All Chapters of サボテンの恋~年下のきれいな男の子に毎日ごはんを作ってもらうお話: Chapter 21 - Chapter 30

42 Chapters

第21話 二人で過ごすお正月

 千颯のいる部屋と波瑠の寝室の間の部屋は、最初波瑠の居住スペースだった。  しかし、千颯と一緒に住むようになり、そこを共有の居間として使うようになっていた。  つまり、こたつがありテレビがあり、二人でまったりする空間なのである。食事は台所の食卓でとっていたけれど、お節は居間でのんびり食べましょうということになり、二人はこたつに入りながら映画を観つつお節を食べていた。「波瑠さん、お休みいつまでですか?」 「五日までなの。六日から仕事なんて、悲しいわ。千颯くん、大学はもっとお休みでしょう?」 「授業は六日からですよ。でも、その後、入試の関係で休みの日があります」 「いいなあ。まだ一年生だから、気楽でいい時期よね」 「そうですね、就職活動もまだですし」 「あ! 映画終わっちゃった。次、何観る?」 「波瑠さん、お出かけしなくていいんですか?」 「うん! おうちがいい。こうして、千颯くんと一緒に、こたつに入ってお節を食べたり映画を観たりしながら、まったりしているの、幸せ」  波瑠はそう言って、お重から黒豆をとって自分のお皿に乗せた。  むろん取り箸を使っているけれど、千颯は、ほんとうは、こうして一つの入れ物から食べ物をシェアするのもあまり得意じゃないはずだ、と波瑠は思っていた。だけど、千颯は自分からお節作りましょうと言ってくれた。そのことで波瑠は安堵するような気持ちで満たされていた。「あ、僕これ観ていいですか?」  千颯がリモコンに手を伸ばし、映画をスタートさせた。それは何年か前に流行ったアニメ映画で、波瑠も好きなものだった。 「私、これ好きだよ」 「僕も好きなんです。久しぶりに観てみたくて」  そのとき、こたつの中にいたキャンディがもぞもぞとこたつから出て来た。そして、その拍子に波瑠も千颯も少し動き、互いの足が触れ合った。 「ごめんなさい!」 「いや、僕のほうこそすみません」  波瑠は、少し赤くなった千颯の顔を見ていたら、もしかして一緒にこたつに入れること自体も、特別なことなのかもしれないと思い、また嬉しさが込み上げてきた。  キャンディはこたつから出ると、千颯と波瑠にすり寄り、二人の間に丸まって眠った。 幸せだなあ、と波瑠は思う。  ここ数年の間で、これほど安心して寛げた日々があっただろうかと。  毎
Read more

第22話 母親の死と継母の毒

 またお風呂を覗かれた。 ――気持ち悪い。 千颯は用心して浴槽から出ると、脱衣所の鍵を確認してから、バスタオルで身体を拭き、着替えを身につけた。 継母がお風呂を覗く。 最初は偶然だと思っていた。 でも、あるときわざとだと気づいた。……あの、目。……気持ち悪くてたまらない。 誰にも相談出来なかった。「わざとじゃない」と言われてしまえばそれでおしまいの話だし、そもそも、覗き自体を信じてもらえない可能性も高い。一番の味方であるはずの父には絶対に相談出来ない。何しろ父が選んだ人なのだ。 でも、小六で母が急な事故で死んで、中一で再婚したいと言われたとき、千颯は父親の神経を疑った。お母さんが死んで、まだ一年も経っていないのに? しかし、父は一人では生活が出来ない人で、ある意味必要にかられて再婚したのだ。いくら千颯が「家のことは僕がやるよ」と言っても、本気にされなかった。また、父が望むように家のことを全てする技術を六年生の千颯はまだ持っていなかった。 母親がいなくなって、千颯の生活は根底から変わってしまった。 死後数ヶ月は、母のいない生活をなんとか二人でやって行こうとしていたので、大変ではあったけれど、無我夢中で前向きな気持ちでいられた。父と二人で悲しみを乗り越えていこうとする感じは嫌ではなかった。しかし次第に父は家のことには興味を失い(もともと家事が出来ない人だった)、そこからほどなくて「再婚する」と宣言したのだ。「新しいお母さんと妹だよ」 父に紹介されたその人たちを、千颯は初めから好きになれなかった。「よろしくね、千颯くん。とてもかっこいいのね。あたしは恵瑠と言います。お母さま亡くなって一年も経っていないし、あたしと千颯くんは十八しか違わないから、お母さんって呼ばずに、恵瑠さんって呼んでくれたらいいわ」 差し出されたその手を掴む気になれなかったけれど、仕方がないので手を掴み握手をした。長い付け爪はきれいというより、魔女のように千颯には感じられた。手は肉厚で、なぜだかとても気持ちが悪いと思った。 それは
Read more

