Todos los capítulos de 森宮社長、奥様は娘を連れて離婚します: Capítulo 161 - Capítulo 170

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第161話

澪はようやく紗耶の真の狙いに気づいた。通報しないことは、いかにも自分に逃げ道を残したように見せかけて、本当はアカリ製薬から追い出すつもりなのだ。「アカリ製薬が君を辞めさせない限り、K大には戻らないそうだ。作業が遅れたら、それも全部君のせいだって」研究員ごとき一人をクビにするだけで面倒を避けられるんだから、俺にとっても悪い話じゃないだろうってさ。君が抜けたところで、プロジェクトには何の支障もない、とまで言っていた」研究員ごとき一人?澪はフェイであり、WAKANナビの頭脳ともいえる存在だ。今回の共同プロジェクトでも新薬開発の全工程を取り仕切っている。チームメンバーの一人にすぎない紗耶が、プロジェクトの要である澪を追い出そうとしている。征司に甘やかされすぎて、ここまで傲慢になったのか。 ただ、澪はそれほど驚かなかった。互いに相手をプロジェクトから追い出したいという点では、二人の考えは一致している。澪は知之を見た。「もうかなり長いこと作業を遅らせてる。契約上、重大な過失に当たるはずよ。K大側に話を通して、彼女をプロジェクトから外してもらいましょう」自分が不可欠だと思い込んで、ずいぶん強気に出たものだ。それなら、戻ってこなくていい。知之もすぐに澪の意図を察し、少し考え込んだ後、彼はふと面白そうに眉を上げて言った。「柴崎先生はK大でもかなり顔が利く。この前、紗耶の弟が玲衣を怪我させた件で、先生も相当怒ってるしな。先生に頼めばすぐに話はつくだろう」先生に動いてもらえば、征司がスポンサーだからとK大側がごねる余地もなくなる。澪も異論がない。すべては紗耶が自分で招いたことだ。あとで泣きを見ても、澪の知ったことではない。ー紗耶はすぐには退院しなかった。怪我自体は大したことではない。ただアカリ製薬からの返事を待っているのだ。澪がアカリ製薬を辞めれば、紗耶はすぐに現場に戻れる。何しろ臨床試験はすでに始まっており、彼女自身も早くプロジェクトを進めたくて急いでいるからだ。新薬の開発者として確実に名を連ねる——これが今、何よりも重要なことだ。この日は、正毅と薔子が見舞いに来ている。薔子はリンゴの皮をむきながら尋ねた。「アカリ製薬からは何て?」紗耶は眉を上げた。「まだ返事はないけど、まあ間違いない
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第162話

紗耶は表情をこわばらせ、薔子が差し出したリンゴを反射的に払いのけた。「どういうこと?どうして私が外されなきゃならないの?処分されるべきは澪の方でしょう!」あまりに信じられない話に、言葉遣いも思わずきつくなった。K大の責任者も言い淀んだ。澪にはメンバーを外す権限があるし、なにより今回は大学上層部から直接下された命令だ。その裏では柴崎先生が動いていたらしい。これ以上、紗耶にプロジェクトを台無しにさせないためだという。しかし、そんな事実をそのまま伝えるわけにもいかない。紗耶は征司の恋人でもあるため、責任者は言葉を濁して伝えるしかなかった。「大学上層部の決定です。それに白石さんが契約で定められた期限を守らなかったことも事実です。納得できないのであれば、大学側に直接お問い合わせください」そこで電話は切れた。紗耶はスマホを見つめたまま、しばらく動けなかった。大学上層部の決定?大学上層部とはほとんど関わりもない。それなのに、なぜ自分が目をつけられたのだろう。アカリ製薬でも、知之とはそれなりに良好な関係を築いてきたつもりだった。少なくとも、征司の顔を立てるくらいはするはずだ。「どうしたんだ?」正毅に尋ねられ、紗耶は信じられない思いで答えた。「私、プロジェクトから外されたの」紗耶は顔をしかめ、あまりの理不尽さに腹を立てている。あの新薬には明るい将来が約束されている。ここまで開発に携わり、あとは承認申請にこぎつければ、自分は主要な開発者の一人として名を連ねるはずだ。開発者の一人として正式に名前が載れば、それだけで今後のキャリアに大きな箔がつく。それなのに、あと一歩というところで自分だけが追い出されるなんて。「そんなはずないでしょう!」薔子は顔色を変えて立ち上がった。「クビになるのは澪のほうじゃない?どうしてあなたが外されるのよ。あの女、また何か卑怯な手を使ったんじゃない?」紗耶はすぐにベッドを降り、知之に電話をかけた。だが、数回呼び出し音が鳴ったところで切られてしまった。知之は電話に出るつもりすらないらしい。知之はすでに事情を知っていて、そのうえで自分からの電話を拒んだのだ。どういうことなのか考える間もなく、今度は見覚えのない番号から着信が来た。紗耶はためらいながら電話に出た。「
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第163話

