記憶へと引き戻された。あの頃の杏は、まだ天真爛漫で心優しい少女だった。ある日、杏は学校からの帰り道で、傷だらけの子犬を見つけた。涙ぐみながらためらうことなく家に連れ帰り、つきっきりで看病した。しかし、すっかり元気になった子犬は、ある日こつ然と姿を消してしまったのだ。数日後、杏はまた同じ場所で、再びボロボロに傷ついたその子犬を発見した。迷うことなく、もう一度子犬を家に持ち帰り、せっせと手当てをした。だが、またしても子犬がいなくなったため、今度はこっそり後を追ってみたのだ。そこで杏が目撃したのは、自分と同じくらいの年齢の子供が、あの子犬を情け容赦なく痛めつけている姿だった。元の飼い主だったのだ。見過ごせず止めに入り、その子供と激しい揉み合いになった。しかし、杏の心をへし折るような出来事が起こる。あんなに命懸けで助けてやったはずの子犬が、あろうことか杏に向かって牙を剥き、杏の手をガブリと深く噛み裂いたのである。――それ以来、杏はどんなにその子犬が死にそうな目で助けを求めていようと、氷のように冷たく迂回し、二度と振り返ることなくその場を立ち去るようになった。回想に沈む朔也を見て、千晃は短く鼻で笑った。「杏さんは思いやりがあって優しいが、一度でも自分を裏切った相手のことは、絶対に許さないんだよ」ドズン、と朔也の心臓が鉛のように重く沈み込んだ。そうだ。どうしてあんな大切なことを忘れていたんだ。杏は誰よりも冷静に物事を見極め、一度見限ればどこまでも冷酷になれる女だ。もっと早く気づくべきだった。実際のところ、朔也も以前から、自分の浮気がバレているのではないかと薄々勘づいてはいたのだ。だが、杏は決して取り乱したり、泣き喚いて問い詰めたりはしなかった。いつもと変わらぬ穏やかな態度で接し続けてくれた。それが朔也に、「これだけ長く付き合ったんだ。杏が俺から離れられるわけがない」という致命的な勘違いをさせ、己の欲望のタガを外し、どんどん図に乗らせる結果となった。今になって振り返ってみれば、最近の不自然な
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第14話

ヴァルモント――それは杏の父親の故郷である遠く離れた異国であり、彼女が生まれ育った場所だ。その後、彼女は母親に連れられて海を渡り、母の故郷である現在の地・江ノ本市へと移り住んできたのだ。こちらの国で暮らす間、表向きは便宜上、母親の旧姓である「葉山」を名乗っていた。その地名を聞いた瞬間、朔也の顔色は土気色に変わり、その場に分厚い絶望の雲が垂れ込めた。彼は椅子にドサリと崩れ落ち、両目を硬く閉ざし、言い知れぬ恐怖に震えた。七年前、彼が杏と交際を始めたばかりの頃、彼女からある一つの「誓約書」にサインをさせられていたのだ。そこに明記されていた条項はこうだった。【もし将来、私があなたによって深く傷つけられ、一人でヴァルモントへ帰るような事態になった場合――あなたは残りの生涯、一歩たりともヴァルモントの地に足を踏み入れてはならない。もしこの誓約を破った場合、あなたの名義となっている全資産は、自動的にすべて私、葉山杏の所有物となる】長い沈黙の末、朔也は喉の奥に泥が詰まったような低く掠れた声で口を開いた。「ヴァルモント行きの航空券を手配しろ。一番早い便だ」部下はぎょっとして、恐る恐る忠告した。「社長……一度でもヴァルモントに足を踏み入れれば、杏様と復縁できるかどうかにかかわらず、あの誓約書が自動的に発効してしまいます。そうなれば社長は、文字通りすべてを失うことになりますが……本当によろしいのですか?」「ああ」朔也は迷うことなく頷いた。その瞳には、退路を断った決死の色が浮かんでいる。とにかく一刻も早く杏に会って、自分の過ちを釈明し、どうにかして彼女を取り戻したかったのだ。