All Chapters of 森宮社長、奥様は娘を連れて離婚します: Chapter 151 - Chapter 160

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第151話

芹奈の話を聞いて、周囲の視線が澪と紗耶の間を行ったり来たりした。征司の恋人という立場を抜きにすれば、紗耶より澪のほうが目を引く。それに皆が初めて気づいたようだった。紗耶は唇をきゅっと結び、苛立たしげに澪を一瞥した。澪は、女同士で張り合うことに夢中になったわけ?こっちは見た目のことで彼女と張り合うつもりなんてない。紗耶をかばおうとした人は言葉に詰まったが、それでも不満そうな声が上がった。「それでも、澪さん、紗耶さんにきちんと説明しないといけないでしょう」澪はようやく分かった。彼らにとって、征司は紗耶の「もの」で、自分は紗耶の恋人に手を出した女として見られている。紗耶が大目に見てくれなければ、征司に関わることさえ許されない――皆はそう思っているのだろう。周りの人たちが紗耶をかばって澪を責めているのに、紗耶は止めるどころか、黙ってそれを受け入れている。澪は鼻で笑い、紗耶をまっすぐ見据えた。「いいですよ。全部はっきり話しても、本当に構いませんよね?」紗耶が、その言葉に含まれた意味を分からないはずがない。ここには大勢の人がいて、しかも撮影はリアルタイムで進んでいる。もし澪が後先を考えず、本当のことを口にしてしまったら……紗耶は表情を引き締めると、気にしていないふうに皆に向き直った。「皆さん、お気持ちは分かってます。でも、今は研究を最優先にしないと。気にしないで、まずは作業を進めましょう」澪は、彼女のその器の大きさを褒め称えたいくらいだ。少なくとも、外向きの印象だけなら非の打ちどころがない。彼女がその場を離れようとしたとき、隣にいる征司がずっと動かずにいることに気づいた。征司は黙ったまま、澪を見下ろしている。その目にどんな感情が宿っているのか、澪には分からない。澪は眉をひそめ、顔を上げて彼を見返した。「私、余計なことを言うのが心配?」征司の深い瞳が、わずかに揺れた。「それはお前の自由だ。ただ、言ったあとに何が起きるかくらいは、よく考えてから決めればいい」澪は黙り込んだ。嫌味を言い返すつもりだったのに、征司の言葉はもっともで、反論のしようがない。森宮家には、結婚していることを世間に明かさないと約束している。森宮家の名を汚すようなこともできない以上、紗耶が征司の不倫相手だというこ
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第152話

紗耶の言葉には、命令するような響きがある。征司の妻である自分より、よほど偉そうにしている――澪でさえ認めざるを得ない。伊織は面白そうに笑い、腕を組んだまま椅子の背にもたれた。「白石さん、編集のことまで口を出すんですか?いっそのこと、どう撮影すべきかご指導いただきましょうか?」伊織が澪をかばっていることくらい、紗耶にも分かっている。わざと自分を苛立たせようとしているのだ。彼女は声を落ち着かせて言った。「今回のドキュメンタリー、テーマは薬の研究でしょう?あの場面を入れたら、話が本筋からそれませんか。私は、そこを言っているだけです」伊織はうなずいた。「本筋からそれる?こちらから見れば、むしろ研究の現場がどれだけ大変か伝わるいい映像じゃないですか?体調が悪くても研究を続けている研究員と、その様子を見に来た研究室の出資者である森宮社長。瑞穂メディカルにとってもポジティブな宣伝になりますし、とても意義のある素晴らしいテーマだと思いますけど?」紗耶は露骨に顔をしかめた。そんなの、ただのこじつけだ。伊織が人を怒らせるのが得意であることを、澪はよく知っている。彼女はいつも相手が一番触れられたくないところを容赦なく突くのだ。「でも、森宮社長にも確認したほうがいいんじゃないですか?」紗耶の隣に座る女性が口を挟んだ。その一言で、皆の視線がゆったりと椅子にもたれている征司に集まった。やがて、彼はティーカップを置き、淡々とした声で言った。「編集について、こちらから口を出すつもりはありません。伊織さんの言うとおり、この映像は瑞穂にとってもイメージアップにつながります」澪は少し意外だ。まさか、映像を使わないよう強く求めるつもりではないのだろうか。だが、征司は続けた。「ただ、二十秒も流すのは長すぎると思います。余計な憶測を呼ばないためにも、伊織さん、三秒から五秒程度に短くしてもらえませんか」澪はカップを持ったまま、征司を見た。「余計な憶測」という言葉――つまり征司は、自分との関係を周りに勘ぐられたくないのだ。視聴者の間で自分との関係が話題になるのを避けたいのだろう。紗耶もその意図を察し、先ほどまでの沈んだ表情がぱっと明るく晴れ渡った。やはり、瑞穂のイメージを考えなければ、征司が澪の思いどおりにさせるこ
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第153話

