All Chapters of クズ旦那と別れた私は愛を見つけた: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

高級セダンは、そのまま都心でも指折りの高級ショッピングモールへと向かった。すでに深夜だというのに、館内は昼間のように明るく照らされている。玲司は俊太のために、限定生産の豪華客船模型を購入した。その価格は、一般家庭なら半年は暮らせるほどの金額だった。「やった!パパ最高!」模型を抱きしめた俊太が歓声を上げる。その呼び方に、玲司は思わず目を瞬かせた。今まで自分は、「パパ」と呼んでいいと、俊太に言ったことはない。すると奈帆が、困ったように俊太の額を軽くつつく。「もう、俊太ったら。玲司おじさんは優しいけど、『パパ』と呼ぶのは――」「別に構わない」奈帆の言葉を玲司が遮った。「呼びたければ好きに呼べばいい」そう言って奈帆へ向けた眼差しは、どこまでも柔らかい。奈帆は感激したように微笑み、その胸元へそっと身を寄せた。寄り添う三人の姿は、誰が見ても幸せな家族そのものだった。三人が家へ戻った頃には、すでに午前二時を回っていた。家の中は真っ暗で、人の気配もない。玄関に立った玲司は、わずかに眉をひそめた。いつもなら千歌が家の中を整え、遅く帰る日でも明かりだけは残してくれていた。そのことを思い出した途端、なぜか胸の奥がさらに苛立つ。まただ。あの親子は、いつもこうして気を引こうとする。見つけたらきちんと言い聞かせなければならない。二度とこんな真似ができないように。その夜――玲司は寝室のベッドに横になっても、なかなか眠ることができなかった。天井を見つめていると、クルーズで真人が口にした言葉が何度も耳の奥によみがえる。――「いらない。そのプレゼント、ぼくはいらない。もう、みんなと一緒に誕生日を祝うこともないから」今日は真人の五歳の誕生日だ。これまで一度たりとも、息子の誕生日を祝ったことはない。今回も、本来なら誕生日パーティーを開くつもりなどなかった。だが、千歌たちを懐柔し、腎臓と角膜の移植を進めるため――その目的があったからこそ応じたに過ぎない。だが、ふと過去の光景が脳裏に浮かぶ。毎年真人の誕生日になると、千歌は手作りのケーキを持って会社までやって来た。そして、彼の分と真人の分を丁寧に切り分ける。「パパも食べてね、ママが作ったケーキ……すごく美味しいから」小さな真人が、遠慮がちに、それでも期待に満ちた
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第12話

玲司は、大きな窓の前に立ったまま動かなかった。指の間に挟んだ煙草は、いつの間にか根元近くまで燃え尽きている。それでも彼は気づかず、ただぼんやりと立ち尽くしていた。――あれから丸二日が過ぎた。それなのに、千歌と真人の行方はまったくつかめない。まるで最初から存在しなかったかのように、二人は跡形もなく消えていた。玲司は当初、奈帆の言葉を信じていた。今回もどうせ、千歌が気を引くために姿を隠しているだけだろうと。彼女は昔からそうだった。気遣ってもらうために、何をされても声を荒げず、ただじっと耐え続けた。だが今回は違う。千歌が姿を消してから、あまりにも長い時間が過ぎた。今まで、どれだけ冷たく接しても、どれだけ無視しても、千歌は必ず戻ってきた。影のように静かだが、決して消えることはない。そんな存在だった。なのに今、その影があっさりと消えていった。「拗ねるにも、限度があるだろう」吐き捨てるように呟きながら、玲司は眉間に深い皺を刻んだ。胸の奥で、説明のつかないざわつきが広がっていく。確かに今回の真人の誕生日は、まともに祝ってやれなかった。千歌たちが腹を立てるのも無理はない。そう自分に言い聞かせるように考えながら、彼はスマホを取り上げ、秘書へ電話をかけた。「千歌と真人の居場所を改めて調べろ」低く冷たい声が部屋に響く。「見つけたら、すぐ戻るよう伝えろ。そしたら今回の件は不問にする」そこで一度言葉を切り、さらに続けた。