真琴が本を読むようになった。 正確には、前から読んでいたのかもしれない。 ただ、悠斗がそれに気づいていなかっただけだ。 リビングのソファで、真琴が本を開いている。 テーブルの上には、白いマグカップが置かれていた。湯気はもう薄くなっている。真琴はそれに手を伸ばすこともなく、ページの上に視線を落としていた。 テレビはついていない。 いつもなら、悠斗が帰る頃には何かしらの番組が流れていた。ニュースだったり、バラエティだったり、真琴が見ているというより、部屋を寂しくしないためにつけているような音。 けれど、今夜の部屋は静かだった。 紙をめくる音だけが、時々小さく響く。 「ただいま」 玄関から声をかけると、真琴は本から顔を上げた。 「おかえり」 その声は、いつも通りだった。 少し柔らかくて、落ち着いていて、聞くと安心する声。 なのに悠斗は、なぜかその場に立ったまま動けなかった。 真琴は本に栞を挟み、ゆっくり閉じた。 「お疲れさま」 「ああ」 悠斗は靴を脱いで、リビングに入る。 テーブルの上に夕飯らしきものはなかった。 それに気づいてから、すぐに思い出す。 昨日、真琴は言った。 夕飯は先に食べてていいよ、と。 その言葉を聞いた時、悠斗は少しだけ拍子抜けした。 真琴が怒っているわけではないことは分かった。 けれど、いつもならそこにあったはずの何かが、すっと抜け落ちたような感じがした。
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