そうなれば、婚約の話も自然に立ち消えになるだろう。食事会が終わり、伊織は映像を確認するために戻っていった。澪は一人で階下へ降りて帰ることにした。ずっと向かいの席で紗耶と征司の話を続けているのを聞くのはもううんざりで、ただ早く静かな場所で一息つきたい。外へ出ると、春の雨が降り始めていて、入口のひさしの下に征司が立っている。彼は夜の雨を見上げている。黒いコートに身を包んだ長身の姿は、雨の夜気のなかでもひどく凛として見える。足音に気づいた征司が、こちらを振り返った。「車で来たのか」澪は、彼と話すつもりなどないが、突然声をかけられた以上、無視するのも失礼で、短く「いいえ」と答えた。「送ろうか」澪は、その言葉がおかしくてたまらない。本当に送る気があるなら、わざわざ訊くまでもないだろう。「いいの」「分かった」征司はそれ以上何も言わなかった。送る気など、はじめからないのだろう。一台のベントレーが停まり、窓が下りた。紗耶が顔を出し、澪をちらりと見てから征司に言った。「征司、そろそろ行こう」征司はそのまま車に向かい、後部座席に乗り込んだ。さっきの言葉はただの社交辞令だったと澪は確信した。征司が本当に自分を送るはずがない。紗耶との時間を邪魔するような相手を、わざわざ車に乗せるはずもない。澪は視線を伏せた。こうして置いていかれることにはもう慣れていて、今さら何かを感じることもなかった。澪はタクシーを拾い、マンションに帰った。翌日も、研究チームは薬の配合を続けている。昼休みになると、澪は弁当を持って、モニターを見ている伊織のところに向かった。撮影は絶え間なく行われている。 澪も、裏方から見る景色がどんなものか気になっている。ずらりと並んだモニターの前に座って、彼女は息を呑んだ。「これ、本当に隅から隅まで丸見えね。一体どれだけのカメラを設置したの?」伊織は得意げに胸を張った。「私の仕事を何だと思ってるの?ちょっとした癖から、本人が隠してるつもりの仕草まで、全部お見通しよ」澪は黙り込んだ。そこまで細かく見る必要はないだろうに。いくつもの画面を眺めていると、まるでドラマをリアルタイムで見ているようだ。弁当のおかずを二口ほど口に運んで、ふと顔を上げた。すると、分割されたモニタ
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第154話

