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All Chapters of 不惑の森: Chapter 11 - Chapter 20

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11話

「お前、何言ってんだ」浩美の声に険が混じる。「お前の方はどうなんだよ。さっき〝神父様〟に言ってたよな、記憶がないって。それが本当なら、お前が直樹だって根拠はますます怪しくなる」浩美は運転席に座る男を鋭く睨みつけた。「記憶がないのを俺に黙っていたのは、わざとか?」 「言いがかりだよ。全部忘れた訳じゃない。所々は覚えてる」浩美は唇を噛みしめて、目の前の男を凝視する。「その記憶だって、本当にお前自身のものかわからないだろ。お前ら兄弟はいつも一緒だった。同じものを見て、同じ話を聞いて……」わずかに開いた窓から乾いた風が吹き込み、浩美の髪を巻き上げた。「お前が直樹のことを知ってるからって、本当に直樹だとは言い切れない。なぁ、お前、本当はどっちなんだよっ……!」耐えきれなくなったように、浩美は両手で顔を覆った。 かすれた吐息が、指の間から漏れる。直樹はそんな幼なじみを横目で見やった。「……〝神父様〟の見立てはどうだったの?」直樹の冷えた声が車内に落ちる。「〝神父様〟は……」浩美は息をつき、絞り出すように言った。「お前が直樹だって、すっかり信じてたよ。あの人は昔から、お前ら兄弟には甘かったからな」ふと浩美はある異変に気が付いた。 窓の外へ視線を向け、眉をひそめる。「……おい」道路脇を流れていく景色は、いつの間にか密集した木々に変わっていた。「どこ行くんだ? コテージ、とっくに通り過ぎてるぞ」直樹は何も答えず、ただハンドルを握り続ける。 その腕に落ちる木漏れ日が濃さを増していく。「おい、聞いてんのか」浩美は直樹の腕を掴んだ。 だが相手は微動だにせず、短く言った。「森だよ」※森へ続く林道の終点には、大きな空き地がある。 バブル期に別荘地として開発されかけ、そのまま放棄された土地だ。「へぇ
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12話

浩美は空き地へ視線を逸らした。「……村で過ごした記憶がないってのは、本当なのか?」 「本当だよ」直樹は、葉擦れに紛れるような声で答える。「まぁ、少しは覚えてることもあるけど」 「……じゃあ、あの日のことは?」 「兄貴がいなくなった日のこと?」直樹は、子どものような仕草でふるふると首を振った。「それなら、まったく覚えてない。残念だけど」浩美の喉から、乾いた笑いが漏れる。「そんな都合のいい話、あるのかよ。映画やドラマじゃないんだし」 「仕方ないだろ。周りのみんなが『忘れろ』『忘れろ』って、ずっと言ってたんだから。ほら、俺、素直な子どもだったし」冗談めかした口調。 その軽さが、逆に浩美を苛立たせた。それでも直樹は、他人事みたいに肩をすくめた。「カウンセリングで処方された薬の影響もあるかもね。安定剤とか睡眠薬とか。そのせいで記憶力が鈍っちゃったのかも」 「自分が春樹か直樹かわからなくなるくらいにか……?」直樹の目が、ゆっくり細められる。「ずいぶん、つっかかるね」ぬかるんだ草地を踏みしめながら、直樹はゆっくり浩美へ近づいていく。 ぐちゃ、と湿った音が足元で鳴った。「そんなに気になる? 俺がどっちなのか」直樹は楽しむように目を細めた。浩美は息を呑む。 相手がこれ以上近づかないように、手で遮る。しかし直樹はその顔を覗き込むように、さらに距離を詰めた。「もう一回聞くけどさ。浩美は、俺にどっちでいて欲しいわけ?」唇がゆるやかな弧を描く。「やっぱり春樹?」 「何を言って──」それ以上相手を直視できず、浩美は顔を背けた。 だが、耳元に直樹の吐息がかすかに触れる。「ねぇ、答えてよ」クスクスと笑う声に、浩美の全身が粟立った。「ふざけてる場合かよ!」相手の勢いに、直樹は一歩
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13話

