All Chapters of 妻を「汚い」と捨てた夫。真実を知り嫉妬に狂う: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

とてつもない無力感と恐怖が、蓮を襲う。蓮は魂が抜けたように、冷たく静まりかえったあの家へと戻った。散らかったリビングの様子が、今さっきの出来事すべてが現実なのだと告げている。足元をふらつかせながらキャビネットへ歩み寄り、ウィスキーボトルを一瓶掴むと、そのまま一気に流し込んだ。液体が喉と胃を焼けるように刺激したが、凍りついた身体が温まることはなかった。荒れ果てた床に座り込む彼の目に、ふと酒で濡れた書類が留まった。それは奈美から渡され、中身も見ずに署名した離婚協議書だった。「汚いんだ。本当に、汚らわしい……」「瑠璃とキスしたことはないし、もちろん、寝たこともない」「奈美は瑠璃ほど完璧じゃないが、純潔だ……」「惚れてるからって、それが何だって言うんだよ?」「この件……隠し通す」「後で……きちんと償うつもりだから……」かつて自分が吐いた身勝手な言葉の数々が、呪いのように頭の中でこだまする。先ほどの、目を背けたくなる生々しい映像、霊園で泣き崩れる瑠璃を置いて、茂みの中で奈美と愛を囁き合っていた自分。そして、奈美を助けるために瑠璃の腎臓を奪うべく、病院で冷たく言い放ったあの言葉……「おえっ……」激しく酒を吐き出し、むせこむ蓮。内臓がかき混ぜられているのかと思うほどの痛みに襲われた。10年もの間自分を愛してくれた、自分にとっても命そのものだった彼女に対し、自分はどれほど残酷な仕打ちをしてきたのか……その事実に、蓮は初めて気がつく。頭を抱え、まるで傷ついた野獣のようにうめき声を上げると、酒の酔いがようやく彼の頭を麻痺させ始めた。散らかった床の上で崩れるように意識を失い、深い夢の中へと落ちていった。夢の中の彼は、光り輝く16歳の頃のグラウンドにいた。白いシャツを着た若き自分は、スピーチを終え、壇上から大声を張り上げる。驚く全校生徒の視線が集まる中、ポニーテールの女の子が、呆然とこちらを見上げている。「瑠璃!お前が好きだ!俺と付き合ってくれ!」夢の中の景色はあまりにも鮮明で、少年の瞳に宿る愛情と緊張が、痛いほど伝わってきた。そのとき突然、少年がこちらへ顔を向けた。その少年の瞳に映るのは、情けなく、酒に溺れ床に這いつくばる大人になった蓮だった。少年の目に宿っていた輝きはみるみる消え去り、深い失望と怒りへと
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第12話

店の入り口で、麻のロングスカートを穿いた女性が、蓮に背を向けながら、つま先立ちで棚の植物の手入れをしていた。夕日に照らされたその後ろ姿は、とても穏やかで、そよ風が吹いた瞬間、その女性の髪がふわっと揺れた。瑠璃だ!たとえそれが素朴な服を着ている後ろ姿だけだとしても、蓮にはわかった。それが不眠不休で1週間探し続けた、瑠璃の姿だと。とてつもない喜びに、頭がくらくらした。後先考えず、まるで弾丸のように駆け寄った。彼女の背後から腕を掴み、興奮と疲労で震える声で叫ぶ。「瑠璃!やっと見つけたぞ!」不意に触れられた瑠璃は、肩を震わせて勢いよく振り返った。蓮の顔を見た瞬間、その瞳に冷ややかな嫌悪が走ったが、すぐさま静かな目に戻る。彼女は力を込めてその手を振り払うと、嫌悪を隠そうともせず一歩後ずさり、氷のように冷たい声で言った。「九条さん。そういうことはやめてください」その距離感を露わにした「九条さん」という呼び方で、蓮の心は氷水をかけられたように冷え切った。「瑠璃、ごめん……俺が間違っていた!本当にごめん!」取り乱した蓮が、再び瑠璃に近付こうとする。「悪いのは奈美なんだよ!あいつが俺を誘惑してきた!瑠璃、俺はお前を愛してる。奈美とのことは、一時の気の迷いだ。今回だけは、許してくれないか?なあ、俺と一緒に家へ帰ろう。これからは絶対に大事にする。お前だけを見ているから!」そんな蓮を瑠璃はただ、冷ややかな目で見つめていた。