「先輩、どうして急にプロジェクトを外れたんですか?先輩の実力は、みんな認めてるのに」「もうすぐ最終段階なのに。ここまでやってきて、開発者として名前を残さなくていいんですか?」紗耶も澪の姿に気づいた。目に一瞬冷たいものがよぎったものの、すぐに何事もなかったような顔で答えた。「いろいろあってね。みんなも知ってると思うけど、数日前に怪我をして、研究に集中できる状態じゃなくなったの。このままみんなの足を引っ張るわけにはいかないから、自分から辞退することにしたのの」おそらくここ最近のことでK大の上層部に目をつけられただけだろう。澪が関わっているはずがない。大学上層部の判断を動かせるほどの力が、彼女にあるわけがない。紗耶の説明を聞いたK大の院生たちは、たちまち感激した様子を見せた。「先輩、本当に優しいです」「ありがとうございます」周囲から次々と紗耶を称える声が上がり、そのすべてが澪の耳にも届いていた。この状況で、とっさに自分に都合のいい話を作り上げ、体面まで保ってみせるのだから、紗耶の図太さには時々感心する。だが、澪はわざわざその場で彼女の嘘を暴こうとは思わなかった。昼どき、澪は昼食を取りにエレベーターに向かった。手にした報告書に目を落としていると、エレベーターの到着音が鳴った。澪は顔を上げないまま、そのまま乗り込んだ。「何階だ?」頭の上から聞こえた低い声に、澪の背筋がピンと張った。顔を上げた瞬間、征司と目が合った。すぐそばに立つ彼は、いつものように感情の読めない目で澪を見下ろしている。エレベーターに乗っているのは二人だけだ。狭い空間には、征司がいつも身につけている、モミの木を思わせる冷たい香りが漂っている。その中に、女性ものらしい甘い花の香りがかすかに交じっている。澪はすぐに察した。紗耶の見舞いに行ったのだろう。愛しい女のもとを離れたばかりだ。澪は返事をせず、目的階のボタンを押した。エレベーターの中に再び沈黙が落ちた。もともと征司と話すことなど何もない。まして、今の二人はまともに会話ができるような間柄ではない。「紗耶に、研究チームから身を引いてもらったそうだな」征司は澪に目を落とし、真意の読めない口調で切り出した。澪は思わず笑いそうになった。やはり、大事な紗耶が
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第164話