部下にチケットの手配を命じると、朔也は急いで自宅へと引き返した。昨夜は一晩中心労でまともに眠れず、精神は限界に近かった。そして今、恐る恐る我が家に足を踏み入れてみると、松本さんの報告通り、家の中からは杏の痕跡がちり芥ほども残らず綺麗に消え去っていた。主寝室へ入り、ゆっくりとベッド脇の引き出しを開ける。残っていたはずの杏の身分証明書も、写真も、お気に入りだった細々とした私物でさえ、跡形もなく消えている。見えない巨大な手に心臓を力任せに握り潰されたかのように、朔也の胸が激しく痛んだ。がらんどうになった寝室に立ち尽くしていると、息が詰まるほどの絶望が
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第15話

その誓約書を突きつけられた栞奈は、パニックを起こして泣き喚いた。「なんで!?私が痛い思いして産む赤ちゃんなのに、どうして一生会わせてもらえないのよ!」しかし朔也の顔は冷酷に凍りつき、その瞳には露骨な嫌悪と苛立ちしか浮かんでいなかった。「……お前は子供を産む道具としての価値が残っているだけでも、有難いと思うんだな」有無を言わさぬ脅迫めいた圧力で無理やりサインをさせると、朔也はすぐに背を向けた。それからというもの、朔也はSNSなどの動画サイトで「愛する人を失って憔悴しきった可哀想な男」を演じ、毎日のように復縁を懇願する動画をアップロードし始めた。だが残念なことに、世間の反応は極めて冷ややかなものだった。「結婚式当日に、浮気相手を妊娠させて本命の彼女から逃げられた最低男」というスキャンダルは、すでにネット上のゴシップとして大炎上していたからだ。コメント欄は、あっという間に罵詈雑言で埋め尽くされた。「浮気もしたい、彼女も失いたくないとか、クズオブクズ」「不倫男とドロボー猫は一生日陰を歩いてろ!」そんな大炎上の最中でも、朔也は批判コメントを一切無視し、毎日五、六本という凄まじい執念で謝罪動画を投稿し続けた。ある時は深く自己を責める懺悔の手紙を読み上げ、ある時は杏との美しい思い出を涙ながらに語り、またある時は彼女の許しをただひたすらに祈り続ける。そうして二ヶ月が過ぎる頃には、彼のその異常なまでの執念と「一途さ」に絆され、ネットユーザーの中にも少しずつ同情や擁護の声が混じるようになっていった。一方、焦燥感を募らせていのは栞奈だった。最近、朔也が彼女の元を訪れる頻度は激減しており、今では週に一度来るかどうかの有様。しかも来たところで、少しだけ膨らんできたお腹に義務的に触れるだけで、数分でせわしなく帰ってしまうのだ。彼の目にはもう、栞奈の姿など一ミリも映っていない。完全に単なる「インキュベーター」としてしか扱われていないのだ。胎児が安定する三ヶ月の期限まで、残りあと一ヶ月。タイムリミットが来れば、朔也は本当に自分を見捨ててヴァルモントへ飛んで行ってしまう。追い詰められた栞奈は、震える手でスマホを手に取り、ある一人の男へ連絡を入れた。その日の夕方。栞奈が軟禁されている別荘の前に、一台の黒いセダンが堂々と乗り
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第16話

翌日の夕暮れ時。私は商談のため、自分で車を運転して海沿いの道を走っていた。あたりはすっかり夜の闇に沈みかけ、すれ違う車もまばらになっている。しかしその時、一台の黒いセダンが音もなく私の車を尾行していることなど、知る由もなかった。獲物を狙う野獣のように、そいつは背後でただじっと息を潜めていたのだ。待ち合わせの場所は、海辺に建つ静かなカフェだった。席について一息ついた私は、少しして立ち上がり化粧室へ向かった。その途中、ふと廊下の大きな窓から見える景色に目を奪われ、足をとめた。夜の帳が下りた海は、どこまでも深く、黒く澄んでいる。