All Chapters of 冷徹社長の甘い罠〜執着溺愛が始まった: Chapter 21 - Chapter 30

38 Chapters

第21話

武司は、思わず言葉を詰まらせた。20分前に匡介をさんざん罵倒したなんて、今さら言えるわけがない。武司は軽く咳払いをする。「私は東都屈指の資産家だ。匡介ごときの賄賂で動くわけがないだろう?それに、私を動かせるものなんてこの世にあると思うか?私はただ……お前たちの姿を見ていて、昔、お前のお母さんと喧嘩した時を思い出したんだよ。あの時、私たちがどちらか一歩でも譲っていたら、こんな結果にはならなかったかもしれないって思ってね」澪は呆気に取られた。そういえばさっき匡介も、悪気はなく、ただ素直に自分を頼ってほしかっただけだと言っていたのを思い出す。両親の切ない結末を思い出し、澪の心もわずかに揺れ動いた。彼女は唇を噛み締めて言った。「わかったわ、お父さん。ちゃんと考えてみるよ」……隠居暮らしを送る峰行は、日頃から小鳥や猫を可愛がり、茶をすすりながら新聞を読むだけの穏やかな日々を送っていた。ところが、今夜のパーティーで匡介が武司を激怒させたという噂が、どこからともなく耳に入ってきた。報告を受けた峰行は激高し、すぐさま匡介に電話をかけて、柊邸へ呼び戻した。威圧的な父親に対し、匡介も逆らうことなどできない。柊邸へ向かう道中、匡介は内心うんざりしていた。柊家の後継者である自分だって、それなりにエリート街道を歩んできた自負がある。これまでの人生、人に怒鳴られたことなんてほとんどないし、むしろ怒る側でいた。それなのに、今日は武司にこっぴどく怒鳴られ、澪にも冷たくあしらわれた上に、さらにこれから峰行の説教が待っているなんて。しかも厄介なことに、その三人はいずれも、自分がむやみに逆らえず、ただ大人しく叱られるしかない相手ばかりだった。匡介は、最近の自分はどうも運気が悪いのではないかと、内心で苦笑するしかなかった。柊邸の門をくぐると、さっそく父の怒号が響いてきた。「匡介!この馬鹿たれが!お前をパーティーに行かせたのは謝罪のためだろうが!それなのに詫びもせず、黒崎社長を怒らせるなんて!東都で黒崎社長だけは絶対に怒らせるなと言ったはずだよな?それも怒らせるどころか、あまつさえ怒鳴られたらしいじゃないか。今までお前は何を学んできたんだ?最近のお前は本当に調子に乗りすぎだ。誰もお前に口出ししないとでも思っているのか?そ
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第22話

峰行は、匡介の言葉を聞いてしばらく呆然としていた。「つまり、お前の側にいたあの社長秘書が、黒崎社長が長年探し続けていた娘だとでも言うのか?」匡介の側に澪がいることは、以前から耳にしていた。しかし、息子のプライベートには興味がなく、引退してからは柊グループの本社ビルにも顔を出していないため、面識はなかったのだ。それに、ここ数年、峰行と匡介の会話といえば仕事の話か、しつこいほど繰り返されるお見合い話だけ。峰行の感覚からすれば、澪のように後ろ盾のない女は遊びならまだしも、嫁に迎えるなど到底あり得ないことだった。そもそも、匡介が本気で澪と付き合っているとは思っておらず、あくまで火遊びだろうと高をくくって見合いを勧めていたのだ。だから、匡介がこれほど本気で、しかも澪が去ったあと、2週間も荒れ狂って東都中を騒がせることになるとは、夢にも思っていなかった。さらに追い打ちをかけるように、その娘が武司の生き別れの娘だという告白……ここまで事態が大きくなってしまったことに、峰行は頭を抱えずにはいられなかった。「見つけたんなら、連れ戻せばいいじゃないか。今はもう身分の違いもなくなったんだから。黒崎社長の娘と一緒になれるなら、俺だって何も言わない。むしろ嬉しいぐらいだよ」匡介は呆れたような目で峰行を見て、不機嫌に返す。「父さん。父さんがずっと見合いなんて持ち込むから、澪は俺から離れていったんだぞ。なのに、よくそんなことが言えるな」そんな暴言に、峰行はたまらず匡介を蹴りつけた。「この馬鹿息子が!自分が撒いた種を俺のせいにするな。本当にあの子を大事に思っていたなら、こんな去られ方はしなかったはずだろ?」返す言葉もなかった匡介だったが、負けじと言い返す。「そんなに俺に政略結婚をさせたいなら、黒崎家との縁談を持ってきてくれればいいじゃないか?今度はもう逃げないって約束するし、絶対に籍を入れるからさ」峰行は鼻で笑った。「お前、都合が良すぎるぞ。あれほど大事な娘を傷つけられた黒崎社長が、大人しく認めるはずがないだろ?たとえホームレスの男に嫁にやったとしても、お前にだけは渡さんだろうよ」匡介は黙り込んだ。自分ほどの男が、ホームレスに劣るわけがないのに、と心の中で悪態をつく。そこで、峰行はようやく事情を理解した。「じゃあ、食事会で黒崎
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第23話