暗闇の中では、征司がどんな顔をしているのか分からない。それでも、彼の目的がはっきりと伝わってきた。長年連れ添った夫婦だから気遣ってくれたわけではない。暗闇の中で手を差し伸べたのも、優しい言葉をかけたのも、すべては被害届を取り下げさせるためなのだ。もう征司に何も期待していない。それでも、利用されたような気がして、澪の頬はかっと熱くなった。「理由は?」「前にも言ったはずだ。現場には防犯カメラがない。警察が調べても、何もわからない」暗闇の中、征司の淡々とした声がやけにはっきりと響いた。澪はその言葉の裏にある意味を読み取った。「私が紗耶を突き飛ばしたと思ってるの?この騒ぎが大きくなって、私たち三人の関係まで世間に知られるのが困るから、被害届を取り下げろって言ってる?それとも、紗耶が嘘をついていると分かっていて、警察に調べられないよう庇ってるの?」理由は、このどちらかでしかない。そして、どちらにしても、征司にとって自分のことなどどうでもいいという点では変わらない。澪は失望すら通り越し、ただただ吐き気がした。本当に澪がやったと思っているのなら、征司は七年も連れ添った妻をまるで信用していないことになる。紗耶の嘘に気づいているのなら、澪が濡れ衣を着せられても構わず、ただ紗耶の気持ちと評判だけを気にしているということだ。「俺がどう思おうと、それが何か?」暗闇に目が慣れてきたのか、征司は澪を見下ろした。そこには冷たく嘲笑うような表情が見えた。彼は手を伸ばし、乱れて頬にかかった澪の髪を耳にかけながら言った。「これ以上騒げば、森宮家の評判にも傷がつく。おじいさんとおばあさんにはどう説明するつもりだ?」彼の動作は驚くほど優しい。しかし、その言葉に、澪は思わず笑い出しそうになった。怒りで胸の奥が焼けつくようだ。「被害届を取り下げさせるために、森宮家を持ち出して脅すの?」澪が責められないよう心配しているように聞こえるが、実際は森宮家に迷惑をかけるなと圧力をかけ、被害届を取り下げさせたいだけだ。征司が答える前に、エレベーターの扉が開き、再び光が差し込んだ。澪が征司の表情をはっきりと捉えた瞬間、彼はすでに彼女の腰に回していた手を引き、一歩下がった。まるで何もなかったかのように、他人のような距離を取っている
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第165話

澪は再び椅子に座り直した。やがてドアが開き、大人二人に子ども一人が入ってきた。家族のように並ぶ紗耶と征司と律樹を見ても、澪の表情は変わらなかった。まったく、笑える話だ。医者など他にいくらでもいるのに、わざわざ自分のところへ来るとは。「お似合いのご家族ですね」とでも言ってほしいのだろうか。診察室にいるのが澪だと分かり、紗耶は怪訝そうに尋ねた。「どうしてあなたなの?ベテランの先生に診てもらえると聞いたけど」澪はマスクをつけた。「今日は私が代診なの。嫌なら出て行って。受けるなら座って」律樹の手を引いている征司が澪に目を向けた。それは咎めるような視線だ。大事な紗耶に何て態度だ、とでも言いたげに。「律樹、最近よくめまいがするみたいで。漢方で何とかならないかと思って」紗耶は澪を一瞥し、事務的な口調で症状を説明した。征司も隣に座り、言葉を添えた。「運動すると胸が苦しくなって、息切れすることもある。手足もむくみやすいし、すぐに顔が赤くなる」他人の子どものことなのに、細かい症状まできちんと把握していて、まるで本当の父親のようだ。カルテに症状を書き込んでいる澪の手が一瞬止まった。実の娘である玲衣は、父からこんなふうに気にかけてもらったことが一度もない。玲衣の存在を明かして三人で暮らすことになったとしても、征司が澪や玲衣に目を向けることはないだろうと、澪には痛いほど分かっている。そうなれば、父に愛されていないことを、玲衣は毎日のように思い知らされることになる。そんな思いをさせるくらいなら、今のままでいい。「征司なら、きっといい父になるね。安心した」紗耶はぱっと笑い、横目で澪の反応をうかがった。そのとき、征司のスマホが鳴った。「電話してくる」征司が席を立つと、紗耶は微笑んで言った。「ええ。ここは私がいるから大丈夫よ」征司はそのまま診察室を出ていき、澪にはもう一度も目を向けなかった。澪も顔を上げなかった。紗耶は澪を煽るために、わざとあんな言い方をしたのだろう。だが、澪は相手にせず、そのまま律樹の診察を始めた。律樹の脈を取り、顔色や舌の状態を確認しながら、詳しく症状を聞いた。「肥満がかなり進んでいて、小児メタボリックシンドロームの疑いがある。このままでは将来的に心臓や血管にも影響
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第166話

