ANMELDEN九条瑠璃(くじょう るり)と九条蓮(くじょう れん)が結婚して5年目のこと。瑠璃のもとに、親友から一枚の写真が送られてきた。 写真の中には、華やかなイルミネーションを背景に並んで立ち、同じ夜空を見上げている、蓮と彼の秘書である江崎奈美(えざき なみ)の姿があった。 友人からはこう添えられていた。【瑠璃、この奈美っていう女には気をつけたほうがいいと思う】 瑠璃は写真を数秒見つめると、思わず笑ってしまった。そして、軽い調子で返信する。【大丈夫。世の中の男が全員浮気しても、蓮だけはしないから】 そう言い切れるだけの自信が、瑠璃にはあった。 蓮は九条家の御曹司として知られる存在だが、その彼が瑠璃を心から愛していることは、周囲の誰もが知っていたし、奈美の美貌も雰囲気も育ちも、瑠璃と比べればかなり見劣りする。少なくとも瑠璃には、奈美が自分たちの関係を揺るがす存在だとは思えなかった。 瑠璃はスマホを置き、再び花を生け始める。この時はまだ、親友からの忠告を気に留めていなかった。 だが3日後の夜。蓮がシャワーを浴びている時に、ベッドサイドに置かれた彼の携帯の画面がふっと光った。ラインの通知だ。 瑠璃は覗き見るつもりはなく、ただ何気なく視線を向けただけだった。しかしその瞬間、彼女の目は画面に釘付けになった。 それは、奈美からの連絡だった。 そして、蓮が彼女につけていた登録名は――「いい子ちゃん」
Mehr anzeigen俺は陣内湊。蓮とはガキの頃からの親友で、あのドラマチックで、そして今では完全に破滅してしまった二人の恋愛を見守った証人でもあるかな。今思えば、ため息しか出てこないよ。蓮の野郎、あんなにいい女を捕まえたのに、自分から手放しちまいやがって。あの頃、瑠璃に対するあいつの情熱といったら凄まじいものだったんだから。学校で皆の前で告白したり、遊園地を貸し切ってプロポーズしたり……女なら誰もが瑠璃を羨ましがった。それに、俺たち仲間の誰もが、二人は映画みたいな結末を迎えると思っていた。瑠璃は美人で家柄もいい。何よりその心が透き通るように純粋で、蓮のことしか見ていなかったから。当時は蓮に向かって「お前は一生分の運を使い果たしたな」なんて冷やかしたんだけどな。それなのに、どうしてこんなことになっちまったんだろう?きっかけはあの拉致事件だったのか?瑠璃が救い出された後の蓮の姿を、俺はいまだに覚えてる。だって、あれほど苦しそうな顔で、犯人を一人残らず引き裂いてやりたいと言ったからさ。でも何となくだけど、あいつが瑠璃を見る目に、何か他のものが混じっている気がしたんだ。……うまく説明できないけど、どことなく違和感を覚える何かが、ね。今考えれば、あれこそがあいつの中で芽生え始めた「汚れ」っていう名の呪いだったのかもしれない。もう、笑うしかないよ!瑠璃は命がけであいつを救ったのに、あいつは瑠璃を「汚れている」なんて罵るんだぞ?一体どんな身勝手野郎だよ。それから、奈美が現れた。俺はあの女を一目見ただけで碌でもないやつだってわかったよ。わざとらしい仕草、計算し尽くされたような目つき。それなのに蓮は魔法にでもかけられたみたいに、あの女の薄っぺらな同情を買う芝居にすっかり手玉に取られていた。一度や二度じゃない。あいつには何度も言ったんだ。「蓮、本当に大切にしなきゃいけないのは瑠璃の方だぞ。目を覚ませ!」ってさ。ところがどうだ?「湊、お前にはわかんないと思うけど、瑠璃は……どうしてもだめなんだよ。でも奈美は、汚くない」ってあいつは言いやがった。何が「奈美は汚くない」だよ!思い返すだけでも腹が立つ。あいつは浮気を正当化するために、ありもしない「汚れ」のせいにして自分をかばっていただけ。蓮が瑠璃を嫌う素振りを見せたのは、自分の卑しさや心変わ