瞬間、浩美はハッと視線を上げた。 目の前には、ゆるやかな笑みを湛えた直樹が立っていた。──いや、違う。浩美は大きく目を見開く。これは、直樹じゃない。──じゃあ、こいつは一体……?「どうして……?」ようやく絞り出した声は、ひどく乾いていた。 浩美は瞬きも忘れて、直樹を見つめる。「そのことを知ってるのは、俺と春さんしか……」 「もちろん、知ってるよ」ふっと笑った直樹の吐息が、すぐ近くに落ちる。「春樹のことなら、何でも知ってる」ため息混じりに言うと、直樹は浩美の腕へそっと手をかけた。「それに、浩美の態度を見ればわかる。妙に俺と距離を取ろうとしてるし」浩美の腕に添えられた指先が、ゆっくりと肌に食い込む。「浩美は最初っから、俺を春樹に重ねてたんだよね?」細められた直樹の目が、蛇みたいに妖しく細められる。「──自分が抱いた、あの人に」 「……っ!」浩美は反射的に直樹の手を振り払った。「俺に近づくな」ごくり、と喉が鳴る。「あのことを知ってるなら……なんで俺に近づくんだ」引きつった笑みが、浩美の口元に浮かぶ。「また俺が、同じことをすると考えないのか?」笑おうとしているのに、うまく笑えていない。 浩美は、自分でもそれがわかっていた。「何をしてもいいよ」かすかな衣擦れの音。 気づけば、直樹がすぐ目の前まで迫っていた。逃げ道を塞ぐように、浩美の背後のボンネットへ片手をつく。「ねぇ、浩美?」耳元で囁かれ、浩美の肩がびくりと震えた。「俺がどっちか知りたいって言ってたよね?」その声は、森の奥から響く囁きのように静かで、甘かった。「なら試してみれば?」直樹は浩美の手首を掴むと、自らの胸元へ導いた。
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14話

「やっぱり……お前は──」浩美は何かを言いかけては、何度も言葉を飲み込んだ。「貴方は、春さんの方だったんですね」口にした瞬間、堰を切ったように言葉が溢れ出す。「おかしいと思ってたんだ。貴方は直樹とは違う。似せようとはしてるけど……昨日だって、あの森で……」浩美は相手の両肩を強く掴んだ。「じゃあ直樹は……直樹は、一体どこにいるんですっ⁉」激しく揺さぶられても、〝それ〟は慌てなかった。 ただ、わずかに口元を緩める。「──さあ、ね」その瞬間、浩美の背筋がぞわりと粟立った。この、どこかすべてを諦めたような笑い方。 やっぱり、この人は春さんだ。「ねぇ、浩美」柔らかな声に、浩美ははっと顔を上げた。「前にも聞いたけど、君はどっちの方がいい?」〝それ〟の手が、そっと浩美の頬にかかる。 その指先は氷のように冷たい。「初恋の春樹の方がいい? それとも親友の直樹?」低く囁かれ、浩美の喉がひくりと震えた。「言ってよ。好きな方になってあげるから」 「やめ、ろっ……」浩美は片手で相手を押し返した。 だが、思うように力が入らない。一歩下がった〝それ〟は、降参、とでも言うように両手を上げた。「本気なんだけどねえ」あまりにも緊張感のない声だった。 その瞬間、浩美の中で何かが切れた。「春さん……っ!」衝動のまま、浩美は〝それ〟の腕を掴んだ。 そのまま相手の身体をボンネットへ押しつける。背中を強かに打った〝それ〟が、「痛っ」と短く息を漏らした。その顔を見た瞬間、浩美の身体の奥で熱がじわりと広がった。「クソッ!」浩美の拳が、直樹のすぐ脇のボンネットへ叩きつけられた。 ボン、と鈍い音が空き地に響く。「お前は一体……どっちなんだっ……!」
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15話

