LOGIN言い切ると、
「は? 守る? 浩美、何言ってるの?」
直樹の喉の奥から、かすれた笑いが漏れた。
「俺はそんなこと望んでない。さっきだって、助けてほしいなんて一言も──」
「お前がどう思おうと、俺には関係ないんだよ」浩美は肩をすくめ、直樹の言葉を遮った。
「俺は、春さんとの約束を果たしたいだけだ。それが、あの人への償いになるなら……」
直樹の表情がわずかに強張った。
「約束? 償い?」
「そうだ。昔、俺は春さんと約束したんだ」胸につかえていたものを呑み込むように、浩美の喉仏が大きく動いた。
「お前を守るって」
握りしめた拳に力がこもる。
「だから俺は、その約束を果たす。お前が何を言おうとな」
浩美はそこで言葉を切った。
これ以上口を開けば、抑え込んでいた感情ま「は?」直樹は小首を傾げた。「だって結局、お前──」浩美が楽しそうに目を細める。「俺が春さんばっかり頼るのを見て、嫉妬してたんだろ?」 「なっ……!」図星を突かれ、直樹は反射的に立ち上がろうとした。 だが、その前に浩美の腕が伸びる。 逃げようとする身体をソファの背へ追い込み、そのまま覆いかぶさるように抱きしめられた。「直樹。直樹、直樹、直樹──」 「おい、名前連呼するなよっ! この二世! ヒロミちゃんめ!」直樹がバンバンと背中を叩くと、浩美は堪えきれないように笑い始めた。「あはははっ! ついに直樹の本領発揮だな。俺、お前にそれ言われるの、意外と好きかも」 「わ、わ、変態!」 「ほーら、変態だぞ」慌てて身を引いた直樹を、大きく腕を広げた浩美が捕まえる。「直樹──」今度はふざけた響きではなかった。 顎をそっと持ち上げられ、そのまま唇が重なる。 最初は、啄むような軽い口づけだった。 一度離れて、また触れる。 それを繰り返すうちに、キスは少しずつ深くなっていった。先ほどとは違う熱に戸惑いながらも、直樹はもう逃げなかった。 触れてきた舌に、おずおずと応える。絡み合った熱が、唇から身体の奥へゆっくり溶けていく。「んっ……ふ……」息が苦しい。 それなのに離れたくないと思っている自分が、どうしようもなく恥ずかしかった。浩美の指が、直樹のシャツのボタンに触れる。 一つ。また一つ。 ゆっくりと外され、開いた胸元から滑り込んだ手が、骨の形を確かめるように肌を辿った。「あっ……浩美、ちょっと、待っ」直樹はとっさに、その手首を掴んだ。 すると浩美はすぐに動きを止めた。 一瞬だけ直樹を見つめ、それ以上何もせずに身体を離す。 「……ごめん」そして、さっき自分で外したボタンを一つずつ丁寧に留め始めた。
「え?」直樹は瞬きを繰り返した。「俺は直樹がいいって言ったんだ。好きな方で呼んでいいなら、俺は直樹の方を選ぶ」浩美に耳元で囁かれ、直樹は動揺を隠せなかった。「な、なんで? 春樹じゃなくていいの? あんなに『春さんの方じゃないのか』って、しつこいくらい聞いてたのに」 「もちろん、春さんのことは好きだよ。今でも尊敬してる。あの人からもらった〝言葉〟は、今だって俺の救いになってる」浩美はそこで一度、言葉を切った。「でも今になって、ようやく認められたんだ。春さんの言う通り、俺はあの人を通して、ずっと別の誰かを見てた。春さんはそれに気づいてたからこそ、俺の気持ちを否定しなかったんだと思う」そう言うと、浩美は抱擁を緩めた。 そして当惑したままの直樹の頬へ、そっと手を添える。「直樹。たとえお前が本当は誰であったとしても──今だけは、直樹でいてくれ」色の薄い瞳が、真っ直ぐ直樹を見つめる。