開け放たれた窓から吹き込む風が、ひんやりと頬を撫でていった。ゆっくりと目を閉じ、潮の香りを胸いっぱいに吸い込む。このヴァルモントの静けさが、心地よく心に沁み渡っていくようだった。だが、そんな束の間の平穏は、唐突に破られた。背後から音もなく忍び寄ってきた暗い影。それが私の腰にドンッと両手を激しく叩きつける。明確な殺意を孕んだ、ひどく乱暴で容赦のない力だった。「きゃっ!」身構える間もなかった。完全にバランスを崩した体はテラスの低い柵を越え、暗く冷たい海へと真っ逆さまに突き落とされた。激しい水しぶきと共に、骨まで凍りつくような冷たさが全身を飲み込む。必死で助けを呼ぼうと口を開いたが、容赦なくうねる波に声を奪われ、大量の海水をゴクリと飲んでしまった。寒さで手足から急速に感覚が失われ、意識が遠のき始める。果てのない暗闇の底へ沈んでいく――そう覚悟した瞬間。突然、力強い腕が私の体をしっかりと抱き寄せた。次に重い瞼を開いた時、私は何者かの腕の中に抱きかかえられていた。ぼんやりとした視界に映ったのは、ずぶ濡れになっている男の顔。上質なグレーのスーツは重く海水を吸って体にぴったりと張り付き、無造作な前髪からポタポタと水滴を落としている。それでも、その整った顔立ちは少しも損なわれていない。心配そうに私を見下ろし、低く落ち着いた声が降ってきた。「杏さん、着替えに行こう」それから数分のちに、カフェの奥の控え室で乾いた服に着替えた私は、ヒーターの前に座り込んでカタカタと震えていた。温かい風が凍えきった体を少しずつ解きほぐし、それと同時にようやく頭が働き出す。我に返って顔を上げると、そこに
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第17話

その日、会議を終えたばかりの私のスマートフォンに、頼んでいた秘書から着信が入った。「杏様、裏が取れました。海辺で杏様を突き落とした男は、小宮山陸。蝶野栞奈の元恋人です」私は眉をひそめた。その瞬間、脳裏にひとつの直感が閃く。「……ねえ。栞奈のお腹にいる子って、もしかして小宮山の子なんじゃないの?」電話の向こうで、秘書も重々しく頷く気配がした。「私もそう睨んでいます。小宮山陸の先日の手口は、明らかに杏様の命を狙ったものでした。おそらく杏様を殺害することで、瀬崎朔也がこちらへ渡る理由を永遠に断ち切ろうとしたのでしょう」私はオフィスチェアに深く腰掛け、少しの間考えを巡らせてから、冷酷な笑みをこぼした。「そういうことなら、あいつらの思い通りにしてあげるわ」秘書が戸惑ったような声を出す。「杏様……まさか、偽装死を?」「ええ」私は冷静に、しかし確固たる意志を持って頷いた。「私が死んだと分かれば、朔也は間違いなく弔いのためにヴァルモントへ飛んでくるはずよ。そうなれば、誓約書を使って言葉通りあいつの全財産を剥奪できるし、私への未練も完全に断ち切らせることができる」それだけではない。「私がこの世から消えたことになれば、栞奈もこれ以上、小宮山に私を狙わせる理由はなくなる。何より最大のメリットは……朔也がヴァルモントの土を踏んだ瞬間、栞奈の狙っていた財産がゼロになるってことよ」まさに、これは私にとって一石三鳥の計画だ。ただ、完璧な偽装死を演出するためには、信頼できる協力者が欠かせない。私は迷うことなく、千晃に助けを求めることにした。「つまり、相手に『お前を殺した』と思い込ませつつ、実際には死なないですむ方法を考えろってことか?」千晃は興味深そうに眉を上げ、私の顔をじっと覗き込んだ。私は無言で、小さく頷く。彼は少し考える素振りを見せたあと、真剣な顔つきで話し始めた。「セオリーから言えば『海への飛び降り』が一番誤魔化しやすい。だが、お前は先日の件があったばかりだから、近々海辺に近づくのは不自然だろう。崖からの転落はリスクが高すぎる。……となると、やっぱり『交通事故』がいい」「交通事故……」私は少し考え込み、すぐに納得した。「ええ、一番自然かもしれないわね」最近の私は、家と会社を往復するだけの規則正しい生