「ふっ……」唇が重なり、吐息が溶け合う。 口づけの隙間から、〝それ〟が小さく笑った。その指が、からかうように浩美の髪をまさぐる。瞬間、浩美の理性がぶつりと切れた。 相手の身体を抱え上げ、そのままボンネットへ叩きつけるように押しつけた。〝それ〟は浩美の首へ腕を絡めたまま引き寄せ、さらに深く唇を重ねてくる。「んっ……!」下唇を甘く噛んだ瞬間、〝それ〟の喉から熱を含んだ声が漏れた。 その声だけで、浩美の身体に熱の波が走る。「お前が誰だか言わないなら、後悔することになるぞ」浩美が首筋へ歯を立てると、〝それ〟は小さく息を呑んだ。「最後までしたら……自然とわかるんじゃない?」吐息混じりの声。 同時に、〝それ〟の指先が浩美の首筋をゆっくりとなぞった。ぞくり、と背筋が粟立つ。 浩美は舌打ちしながら、相手の腰をさらに強く引き寄せた。「煽ってんのか」 「だって浩美、確かめたいんでしょ?」くすり、と笑う声。 その声音が妙に春樹に似ていて、浩美の呼吸が乱れた。気づけばシャツの奥へ手を滑り込ませていた。 指の下で白い肌が、ぴくりと震える。熱い。 指先に伝わる体温は生々しく、人間そのものだった。「……っ、浩美」名前を呼ばれた瞬間、喉がひどく渇いた。 〝それ〟の手が背中へ回る。浩美は衝動のまま、その唇へ噛みつくように口づけた。直樹はすぐに舌を受け入れ、熱を絡め返してくる。 荒い呼吸が、耳元で反響する。──これは、本当に誰だ?浩美は相手の唇を貪りながら、ぼんやり考える。春樹なのか。 直樹なのか。それとも──。ふと、ある考えが脳裏をよぎる。森には〝魔〟が住んでいる。 昔、神父様が聞かせてくれた話だ。故郷の森に棲む〝魔〟は、美しい青年の姿で人を惑わ
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16話

「なんだ?」空き地に響いた悲鳴に、浩美は顔を上げた。ガタンとボンネットが揺れる。 気づけば、腕の中にいた直樹が飛び出していた。「……おい、直樹っ!」華奢な背中が、森の茂みの向こうへ消えていく。 浩美は舌打ちすると、その背中をすぐさま追いかけた。直樹は、茂みを抜けた先の廃別荘群に立っていた。少し離れた場所では、観光客らしい男女がいた。 女性は地面へへたり込み、男の方はその肩を支えながら、不安げに周囲を見回していた。「一体、何があったんです?」浩美は駆け寄りながら声をかけた。 突然現れた浩美に一瞬身を強張らせた二人だったが、すぐに安堵したような顔を浮かべる。「それが……」男が青ざめた顔で前方を指した。その先には、直樹が立っていた。 こちらに背を向け、ただ足元を見つめている。視線の先には、大きな穴がぽっかりと口を開けていた。 穴の中から、湿った土の匂いが漂ってくる。「一体、何があったんですか? 先ほどの悲鳴は?」浩美が男女へ視線を戻した。「穴の中に……」女性が掠れた声を漏らす。 震える指は、まっすぐ穴の奥を指していた。「何か見えた気がして……覗こうとしたら、足を滑らせてしまって……」女性の顔は真っ青だった。 今にも倒れそうなほど怯えている。男が慌てて言葉を継ぐ。「ご迷惑おかけして、すみません」男は女性を抱き起こしながら頭を下げた。女性はふらつきながら立ち上がった。 だがその視線だけは、直樹の向こうにある穴へ釘づけになっていた。浩美は小さく頷く。「ここは開発途中で放置されている土地です。入口に『関係者以外立ち入り禁止』の看板があったはずですが」浩美は、穴の縁に立つ直樹をちらりと見た。 落ちかねないほど際どい場所にいるのに、本人は動こうともしない。
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17話