澪は一瞬、耳の奥が遠のくような感覚に襲われた。聞き間違いかと思ったほどだ。「あの店を何のために紗耶に譲るっていうんですか?」彼女は噛み締めるように尋ねた。澪の目に怒りが宿ったのを見て、正毅は眉をひそめた。「何だ、その言い方は。ただの骨董店だろう。紗耶とは姉妹なんだから、そこまで目くじらを立てるな」澪は唇を強く引き結んだ。「他人の子を自分の娘として育てるのはあなたの勝手です。でも、その女と私を勝手に姉妹扱いしないでください」紗耶が本当に征司と結婚するかどうかなど、澪にはどうでもいい。しかし、母方の骨董店が、紗耶が征司と結婚する際の箔付けに使われる。それだけは澪にはどうしても許せない。正毅は、澪がここまで反発するとは思っていなかったようで、顔を曇らせ、失望したように言った。「澪、お前はいつからそんなに人を傷つける言い方をするようになったんだ。お前の母親も、ああして寝たきりで何もできずにいる。お前まで意地を張って家族を困らせるつもりか?家族が仲良くやっていくことのほうが、店なんかより大事なんだろう。別に何もかも寄こせと言ってるわけじゃないのに」澪の反応など待たず、正毅は手を振った。すると、薔子が病室から出てきて、隠しきれない笑みを浮かべながら、一枚の契約書を正毅に差し出した。正毅はそれを受け取ると、澪に突きつけた。「これは、あの店を紗耶に譲るための書類だ。お前の母親が、店の半分をお前の名義で残している。当時はお前もまだ子どもだったから、これまで俺が代わりに店のことを見てきた。どうせお前は店に関わったこともないんだ。ここにサインして、もう店のことから手を引け」あの店は、今も半分が澪のものだ。だから正毅は、自分の判断だけで店を紗耶に譲ることはできない。澪の母は、まだ幼かった娘の将来を考えて、あらかじめ店の半分を澪の名義で残している。母が澪の将来を案じて残したものを、正毅は紗耶に渡すために奪おうとしているのだ。もっともらしい言葉を並べ、当然の顔をしている正毅が、澪には滑稽でならなかった。澪は嘲るように笑った。脇に下げた手が怒りで小さく震えている。「母の実家が代々守ってきたものを紗耶の結婚のために差し出すなんて――そんなこと、絶対にさせない」そもそも骨董店は、正毅が不正な手段で母から奪い取ったもの
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第167話

薔子は言い返されて、顔色を青くしたり赤くしたりしていた。また何か言おうとしたとき、澪は契約書を勢いよく引き裂き、正毅の胸元へ投げつけた。「私にたかりに来るのはやめてください」澪はきびすを返してその場を立ち去った。完全に冷静でいられるはずがない。相手はなにしろ自分の父親なのだ。しかし彼は母を見捨て、実の娘である自分にもずっと冷たくしてきた。そのくせ今では、愛人の娘ばかりを優先し、実の娘のものまで奪って紗耶に与えようとしている。あの骨董店を紗耶の結婚祝いに渡すことだけは、絶対に許せない。澪は焦燥感に駆られるように足早に歩いた。少しでも早くその場から離れれば、胸の奥にたまった悲しみや怒りも薄れる気がした。澪は屋上に上がり、手すりにもたれかかって冷たい風に吹かれながら、長いこと気持ちを落ち着けた。あんな人間のクズどものせいで、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。彼女は深呼吸をして、仕事に戻ることにしたが、頭はぼんやりと重く、喉も痛んで声がかすれている。どうやら風邪を引いたらしい。怒りで体調を崩したのか、それとも冷たい風に当たりすぎたせいか。昼食を取る気にもなれず、気づけば熱はぐんぐん上がっていった。体に力が入らず、澪は休憩室で少し休むことにした。今回の臨床試験には、アカリ製薬から六人、K大から六人が参加している。昼休みになると、皆それぞれ休憩室で食事を取っている。澪は一人掛けのソファに身を沈め、浅い眠りに落ちた。芹奈が薬とお弁当を買ってきたが、澪には食欲がない。寒気で体が震え、礼だけを言って再び目を閉じた。少し離れた場所では、皆が食事をしながら話している。「澪さん、本当に一日休まなくて大丈夫ですか?」K大の関係者が、気遣うように声をかけてきた。澪は目を開け、割れそうな頭痛をこらえながら首を横に振った。「大丈夫です」「本当に頑張り屋ですよね。でも、世の中には紗耶先輩みたいに恵まれている人もいれば、そうじゃない人もいますから」その言葉をきっかけに、周囲が一気に盛り上がった。「先輩がここ数日間、毎日SNSを更新してましたよね。いつも森宮社長の手だけ写して。先輩が入院してる間、ずっと付きっきりで看病してたみたいで、本当にびっくりしました!」「そうそう。森宮社長ほどの立場の人
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第168話