「これまでは、澪さんが会議の前夜に皆の企画書を集めて目を通し、具体的な改善点を指摘していました。皆さんは彼女の助言を受けて修正してから、社長に提出していたので、以前の企画書には大きな穴がなかったんです。ただ……澪さんがいなくなった今、秘書室にはその仕事をこなせる者がおらず、企画書の粗が目立っているんだと思います」匡介は言葉を失った。まさか、澪が知らぬ間に自分をそこまで支えてくれていたなんて。思い返せば、確かにそうだ。長年傍にいた彼女は自分の好みを全て把握しており、彼女の手を通った書類で自分の眼鏡に適わないものなどあるはずがなかったのだ。そう考えると、匡介は思わず眉間にしわを寄せた。「だとしても、それがこんな中途半端な仕事を提出する言い訳にはならない。篠原がいなければ、うちの会社は立ち行かないとでも言うのか?あれだけ手取り足取り教わっておきながら、よくこんな企画書を持ってこられたものだな。あいつが柊グループに入って3年も経っていないのに、お前たちはどうだ?あいつより社歴の長い人間がいくらでもいるのに、なぜそのレベルにすら達していない?それに、秘書室の半数は、篠原が自ら指導してきた者たちだろ?なのに、なぜ何一つとして身についていないんだ?」その時、ふと会議室の端に座っていた莉奈の姿が目に留まり、匡介は何かを思い出したように顔をしかめた。「白川、篠原から業務を引き継がせたとき、あいつについてしっかり学ぶように命じたはずだよな?聞くところによると、あいつは惜しみなく君に全てを教えたそうだが、君は一体何を身につけたんだ?今の君に社長秘書の職に就く資格があるとでも?」莉奈は一瞬にして全員の注目の的となり、冷ややかな視線が突き刺さった。あまりの視線に、莉奈の顔はみるみるうちに青ざめていく。確かに澪は何も隠さず、細かいことから個人的な習慣、さらに匡介のプライベートなこだわりまで、ありとあらゆることを彼女に引き継いでいた。しかし、莉奈には仕事をする気など毛頭なく、彼女の助言など全て聞き流していたのだった。それに……莉奈が懸命にメモした匡介のプライベートなこだわりは、試す機会すら与えてもらえなかった。澪が去って以来、莉奈は社長室へ自由に出入りすることも叶わず、逆に匡介は彼女の顔を見るたびに鬱陶しそうな態度をとるようにな
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第24話