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第18話

「ヤツの計画はこうです。俺たちがメアリー・グループの地下駐車場に潜り込み、葉山さんが車を離れた隙を突いて細工をする」男は電話越しに肩をすくめた。「しかも、念には念を入れろと。確実にあの女が……『この世から永遠に消える』ようにしろと言ってました。事が済めば、成功報酬としてさらに倍の額を払うそうです」千晃は彫刻のように美しい指先でコツコツと机を叩き、少し考えてから指示を出した。「……お前らは、少しばかり車をいじるふりをするだけでいい。残りの仕上げは、おれがやる」彼の頭の中には、すでに完璧な「不慮の事故」のシナリオが完成していた。私の影武者となって車を運転する、その筋のプロの手配もとっくに済ませてある。「了解しました、ボス」それから五日後。私はいつものように自分でハンドルを握り、会社の地下駐車場へ車を滑り込ませた。静まり返った無機質なコンクリートの空間にヒールの音を響かせながら、エレベーターホールへと向かう。そのすぐ後方。暗がりに停めた車の中から私の背中をねっとりと睨みつけながら、陸はスマートフォンを耳に当てた。「……やれ」合図とともに、作業着に身を包んで完全武装した黒ずくめの男たちが二人がかりで私の車に忍び寄り、手慣れた様子でボンネットを開ける。数分後。陸のスマホのチャットアプリに、短いメッセージが届いた。【細工完了だ】陸は醜い笑みを浮かべ、返信を打ち込む。【手付金は振り込んだ。今夜確実に、葉山杏が死んだというニュースが流れれば、残りの報酬もすぐにくれてやる】【了解した。ありがたく頂戴しておくよ、小宮山さん】夜が完全に更け、地下駐車場から人影がすっかり途絶えた頃。時計の針が夜の八時半を回ったタイミングで、足音を響かせながら「私」が遅れて姿を現した。その影は迷うことなく運転席に乗り込み、荒々しいエンジン音とともに車を発進させた。すぐ後ろから、距離を開けて陸の車が尾行を始める。ルームミラー越しに後続車を確認した「私」の目が、暗がりの中で鋭く光り、その口角が微かに持ち上がった。急な下り坂に差し掛かった瞬間。「私」はためらうことなく、勢いよくハンドルをきった。けたたましいスキール音を鳴らしながら、車体は完全にコントロールを失ってスピンし、道路脇の巨大な街路樹に激突した。鼓膜を
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第19話

病室のベッドで髪を振り乱し、狂ったように涙を流す朔也を見て、栞奈の瞳の奥にドス黒い嫉妬が渦巻いた。葉山杏のどこに……この男をここまで狂わせる魔力があるっていうのよ!栞奈は早足でベッドに駆け寄り、点滴の管が刺さった朔也の腕を力任せに掴んで金切り声を上げた。「ヴァルモントへ行くって、正気!?杏さんはもう死んだのよ!今から行ったってどうにもならないでしょ!それに、そんなことをしたら『誓約書』のせいで、あなたがこっちに戻ってきた時には全財産を失って、無一文になっちゃうのよ!!」朔也は猛然と顔を上げ、すがりつく栞奈の手を乱暴に振り払った。そのまま立ち上がり、一歩、また一歩とジリジリと詰め寄る。見下ろすその両目には、底知れない陰惨な狂気が宿っていた。凄まじい怒気に圧倒され、栞奈は後ずさりし、背中が壁にぶつかった。逃げ場を失う。「あの時、お前が引き留めさえしなければ……っ!」朔也は栞奈の細い首に手を伸ばし、ギリギリと力任せに締め上げた。「俺と杏は、とっくにやり直せていたはずだったんだ!