第23話 「好き」なんて、一生分からなくていい

 千颯にはもう一つ困ったことがあった。 それは、中学に入ってから、やたらと女子に告白されるようになったことだ。しかも、それまで名前も知らなかった子からも告白される。「千颯くん、好きです。つきあってください」「……僕、君のことよく知らないから」「つきあってから知ってください。彼女、いないんでしょう?」「いないけれど」「じゃあいいじゃない。かっこいいなって思って、ずっと見ていたのよ」 三年生の女生徒はそう言って、千颯の腕を掴んだ。 その瞬間、千颯はぞわりとして、その手を乱暴に振り払った。「きゃっ」「ご、ごめん。……つきあえません。ごめんなさい」 千颯は足早にその場を立ち去った。 同じようなことが何度も続き、千颯は疲れ果てた。「好き」というものが千颯にはまるで分からなかった。 恵瑠と同じような目をした彼女たちのことを、とても好意的には受けとめられなかったのだ。それにそもそも、千颯は自分のことでいっぱいいっぱいで、恋とか好きとか、そういうことを考えるゆとりは全くなかった。 友だちに相談しても「自慢?」とか「とりあえずつきあったら?」と言われるだけなので、相談も出来なくなっていった。 千颯は、余計なことを考えたくなくて勉強をし部活をし、そして塾に行ってまた勉強をした。告白されても丁寧に断り続けた。それが誠実な態度だと思っていたから。 すると、告白以上に困ったことが起きた。 物が度々なくなるのだ。 体操服とかリコーダーとか。 最初は千颯も自分で失くしたのかと思っていた。しかし、友だちに「お前のジャージ、持ってるって自慢しているやつがいるよ」とSNSを見せられた。 ……気持ち悪い。「先生に言ったら?」 さすがに友だちは心配してそう言ってくれたが、もう既にあらゆることが面倒だった。先生に言うと、親に連絡が行くだろう。親って、もしかして恵瑠さんにも? 恵瑠の顔を思い浮かべると、そ
Read more

第24話 この名字を捨ててしまおう

 高校二年生のとき、寝ていたら、夜中にふと気配を感じて千颯は目を覚ました。 目を開けると、薄暗い中に恵瑠がいて、ベッドで寝ている千颯を覗き込むようにして、しかも千颯の頬に触れていた。「……な! 何しているんですか⁉」 千颯は恵瑠の手を振り払い、半身を起こした。「寝ているかな、と思って確認しただけよ」 恵瑠はそう答えた。 しかし、千颯には眠っているところへ入って来た行動そのものが嫌悪すべきものだった。 千颯は夜眠るとき、ベッドを扉部分まで移動させて眠ることにした。これで簡単にドアは開かない。そうでもしないと眠りにつくことが出来ないことが情けなかった。 千颯は高校生になったころには、家では必要最低限しか話さなくなっていた。継母である恵瑠のことはむろん嫌いだったし、恵瑠そっくりな聖羅のことも嫌いだった。 でも、実は自分のことに無関心である父親が一番憎かったかもしれない。 千颯は早く、家を出て行きたかった。 それまでは気配を消してそこにいるしかなかった。 大学で県外に行けたらよかったけれど、財布を握っている父親が「通える範囲にいい大学がいくつもあるのにどうしてわざわざ県外に行くんだ? 県外に行くなら学費は出さない」と言ったので、あと四年、大学に行く間だけ家にいることにしたのである。 *** 今思えば、あそこで奨学金を借りてでも、県外に行き家を出ればよかったのかもしれない。 千颯は、お正月のテレビ番組をぼんやり見ながらそんなことを考えた。「にゃー」 するとキャンディがすり寄ってくる。 ふと見ると、波瑠はこたつに入ったまま、眠りこけていた。 波瑠さん、こたつで寝ると風邪を引いてしまいますよ―― そう起こそうとして、やめた。少しくらい大丈夫だろう。……とても幸せそうに眠っている。 千颯は波瑠の寝顔を見て、ほっとした気持ちになった。 ……これでよかったんだ。 自然にそう思えた。 もし、県外の大学に行っていたら、僕はこうして波瑠さんちにいることはなかった。 * ――あの後、大学受験も無事終わり、自宅から大学に通っていた。すると、今度は聖羅が千颯の部屋に来るようになったのだ。何かと理由をつけて。聖羅は千颯に一方的に何かを話す。千颯は出来るだけ早く出て行ってもらえるよう、穏やかに何かを短く言う。そうい
Read more