匡介の秘書として3年。澪は、目覚めてから眠るまで仕事に追われる日々を送っていた。匡介自身が仕事人間だったため、その社長秘書を務める澪に、暇な時間など皆無だった。黒崎邸でのんびりと半月を過ごした澪だったが、じっとしているのが性分に合わず、黒崎グループでの勤務を願い出た。令嬢としての贅沢な生活が始まったばかりだというのに、早くも仕事に戻りたいと言い出した澪を、武司は少し意外そうに見つめる。かつて澪の行方が掴めなかった間、巨大なグループを継がせる適任者がいなかったため、武司は5年前に弟子を迎え、後継者として育てていた。5年が経ち、その才能ある弟子は立派に成長し、事業を任せられるまでになったため、武司は第一線を退いていたのだ。つまり、今の澪が望むなら一生贅沢に暮らしても有り余る財産があった。だが、澪が求めているのはそういう暮らしではない。澪がどうしても仕事がしたいと主張したため、武司は彼女の意思を尊重することにした。ただ……武司が用意しようとした特に忙しくもない役職は、澪の意向によって拒否されたのだった。3年もの間、柊グループの社長秘書という「立場」で、周りの噂話の的になるのには、もううんざりしている。他人にどう思われるかなど気にしていない澪だったが、陰口を叩かれる状況には、やはり居心地の悪さを感じていた。今回、巡ってきたやり直しの機会。だから澪はグループの将来の当主として、身内という枠ではなく、まずは一般の社員として実力を試したいと考えたのである。澪の決意を知った武司は、驚きつつも、どこか誇らしげだった。さすがは自分の娘だ。筋が通っている。こうして澪は、自分自身で黒崎グループに履歴書を送り、一般職として応募した。元社長秘書だった彼女の能力は、なかなかのものだった。あの匡介の厳格で完璧主義な要求に応えて3年もやってきたのだから、実績も十分。匡介は決して、公私混同を許すような甘い人間ではない。そもそも彼にとって彼女は、単に使い勝手のいい道具に過ぎず、愛など欠片もなかったのだから。面接を順調に突破した澪は、無事、黒崎グループの秘書室へと配属された。身分を隠すため、経歴書には「黒崎」ではなく「篠原」を使った。過去の職歴欄にも、柊グループでの社長秘書ではなく、あえて一般的な事務職という経歴のみを
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第25話

そもそも東都の社交界では、匡介のそばに美しく特別に寵愛されている社長秘書がいることは、誰もが知る周知の事実で、それに、社長秘書でありながら男女の関係にあるというのも、誰もが公然と知っている秘密だったのだ。澪は、自分の悪評がどれほど酷いか自覚していたため、その正体を隠して新しい仕事に就きたいと思っていた。採用が決まった後、黒崎グループの人事担当である相原美希(あいはら みき)が、思わず内緒話を持ちかけてきた。「篠原さん、柊グループで有名なあの社長秘書。彼女とは親しかったんですか?本当に噂通り美しくて寵愛を受けている上に、優秀なんですか?」水を飲んでいた澪は、その問いかけに思わず吹き出しそうになった。澪はその質問には答えず、こう答えた。「彼女なら、もう柊グループを辞めましたよ」「やっぱりそうですよね!私も聞きました。その社長秘書の退職のせいで、最近の柊社長は機嫌が最悪らしくて、連日のように会社で怒り散らしては、まるで気が触れたように競合他社を叩き潰しているって噂ですよ……もしかして……本気でその社長秘書のことが好きだったとかですかね?」澪は、その同僚があまりに純粋に思えて、つい笑みをこぼす。「そんなことあるわけないじゃないですか。ドラマの見過ぎですよ」美希は澪と波長が合うと感じ、さらに澪が非常に美しいこともあって、親切心から忠告した。「篠原さん、秘書室の須藤芽衣って人には、気をつけてくださいね。彼女はこの会社の大株主の須藤さんの娘なんですけど、神谷社長のことが好きだから秘書室にいるんです。でも、残念ながら、神谷社長は彼女に関心がないみたいで。それでも、須藤さんの手前、邪剣にできずに雇ったままなんですって。だから、あなたみたいに若くて綺麗な新人は、最初きっとターゲットにされます。だから、できるだけ関わらないようにした方がいいですよ。それと、神谷社長にも関わらないこと。そうすれば、時間と共に落ち着きますから」この神谷社長こそ、武司が直々に手塩にかけて育て上げた弟子である神谷涼介(かみや りょうすけ)だった。先日、武司は澪を連れて涼介と会食をし、そこで澪が黒崎グループに就職するという話もしていた。涼介は確かに人目を引くほど整った顔立ちで、性格も謙虚。須藤芽衣(すどう めい)が毎日、周囲を泥棒でも見るように警戒するのも無理はないだ
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第26話