あまりに突然のことで、澪が振り返ったときには、千佳子はすでに紗耶ともみ合っている。一方は何不自由なく暮らしてきた裕福な奥様で、もう一方は水仕事などしたこともないお嬢様だ。二人とも喧嘩慣れしているとは言えず、ただ押し合いへし合いするしかない。紗耶は、かつて義母になるはずだった千佳子を前に、さすがに強くは出られない。しかし、今は征司が後ろ盾になっていることを思い出した。彼女は唇を噛み、警戒しながら周囲を見回し、澪の他に誰もいないことを確認してから口を開いた。「ここは会社です!少しはわきまえてください!」「わきまえる?よくもまあ、平気な顔でそんなことが言えるわね。征司に近づくためなら、手段なんて選ばないんでしょ?そもそも朝斗との婚約だって、あんたには高嶺の花だったのよ。なのに、朝斗が刑務所に入ったらすぐに、妻のいる兄に手を出すなんて……恥ずかしくないの?」千佳子は力任せに紗耶を引き寄せながら、なおも怒鳴った。「ネットに出回ってたわよ。番組の撮影中に征司とイチャついてたのはどういうこと?征司に結婚を迫るつもりなの?!」千佳子は、すっかり我を忘れている。この日、千佳子が自宅で麻雀をしていると、仲間の一人がスマホを手に近づいてきた。画面には、収録中に背伸びをして征司にキスをしようとしている紗耶の姿が映っている。「この人、征司さんの奥さん?ずいぶん仲がいいのね」画面に映っているのが紗耶だと分かった瞬間、千佳子は目の前が真っ暗になった。彼女にとって、それは自分の息子が裏切られたも同然だ。紗耶が以前から征司のそばにいることは知っているが、こんなふうに征司にキスしようとしているところを目の当たりにして、黙っていられるはずがない。こんな恥が身内から出るなんて、たまったものではない。「それ、何のことか分かりません。まず落ち着いて、お話ししましょうか」千佳子が感情的になっているのを見て、紗耶は言った。彼女はそこにいる唯一の目撃者に視線を向けた。「澪さん、征司を呼んできて」少なくとも、瑞穂メディカルで騒ぐわけにはいかないと思っている。澪は自分自身を指差した。 私を巻き込む気? 千佳子は振り返り、険しい顔で澪を睨みつけた。「あなた、ばかなの?この女、あなたをここまでコケにしてるのに、夫を奪われても平気なの?
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第155話

そもそも澪は、あの場にいる唯一の目撃者だ。万一紗耶に何かあれば、森宮家から「見て見ぬふりをした」と責められるかもしれない。それが離婚手続きにまで響けば面倒だ。紗耶は顔を真っ青にしている。千佳子があのできそこない息子をここまでかばうとは思っていなかったのだろう。「私がこんなふうにされるのを見て、征司は絶対に許せませんから。あなた……」その一言が千佳子の怒りに火をつけた。「この女、私を脅す気?!」千佳子は紗耶を思いきり突き飛ばした。紗耶は足をひねり、そのまま後ろへ倒れ込んだ。澪はとっさに手を伸ばしたが、間に合わない。紗耶はヒールを履いていて、一段踏み外した瞬間そのまま階段を転げ落ちた。ドンと、鈍い音が響き渡った。千佳子も呆然として、紗耶を突き飛ばした手を見て、澪に視線を向けた。澪は、階段の下で痛みに顔をゆがめ、動けなくなっている紗耶を見て、さすがに顔色が変わった。誰かを呼ぼうと振り返った時、向こうから征司が足早に歩いてきた。彼は氷のように冷たい目をして、澪の肩口をかすめるように横を通り過ぎ、足を止めることなく階段を下りていった。澪は彼が大股で階段を駆け降り、紗耶を抱きかかえて病院へと急ぐ様子をただ呆然と見送るしかなかった……あまりにも早い出来事で、我に返った千佳子の顔にようやく不安の色が浮かび、澪にきつい声を上げた。「どうして止めなかったのよ!」澪は眉をひそめた。「叔母さん、私の話を聞く耳なんてあったんですか?」澪が口の減らない相手だと知っているから、千佳子は何も言わず慌てて階段を下りていった。あたりが急に静まり返った。すでに大半の社員は退勤していて、研究棟にはほとんど人が残っていない。ここで何が起きたのか、気づいた者はいない。先ほどのもみ合いで疲れ切って、澪は踊り場に腰を下ろし、しばらく心を落ち着かせた。 それからゆっくりと、足を少しずつ動かして階段を降りた。その後、紗耶がどうなったのかは知らない。澪は伊織に電話をかけて、迎えを頼んだ。連絡を受けた伊織は映像を途中で切り上げると、すぐに車を走らせて会社まで来てくれた。「どうしたの?」澪は首を振った。「ちょっと腰をひねったみたい」「顔色、すごく悪いよ。何かあった?」澪は眉を寄せ、さっき起きたこ
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第156話