第25話 想い出のだし巻き卵

「ちょっとうまく巻けなくて、形がおかしいんですけど……食べてみてください」 千颯は初めて作る料理を波瑠に出すとき、いつも少し緊張をした。……気に入ってくれるだろうか。「形、全然変じゃないよ。嬉しい! いただきます!」 波瑠は手を合わせてから、だし巻き卵を一切れ口に運んだ。 千颯は、波瑠が食事の前には必ず「いただきます」と手を合わせることに、いつもほっとした気持ちにさせられた。「……どうですか?」「かつおだしが効いていて、おいしいよ、ほんのり甘くて。おばあちゃんが作ってくれていたのとおんなじ! お弁当のだし巻き卵!」「レシピノート見ましたから」「見ても同じように作るのは難しいんだよ。ね、千颯くんも食べてみて」 波瑠に言われて、千颯はだし巻き卵を一切れ口に入れた。 口の中に、汁気を含んでじゅわっと広がる、優しい甘さ。それから、かつおぶしの味。 ……お母さんが作ってくれたのと、同じ味だ…… 小学生のとき、遠足のお弁当のときにいつも作ってくれた、あのだし巻き卵。 あの頃はただの卵焼きだと思っていた。お母さんが死んでから、何度か作ろうとしても決して同じ味のものは出来なかった。 波瑠さんのおばあさんのレシピノートのだし巻き卵を見たとき、もしかして、と思った。もしかして、お母さんが作ってくれた味に似ているかもしれないと。 ……ここまで同じだなんて。「千颯くん? どうしたの?」「え?」「……泣いてるから」 泣いている? 千颯は目元を拭った。……ほんとうだ、いつの間に?「ねえ、千颯くん。……泣きたいときには泣けばいいのよ。千颯くんが前に言ってくれたじゃない。千颯くんも泣けばいいのよ。ねえ、きっと、だし巻き卵が想い出を運んで来たんでしょう?」
Read more

第26話 記憶の中のおばあちゃんち

 千颯が目を覚ますと、既に辺りは明るい日射しに包まれていた。  見慣れない室内。……古い日本家屋? 縁側が見えた。朝の日射しは縁側のガラス戸から入って来ていた。朝? いつの間に。……夜中に目を覚まさなかった。 ――女の人⁉  千颯は、少し離れたところから自分を覗き込んでいる女性を見て、どきりとした。 瞬間、思い出した。  自分の昨日の行動を。  昨日、この女性に家に入れてもらったことも。  ……誰かが――しかも見知らぬ女性がそばにいて、僕はぐっすり眠れることが出来たんだ……。  そのことに千颯は驚いていた。 もうずっと長い間、夜中に目を覚ますことなく眠れた日はなかった。いつも夜中に何度も目を覚まし、誰か部屋に入っていないか確認していた。短い切れ切れの睡眠と悪夢が、千颯の夜の全てだった。  久しぶりにすっきりした気持ちがしていて、身体も軽かった。  千颯は身体を起こして正座をしてから「おはようございます」と言った。それから「昨日は泊めてくれてありがとうございます」と。 千颯は古い日本家屋の室内をゆっくりと見た。  やっぱり、記憶の中のおばあちゃんちに似ている……。  今はもうないけれど。  波瑠さんに拾ってもらったあの日、僕は、ほんとうは死にたいと思っていた。  生きていくことにとても疲れていた。夜もよく眠れなくて。家にいても学校にいても、心が休まることはなかった。生きている意味が分からなかった。  恵瑠と聖羅への嫌悪感が我慢出来なくなるほどに達した、あの金曜日の夕方、ほとんど勢いで大きな荷物を持って、千颯は家を出た。しかしむろん、家を出ても行く場所なんてなかった。死にたいと思っていたのに、現金やパソコン、着替えの外に、大学で使う教科書なんかも持って来ていて、千颯は我ながら滑稽だと思った。 母のお墓にお参りをした。  手を合わせて語りかける。  お母さんが生きていた頃と今とでは、世界が全然違うよ。お母さんが生きていた頃、僕は自分が幸福な子どもだとい
Read more