僕は、橘雅之。多くの人が、瑠璃が一番傷ついていた時に現れて、瑠璃を自分のものにできた僕のことを、運が良かったって言う。でも、これが運なんかじゃなくて、僕が20年もずっと彼女を思い続けてきたってことは、僕しか知らない。僕が瑠璃と知り合ったのは、九条社長よりもずっと前。僕と瑠璃は家が隣同士だった。彼女は小さな頃からハッとするほど可愛らしくて、瞳は星みたいに輝いていて、その笑顔は、いつも僕らの周りの空気を一気に明るくしてくれた。僕はそんな瑠璃のあとを黙ってくっついて歩く、無口なお兄ちゃん役。いつも彼女の代わりにバッグを持ってあげたり、虫を払ってあげたりしていた。10歳の時、僕の家族は海外へ移住することになった。見送りに駆けつけてくれた彼女は、僕の手にそっと飴を握らせてくれて、その舌足らずな声で言ったんだ。「雅之兄ちゃん、絶対にまた会いにきてね!」あの瞬間、僕の胸はギュッと締めつけられた。もうその頃には、小さな恋の芽が静かに生まれていたんだと思う。それから、二人の道は遠く離れてしまった。風の噂で、彼女がかなり良い大学に進んだことや、付き合い始めた男がいることは聞いた。その相手は、誰もが振り返るほど輝いている九条家の御曹司、九条蓮だということもね。インスタで見かけた写真の中には、大人っぽく洗練された雰囲気を纏う彼と、どこか照れている瑠璃。本当に似合いの二人に見えた。だから僕はただ画面に【いいね!】を押して、若き日の胸のときめきを深く押し殺した。彼女が幸せに暮らせているなら、それで充分だったから。僕は海外で学業やビジネスに没頭し、橘家のビジネスを着実に軌道に乗せていった。ずっとあのまま異国で暮らしながら、たまに噂を聞いて、彼女のこれからの人生を遠くから見守るだけにするつもりだったんだ。けれど5年前、国内のビジネス拡大を狙った父から、潮咲市のマーケット調査に行くよう言われた。そして、僕の人生がまた別の方向へ進むことになった。海のそばにある小さなカフェで資料を作っていた時、ふと見覚えのある人影が目に留まった。初めは、人違いかなとも思った。でもそれが、瑠璃だったんだ。彼女は窓際にそっと座り、どこか寂しげな瞳で海を見つめていた。目には光がなく、顔色も驚くほど悪く、暗いもやに包まれているかのようだった。その姿を見
もし真実を知ったら、自分のあのくだらない「潔癖」と、そこから生まれた嫌悪が、どれほど滑稽で、どうしようもなく愚かだったのかを理解してくれるかもしれない。そうしたら、少しは楽になるのでは?そして、万が一の可能性でも、自分たちの間にある溝も、ほんの少しだけだが、修復できるかもしれない。それから数日後、瑠璃のアトリエが主催した小規模なアートサロンが終わったあと、蓮はようやく覚悟を決めた。そして彼女の仕事場のビルの下にあるカフェで……「偶然を装って」瑠璃を待ち伏せる。瑠璃は彼が来ることを知っていたのか、驚いた様子も見せずに、ただ静かに彼の向かいへ腰を下ろした。2年ぶりの再会だった。目の前の彼女は記憶の中よりもずっと美しく、内側から溢れ出す落ち着きと自信に満ちている。蓮は胸が締め付けられ、喉がひりついた。「あの書類……受け取ってくれた?」彼はかすれた声で精一杯言葉を絞り出した。瑠璃がこくりと頷いたが、その瞳に感情は浮かんでいない。「受け取ったよ」「俺は……」彼女の淡々とした反応に、蓮は心が刺すように痛んだ。