それはまるで、ひどい演技をするピエロを冷めた目で見るような、はたまた、得体の知れない迷惑な人間を観察するようで……「九条さん。手紙と動画で、全部お伝えしたはずです」彼女の声はとても淡々としていた。「私たちはもう離婚していますので、何の関係もありません。今すぐ帰ってください。他のお客さんの邪魔になりますから」「いやだ!離婚は認めない!あんなもの、無効だ!」取り乱したように声を荒らげている蓮だったが、瑠璃は少しも態度を変えなかった。そんな瑠璃の姿に、蓮の胸を焦りと恐怖が埋め尽くしていく。次の瞬間、彼は一歩踏み出し、無理にでも連れ帰ろうと、瑠璃の腕に手を伸ばした。「瑠璃、帰ろう。一度ちゃんと話をしようよ!」「すみません」突然、店の奥から静かだが圧を放つ男の声がした。「彼女から手を放していただけますか?」麻のシャ
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第13話

「橘雅之?」蓮は歯ぎしりをした。視線は二人の間を何度も往復し、瑠璃がわずかに雅之の背後に寄り添うまでそれは止まらなかった。そしてそのことが、より蓮を苛立たせる。「これは俺と妻の問題です。部外者のあなたには関係ありませんので!どいてください!」「元奥さんですよ」雅之が冷静に言い直した。「それに、僕が口を出すべきかは、瑠璃が決めることですから」雅之は首を傾け、優しく瑠璃に視線を移す。「瑠璃、追い出した方がいいかな?」瑠璃は顔を上げた。視線は雅之の肩越しに、もう一度蓮の方へ向けられる。そこには冷ややかな嫌悪感しか残っていなかった。そして、はっきりとこう言った。「蓮、もうどこかに行って。警備員なんか呼ばせないでね。あなたもそこまで情けなくはなりたくないでしょ?」蓮は自分の耳を疑った。自分が死に物狂いでずっと探していた女性が他の男に守られ、さらには自分をゴミを見るような目で見て、挙げ句の果てには「どこかへ行け」と自分に言い放ったなんて。嫉妬、怒り、恐怖、屈辱……それら全ての感情が、火山のように爆発した。殴りかかりたい衝動を、抑えるのがやっとだった。だが、残っていたわずかな理性と、声を聞きつけて駆けつけてきた警備員の鋭い視線が、蓮の衝動を何とか抑え込む。彼は拳を固く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、血が滲む。「ああ……よく分かった……橘……」歯の間からそう絞り出した蓮の瞳には、恐ろしいほどの憎しみが宿っている。「覚えてろよ!」そう言い捨てた蓮は、彼らに背を向けた。怒りに震えながら潮咲市の湿った夕暮れの中へ、彼はよろよろと消えていった。初対面での完敗は、蓮の理性を粉々に打ち砕いた。泊まっていたホテルの豪華なスイートルームへ戻ると、蓮は手当たり次第に物を壊した。彼の怒鳴り散らす声に、部屋の外のボディーガードは震え上がるしかなかった。感情を全て出し切った後には、より深い恐怖と歪んだ嫉妬が残った。瑠璃のそばに他の男がいるなんて、そんなの耐えられない。しかも、温和そうに見せかけ、彼女を虎視眈々と狙う雅之のような男なんて尚更だ。「調べろ!すぐにこの橘という男を調べ上げろ!過去の全てをだ。なぜ潮咲市にいるのか、瑠璃との仲がどこまで進んでいるのか!全て洗い出せ!」蓮は電話越しの秘書に怒鳴りながら指示を飛ばす。調査結果はす
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第14話