第27話 そっと一緒にいるあたたかさ

 僕を、ここに置いてください、なんて、自分でもよくそんなことが言えたな、と千颯は言ってしまったすぐ後、恥ずかしく思っていた。一晩泊めてもらえただけでもラッキーだったのに。  波瑠がすぐに断らずに「寝てから考えましょう」と言って、布団を敷いてくれたので、千颯はほっとしてまた眠った。これまで何年も熟睡出来ていなかったのを取り戻すように、よく眠った。 ふと目を覚ますと、家の中が静かだった。  そして、空腹を覚えた。  先ほど浴室とトイレの場所を教えられたとき、台所を通って行ったので、台所の場所は分かっていた。人の家を勝手にうろついていいものかと思ったけれど、喉も渇いていたので、台所に行った。  水を飲むと、土鍋が目についた。  幼い頃、祖母が土鍋でごはんを炊いていたことを思い出した。見ると、お米もあった。 ……土鍋で炊いたごはんが食べたくなった。  波瑠さんも食べたいかもしれない。  スマホの電源を入れて、土鍋でのごはんの炊き方を検索した。  ……そんなに難しくないな。  千颯は勝手に触っていいのかなと思ったけれど、何となく許されるような気がして、ごはんを炊くことにした。 土鍋に火をかけてしばらくすると、沸騰してきたのが分かった。  ごはんが炊けるいいにおいもしてきた。火を弱火にする。  ふいに、まだ小学校に入る前の幼いころに、母親が握ってくれたおにぎりを思い出した。朝、あまり食べられない時期があって、「おにぎりなら食べられる?」と炊き立てごはんで塩にぎりを作ってくれたのだ。……おにぎり、食べたいな。  千颯は塩にぎりを作ることにした。  いくつか作ったところで、波瑠が来た。――まずい、勝手に台所を触って、嫌がられるかもしれない。「勝手にごめんなさい。……僕、お腹が空いて。波瑠さんもお腹が空いたかなって思って」  波瑠は怒ったりしないで「おにぎり、食べていい?」と言った。  千颯は「どうぞ」と塩にぎりを差し出した。とても嬉しい気持ちで。  波瑠はおいしそうにおにぎりを食べた。そして、涙をぽろりと流した。
Read more

第28話 この感情は何だろう?

 静かな生活を乱すようなことが起こった。  波瑠の元カレが突然家にやって来たのだ。 千颯が、作った料理を食卓に並べていると、玄関から口論が聞こえてきた。波瑠が困っているようだったので、千颯はすぐに玄関に行った。  スーツを来た、三十代半ばくらいの男がそこにいて、波瑠の手首を掴んでいた。「波瑠さん、どうかしましたか?」 「こいつか!」  スーツの男は敵愾心を露わにして、千颯を値踏みするように見た。  どうもこいつは波瑠さんの元カレで、僕のことを新しい男だと思っているらしい、と千颯は推測した。 「子どもじゃないか」と言うので、千颯は大学生であることを告げる。  ……波瑠さんはどうしてこんな男とつきあったのだろう? 「男が上の場合はいいんだよ! 女は若い方がいいだろ?」なんて、どうしようもない男じゃないか。 「僕はそう思いませんけど? 波瑠さんは素敵な方です」 千颯はそう言って――波瑠の手を握った。無意識だった。  ずっと、誰かに触れられるのが怖くて、そして触ることにも嫌悪感を抱いていた。  だけど、波瑠の手は心地よかった。やわらかな、小さな手。千颯は握った手に力を込めて、「帰ってください」とその男に言った。 「こんな、料理も出来ない年上の女がいいのか?」の台詞に、千颯は笑いそうになってしまった。この男は波瑠さんのことを何も知らないのだ。  男を追い返すと、波瑠は「ごめんね、嫌な思いをさせて」と言う。……波瑠さんは悪くないのに。「誤解させたと思う」とすまなさそうに言うので、「わざとだから大丈夫です」と答えた。 ……わざと?  僕は、波瑠さんと手をつなぎたかった。  そうせずにはいられなかった。  あいつが、波瑠さんのことを馬鹿にしたことが腹立たしかった。……波瑠さんはほんとうに素敵な人なのに。  同時に、波瑠さんがあいつとつきあっていたんだ、と思うと、心の中がざわざわとした。黒い鳥が羽ばたいて、その羽根がちくちくと僕を刺した。僕は波瑠さんと手をつなぐことで一緒に住んでいるんだと言うことで、あいつから波瑠さんを引き離
Read more