知りたくてたまらないのに、答えてほしくない——そんな矛盾を抱えたまま、卑屈な願いを口にする。「もし、あの頃俺があんな馬鹿なことをしていなかったら……こんなことになっていなかったら……俺たちは……まだ……」「『もし』なんてものはないの」瑠璃が彼の言葉を遮った。その瞳は透き通るように澄みきっていて、迷いや未練は少しもなく、当たり前の事実を淡々と告げるようだった。「蓮。もう全ては過去のこと」一瞬にして彼の顔色が真っ青になるのを見て、瑠璃は少しだけ言葉を止めた。そして、とても静かで穏やかな笑みを浮かべる。「それにね、私は今とても幸せなんだ」言い終わると同時に、カフェの入り口に雅之の姿が現れた。彼女を迎えに来たらしい。雅之は蓮を見ると軽く会釈したあと、瑠璃の隣へ歩み寄った。彼女の腰を自然に抱き寄せる手つきには、大切な人を守ろうとする強さと優しさが宿っている。「話は終わった?」雅之が優しく瑠璃に声をかける。「うん」瑠璃が雅之を見つめて微笑んだ。その顔には、蓮がどんなに求めても届かなかった温かさと、深い信頼が浮かんでいた。彼女は席を立ち、最後に蓮へ告げた。「元気でね」そのまま、雅之と並んでカフェをあとにした瑠璃は、一度も振り返る
瑠璃と雅之。腕を組みながら、仲睦まじそうに会場へと入ってくる。瑠璃は、宝石のようなロイヤルブルーのオフショルダードレスを身にまとっていた。雪のように白い肌がいっそう際立ち、しなやかな体のラインが美しく浮かび上がる。長い髪は上品にまとめられ、すっきりとした首筋と滑らかな鎖骨があらわになっていた。顔には繊細な薄化粧が施され、その表情には以前には見られなかった自信と、どこか艶やかな気配が宿っている。彼女が雅之の腕に優しく手を添える。二人は何かをささやき、笑い合っていた。そのあまりに自然で親密な空気感は、周囲の人々の視線を集めるだけではなく、まるで焼けつく刃物となって、蓮の心臓を容赦なく刺し抜いた。雅之はいつも通り穏やかで品がある。ただ、ビジネスで荒波を越えてきた自信からか、以前より落ち着いた雰囲気が漂っていた。並んだ二人の姿は、まさに絵に描いたようなお似合いの伴侶だった。蓮の手が震え、持っていたグラスから酒がこぼれそうになる。視線が釘付けになり、蓮は二人から目を離すことができない。再会を何度夢見たことか。だが、その再会が、これほど眩しく、幸せそうな姿で、しかもその隣には他の男が立っているなんて。見えない何かに心臓をギュッと握りつぶされているような痛みで、呼吸が苦しくなる。痛すぎて、もうこのまましゃがみ込みたい。今の惨めな自分を見られたくなくて、近付くことすらできなかった。それでも、雅之が蓮に気づいた。雅之が瑠璃に何かひと言声をかけると、そのまま堂々と蓮のほうへ歩いてくる。「九条社長、お久しぶりです」雅之が先に穏やかな声で言った。余裕を感じさせる、落ち着いた態度だ。蓮はやっとの思いで喉を鳴らし、ようやく声を出した。「橘社長……それに瑠璃……」視線は、どうしても瑠璃から外せない。瑠璃も会釈をした。そして、礼儀正しく微笑みを浮かべる。「こんばんは、九条さん」その笑顔は完璧だが、一切の温かみを感じない。まるで仕事上の取引相手に接するような微笑みだった。そのとき事情を知らない一人の男が近寄ってきた。蓮に取り入ろうとする商人で、どこか媚びるような笑みを浮かべながら、場違いな馴れ馴れしさで口を開く。「九条社長……それに、まさか今夜、元奥様にもお会いできるとは思いませんでした。いや、もう瑠璃さんとお呼びすべきですかね。本