「あぶなかった……」浩美は直樹の腕を掴んだまま、安堵の息を漏らした。「危ないだろ。気をつけろ!」 「……浩美」直樹が、のろのろと顔を上げる。 今にも泣き出しそうなほど歪んだ顔だった。 浩美の胸元の服を掴む指先に、青白い血管が浮かんでいる。「おい、直樹。お前、おかしいぞ」そう言いかけた瞬間だった。とん、と肩口を押される。 力はほとんどなかった。 だが不意を突かれ、浩美の身体がわずかによろめく。その瞬間、掴んでいた腕がするりと抜けた。 目の前で、直樹の身体が枯葉みたいに穴へ吸い込まれていく。「直樹!」浩美は咄嗟に手を伸ばした。 だが指先は、空を掴むだけだった。ドサリ。 鈍い落下音が、穴の底で響く。「おい、大丈夫かっ⁉」浩美は慌てて穴を覗き込み、そこでようやく息をついた。穴は数メートルほどの深さしかない。 直樹はその底に無事に着地していた。「待ってろ! 今助ける!」浩美は周囲を見回し、廃屋に転がっていたロープを掴んだ。「直樹、これに──」そこまで言いかけて、浩美は息を呑んだ。 穴の底で、直樹が膝をつき、夢中になって土を掻いている。──何やってるんだ?浩美は、その手の動きから目が離せなかった。 白い指先が、土にまみれていく。掘り返されるたび、〝何か〟が少しずつ露わになった。白い塊。 細長く、硬質なそれは──最初は木の枝かと思った。だが違う。 その先端は、不自然なほど滑らかだった。──骨だ。浩美は、一瞬息をするのを忘れた。 森から冷たい風が吹き抜け、毛穴ひとつひとつが粟立つ。「──浩美」か細い声がした。 浩美は、はっと我に返る。穴の底から、直樹がこち
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18話

検視の結果、穴から見つかった骨は、高谷兄弟のどちらのものでもないと判明した。警察の話では、遺体は数年前、自ら森へ入り込んで命を絶った観光客のものらしい。廃墟スポットとして知られるより以前、この森は自殺の名所として、ひそかに名を知られていた。 一度迷い込めば、二度と抜け出せない森。 そんな噂に惹かれて足を踏み入れ、そのまま戻らなかった者は、これが初めてではないらしい。形式的な事情聴取を終えた直樹と浩美は、コテージへ戻る頃には、すっかり疲れ果てていた。何から何まで、慌ただしい一日だった。浩美はダイニングチェアの背にもたれ、傍らのソファへ視線を向けた。 直樹は膝の上で祈るように両手を組み、その手に額を押し当てていた。その姿を見て、浩美の喉の奥がきゅっと締まった。 やり場のない苛立ちを紛らわせるように髪を掻き、椅子にもたれかかった。「結局、お前がどっちなのかは、わからないままだな」直樹は顔を上げない。 浩美はその白い首筋を、じっと見下ろす。「あそこまで必死になって春さんを探してるってことは──やっぱり、お前は直樹の方なのか?」わずかに開いた窓から、虫の声が忍び込んでくる。 長い沈黙の末、直樹の声がぽつりと響いた。「さあね、そんなの、こっちだって知りたいよ」投げやりな口調だった。 直樹は組んでいた手を解き、自分の指先をぼんやりと見つめる。 その瞳には、まるで生気が宿っていなかった。「俺たち兄弟は、いつも一緒だった。兄弟っていうより、お互いを自分の分身みたいに思ってたんだ」直樹の口元からぽつり、ぽつりと、言葉が漏れる。「特にこの村へ来てから、身近に他の子どもなんていなかったから、俺たちは必要以上に依存し合ってた。自分たちの境目がわからなくなるくらいに」直樹の口元が自嘲するように歪んだ。「だから俺は今でも、自分が春樹なのか直樹なのか、わからなくなる時がある」 「……どういう意味だよ、
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19話