「それでも戻らないなら――もう二度と戻ってこなくていいと伝えろ」言い切った瞬間、胸の奥が何かに突き刺されたような気がした。痛くはない。だが妙に落ち着かず、苛立ちだけが残る。玲司は通話を切り、連絡先一覧を開いて、千歌の名前を見つける。発信ボタンの上で指が止まった。だが結局、押すことはなかった。すでに部下に探させている。これ以上、自分が関わる必要はない。そう思い込み、無理やり考えを打ち切った。だがその夜、慌ただしく戻ってきた秘書の表情が明らかに険しい。「社長、ご指示どおり奥様と坊ちゃんの足取りを追いました。まず誕生日パーティーが開かれたクルーズを調べたのですが……船内の防犯カメラシステムが何者かに破壊され、映像を確認できませんでした」玲司の視線が鋭くなる。「……どういうことだ?」「
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第13話

この五年間のことが、玲司の脳裏に次々とよみがえってきた。彼のために、千歌はいつも黙々と、あらゆることを整えてくれていた。「胃が弱いんだから、会食に行くときは胃薬を持っていってね」「ホットミルクを温めておいたから、そこに置いておくね」そんな何気ない気遣いを、当時の玲司は当たり前のように受け流していた。だが今になって思い返すと、彼の脳裏に浮かぶのは、いつも同じ姿だった。多くを語ることはなくても、静かで、優しくて、どこまでも揺るがなかった千歌の横顔。奈帆と再会してからもそうだった。千歌は玲司の気持ちを知っているのに、それでも感情をぶつけることなく、表面上の平穏を保ち続けていた。責めることもなく、泣きわめくこともなく、ただ黙って耐えていた。そして――真人。あの子は玲司の姿を見るたび、遠慮がちに「パパ」と呼んだ。その瞳にはいつも、傷つくことを恐れながらも消しきれない期待が宿っていた。だが玲司は、その子が生まれた経緯を思い出すたび、どうしても素直に愛情を向けることができなかった。それでも真人は聞き分けがよく、驚くほど大人びた子だった。成長するにつれて顔立ちも自分によく似てきた。角膜を提供させたあとには、せめてこれからは父親として償おうと思ったこともある。なのに、もうその機会は永遠に失われてしまった。玲司の指先がかすかに震える。気づけば彼は拳を強く握り締めていた。爪が掌に食い込み、鋭い痛みが走る。しかし、その程度では胸の奥を締めつける息苦しさは少しも薄れなかった。「調査を続けろ」掠れた声で命じる。その目には、自分でも予想していなかったほどの冷たい怒りが宿っていた。「船の防犯カメラが破壊された理由を突き止めるんだ。何があったのか、一から十まで全部調べ上げろ」玲司は自分に言い聞かせた。これは千歌たちを大切に思っているからではない。ただ、自分の身近な人間が訳も分からず死んでしまったことを許せないだけだ。だが現場を離れようと振り返ったとき、吹きつける海風に思わず胸元を押さえた。そこにはぽっかりと穴が開いていたようで、まるで何か大切なものを無理やりえぐり取られたようだった。何かが消えてなくなった。そんな感覚だけが、消えずに胸の中へ居座っていた。玲司は一人で家へ戻った。玄関の扉を開けると、迎えたのは、異様なほど静
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第14話

十一月に入ったばかりだというのに、雪はもう街を白く染め始めていた。佑香は首元のマフラーをきゅっと引き寄せ、冷たい風に肩をすくめながら幼稚園の門の前で息子の帰りを待っていた。やがて園舎の扉が開き、先生に手を引かれた健斗が姿を現す。佑香の手を握る健斗は、足元がおぼつかなくても、太陽のような笑顔を見せる。「ママ、今日はね、先生が新しい歌を教えてくれたんだ!帰ったらママに歌ってあげる!」その無邪気な笑顔を見た瞬間、佑香の胸がふっと温かくなる。しゃがみ込んで赤くなった頬にそっとキスを落としたが、そのとき、閉じられたまぶたの周りが少し赤くなっていることに気づいた。