午後3時。芽衣は高いヒールを鳴らしながら早足で近づくと、ドンと3つのファイルをぶつけるように澪の机へと置いた。表情はあからさまに不機嫌だ。「澪さん、これはうちと柊グループとの共同プロジェクトに関する書類で、今期一番の重要案件。柊グループ側とはもう調整済みなんだけど、手違いがあってはいけないから、こちらから確認に向かうことになってるの。みんな自分の仕事で手一杯だけど、あなたは新人だからそんな言い訳も通らないわよね。それに、前まで3年間柊グループで働いていたなら、事情も一番分かっているでしょうし、今回の提携を深めるには適任だと思うの。というわけで、この2ヶ月間はあちらのオフィスに常駐してもらうことになるから、うちの方に出社する必要はないわ」澪は、長年培ってきた理性と大人の振る舞いが、目の前の芽衣の傲慢な態度によって今まさに崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。一見もっともらしい理屈を並べているが、自分を神谷社長の視界から遠ざけたいだけだという本音が見え透いている。もしそれが単なる出向なら構わない。だが、あろうことか行先がよりによって柊グループだとは……なんということだ。何とか逃げ切ったのに、結局振り出しに戻るということか?澪は内心、悲鳴を上げたかった。けれど今の自分は、何のコネもないしがない新人。おまけに「柊グループの元社員」という立場だ。澪は、苦渋の選択として認めざるを得なかった。芽衣の嫌がらせであるにせよ、業務の割り振りとしては至極もっともなのだ。それに、芽衣は自分が武司の娘であることも、柊グループの元社長秘書だという事実も、全く知らない。屈辱をこらえ、澪は手慣れた営業用の笑みを浮かべて頷く。「分かりました」澪があっさりと受け入れたのを見て、芽衣は満足げにその場を去った。隣にいた秘書室の他の社員たちが、憐れむような目を澪に向けていた。入社初日で外に飛ばされるなんて、不運すぎると言わんばかりだった。翌日の午前。柊グループの本社ビルを見上げた澪は、なんとも不思議な感覚に包まれていた。なぜ、またしてもこんな展開になるのか。ため息をつきながら計算する。ここであと2ヶ月働けば、ついに「柊グループで3年間働いた」という実績が完成してしまう。いろいろなことがあったが、一周回って帳尻が合うことになるとは。自分
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第27話

この時間、社員は皆会議中だったため、澪が秘書室フロアを訪れても、出迎える者は誰一人いなかった。かつて3年間自分が働いていたこの場所を目にし、澪は胸の奥が締め付けられるような思いがした。思い出が詰まったこの場所も、離れてわずか1ヶ月で、まるで別世界のようになってしまった。澪が待合室で少し待とうと考えていたその時、会議室から莉奈が泣きながら飛び出してきて、勢いよくぶつかった。澪は驚いた。莉奈はここ最近、匡介に溺愛されていたはずではないのか?それなのに、なぜ今、泣きながら会議室から追い出されているのだ?莉奈といえば傲慢な態度で有名だが、そんな彼女を怒鳴り散らして泣かせる相手とは一体誰なのか……ただ、莉奈が澪にぶつかってきたのは、あくまで不注意でのこと。それに皆が会議中だと思い込んでいたため、このフロアに他人がいるなど、莉奈は露ほども思っていなかった。莉奈がとっさに謝ろうとして顔を上げた瞬間、そこにいたのが澪だと気づき、思わず固まってしまう。大きく目を見開いたまま、莉奈は涙すら忘れて呆然とした。なぜこの人がここにいるの?社長があれほど探しても見つからなかったこの人が、なぜ?それは、まるで幽霊でも見たようだった。莉奈は口元を手で押さえ、驚きを隠せずに呟く。「澪さん……?」「ええ、私よ」澪は小さく頷いた。「ここで何してるんですか!私がクビになった途端に、また戻ってきたっていうんですか?」澪は少し予想外のことだと思って眉をひそめた。莉奈があんなに泣きじゃくっていたのは、匡介にクビを言い渡されたからなのか。匡介の冷酷な物言いを、澪は痛いほど知っている。今の莉奈の惨状を見れば、彼女が匡介からどれほど辛辣に罵られたのかが想像できた。莉奈も自分と同じく匡介に捨てられたのだと思うと、不思議と憐れみがわいてきて、澪はありのままを告げた。「私は黒崎グループに転職したの。だから、柊グループとの新規プロジェクトの窓口として派遣されてきただけ」以前とは違い、落ち着き払った様子で淡々と話す澪を見て、莉奈の胸には初めて「後悔」という感情が芽生えた。莉奈はこれまでずっと澪を偏見の目で見てきた。あの綺麗な顔だけで、匡介の横で3年間も社長秘書の座にいられたのだと信じていたから。しかし、自分がその椅子にわずか2ヶ月座っただけで、
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第28話