「俺は直樹に、ここにいてほしい」再び強く抱きしめられ、直樹は息をするのもやっとだった。「浩、美……」何と言えばいいのかわからない。 頭の中はぐちゃぐちゃなのに、何かを返さなければという気持ちだけはあった。迷った末、直樹はおずおずと浩美の背中へ腕を回した。 その瞬間、浩美の身体がわずかに緩む。「直樹。これでやっと、本当のことが言える」浩美は直樹の耳元へ顔を寄せると、低い声で囁いた。「俺はずっと──子供の頃から、お前のことが好きだったんだ」 「……⁉」意味を理解するより先に、唇を塞がれた。頭の中が真っ白になる。 逃げることも、押し返すこともできないまま、直樹はされるがまま浩美の唇を受け入れた。首筋に回された手が、襟足の髪を優しく梳く。 それだけで、どうにかなってしまいそうな甘い不安が身体の奥から込み上げた。「……っ、ふ……」 「直、樹」名
後悔は、棘のように胸の奥に刺さったままだ。 十年経った今も、抜ける気配はない。だからこそ、春樹そっくりの〝彼〟を見つけた時、浩美は怖いと思った。 自分がしでかした罪のせいだけではない。 直樹を守ると約束したのに、自分の不幸ばかりに囚われて、何もできなかった。でも、今は違う。 浩美は一度、深く息を吸った。 もう、怖くて逃げるだけの無力な子供じゃない。立ち向かう力くらいはあるはずだ。 今度こそ、守りたいものから目を逸らしてはいけない。「──直。俺は、何があってもお前を守るから」浩美は直樹から目を逸らさず、そう言った。 しかし向かい合った直樹は、小さく首を振った。 そして静かに、浩美の手を取る。「もういい。いいんだ、浩美。そんな約束、果たさなくていい」 「直……?」 「お前は十分やってくれたよ。俺、知ってるから」直樹は浩美の手を包んだまま、ゆっくりと言葉を続けた。 「このコテージを見ればわかる。ここがずっと使われてないなんて、嘘だろ。浩美、今でも頻繁にここへ来てるよな? それで森に入って、春樹を探してる。そうだろ?」浩美は何も答えられなかった。 錆びついたようなざらつきが、喉の奥に引っかかっている。「春樹がいなくなってから、俺たちが村を出るまでの一年もそうだった。お前、毎日森に入って、暗くなるまで帰ってこなかった」遠い記憶を辿るように、直樹の声が静かになる。「帰ってくると、そのままウチに来るんだ。寝込んでた俺の枕元で、『春さん、今日も見つからなかった。ごめん』って……泣きながら」 「……」 「そんなお前を見かねて、おじさんがお前を全寮制の学校に入れるまで、ずっと毎日。それでも長期休みになるたび村へ戻ってきて、また森へ入った」直樹の指先が、浩美の手をきゅっと握る。「それを今も続けてる。十年間ずっと」胸の奥が、鈍く痛んだ。自分ではとうに慣れたつもりでいた。
言い切ると、浩美は正面の直樹を見据えた。 直樹は眉をひそめ、信じられないものを見るように浩美を見返した。「は? 守る? 浩美、何言ってるの?」直樹の喉の奥から、かすれた笑いが漏れた。「俺はそんなこと望んでない。さっきだって、助けてほしいなんて一言も──」 「お前がどう思おうと、俺には関係ないんだよ」浩美は肩をすくめ、直樹の言葉を遮った。「俺は、春さんとの約束を果たしたいだけだ。それが、あの人への償いになるなら……」直樹の表情がわずかに強張った。「約束? 償い?」 「そうだ。昔、俺は春さんと約束したんだ」胸につかえていたものを呑み込むように、浩美の喉仏が大きく動いた。「お前を守るって」握りしめた拳に力がこもる。「だから俺は、その約束を果たす。お前が何を言おうとな」浩美はそこで言葉を切った。 