澪は、むしろ静かでいいと思った。そんな考えを振り払うように首を振ると、無菌服に着替えて作業に取りかかった。紗耶がいないためか、K大のメンバーも騒ぐことなく、黙々と実験を進めている。澪のほうは、すでに必要な準備をほぼ終えている。生薬から成分を抽出し、動物試験まで進めているが、今のところ問題は出ていない。ところが三日目になっても、紗耶は姿を見せなかった。あのとき紗耶に言い渡した期限は、今日までだ。納得できる成果を出せなければ、チームから外すことになっている。「澪さん、白石さんと連絡がつきません。K大の人たちに聞いても、はっきり答えてくれなくて」芹奈が不満そうに口を尖らせた。一日遅れるだけで、先の予定も見通せなくなる。臨床試験を無事に終えて薬が実用化されれば、チーム全員の実績として残る。予定が一日延びるだけでも、皆が気を揉むのは当然だ。「S総合病院との臨床試験は、明日から始める予定ですよね。白石さんから何の連絡もないまま、どうやって先方と調整するんですか?」新薬の開発には研究者だけでなく、多くの機関が関わっている。すべての工程を予定どおり進めるには、それぞれと綿密に調整しなければならない。しかし、紗耶が必要な書類にサインしていないため、K大側も進められずにいる。澪は精製した薬液をバイアルに分注しながら、落ち着いた声で答えた。「S総合病院には、予定どおり明日から始めると伝えて。K大との調整は、知之さんにお願いするから」紗耶のサインがなければ、K大が勝手に進められないのは分かっている。だからといって、皆が彼女一人を待ち続けるわけにはいかない。怪我をしていようといまいと、自分の仕事をきちんと手配もせず、連絡も絶ったままでは、責任感がないと言われても仕方がない。もう、紗耶を研究チームから外さないといけない。午後になると、伊織が険しい顔でやって来た。「まずいことになった」「どうしたの?」澪は手袋を外しながら尋ねた。伊織は苛立ちを隠せない様子で言った。「誰かが編集前の映像データを流出したの。千佳子さんが、紗耶が征司にキスしようとしてる映像を見たって言ってたでしょ?調べてみたら、番組で使った映像じゃなくて、編集前の素材だ。これで制作チーム全体が責任を問われることになるわ」澪はそこでようやく思い出
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第157話

誰が好き好んで見舞いに来て、機嫌を取ろうとするもんか。「本当にお見舞いに来たんですか?嫌味を言いに来たようにしか見えませんけど」蓮は小さく笑い、どこか訝しげに澪を見た。彰人も澪を探るように見ているが、当の澪が落ち着き払っているのを見て、わずかに目を細めた。伊織は鼻で笑った。「これじゃ物足りないっていうなら、次はもっと大々的に来てあげましょうか?」伊織は、裕福な家に生まれただけの連中が昔から気に入らなかった。どいつもこいつも、同じ穴の狢だ。蓮は言葉に詰まった。いくら何でも、言い方がきつすぎる。紗耶も自分が皮肉られたと気づいて、顔をこわばらせた。誰が死ぬよう呪っているのよ。澪は伊織の袖を軽く引いて、ベッドで元気そうにしている紗耶に目を向けた。「大したことなさそうだし、K大の作業はいつ再開するつもり?」紗耶は目を冷たくして、口元に薄い笑みを浮かべ、背当てに寄りかかった。「悪いけど、人に陥れられてけがをしちゃったの。プロジェクトのことは、もう少し待ってもらうしかないわ」澪にとっては、それは予想どおりの返事だ。けがをしていないときでさえ、周りを待たせて平然としていたのだから、少しでもけがをした今なら、なおさらだろう。これなら、研究チームから外しても何の問題もない。「分かった。じゃあ、好きなだけ休んで」聞きたいことは聞けた。澪はこれ以上長居する気はなかった。紗耶をチームから外すと決めた以上、彼女がいつまで休もうと、もうどうでもいい。「澪さん、私に説明することはないの?」背後から紗耶の声がして、澪は仕方なく足を止め、振り返って怪訝そうに尋ねた。「何の話?はっきり言って」紗耶は嘲るように口元を歪めた。代わりに蓮が口を開いた。「編集前の映像が流出したせいで、千佳子さんが紗耶を問い詰めに来たんだろう。未公開の映像が外に出て、しかもそれが千佳子さんの目に入るなんて、出来すぎた偶然だと思わない?」蓮は澪を気の毒そうに見た。「澪、こんなことまでする必要はなかったのに」澪の警戒心が一気に高まった。これはつまり……「澪が千佳子さんに映像を流したと思ってるんですか?」伊織が険しい顔で尋ねた。紗耶は小さく鼻で笑った。「今さら認めるかどうかはもうどうでもいいわ。二人が来る前にK大のスタッフに
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第158話