「また目がかゆいの?」心配そうに尋ねながら、掻こうとする小さな手を優しく包み込む。そして顔をのぞき込み、微笑んだ。「ねえ健斗。今日はママ、とてもいい知らせを聞いたの。病院でね、健斗に移植できる角膜が見つかったんだって」佑香は健斗の白い頬を見つめ、穏やかな声で続ける。「もう少ししたら、また見えるようになるかもしれないの」「ほんと?」その声には期待と希望があふれていた。佑香は胸の奥が熱くなるのを感じながら、大きくうなずく。「本当よ。ママが絶対に、健斗の目を治してあげるから」帰り道、健斗は幼稚園であった出来事を次々と話してくれた。佑香は寒風に赤く染まった息子の耳を見つめながら、数日前の病院での出来事を思い返していた。「朗報です」主治医はそう言って、彼女に向き直った。「適合する角膜が見つかりました」その瞬間、佑香の手は思わず震えた。健斗が無理やり角膜を奪われて以来、一度もこの世界を見ることはできていない。ふらつきながら歩く姿を見るたびに、胸が締め付けられた。自分が桜井家の地下室に監禁され、息子が奈帆たちに傷つけられていたあの頃から、彼女は心に誓ったのだ。必ず息子の視力を取り戻す、と。だが希望は、すぐに別の問題に突き当たった。「ただ……」医師は困ったような表情を浮かべた。「お子さんの症例は少し特殊です。手術には当院の教授が執刀する必要がありますが、その先生の予約は来年三月まで埋まっているんです」せっかく見えた光が、また遠のいていく。それは決していい気分とは言えなかった。「お忙しいのはわかりますが……息子の手術、何とかあの先生にお願いで
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第15話

それから10分もしないうちに、拓馬は足早に戻ってきた。診察室には明るい灯りがともり、彼は疲れた様子を見せることもなく、終始穏やかな態度で話を聞いてくれた。説明を聞き終えると、カルテに何行か書き込み、迷いなく顔を上げる。「手術なら問題ない、こちらで時間を調整しよう。今週末に健斗くんを連れてきてくれれば、当日にでも手術ができるよ」予想もしなかった返答だった。佑香の胸に安堵と感謝が一気に押し寄せる。「先輩……本当にありがとうございます。もし先輩に会えなかったら、私……」そこまで言いかけて、ふと顔を上げた。優しく細められた拓馬の瞳を見た瞬間、自分が感情的になっていたことに気づき、少し頬が熱くなる。拓馬はそんな彼女を見て、微笑みながら首を横に振る。「感謝するのはむしろ僕の方だよ。まさかここで、君に再会できるなんて思ってもいなかったから」一瞬言葉を切り、それから静かに続けた。「力になれて、本当にうれしい……」二人の視線が重なる。その瞬間、大学時代の記憶が自然とよみがえってきた。サークル仲間たちと撮影旅行に出かけたこと。夜通し流星群を待ち続けたこと。けれど、若かったあの日々の想いは誰の口からも語られないまま終わった。卒業後、一人は海外へ渡り、一人は別の街で暮らし始めた。そうして、いつしか連絡も途絶えてしまったのだ。佑香は胸の奥がかすかに揺れるのを感じ、視線を伏せた。拓馬のまっすぐな眼差しを正面から受け止められなかった。「もう遅いですし……私、そろそろ帰らないと。息子が待っているので」「送りますよ」佑香は思わず首を振ろうとした。だがその前に、拓馬はすでに車のキーを手に取った。「僕は先輩なんだから、後輩の面倒を見るのは当たり前だろ?」その一言に、佑香の胸へ温かなものが広がり、結局、断ることはできなかった。久しぶりの再会だったにもかかわらず、不思議なほど会話は途切れない。気まずさもなく、まるで昨日まで一緒にいたかのようだった。やがて車は佑香の自宅の前に到着する。佑香が礼を言って車を降りると、拓馬も降りてきた。降り続く雪が街灯の光を受けて舞っている。その淡い白の中で、彼の横顔は柔らかく、以前よりもずっと大人びて見えた。拓馬は目元を柔らかく緩める。「じゃあね、千歌さん。また明日」翌日、佑香は改めて拓