これ以上口を開けば、抑え込んでいた感情まで溢れ出しそうだった。脳裏に、あの日の春樹の声が蘇る。『浩美、直樹を守ってやって。これは、君だから頼むんだ』春樹を抱いた、あの時。 彼は確かに、そう言った。※当時の浩美は、厳格で神経質な父親とうまくいっていなかった。 家の空気が耐え難くなるたび、都心の家を抜け出しては、この村へ戻ってきていた。どうしても、あの家にはいたくなかった。 家族はいるはずなのに、屋敷の中はいつもひっそりと静まり返っていた。誰も、必要なこと以外は口にしない。 誰かが余計な一言をこぼせば、かろうじて保たれていた均衡が崩れ、家中に怒声が響いた。浩美はいつも、その張りつめた空気を背中に感じていた。 まるで、薄いガラスに今にもひびが入りそうな、危うい気配。 そして、その気配を察するたび、浩美は都内の家を飛び出し、父親の実家がある村へ逃げ込んだ。家族と向き合う勇気などなかった。 そもそも、家族の誰もが
「お前っ……!」鋭い声に遮られ、直樹は顔を上げた。いつの間にか、浩美が目の前に立っていた。 その表情には、隠しきれない苛立ちが浮かんでいる。「お前、一体何考えてるんだよ」押し殺した声が、直樹の頭上から降ってくる。「今の言い方じゃ、まるで春さんがもう死んでるみたいじゃないか!」浩美の喉の奥から、獣じみた唸り声が漏れた。その剣幕を前にしても、直樹の心の中は静かだった。張り詰めていた糸が切れたように、ふっと肩の力を抜く。わずかに身体を起こすと、どこか寂しげに笑った。「そんな顔しないでよ、浩美」 「……何?」 「お前にそんな目で見られるの、もう十分なんだよ」直樹は浩美から視線を逸らした。 まるで、次に口にする言葉が部屋のどこかに落ちているのを探すように。「少しくらい、昔みたいにさ……」──仲良くしようよ。喉元まで出かかった言葉を、直樹は飲み込んだ。 あまりにも幼く、惨めに思えたからだ。しかし、その沈黙へ浩美の剣呑な声が覆い被さった。「はっ、昔のことなんて、ろくに覚えてないくせに」直樹は、再び浩美へ視線を戻した。浩美は肩をいからせ、胸を大きく上下させている。「それに、俺を怒らせてるのはどこのどいつだよ。一人で飛び出して、勝手に森へ入って、挙げ句の果てに穴へ飛び込んで」浩美の声が、次第に荒くなる。「兄貴と一緒にいたかった? じゃあ何だ。お前、死ぬつもりだったのかよ」 「……」直樹が何も答えないのを見て、浩美は大きく息を吐いた。「ふざけるな。自分勝手にもほどがあるだろ」浩美の拳に力が入り、太い血管が浮き出る。「こっちは、どれだけお前のことを心配して──」 そこまで言いかけて、浩美は口を噤んだ。 言葉の代わりに、深いため息を吐く。やがて浩美は直樹の正面にしゃがみ込み、その顔を真っ直
検視の結果、穴から見つかった骨は、高谷兄弟のどちらのものでもないと判明した。警察の話では、遺体は数年前、自ら森へ入り込んで命を絶った観光客のものらしい。廃墟スポットとして知られるより以前、この森は自殺の名所として、ひそかに名を知られていた。 一度迷い込めば、二度と抜け出せない森。 そんな噂に惹かれて足を踏み入れ、そのまま戻らなかった者は、これが初めてではないらしい。形式的な事情聴取を終えた直樹と浩美は、コテージへ戻る頃には、すっかり疲れ果てていた。何から何まで、慌ただしい一日だった。浩美はダイニングチェアの背にもたれ、傍らのソファへ視線を向けた。 直樹は膝の上で祈るように両手を組み、その手に額を押し当てていた。その姿を見て、浩美の喉の奥がきゅっと締まった。 