澪は、自分の耳を疑った。紗耶が階段から突き落とされた責任まで、自分に押しつけられるとは思ってもみなかった。伊織は一歩前に出て、怒りのあまり笑い出した。「ふざけないでくださいよ。階段から落ちたとき、頭まで打ったんじゃないんですか?」紗耶は枕に背を預けたまま、いかにも冷静に話し合うつもりだという顔をしている。「私が何を言っているか、澪さんが一番よく分かっているはずですよ。ここまで偶然が重なるなんて、出来すぎていると思いません?皆さんも、おかしいとは思いませんか?」「ふざけ――」澪は伊織の手を取って軽く握った。そして、紗耶をまっすぐ見据えて言った。「朝斗を見捨てて、婚約も解消しないまま、その従兄の征司と密かに付き合っているのはあなたでしょう。千佳子さんがどれほどあなたを恨んでいるか、言わなくても分かるはずよ」二人の揉め事にまで自分を巻き込まれるなんて、たまったものではない。自分なら、どんな濡れ衣を着せても黙って受け入れるとでも思っているのだろうか。澪の言葉には、まったく遠慮がなかった。しかも征司本人を前にして、「紗耶は朝斗を捨て、婚約中の身で征司と関係を持った」とはっきり言い切った。澪は征司の目の前でもこんなに遠慮しないのだろうか? 彼ら夫婦はいつもこんな風に接しているのだろうか?彰人は思わず、そばにいる征司の様子をうかがった。征司は窓辺に寄りかかり、何気なく目を上げて澪を見ている。澪がそこまで言っても、怒っている様子はない。彰人は小さく肩をすくめた。今は平静に見えるだけだろう。紗耶がけがをした以上、征司がこのまま何もせずに済ませるはずはない。「そんな言い方はやめて」紗耶の顔にも不快感が走った。「別にこれ以上あなたを責めるつもりはない。でも、まさか今日わざわざ病院まで来て、けがをした私に無理をしてでも研究を続けるよう求めるとは思わなかったわ。責任感だのプロ意識だのを持ち出して、私を責めるつもりなんでしょう?そこまでされて、私も遠慮するつもりはないわ」いかにも自分だけが正しいと言わんばかりの態度に、澪は思わず笑ってしまった。実際、彼女はそのまま声を出して笑った。そんな澪を見て、蓮は思わず眉をひそめた。「なんだその態度は?そもそも紗耶は君の姉みたいのもんだろ。今までだって十分気を遣って
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第159話