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第16話

健斗が退院する日、拓馬は自ら車を運転して二人を迎えに来てくれた。病室の前に立つ彼は、いつもの白衣ではなく濃いグレーのトレンチコートを羽織り、手にはひまわりの形をした小さなリュックを提げている。「拓馬おじさん!」健斗は嬉しそうに駆け寄り、その脚にぎゅっと抱きついた。拓馬はしゃがんで目線を合わせると、優しく微笑む。「目はもう痛くないか?」健斗は素直に首を横に振り、目元の包帯を少しだけめくった。まだ赤みは残っているものの、回復は順調そうだった。拓馬は安心したようにその頬をそっとつつく。「じゃあこれからは毎週水曜日、おじさんが家に迎えに行って、一緒に検診へ行こうか」荷物を持って隣に立っていた佑香は遠慮がちに口を開いた。「……そこまでしてもらうのはさすがに申し訳ないです」「そんなことないよ」拓馬はそう言って彼女の荷物まで自然に受け取ると、柔らかな声で続けた。「ちょうど僕も同じ方向だから」もちろん、それが方便だということくらい佑香にも分かっていた。彼の家と病院は街の東側、そして佑香たちの家は西側にある。同じ方向になるはずがない。それでも彼女は断らなかった。拓馬が健斗を後部座席へ抱き上げ、シートベルトを丁寧に締める姿を見ながら、小さく微笑む。車は雪の残る静かな街を走り出した。健斗は窓に張り付き、道沿いに並ぶトナカイのオブジェを見つけるたびに楽しそうに数えている。その様子をバックミラー越しに見守っていた拓馬が、ふと佑香へ視線を向けた。「来週の水曜日は休みを取ってあるんだ。その頃には健斗の包帯も外せるはずだから。せっかくだし、みんなで遊園地へ行かないか?」佑香はわずかに眉を寄せた。拓馬が多忙なのは知っている。せっかくの休日なのに、子どもに付き合って遊園地へ行くとなれば、自分自身は休む時間もなくなってしまう。そんな彼女の表情を見て、拓馬はすぐに気づいたようだった。「僕のことなら心配しなくていいよ」ハンドルを握る指先で軽くリズムを刻みながら、穏やかに言う。「手術成功のお祝いだと思ってくれればいい」そして少し懐かしそうに笑った。「大学の頃、言っていただろう?将来子どもができたら、できるだけたくさん遊びに連れて行ってあげたいし、できれば毎週遊園地に行きたいって。だから、その願いを叶える手伝いをさせてほしい」佑
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第17話

国内――B市。奈帆は高級ブランドショップでバッグを選んでいた。新作のクロコダイルレザーバッグは七桁を超える価格だったが、彼女は値札を見ても眉ひとつ動かさず、「これ、もらうわ」と言って、会計しようとした。その横では俊太が彼女の袖を引っ張りながら、しつこく騒いでいた。「ママ!あのロボットが欲しい!昨日買ってくれるって言ったじゃん!」「はいはい、買うわよ。全部買ってあげるから」奈帆は苛立ちを隠しきれないまま適当に答え、無造作にカードを差し出した。玲司から渡された家族カード。それを眺めながら、今夜はどうやって玲司の機嫌をとり、新しい車を買ってもらおうかと考えていた。そのとき、スマホが鳴り響いた。画面に表示された玲司の名前を見て、奈帆の口元が自然と緩む。「もしもし、玲司?」甘く柔らかな声で電話に出る。「私、今俊太と――」だが、スマホの向こうから聞こえてきた声は、いつものような優しさや甘さが欠片もなかった。「今すぐ戻れ」氷のように冷え切った声だった。「どこにいようが、三十分以内に戻って来い。家で待ってる」奈帆の心臓が大きく沈む。どうして玲司がこんな態度を取るの?まさか――何か知られた?だがすぐに首を振る。ありえない。クルーズ船の防犯カメラ映像は、すでに手を回して消去させた。千歌と真人の遺体も発見された。自分の計画は完璧だ。あの日、自分が口にしたことも、やったことも、知っている人間は存在しないはず。「ママ?」俊太が不機嫌そうにスカートを引っ張る。