奈美が抱きついてこようとするのを、蓮はさっと後ろへ下がり、その手をかわし、氷のように冷たい目を向ける。「誰がここへきていいと言った?」その声は冷え切っていた。奈美はその瞳に宿る冷たさに震え上がり、さらに泣きじゃくる。「蓮さん……私……」「黙れ!」蓮は不快そうに言葉を遮ると、異変に気付いて入ってきたボディーガードを鋭く睨みつけた。「今すぐに、こいつをつまみ出せ!それから病院へ連絡し、二度と外に出られないようにしろ!もう一度俺の前にこいつを連れてきてみろ……」彼は一度言葉を区切り、奈美の青ざめた顔を陰惨な目で見下ろした。「どうなっても知らないからな」大柄な二人のボディーガードが駆け寄り、無情にも奈美の体を引きずって連れ出していく。「嫌!蓮さん、こんなことしないで!私はあなたを愛しているのに!私はあなたのことだけを……」泣き叫ぶ奈美の声は、扉の向こうへと消えていった。蓮は苛立ち紛れにネクタイを緩めた。胸のあたりが、ひどく重苦しい。奈美を追い払うと、雅之が跪いて命乞いをする姿を、そして瑠璃が諦めて自分のもとへ戻ってくる光景を思い浮かべて、蓮はすぐに橘グループへの締め付けへと意識を戻した。しかし、現実は蓮の予想とはかけ離れたものだった。九条グループから嵐のような圧力を受けながらも、雅之は耐え抜き、並外れた粘り強さを見せていた。彼は屈することなく対策を練り、新たな取引先を探し出すと、危機的な状況を利用して、鮮やかな広報戦略すら展開したのである。さらに、蓮にとって受け入れがたい事実があった。温室育ちの箱入り娘だと思っていた瑠璃が、率先して雅之を支えているというのだ。調査の結果、瑠璃がこの数年、ただ家庭に収まっていたわけではないことが分かった。彼女は人知れず学びを重ね、投資にも携わりながら、確かなビジネス感覚と人脈を築いていた。そして、その知識と経験を活かし、雅之にいくつもの助言を与え、必要な人脈も繋いでいるらしい。そのおかげで、雅之は抱えていた問題を的確に解決し、負担を大きく軽減することができていた。冷静な態度、深い知性、そして勇気。そんな瑠璃の姿を、蓮は見たことがなかった。部下から送られてきた写真には、雅之とビジネスの場に出席している瑠璃が写っていた。上品なビジネススーツ姿で、真剣な表情の彼女。雅之の言葉を聴く
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第15話

強引な手段をとればとるほど、瑠璃は離れていくのだと、蓮はふと悟った。そこで彼はやり方を変えることにした。二人の思い出を重ね、かつて彼女を口説いた時のような方法でやり直そう。蓮は潮咲市で最も評判の良い、展望回転レストランを貸し切った。会場はまるでおとぎの世界のように、空輸した何万本ものバラとチューリップで埋め尽くされた。さらには、バイオリンの美しい音色が流れ、キャンドルが揺れる中、窓の外には美しい夜景と海が広がっている。瑠璃の18歳の誕生日の時、同じように遊園地を貸し切ってプロポーズしたことを、蓮は覚えていた。彼は高価な白いスーツに身を包み、髪も完璧に整え、かつての初々しい少年に戻ろうとした。招待状と共に、何度も書き直した末の、当時の拙さを再現した手書きのカードを送る。【瑠璃、あの頃に戻ろうよ。俺は待ってるから】しかし、夕方から深夜まで待っても、そこにいたのは蓮と、緊張して息を潜めるスタッフだけだった。結局、瑠璃は来なかった。断りの連絡一つさえもない。まるで招待など受けていないかのように、彼の存在を無視し続けていた。蓮の中の期待は少しずつ冷めていき、最後には焦燥と屈辱に変わる。彼は勢いよくテーブルのクリスタルグラスを払いのけた。真っ赤なワインが、白い絨毯を血のように染め上げていく。「出ていけ!全員俺の視界から消えろ!」怯えるスタッフたちに向かって怒鳴り散らした。最初の「ロマンチック」作戦は失敗したが、蓮は諦めなかった。次はプレゼントを狂ったように送った。瑠璃が欲しがっていた限定ジュエリー、オークションで見かけて気にかけていた花瓶、青春時代に好きだった幻のレコードやぬいぐるみ。思いつく限りの物を金に物を言わせて買い集め、次々と「忘れ草」へ送りつけた。しかし、どんなに価値のある品を送っても、一切の反応が無かった。瑠璃はそのまま送り返し、伝票に「受取拒否」と書くか、たとえ、受け取ったとしても、地域で行われるチャリティバザーに、そのプレゼントの数々を寄付していたのだ。その日、蓮は偶然にもその場にいた。いや、本当は瑠璃と「偶然を装った再会」を狙っていた。だが目の前で起きた光景は、彼の想定とはまったく違っていた。蓮が心を込めて選んだ贈り物……それらを、瑠璃は表情一つ変えずに寄付箱へと入れていく。まるで、そこに何の意味