申し訳なさそうに口を開く莉奈。「澪さん、ごめんなさい。今まで、あなたにはたくさんの偏見を持っていました。あなたが社長秘書の座をずっと守ってこられたのは、あなたの確かな能力があったからです。外の人たちは知らないかもしれませんが、私たち秘書室の人なら、誰もがその実力を認めています。前の私は何も分かっていませんでした。だから、あなたに酷いことをしてしまって……本当にごめんなさい。それと、柊社長と私の間には何もありません。普段、社長は私にはとても冷たくて、あなたが近くにいる時だけ、わざと親しげに振る舞っていただけなんです。それに、あなたが柊グループを辞めた後、私は何度も社長室に入ろうとしたんですけど、そのたびに叱責されちゃいました。それ以来、二人きりでいることは二度とありませんでした。あの日、あなたを製氷室に閉じ込めてしまったこと、本当にごめんなさい。その間、社長はあなたを必死に探していました。でも、私はあなたが『生理でお腹が痛いからトイレにいる』と嘘をついて、探すのをやめさせたんです。以前は柊社長に分不相応な望みを抱いていたけれど、今は誤解していたことがよく分かりました。社長は社長秘書という役職ではなく、澪さん自身をずっと愛していたみたいですから。澪さんがどんな職に就こうと関係なく、社長はあなたが好きなんです。だから、あなたがグループを辞めてから、社長はすごく不機嫌だったんですよ?行方が分からず不安でたまらないみたいに」莉奈がこれほど落ち着いた様子で、澪に本音を語るのは初めてのことだった。というのも、莉奈はここ2ヶ月、情緒不安定な匡介のそばで生きた心地がしなかったから。そんな苦境に耐えて、3年間も彼に仕えてきた澪のことを、莉奈は今では心から尊敬していたのだ。澪はその告白にひどく驚き、しばらく考えてからこう返す。「白川さんも……元気でね」莉奈の声は大きくなかったが、聴覚が鋭い匡介には届いていた。何を話しているかまでは聞き取れなかったが、外から聞こえるぶつぶつとした声が気になって、匡介の苛立ちはますます募っていった。匡介は顔をしかめて不機嫌に舌打ちをし、会議を一時中断させる。「誰が外で騒いでいるんだ?うるさくてたまらない!」それを聞いた末席の秘書である吉野桃香(よしの ももか)が慌てて部屋を飛び出し、様子を見にいった
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第29話