お前が杏を殺したんだ!お前が杏を殺した!!」「がっ、げほっ……!」「いいか。お腹のガキが無事に生まれたら、俺のこの手で確実にお前を殺してやる」地獄の底から響く怨嗟のような声に、栞奈は全身をガタガタと震わせ、悲鳴すら上げられなかった。やがて首を絞めていた手が離されると、栞奈は糸が切れたように床へへたり込む。振り返りもせずに病室を出て行く朔也の背中を見つめながら、その目には極限の恐怖と、ドス黒い怨恨が入り交じっていた。嘘でしょ……終わった。これで完全にすべてが終わったわ……あれほど周到に計算し尽くしたというのに。誓約書のせいで全財産を失い、一文無しになると分かっていながら、あの男が這うようにしてヴァルモントへ行くことを選ぶなんて。だめだ。朔也がヴァルモントの地を踏んで誓約書が発効してしまえば、あいつから奪える金は一円もなくなってしまう。あのクズは、ただのゴミ同然になる。一刻も早く、陸を取り込まなければ!栞奈は震える手でスマホを取り出し、電話をかけた。通話が繋がると、先ほどの怯えを必死に押し殺し、媚びるような甘ったるい声を作る。「ねえ、陸。いつこっちに帰ってくるの?私、手料理を作って待ってるから……」翌日の午後。私の葬儀。
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第20話

一週間後。朔也は虚ろな目でゆっくりと顔を上げ、洗面台の鏡に映る自分の姿を見つめた。そこにいるのは、頬が深くこけ、目の焦点が合っていない、まるで生気を失ったゾンビのような男だ。全身から陰惨で腐敗したような空気が漂っている。最愛の女性を失ってからの日々。それはもはや、人間らしい生活などではなかった。七年前、あんなにも純粋に「一生を共にしよう」と誓い合ったはずなのに。一体いつから、自分は狂ってしまったのだろうか?穏やかで満たされた日々に退屈し、つまらない刺激を求めたのは自分だ。悪友たちが派手に遊び歩く姿を見て、くだらない見栄と羨望を抱いたのも自分だった。うまく隠し通せていると高を括り、二人の女を天秤にかけて調子に乗っていたのも、すべては自分の傲慢さが招いた結果だ。そこまで考えた瞬間、朔也は再び右手を振り上げ、自分自身の頬を渾身の力で張り飛ばした。パンッという乾いた音が洗面所に響く。全部、俺が悪いんだ。俺が、最高の結婚をぶち壊した。もしあの日、杏を絶望させてヴァルモントなんかへ帰らせなければ。こんなふざけた交通事故で杏の命が奪われることもなかったのに!夕暮れ時。栞奈は苛立ちながら陸の番号に電話をかけた。しかし、耳に届いたのは「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……」という冷たい無機質なアナウンスだけだった。舌打ちをして少し迷ったあと、栞奈は陸の地元の悪友の番号を鳴らした。電話に出た男は、しばらく沈黙したあと、ボソッと低い声で言った。「……あんた、知らねぇの? 陸のやつ、崖から落ちて死んだぜ」「……は?死んだ?」栞奈は絶句し、目を見開いた。彼女は知る由もなかった。小宮山陸という男が、私の葬儀が行われた正にその日に死んでいたなど。私が偽装死を決行した日の夜。無事に帰宅した私は、すぐさま陸の祖父であり、裏社会でも巨大な権力を持つ小宮山家の当主へ直接連絡を入れたのだ。そして、彼の手によって記録されていた「陸が私を何度も殺そうとした防犯カメラの映像」をすべて送信した。映像を確認した当主の老人は、長い沈黙ののち、孫の愚行を深く詫び、いかなる賠償を望むかと尋ねてきた。私は金銭的な賠償は一切要求しなかった。ただ一つ、「筋を通すこと」、そして「私が生きているという
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