第29話 生春巻きと、そばにいたい気持ち

 千颯は波瑠に触れたくなる自分を自覚していた。  初日の出を一緒に見に行った帰り、手をつなぐことが出来た。波瑠の小さくて冷たい手が愛しかった。ポケットの中でぎゅっと握ったら、握り返してくれて息が止まりそうだった。……手が冷たそうだから、なんて言ったけれど、変に思われなかっただろうか。  波瑠のメイクをしていない顔を見るのも、千颯は好きだった。  透明な素肌にやわらかい目元、そしていつもおいしそうに千颯の作ったごはんを食べる唇。 お正月、一緒にこたつに入っていたら眠ってしまった波瑠を見て、千颯は思わずその頰に触りそうになった。しかし、そのとき「にゃー」とキャンディが寄って来たので、千颯はキャンディのお腹を撫でた。  キャンディはお腹を見せて寝転がり、もっと撫でてという。 「ほんとうに無防備だな、キャンディ」と言うと、波瑠が「誰が無防備? 私?」と言ったので、千颯は驚いた。頰を触りたいと思ったのを見透かされたように思って、どきりとしたのだ。  波瑠さんが笑う。  僕も嬉しくなる。波瑠さんが笑ってくれているといい。 千颯と波瑠のお正月休みはそうして穏やかに過ぎて、日常が始まった。千颯の大学も始まり、新年の空気を残しつつ、急速にいつもの時間に戻って行く。 今日も、古い台所で千颯は晩ごはんを作っていた。  ライスペーパーを水で戻し、その上にサニーレタス、人参の千切り、パクチー、春雨を乗せて一巻きしてから、えびを乗せて巻き上げる。  ……きれいに出来た。  半分に切ってサニーレタスを敷いたお皿に盛りつけた。  同じものを三つ作り、残り三つは違う具材にする。  サニーレタス、人参の千切り、パクチーは多めに。そして、アボカドとサーモンを乗せて巻き上げた。  波瑠さん、アボカド好きだから。……喜んでくれるといいな。  野菜がたっぷり入ったスープは既に出来ていた。もうすぐ波瑠が帰ってくる時間なので、千颯はスープを温めた。  スープを温め終わったころ、玄関に人の気配がして、千颯は玄関に行く。「おかえり、波瑠さん」 「ただいま、千颯くん」
Read more

第30話 嵐――千颯の義理の妹が来る

 玄関のチャイムが鳴った。 二月中旬の土曜日の午後、波瑠と千颯が買い出しに行き、家に戻ってしばらくしたときのことだった。「僕、出てきます」「ありがとう、千颯くん」 波瑠は千颯に任せると、買って来たものをしまい始めた。「にゃー」と言って、キャンディが寄って来る。「キャンディのかりかりもあるわよ」 玄関で「どちら様ですか?」と言っている千颯の声が聞こえた。「お兄ちゃん! お兄ちゃんでしょ⁉ 開けて!」 同時に、ヒステリックな若い女性の声が聞こえ、波瑠は急いで玄関に行った。「千颯くん、どうしたの?」 千颯は困った顔をして、波瑠を見た。「……妹が――父が再婚して出来た義理の妹が、来たんです」 千颯の声は震えて、顔は青ざめていた。そして、彼は玄関の扉を開けたくないのだと、波瑠にはすぐに分かった。「千颯くん、ちょっとどいてくれる? 私が開けるわ」「でも」「このままじゃ帰ってくれないと思うわよ」 波瑠が玄関の扉を開けると、女の子が挨拶もなしに玄関にずけずけと入って来た。「お兄ちゃん!」 波瑠は入って来た女の子をしみじみと眺めた。 土曜日だけど、その子は高校の制服らしきブレザーを着て、その上から黒いダウンジャケットを羽織っていた。長い黒髪は毛先を少し巻いて垂らし、前髪はかわいいピンで留めている。耳にはピアスが光り、メイクはばっちりだ。マスカラで塗れた睫毛にアイラインでくっきりと縁どられた目元。赤い唇はグロスたっぷりでつやつやとしていて、頰にはピンク色のチークが乗せられている。首元はマフラーを巻いてあたたかそうだったけれど、足元は短いスカートに紺色のハイソックスといういで立ちで、太ももがとても寒そうに見えた。「あなた、千颯くんの妹さん? 私は久保寺波瑠、と言います。あなたは?」「聖羅。……何よ、お兄ちゃん、こんな女がいいの⁉」 こんな女。 なるほど、私は千颯くんの彼女で、千颯くんは私と同棲している、と彼女は思っている、と。 波瑠は状況をそのように判断し、聖羅に向かってにっこりと笑った。「聖羅さん、どうやってここに来たの?」 以前、波瑠が居場所を知らせたのかと千颯に訊いたら、大学や近しい人にだけ教えた、という答えが返ってきた。そこに家族は入っていなかった。それから、迷惑がかかるといけないから、あま
Read more
PREV
12345
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status