「だから、あのおもちゃいつ買ってくれるの?」奈帆は答える余裕もなく、「あとで!」とだけ言い捨てると、俊太の手を掴み、そのまま足早にショッピングモールを後にした。車へ乗り込んでからも、鼓動は激しく鳴り続ける。窓の外の景色が勢いよく流れていく。ハンドルを握る手には力が入り、爪が革に食い込みそうだった。大丈夫。知られるはずがない。そうやって、彼女は何度も何度も自分に言い聞かせた。やがて桜井家へ到着する。玄関の扉を開いた奈帆は、その場で思わず足を止めた。いつもなら煌々と灯りがともる家が、今日は異様なほど暗い。家中に、一つとして明かりが点いていなかった。リビングの大きな窓の前に、背を向けたまま外を見つめる玲司が立っていた。その手にはタブレット端末が握
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第18話

あの日以来、玲司は家に残されていた過去の映像を、来る日も来る日も見続けていた。千歌たちに何回も辛い思いをさせたことは分かっている。だが、ようやく真実を知り、償おうと思った時には――もう、その機会すら失われていた。彼は使用人たちに暇を出し、自分を家に閉じ込めた。三人で暮らした家。そして今ではほとんど残っていない、千歌の痕跡。そのすべてに囲まれながら、ただ時間をやり過ごしていた。玲司はこの時になって初めて思い知る。自分は、あまりにも千歌と真人に無関心だったのだと。信じたこともなければ、気にかけたこともない。与えたのは疑いと冷淡さばかりだった。映像の中で家事に追われる千歌の細い背中。そして、その傍らを無表情で通り過ぎる自分自身。それらを見るたび、胸が引き裂かれるように痛んだ。酒で感覚を麻痺させなければ、とても正気ではいられない。そうして絶望を押し込めながら、日々を生きていた。そんなある日、執事が恐る恐る扉を開けた。部屋には酒の臭いが充満し、玲司自身も何日も身なりを整えていない。「誰が入っていいと言った。出て行け!」低く吐き捨てる。だが執事は震える声で言った。「旦那様……奥様がまだ生きているかもしれません。行方についての手がかりが見つかりました!」その瞬間、玲司は勢いよく身を起こした。信じられないものを見るように執事を見つめる。「そんなはずがない……あの日、彼女たちの遺体を、俺は自分の目で見たんだ。まだ生きているわけがないだろう?」そう言いながらも、声は震えていた。体まで小刻みに揺れている。執事は続けた。「奥様は以前、山間部の子どもたちへの支援活動に寄付をされていました。昨日、その団体からお礼状が届いたのです。調べてみたところ、奥様が支援していたプロジェクトは今も継続しておりました。国内で使われていた口座は停止されていますが、海外の口座から定期的に寄付金が振り込まれていることが判明しました」その言葉を聞いた瞬間、玲司の目に、久しく失われていた光が宿った。彼は呆然と呟く。「本当なのか……?」そして次の瞬間には、何度も繰り返すように口にしていた。「やっぱりそうだ……千歌がそんな簡単に死ぬはずがない。事故に遭っても、腎臓を一つ失っても、生き延びてきた。きっと俺に失望して、姿を隠しただけなんだ…
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第19話

午前三時。異国の小さな町には、静かに雪が降り続いていた。玲司は写真で見た白い木造の家の前に立ち尽くしていた。どれほど前からそこにいたのか、自分でも分からない。黒いコートには雪が厚く積もり、睫毛には霜が張りついている。指先は紫色に変わるほど冷え切っていたが、それでも彼は動かなかった。ただひたすら、二階の明かりが灯る窓を見つめ続けていた。その部屋では、佑香が健斗に寝る前の絵本を読んでいた。「ママ、拓馬パパはいつ帰ってくるの?」眠たそうに目をこすりながら、健斗が尋ねる。「拓馬パパは今、お仕事で遠くに行ってるの。あと少ししたら帰ってくるわよ」佑香はそう言って息子の額にそっと口づけた。部屋の灯りを消そうとして、何気なく窓の外へ目を向ける。