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第16話

周囲の人々は騒然とし、ざわめきが起こる。感動する者、疑う者、ただ野次馬根性で眺める者……しかし、跪いて求婚された本人である瑠璃は、無表情のままだった。まるで他人事のような、冷ややかな瞳で、蓮を見下ろしている。蓮が言葉を止めると、辺りには彼の荒い息遣いと人々の小さな話し声だけが残った。そこでようやく、瑠璃が静かに口を開く。その声は鋭く、凍てつく刃となって、蓮のあらゆる取り繕いを貫いた。「蓮」と彼女は一息置き、彼が掲げたダイヤの指輪へ目を落とすと、唇の端を歪め、皮肉な笑みを浮かべる。「あなたの愛は、穢らわしいの」短い言葉だが、それは槌のように蓮の心へ叩き込まれた。「そんなもの、いらない」そう言い放つと、瑠璃は表情を変えずに雅之の腕へ寄り添う。「雅之、行こう。ここは空気が悪くて耐えられないから」雅之は即座に瑠璃の意思を悟り、呆然として魂が抜けたように座り込む蓮を無視して、彼女を庇うように会場を出て行った。蓮はその場に凍りついたまま、指輪を持つ手をだらりと下げた。指輪が大理石の床にコツリと当たり、遠くへ転がっていく。同情や蔑み、冷ややかな周囲の視線が、ダイヤモンドの無数の表面に映し出された。この一夜にして、蓮は潮咲市の上流社会で、最高の笑いものとなってしまったのだった。激しい屈辱と敗北感、そして酒の勢いが混ざり合い、その夜、蓮は完全に理性を失った。泥酔した彼は、曖昧な記憶を頼りに足元をふらつかせながら、瑠璃が暮らす古い小道の一軒家を見つけ出す。彼は木製の扉を叩き、わめいた。「瑠璃!開けてくれ!出てこいよ!どうしてそんなに冷たいんだ?!俺はお前を愛してる!謝ればいいんだろ?!お前は一体、俺にどうしてほしいんだよ!」扉が開き、部屋着姿の瑠璃が、生活の邪魔をされた不機嫌さと冷たい警戒心に満ちた表情で立っている。瑠璃の姿が見えると、蓮は目を赤くして、彼女にすがりつこうとした。「瑠璃!俺を見ろよ!俺だ、蓮だよ!もう一度やり直そう!絶対に……」「離れてください」傍らから冷たい声が響いた。瑠璃の一人暮らしを心配していた雅之は、毎晩様子を見に来ていたのだった。彼は蓮の手を力任せに払いのけ、瑠璃を背中に庇う。「橘!またお前か!消えろ!」蓮は激高し、拳を振るいあげた。二人の男は狭い庭で取っ組み合いになり、植木鉢を倒すほどの
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第17話

蓮は手元にあった書類を力任せに引き裂くと、部屋にある物を次々と叩き壊した。酒瓶を掴んでは中身を煽り、焼け付くような痛みで後悔を塗りつぶそうと必死だった。それでも無駄だった。その医療記録は、まるで判決文のように冷たく、蓮に突きつけられる。そこに刻まれていたのは、自分が「汚れている」という根拠のない一言に囚われ、どれほど残酷に、そして執拗に瑠璃を傷つけ続けてきたかという事実だった。身を危険に晒してまで自分を救いに来たあの少女を……自分は、自らの手で突き放し、傷つけていたのだ。最も醜い言葉と態度で、二人の間にあったはずの最も純粋なものを、汚してしまったのは自分だった。拭いきれない後悔と自責の念が、毒のように蓮の体を蝕んでいく。そして長期的な心労、過度な飲酒、そして眠れぬ日々が重なり、とうとう蓮の体は限界を迎えた。ある日の朝、ホテルのスイートルームで、意識を失って倒れている蓮を秘書が見つけた。空の酒瓶や吐瀉物が散乱し、彼の顔に血の気はなかった。救急搬送の結果、急性胃出血、それに深刻なアルコール中毒と電解質異常と診断される。集中治療室に入れられても、蓮はうわ言のように繰り返していた。「瑠璃……ごめん……俺が悪かった……許してくれ……瑠璃……」かつての輝きを失った主人の姿に同情した秘書は、内緒で蓮のラインを使い、瑠璃へメッセージを送った。彼の病状と、意識が朦朧とする中でも瑠璃に詫び続ける姿を伝え、一度でいいから見に来てほしいと頼み込んだそれでも、返信はなかった。