伊織は、もう怒りを抑えられず、大股で歩み寄り、紗耶の髪を掴んでベッドから引きずり下ろそうとした。家でいくら冷遇されていたとはいえ、彼女は今までこんな悔しい思いをしたことはなかった。これは自分のためではない。澪があまりにも不憫で、腹が立って仕方がないのだ。思い立ったらすぐ行動する伊織は、蓮たちが止める間もなく紗耶に手を伸ばした。だが、その手が紗耶に届く前に、征司にその手首を掴まれた。その光景に澪は心臓が飛び出そうになった。伊織の気持ちは痛いほど分かる。だが、征司まで手を出せば、収拾がつかなくなる。澪はすぐに駆け寄り、伊織の手首をつかんでいる征司の手をぐっと握りしめた。征司はこれまで、女性に手を上げたことも、揉めたこともない。幼いころから他人への関心が薄く、一見すると自制心があるように見えるが、実際は相手にする価値すら感じていないだけだ。しかし、この件には紗耶が絡んでいる。澪には、征司がいつもどおり冷静でいるとは言い切れない。あまりに必死だったため、駆け寄った勢いで征司の肩にぶつかったが、澪は一歩も引かず、まっすぐ彼を見上げた。「何があったのか、まず話を聞くべきでしょう?」澪に手を握られた瞬間、征司は伊織の手首を離した。ふと目を落とすと、澪はまだ彼の手首を強くつかんだままで、その指先はかすかに震えている。「お前がやったと、叔母さんが言ってるんだ」征司は淡々とした口調で告げた。それを聞いて、澪はようやく顔を曇らせた。つまり千佳子は、すべての責任を澪に押しつけたのだ。征司は澪の手を振り払おうとはせず、ゆっくり姿勢を正した。「感情になっても何も解決しない。それは伊織さんより、お前の方がよく分かってるはずだ」もちろん、澪はちゃんと分かっている。征司の手を離すと、伊織の手を取った。「感情になっても解決しないことくらい分かってる。でも、感情的になっているのは、最初から紗耶の肩を持っているあなたたちでしょ」そう言い残し、澪は伊織を連れて病室を出た。ここで言い争っても意味はない。必要なのは、自分の無実を証明する方法だ。征司は二人の姿が見えなくなるまで、黙って見つめている。「説明もしないのか?」蓮は理解できないという顔をした。悪いことをしておいて、あそこまで堂々としていられる人間も珍し
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第160話

澪は伊織と一緒に病棟を出た。S総合病院の玄関前は人の往来が絶えず、春先の空気はもうそれほど冷え込んではいない。澪が足元に目を落とし、先ほどのことを考え込んでいる。伊織は憤りをぶつけるように話し続けていた。「あの女、防犯カメラがないのをいいことに、あなたに濡れ衣を着せたのよ!千佳子に突き落とされたことくらい、本人が一番よく分かってるはずでしょ?それなのに、千佳子があなたのせいにしたら、すぐそれに乗ってあなたを犯人扱い。腹黒いにもほどがあるわ!」澪にも分かっている。この件をうやむやにしておけば、後々まで厄介なことになる。紗耶が簡単に引き下がるはずもない。おそらく、この前自分に叩かれたことを根に持ち、その仕返しをしようとしているのだろう。「あれ、千佳子さんじゃない?」伊織はふとある方向を指差した。澪が顔を上げると、千佳子が車を降りて、病院に向かって歩いてくるところだった。澪は真っ直ぐに歩み寄り、その行く手を遮った。澪を見ると、千佳子は一瞬目を泳がせたが、すぐに冷たい笑みを浮かべた。「何よ?ご主人の不倫相手に謝りにでも来たわけ?」 そのひと言で、澪にはすべて分かった。千佳子は本当に自分に罪をなすりつけたのだ。「私を責めないでよ」千佳子は澪を上から下まで眺めて、鼻で笑った。「世間から見れば、紗耶を一番憎んでるのは私じゃなくてあなたでしょ?朝斗と紗耶は婚約してるだけで、まだ結婚してない。でもあなたは違う。七年も連れ添った夫を寝取られたんだから、これほどの屈辱はないでしょ。私が彼女を殺したいと思うより、嫉妬に狂ったあなたがやったって言うほうがよっぽど信じられるわ」だから、澪に責任を押しつけても問題はない。誰もが信じる話なのだから。紗耶が階段から落ちたあの瞬間、千佳子は我に返った。征司が大切にしている女にけがをさせたのだ。叔母だからといって、征司が見逃してくれるはずがない。一方、澪はもうすぐ森宮家から追い出される身だから、征司に家を追い出されようが、報復されようが、知ったことではない。それに、紗耶に詰め寄って騒ぎを起こし、危うく森宮家のスキャンダルを世間に漏れるところだったと美佐子に知られれば、千佳子自身もただでは済まない。そこで千佳子はその夜、病院に行き、紗耶を突き落としたのは澪だと征司に伝
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