――その瞬間。彼女の呼吸が止まった。雪の中に立つ人影。見間違えるはずがない。玲司だった。どうして彼がここに?自分たちは名前を変え、こんな遠い場所に引っ越してきたのに。どうやって見つけた?佑香の指先が強く握り締められる。忘れたはずの五年間、閉じ込めていた苦しい記憶が、一気に胸の奥から溢れ出した。体が小さく震える。「ママ……どうしたの?」健斗が眠たそうにして彼女を呼んだ。「何でもないよ。もう寝ましょう」震えを押し殺しながら窓を閉め、カーテンを引く。それでも気になって、隙間から外を覗いてしまう。玲司はまだそこにいた。肩に雪を積もらせたまま、まるで氷の彫像のように。その夜、佑香はほとんど眠れなかった。夜が明け始めた頃、彼女は健斗を起こさないよう静かに階段を下りた。玄関の前で長く立ち止まる。扉を開けるのが怖い。けれど二階では健斗が眠っている。母親として逃げるわけにはいかなかった。意を決してドアを開けると、吹き込んできた冷たい風に思わず身を震わせた。そして――やはり玲司はそこにいた。「千歌……」唇を紫色に染めた玲司が、掠れた声でその名を呼ぶ。目は真っ赤に充血していた。佑香は反射的に一歩後ずさる。「人違いよ」その声は冷え切っていた。玲司はよろめきながら近づき、抱き締めようと手を伸ばす。だが佑香は容赦なく彼を突き放した。玲司の膝が凍った石段にぶつかり、鈍い音を立てる。「今の私は伊藤佑香。千歌も真人も、もういない。あのクルーズで死んだの」
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第20話

あの日、毅然とした態度で玲司を拒絶したものの、その後の半月、佑香はずっと気の休まらない日々を送っていた。健斗を幼稚園へ送り届けるたび、周囲に不審な人影がないか何度も確認する。仕事帰りに後ろから足音が聞こえれば、反射的に振り返った。夜中に悪夢で目を覚ますこともあった。玲司が健斗を奪いに来る夢だった。だが彼女の知らないところで、玲司は毎日のように少し離れた場所から二人を見守っていた。朝、佑香が家を出るときも。健斗を幼稚園へ送るときも。夜道を一人で帰るときも。玲司は黙ってその近くに立ち、ただひたすら二人の姿を見つめ続けていた。そんなある日、吹雪の夜だった。残業で帰りが遅くなり、バスも運休になってしまったため、佑香は雪風の中を歩いて帰宅していた。そのとき――背後から慌ただしい足音が近づいてくる。「来ないで!」佑香は勢いよく振り返り、防犯スプレーを構えた。玲司はその場で足を止めた。黒いコートには雪がびっしりと積もっている。その手には、まだ包装も解いていない新品の傘が握られていた。「俺はただ……傘を届けたかっただけなんだ」無理に笑みを作りながらそう言う。だが、自分を見る彼女の露骨な嫌悪の眼差しに、胸が締めつけられた。「それより……」玲司はためらいながら口を開く。「君のそばにいるあの男は?どうして君や真人にこんなに無関心なんだ?」佑香はスプレーの先を彼の目へ向けたまま、冷たく言い放った。「あなたには関係ない。今すぐ私から離れて。あなたの顔を見るだけで気分が悪いの」「しかし――」玲司は苦しそうに声を漏らした。引き留めようとしたものの、佑香は振り返ることなく歩き去っていく。彼は雪の中に立ち尽くし、その背中を見送った。揺れる瞳の奥で、様々な思惑が渦巻いた。そして長い沈黙の末、ようやく決心したようにもう一度だけ佑香の背中を見つめると、自分もその場を後にした。それからというもの、本当に玲司が彼女たちの前へ姿を現すことはなくなった。だが、家の前には時折、見覚えのない品が置かれるようになった。温かな朝食。健斗宛てのかわいらしいぬいぐるみ。けれど佑香は、それらを見つけるたび迷うことなくゴミ箱へ捨てた。そんなある日、何日目だったかも分からない頃、一通の差出人不明の封筒が届いた。中には、奈帆と俊太の写真が入ってい
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