All Chapters of 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜: Chapter 51 - Chapter 60

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第52話 そんなつもりじゃなかった

そんなつもりじゃなかった。 真琴の言葉を聞いた瞬間、悠斗の中に最初に浮かんだのは、それだった。 お母さんみたいになりたかったわけじゃない。 私は、悠斗の恋人でいたかった。 ただ、それだけだったの。 その言葉は、湯気の薄くなった湯呑みの向こうから、静かに悠斗の胸に届いた。 怒鳴られたわけではない。 責められたわけでもない。 真琴は泣きながらも、声を荒らさなかった。 だからこそ、逃げ場がなかった。 「……そんなふうに、思ってたのか」 ようやく出た声は、思ったより掠れていた。 真琴は小さく頷いた。 「うん」 「俺は、そんなつもりじゃ……」 言いかけて、悠斗は口を閉じた。 そんなつもりじゃなかった。 それを言って、何になるのだろう。 真琴は、悠斗のつもりの話をしているわけではない。 真琴がどう感じていたかを、ようやく言葉にしている。 それなのに、ここで自分のつもりを差し出せば、また真琴に受け取らせることになる。 違うんだ。 そういう意味じゃないんだ。 分かってほしい。 ずっと、そうやってきたのかもしれない。 自分の言葉を真琴に渡して、真琴がそれを受け止めることで、何もなかったことにしてきた。 悠斗は膝の上の手を握った。 「ごめん」 もう一度、そう言った。 けれど、
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第53話 戻りたいとは思えない

お茶はすっかり冷めていた。 真琴は湯呑みに触れたまま、飲もうとはしなかった。 悠斗も同じだった。 リビングの照明はいつも通りなのに、部屋全体が少し暗く見える。 悠斗は何か言わなければと思った。 でも、何を言っても違う気がした。 変わる。 頑張る。 これからはちゃんとする。 その全部を、さっき自分は言った。 でも真琴が欲しかったのは、今から積み上げる約束だけではなかった。 今までの寂しさを、なかったことにしないこと。 悠斗が見ていなかった真琴を、ちゃんと真琴として見ること。 そしてきっと、もう戻れないかもしれないことを、悠斗自身も認めること。 認めたくなかった。 怖かった。 真琴は目の前にいる。 同じ部屋にいる。 名前を呼べば、返事をしてくれる。 それなのに、手を伸ばしても届かない場所にいるようだった。 「俺は」 悠斗はゆっくり口を開いた。 「真琴がいてくれるのが、当たり前になってたんだと思う」 真琴が静かにこちらを見る。 「帰ったらいて、飯があって、話聞いてくれて。俺が疲れてても、真琴は大丈夫って言ってくれて」 言葉にするたびに、自分の身勝手さが見えてくる。 「それを、安心だと思ってた」 悠斗は笑おうとして、できなかった。 「でも、安心っていうより、甘えてただけだったのかもしれない」
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第54話 同じ朝ではない

朝、目が覚めても、しばらく起き上がれなかった。 カーテンの隙間から入る光は、いつもと同じだった。 薄い朝の色。 まだ少し冷たい空気。 遠くで車が走る音。 どれも昨日までと変わらない。 それなのに、目に映るものの輪郭だけが、少し違って見えた。 隣には悠斗がいる。 背中を向けて、静かに眠っている。 手を伸ばせば届く距離。 でも、昨夜と同じように、その距離は遠かった。 私は布団の中で、そっと息を吐いた。 昨日、言ってしまった。 私は、恋人でいたかった。 お母さんみたいになりたかったわけじゃない。 ただ、それだけだったの。 口にした瞬間、胸の奥で何かがほどけた気がした。 それと同時に、もう戻れない場所まで来てしまったのだとも分かった。 悠斗は謝ってくれた。 自分が甘えていたと、ちゃんと言ってくれた。 その言葉は嬉しかった。 嬉しかったのに、戻りたいとは思えなかった。 そのことが、今も胸の奥に静かに残っている。 私はゆっくり体を起こした。 ベッドのきしむ音に、悠斗が少し身じろぎする。 起こしてしまったかと思ったけれど、悠斗は目を開けなかった。 私はそっと寝室を出た。 ◇ ◇ ◇ ◇ キッチンに立つと、いつもの癖で冷蔵庫を開けた。 卵。
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56話 小さな準備