ようやく危険な状態を脱して、蓮が目を覚ましたとき、彼が最初につぶやいた言葉は「瑠璃は……来てくれたか?」だった。秘書は俯いたまま、静かに首を横に振る。蓮の瞳に微かに宿っていた光が、瞬く間に消えていった。彼は疲れ切った様子で瞼を閉じ、窓の外へと視線を向けた。ようやく退院できるまでに回復したとき、蓮は瑠璃と雅之が共同で開いた「忘れ草・新境」の開店セレモニーの知らせを聞いた。雅之の人脈により、セレモニーはかなり盛大に行われるようだ。医師の猛烈な反対を振り切って、蓮は点滴の針を抜き、衰弱した体を引きずって会場に向かった。しかし、瑠璃に直接近づく勇気もなく、車を道路の反対側に停め、窓越しに遠くから眺めた。洗練されたクリーム色のスーツを纏い、髪を結い
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第18話

身体の不調と、瑠璃に自分が必要なくなってしまったことを目の当たりにした蓮は、ベッドから出てこなくなってしまった。だがこの沈黙の期間は、諦めではない。執拗で狂気じみた何かを育む時間だったのだ。蓮は傷を癒やす獣のようにベッドにうずくまりながら、より過激な反撃のために、暗闇で爪を研ぎ続ける。まず彼が手をつけたのは、奈美という汚点だった。東都の病院にいた奈美は、蓮が潮咲市で瑠璃のために騒ぎを起こし、入院までしたと聞いて、心底慌てていた。腎臓をひとつ差し出すほどの代償を払ったにもかかわらず、こんな結末を迎えることになったことが、どうしても受け入れられなかった。そこで、奈美は危険な賭けに出た。秘書として蓮のそばにいた頃に得た情報を使い、さらに九条グループの海外事業に関わる一部のグレーな取引や機密情報を手に入れた上で、裏ルートを通じて蓮に接触したのだ。そして、名分のある関係と天文学的な額の慰謝料を要求する。そして、応じなければ、これらの秘密をすべて公にする――そう脅しをかけたのだった。かつての蓮なら、うまくあしらっていたかもしれない。だが今、彼の中にあるのは、自分をどん底に突き落としたこの女への強烈な嫌悪と、滅ぼしてやりたいという願望だけ。迷うことなく、彼は強硬手段に出た。蓮は部下に命じ、奈美が職権を乱用して詐欺や恐喝、カルテの偽造を行っていた証拠を集めさせた。それらをもとに、蓮は奈美を詐欺など複数の経済犯罪の疑いで刑事告訴した。証拠は完璧で、奈美はどうすることもできなかった。すぐに逮捕され、長きにわたる刑務所生活が始まった。蓮は、彼女が獄中で「特別な扱い」を受けるよう手回しし、二度と彼を悩ませることができないよう徹底する。奈美の処理が終わると、次は九条家からのプレッシャーが押し寄せた。継承者である息子の度重なる不祥事で九条グループの株価は落ち込み、取締役会からも不満の声が上がっていたため、蓮の両親も口を挟まざるをえなかったのだ。蓮の父親と母親は潮咲市へ飛び、病室で蓮を激しく叱責した。両親の意見は分かれていた。瑠璃の実家は東都の名家であり、結びつきを強めることが九条グループにとって有益だと考えている母親は、瑠璃を取り戻すよう主張した。一方の父親はより現実的で、瑠璃との関係が終わった以上、新たな政略結婚を急ぎ、株価と信
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第19話

もうこれ以上は無理だった。はっきりさせなければいけない。瑠璃を自分の元へ連れ戻すか、さもなくば……二人とも終わらせてやる。そのチャンスは、ある週末の夕暮れに訪れた。雅之が急な仕事で隣町へ飛んだため、瑠璃は一人で潮咲市の郊外へ向かった。そこには夕日が美しいことで知られる、岩場が広がっているのだ。蓮が車を飛ばして現場に駆けつけると、夕日が海面を悲しいほど赤く染め上げていた。彼は遠くから、平らな岩の上でスケッチをする瑠璃の姿を見つけた。風に髪が揺れ、その横顔はまるでおとぎ話のように美しく、自然の中に溶け込んでいるかのようだった。その光景は胸が張り裂けるほど美しく、それゆえ、蓮の狂気を強めてしまった。足音を殺し、まるで幽霊のように忍び寄る。