やり場のない苛立ちを紛らわせるように髪を掻き、椅子にもたれかかった。「結局、お前がどっちなのかは、わからないままだな」直樹は顔を上げない。 浩美はその白い首筋を、じっと見下ろす。「あそこまで必死になって春さんを探してるってことは──やっぱり、お前は直樹の方なのか?」わずかに開いた窓から、虫の声が忍び込んでくる。 長い沈黙の末、直樹の声がぽつりと響いた。「さあね、そんなの、こっちだって知りたいよ」投げやりな口調だった。 直樹は組んでいた手を解き、自分の指先をぼんやりと見つめる。 その瞳には、まるで生気が宿っていなかった。「俺たち兄弟は、いつも一緒だった。兄弟っていうより、お互いを自分の分身みたいに思ってたんだ」直樹の口元からぽつり、ぽつりと、言葉が漏れる。「特にこの村へ来てから、身近に他の子どもなんていなかったから、俺たちは必要以上に依存し合ってた。自分たちの境目がわからなくなるくらいに」直樹の口元が自嘲するように歪んだ。「だから俺は今でも、自分が春樹なのか直樹なのか、わからなくなる時がある」 「……どういう意味だよ、
直樹は思わず足を止めた。 振り返った影の顔は、兄にしては幼すぎた。(あれは──)「……直、樹?」足を緩めた隙に、子どもは木立の奥へ消えていた。 葉をかき分ける音だけが、徐々に小さくなっていく。自分の粗い呼吸音だけが鼓膜に響く。あの子は誰だ? なぜ、昔の自分と同じ顔をしていた?直樹は、泥と血で汚れた手で髪を掻きむしる。──じゃあ、ここにいる俺は誰なんだ?叫びが喉元までせり上がった、その時だった。「おいっ!」
どれほどそうしていたのか、自分でもわからなかった。「直樹」不意に名を呼ばれる。 ハッと振り返ると、すぐ目の前に浩美がいた。知らないうちに、直樹は窓際まで近づいていた。 背中がひやりとガラスに触れる。すっと浩美の手が伸びてくる。一瞬身構える。 だが、その手は直樹の腕を軽く掴み、もう片方の手でカーテンを閉めただけだった。 まるで森の気配を遮るように。「直、って呼んでいいんだよな? お前はちゃんと直樹──高谷家の弟の方なんだよな?」浩美は真正面から直樹の顔をじっと見つめてくる。「……あ、あぁ」夢から引き戻されたような気分のまま
沈黙が車内を支配する。「……俺は直樹だよ」そう言ったあと、直樹はたまらず吹き出した。 こんな質問をされるとは思わなかった。「当たり前だろ。兄貴──春樹は、あの日からずっと行方不明なんだから。残ってるのは俺しかいない」はははと笑うと、浩美もつられるように笑った。「そう、だよな……」けれど、その声はどこか弱々しかった。「それより、ちょっと仮眠していい? ここまで歩いてきたから、もうへとへとなんだ」答えを待たず、直樹は窓に頭を預ける。 どこまで行っても変わり映えのしない森が、車窓の向こうを流れていった。故郷の村は、市街地から車で一時間ほど走
──暗い森には悪魔が住んでいる。子どもの頃、村の大人たちは本気でそう言っていた。 ※「そこのお兄さん、乗っていかない?」村へと続く林道を歩いていると、横を通り過ぎていったはずの車がバックし、すぐ脇に止まった。メタリックなカマキリ色。 奇抜な車から顔を出したのは、見覚えのある男だった。「──浩美ちゃん」 「おい。いい加減、その呼び方やめろ」ずっこける真似をした西原浩美は、気を取り直したようにサングラスを鼻先までずらした。「で、どうする?」まるで洋画のワンシーンみたいな気障な仕草。 だが華やかな顔立ちの浩美がやると、不思議