 会社に着いてからも、朝の悠斗の言葉が耳に残っていた。 ――距離あるなって思った。 責める声ではなかった。 寂しそうで、でも、どこかで分かっているような声だった。 距離がある。 その通りだった。 同じ家で眠って、同じ朝を迎えて、同じ駅へ向かって歩いているのに、私たちの間にはもう、見えない線が引かれている。 その線を、私は越えたいのだろうか。 それとも、もう越えられないのだろうか。 午前中の仕事を終えて、昼休みにスマホを開いた。 メモアプリには、昨日打ったままの一文が残っていた。『私は、どうしたい?』 その下は、まだ空白だった。 私はしばらく画面を見つめた。 別れたい。 その言葉を打とうとして、指が止まる。 嫌いになったわけじゃない。 悠斗は変わろうとしている。 今さらだとしても、ちゃんと向き合おうとしてくれている。 だからこそ、その言葉を打つことがひどく冷たいことのように思えた。 でも。 続けたい、とも書けなかった。 このまま同じ部屋で暮らし続ける未来を想像すると、胸の奥が静かに沈む。 悠斗が気を遣う。 私も気を遣う。 ありがとうと言って、謝って、距離を測って、言葉を選んで。 それを毎朝、毎晩、繰り返していく。 そこにあるのは、穏やかさではなく、息を潜めるような生活だった。 私はゆっくり文字を打った。『一度、離れたい』 画面の中に現れたその言葉を見て、胸が痛んだ。 でも、消せなかった。 一度。 そう書いたのは、弱さなのかもしれない。 完全に終わりだと言い切る勇気が、まだなかったのかもしれない。 それでも、少なくとも今の私は、このまま一緒に暮らし続けることはできないと思っていた。 私はメモを閉じた
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第3章 60話 空いた場所

 別れを告げても、部屋はすぐには変わらなかった。 朝になればカーテンの隙間から光が入る。 冷蔵庫は低い音を立てている。 洗面所には、私と悠斗の歯ブラシが並んでいる。 玄関には二人分の靴。 クローゼットには悠斗のシャツと私の服。 昨日までと同じ。 それなのに、何もかもが違って見えた。 会社から帰ると、悠斗はまだいなかった。「ただいま」 玄関で口にしてから、少しだけ立ち止まる。 返事はない。 昨日までなら、先に帰っていた悠斗がリビングから「おかえり」と返す日もあった。 いなければいないで、私は夕飯の準備を始めていた。 何時に帰るかな。 食べるかな。 連絡来るかな。 そんなことを考えながら。 今日は、何も考えなかった。 いや。 考えないようにした、の方が正しいかもしれない。 バッグを置き、ジャケットを脱ぐ。 リビングへ入ると、ソファの端に畳まれた毛布があった。 悠斗が昨夜使ったもの。 きれいに畳まれている。 その横に、枕がひとつ。 私はしばらく見つめた。 昨夜から悠斗は寝室に戻っていない。 同じ家に住んでいるのに、もう同じ場所では眠らない。 それは私が望んだ距離のはずだった。 なのに、胸は少し痛んだ。 私はソファの横を通り過ぎ、キッチンへ向かった。 冷蔵庫を開ける。 何を食べよう。 そう考えて、少しだけほっとした。 前より早く自分に聞けた。 悠斗は何を食べるだろう。 ではなく。 私は何を食べたいだろう。 冷蔵庫には卵と豆腐があった。 昨日のきゅうりも少し残っている。 でも今日は温かいものが食べたかった。 私
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