背後の気配に気づいた瑠璃が、筆を止めて振り返った。蓮だとわかると、彼女は一瞬だけ警戒と嫌悪の色を浮かべた。しかし、すぐに深海のように穏やかな無表情へ戻り、少し距離を取って冷ややかに言った。「九条さん、何か用ですか?」「九条さん」その呼び方が、彼の心に棘のように突き刺さったが、それでも、蓮は一歩ずつ瑠璃に歩み寄った。苦悩と絶望、そして狂気が浮かんだ瞳で、瑠璃を見つめ声を絞り出す。「瑠璃……もう、どうにもならないのかな?俺たちの間に、望みなんてないのか?」それでも瑠璃は黙ったまま、まるで手に負えない病人を眺めるような目で、じっと彼を見つめていた。彼女の沈黙に、蓮が逆上した。崖っぷちに走り寄り、渦巻く波を見下ろしながら腕を広げ、狂ったように叫ぶ。「瑠璃!お前がいないと生きていけない!本当に生きていけないんだ!俺を見てくれよ!今のこの惨めな姿を!こうなったのも、全部お前のせいなんだからな!」蓮は痩せこけた自分の頬と、血走った目を指さした。「俺が間違いを犯したのは分かっている!それも、死んでも償い切れないほどだって!でも、すべてはお前を愛してたからなんだよ。正気を失うほどに愛してた!何も考えられなかったんだ!」海風が彼の悲痛な叫びをかき消していく。蓮は瑠璃を見つめ、最期の賭けに出た。「今日、俺はこの命を賭けるよ!お前が俺を許せなくて、一緒に戻らないっていうなら、俺はここから飛び降りる。瑠璃、お前がいない人生には、何の価値もないんだよ!」蓮は信じていた。瑠璃が恐怖し、動揺し、少しでも自分
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第20話

蓮の叫び声は海風にかき消され、夕暮れの中へと消えていった。彼は崩れるようにその場へとへたり込み、瑠璃が消えていった方向を見つめながら涙を流し続けた。やがて夜も更けて、空一面に星が広がる。彼は、瑠璃を永遠に失ってしまったことを悟った。それは、彼女が離婚協議書にサインをしたからでも、東都を去ったからでもない。瑠璃の口から「あなたが死のうと生きようと、私には何の関係もない」と直接言われたからだった。かつて自分のことを、何よりも愛してくれた彼女を、完全に……そして永遠に失った。蓮の束縛から完全に解放された瑠璃は、ようやく肩の荷が下りたように感じた。これからは本当の自由が始まる。彼女はすべての力をフラワーアレンジメントのアトリエ「忘れ草・新境」の仕事に注ぎ込んだ。彼女には天性の才能があった。彼女の作品には、ただ優しいだけではなく、苦難を乗り越えてきた強さと、物語が宿っていた。生命力にあふれ、静かな力をたたえたデザインは、またたく間に業界の注目を集めた。そして、いつも彼女に寄り添ってくれている雅之との距離感も、ちょうどいいものだった。瑠璃の仕事と生き方を尊重し、けっして立ち入りすぎることはしない。だが、ただ困っている時にはそっと手を差し伸べ、彼女が成功を収めた時には自分のことのように喜んでくれた。彼はお互いに高め合える大切な存在だった。そして、そんな彼の深い優しさは、次第に彼女の傷ついて凍ってしまった心を溶かしていった。だが、瑠璃にはすぐ新しい恋を始めるつもりはなかった。傷をいやし、自分らしさを取り戻し、ようやく手に入れた自由と穏やかな時間を楽しむためには、もう少し時間が必要だったのだ。雅之もその考えを受け入れ、ゆっくりと彼女に付き合ってくれた。彼の真面目な態度は、瑠璃にいつも安心感を与えてくれた。1年後、瑠璃の作品が大きなデザインコンテストで高い評価を受け、見事に金賞を受賞した。そのことによって、瑠璃の名前とアトリエの名前は、またたく間に多くの人に知られることになった。取材や仕事の依頼が、ひっきりなしに舞い込んでくる。もう、誰かの引き立て役に甘んじる自分ではない。自分の力と技術だけで認められた、ひとりのデザイナー。経済的な余裕と仕事での成功によって、瑠璃は内面から自然な自信と大人の気品を放つようになっていった
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