「お前っ……!」鋭い声に遮られ、直樹は顔を上げた。いつの間にか、浩美が目の前に立っていた。 その表情には、隠しきれない苛立ちが浮かんでいる。「お前、一体何考えてるんだよ」押し殺した声が、直樹の頭上から降ってくる。「今の言い方じゃ、まるで春さんがもう死んでるみたいじゃないか!」浩美の喉の奥から、獣じみた唸り声が漏れた。その剣幕を前にしても、直樹の心の中は静かだった。張り詰めていた糸が切れたように、ふっと肩の力を抜く。わずかに身体を起こすと、どこか寂しげに笑った。「そんな顔しないでよ、浩美」 「……何?」 「お前にそんな目で見られるの、もう十分なんだよ」直樹は浩美から視線を逸らした。 まるで、次に口にする言葉が部屋のどこかに落ちているのを探すように。「少しくらい、昔みたいにさ……」──仲良くしようよ。喉元まで出かかった言葉を、直樹は飲み込んだ。 あまりにも幼く、惨めに思えたからだ。しかし、その沈黙へ浩美の剣呑な声が覆い被さった。「はっ、昔のことなんて、ろくに覚えてないくせに」直樹は、再び浩美へ視線を戻した。浩美は肩をいからせ、胸を大きく上下させている。「それに、俺を怒らせてるのはどこのどいつだよ。一人で飛び出して、勝手に森へ入って、挙げ句の果てに穴へ飛び込んで」浩美の声が、次第に荒くなる。「兄貴と一緒にいたかった? じゃあ何だ。お前、死ぬつもりだったのかよ」 「……」直樹が何も答えないのを見て、浩美は大きく息を吐いた。「ふざけるな。自分勝手にもほどがあるだろ」浩美の拳に力が入り、太い血管が浮き出る。「こっちは、どれだけお前のことを心配して──」 そこまで言いかけて、浩美は口を噤んだ。 言葉の代わりに、深いため息を吐く。やがて浩美は直樹の正面にしゃがみ込み、その顔を真っ直
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20話

言い切ると、浩美は正面の直樹を見据えた。 直樹は眉をひそめ、信じられないものを見るように浩美を見返した。「は? 守る? 浩美、何言ってるの?」直樹の喉の奥から、かすれた笑いが漏れた。「俺はそんなこと望んでない。さっきだって、助けてほしいなんて一言も──」 「お前がどう思おうと、俺には関係ないんだよ」浩美は肩をすくめ、直樹の言葉を遮った。「俺は、春さんとの約束を果たしたいだけだ。それが、あの人への償いになるなら……」直樹の表情がわずかに強張った。「約束? 償い?」 「そうだ。昔、俺は春さんと約束したんだ」胸につかえていたものを呑み込むように、浩美の喉仏が大きく動いた。「お前を守るって」握りしめた拳に力がこもる。「だから俺は、その約束を果たす。お前が何を言おうとな」浩美はそこで言葉を切った。 これ以上口を開けば、抑え込んでいた感情まで溢れ出しそうだった。脳裏に、あの日の春樹の声が蘇る。『浩美、直樹を守ってやって。これは、君だから頼むんだ』春樹を抱いた、あの時。 彼は確かに、そう言った。※当時の浩美は、厳格で神経質な父親とうまくいっていなかった。 家の空気が耐え難くなるたび、都心の家を抜け出しては、この村へ戻ってきていた。どうしても、あの家にはいたくなかった。 家族はいるはずなのに、屋敷の中はいつもひっそりと静まり返っていた。誰も、必要なこと以外は口にしない。 誰かが余計な一言をこぼせば、かろうじて保たれていた均衡が崩れ、家中に怒声が響いた。浩美はいつも、その張りつめた空気を背中に感じていた。 まるで、薄いガラスに今にもひびが入りそうな、危うい気配。 そして、その気配を察するたび、浩美は都内の家を飛び出し、父親の実家がある村へ逃げ込んだ。家族と向き合う勇気などなかった。 そもそも、家族の誰もが
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