匡介は澪の元まで歩み寄り、何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。そこで、澪が先に口を開く。澪は取り乱すことなく、仕事上の付き合いとして、堂々と手を差し出し、こう切り出した。「こんにちは、柊社長。黒崎グループの秘書室の、篠原澪と申します。黒崎グループ社長、神谷の指示により、これからの2ヶ月間、柊グループで合同勤務をさせていただきます。プロジェクトの打ち合わせなどでご一緒することになると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします」まるで初めて会った赤の他人のようで、二人にはかつて愛し合った過去など微塵もないかのように。相変わらず公私の区別をはっきりさせ、隙のない澪の態度。しかし、彼女は今や完全に柊グループと対立する側の人間として立っている。黒崎グループからスタッフが派遣される件は聞いていたが、まさかそれが澪だとは想像もしていなかった。しかし普通であれば、澪が来るはずなどない。匡介を嫌っているということもあり、澪自身が黒崎グループの令嬢という立場なら、自ら足を運ぶ必要などないのだ。しかし、彼女が自分の名を「篠原澪」と名乗った一瞬で、匡介は悟った。おそらく、黒崎グループ側の人間たちが、彼女の正体を知らないのだろう。匡介は微かに口角を上げた。わざわざいばらの道を選ぶなんて。澪はいつだって、自分を驚かせてくれる。だが、運命が再び自分たちを巡り合わせてくれたのであれば、今度こそ、二度と彼女を手放したりしない。澪の放った毅然とした言葉に、その場にいた者は互いに顔を見合わせた。かつて匡介の寵愛を一身に受けていた澪が、ひと月姿を消していた間に黒崎グループの秘書となって戻ってくるとは、誰が予測できただろうか。この1ヶ月、匡介の機嫌に振り回され、一同は限界を迎えていた。誰も言葉にはしなかったが、匡介の異常な苛立ちが、突如失踪した澪のせいであることは周知の事実だったため、秘書室の面々は怯えながら、誰もが澪がいた日々を恋しく思っていた。澪こそが、秘書室における絶対的な支えだったのだ。ようやくその支えが帰ってきたと思ったのに、彼女はもう別の人の手の中にいる。残り2ヶ月が過ぎれば、澪は本当に柊グループから去ってしまう。秘書室の人々の気持ちは喜びから寂しさへと変わっていた。しかし、この2ヶ月間澪がいるうちは、比較的平穏に
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第30話

匡介が動くよりも早く、澪はノートPCと書類を手に取り、秘書室の空いているデスクへと腰を下ろした。今までであれば、匡介の指示を即座にこなすため、澪の席は社長室のすぐ横にあり、社長室内にも彼女専用の場所が設けられていた。その後、莉奈が社長秘書の座に就いてからも、澪は秘書室の共同スペースには移らず、そのままの場所で仕事を続けていた。だから、その席は澪が去って以来ずっと空いたままで、莉奈ですら足を踏み入れたことはなかった。だからこそ、今こうして堂々と共同スペースのデスクを使用する澪の姿に、秘書室の面々は少し驚いていた。そして何より、今回戻ってきた澪からは、以前のような匡介を気遣う気配が微塵も感じられない。むしろ……立場が逆転し、匡介の方が澪の機嫌を窺っているように見える。もちろん、誰も口には出せないため、社員たちは互いに意味ありげな視線を交わし、今後の成り行きを静かに見守るしかなかった。澪が共同スペースへ向かうのを見て、匡介は眉をひそめながら問いかけた。「どこへ行くつもりだ?」澪は、そんな当たり前のことを聞くなとばかりに言い放つ。「これから2ヶ月、柊グループで働くので、デスクぐらいは必要になると思うのですが……何か問題でもありますか?」匡介は唇を引き結んだ。澪はもう、自分の社長秘書ではなかった……今や提携会社の社員にすぎない。それでも匡介は、澪をそう簡単に自分から遠ざけるつもりはなかった。「篠原さん、そのデスクでは我が社との連携に不便だろう?」澪は、あえて意味がわからないふりをする。「共同スペースにいれば、担当秘書とすぐに打ち合わせができて、かえって効率がいいと思いますが」匡介は、空いている莉奈の席を指差し、あてつけのように言った。「見ての通り、社長秘書が辞めたばかりなんだ。このプロジェクトは元々彼女の担当だったんだが、彼女がいなくなった今、その責任者は当然俺になる。篠原さんは知らないだろうけど、俺は部下に負担をかけない主義なんだ。秘書室のみんなには残業させたくないから、黒崎グループとの重要な商談は、他の手を借りず、すべて俺が直接指揮をとっている。つまり、そんな端っこの席では無意味だ。俺の近くにいないと、円滑に仕事ができるはずがない」匡介のあまりの理屈に、あの澪ですら思わず絶句し、もうどうにかなりそ
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