人工妊娠中絶の手術室の前で、医師が白川詩乃(しらかわ しの)に諭すように言った。「中絶は体への負担が大きいです。産める状況なのであれば、できれば出産することも考えてみてください。もう一度、ご家族と相談されますか?」詩乃はスマホを手に取り、鷹宮蓮司(たかみや れんじ)にメッセージを送った。【病院にいる。子どもをおろすつもり】返事はすぐに届いた。【うん】彼女がスマホの画面を医師に見せると、医師はそれ以上何も言わず、手術の準備に入った。詩乃はその短い返事を見つめながら、ふと、自分がひどく哀れに思えた。彼女はずっと、蓮司はただ淡々とした性格で、余計なことを言わない人なのだと思っていた。けれど結婚して五年が経ち、ようやく気づいた。彼は感情に乏しい人間なのではない。ただ、持っている熱のすべてを、幼なじみの常盤安奈(ときわ あんな)に注いでいただけだった。当然のように、詩乃に向けるものなど、淡々とした態度くらいしか残っていなかったのだ。詩乃だって、何も言わずに我慢してきたわけではない。けれど蓮司はこう言った。「俺と安奈は子どもの頃からの友達で、今は同僚でもある。彼女とは仕事で必要なやり取りをしているだけだ。それに、結婚生活なんてこういうものだろ。穏やかに、淡々と続いていくのが本物なんだ。腰を据えて暮らしていけば、それでいいじゃないか」彼女は言い返せなかった。だから、彼のその淡々とした態度を受け入れようとした。三か月前、道路を渡っていた詩乃が車にはねられるまでは。地面に倒れたまま、意識が何度も遠のきそうになる中で、彼女は必死にスマホへ手を伸ばし、蓮司にメッセージを送った。それでも蓮司から返ってきたのは、やはり「うん」の一言だけだった。彼女は長い、長い時間待った。通行人が救急車を呼んでくれるまで、処置室へ運ばれるまで、傷を縫われ、病室のベッドに横たわるまで、そして意識がはっきり戻るまで、彼女はずっと待ち続けた。それでも、蓮司は現れなかった。彼女は痛みに耐えながら安奈に電話をかけ、蓮司がなぜまだ来ないのか、途中で何かあったのではないかと尋ねた。話を聞き終えた安奈は、ふっと笑い、軽い口調で言った。「詩乃さん、蓮司くんなら今、私と一緒にいますよ。蓮司くんのアカウント、ずっと私の端末でもログインしているん
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