休憩室の空気が息苦しくなり、澪は外の空気を吸おうと立ち上がった。扉を開けると、紗耶と鉢合わせた。澪はそのまま通り過ぎようとしたがが、紗耶のほうが足を止め、口元に笑みを浮かべた。「骨董店、私に譲る気はないんだって?」熱のせいで身体はだるく、言い争う気力もなかった。それでも振り返って、淡々と答えた。「そんなに欲しいなら、土下座して頼んでみたら?考えてあげてもいいわ」紗耶は眉をひそめた。彼女は昔から澪のことを下品だと思っている。まともな話し方も知らず、田舎で育ったせいで礼儀も身についていない。だから征司にも、長いあいだ見向きもされないのだろう。「あなたと揉めるつもりはないわ」紗耶は澪を見下ろすように言った。「店は今、父さんが管理してるの。あなたが譲らないなら、おじいさんに直接話をするつもり。おじいさんももう何が何だか分からないような状態なんだから、父の言うとおり署名するでしょ?」澪のこめかみがずきりと痛んで、息が止まりそうになった。「おじいちゃんに何かあったら、どうするつもりなの!」彼女は歯を食いしばって言った。その声は怒りで震えている。この人たちがここまで恥知らずだとは、夢にも思っていなかった。九十歳の祖父が強い刺激に耐えられないと知っているはずなのに、それでも正毅たちは、店を手に入れるためなら、祖父のところにまで話を持ち込むつもりなのだ。紗耶は肩をすくめた。「だってあなたとは話が通じないもの。話が通じる人に頼むだけよ。それの何が悪いの?」「征司はこのことを知ってるの?」澪の声は冷え切っていた。「それ、征司と結婚するために用意するものよ。征司が知らないわけないでしょ?」紗耶は穏やかに微笑んだ。その顔には征司に愛されているという確信が、隠しようもなく浮かんでいる。征司は知っている。それなのに、正毅たちが祖父を巻き込み、母の実家の店を奪おうとするのを黙って見過ごしている。その考えが頭をよぎった途端、澪は頭が割れるように痛んだ。熱で弱った体は、胸の中で渦巻く鬱憤に耐えきれず、目の前が真っ暗になりそうだ。紗耶はすべてを手に入れたかのような顔をしている。一方で、澪には誰もいない。味方になってくれるのは、自分自身しかいない。澪は冷えきった指先で、紗耶の腕をつかんだ。「そん
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第169話

病院の廊下は人の出入りが多く、ざわめいている。その中で、征司の声だけがやけに静かだ。低く抑えた声は澪にしか聞こえない。手首をつかむ彼の手は温かいのに、澪には鋭い棘を押しつけられたように感じられた。彼女は顔を上げた。熱のせいで青白くなった顔は、表情ひとつ変わらなかった。征司はしばらく澪の顔を見つめると、後ろにいる紗耶に視線を向けた。「まずは律樹のところに行って」征司の後ろに控えている健太も、紗耶を気遣うように言った。「白石さん、こちらのことは気にしなくて大丈夫です」紗耶の顔色は、このときすでにいくらか和らいだ。先ほどの澪の常軌を逸した様子にひどく怯えていたのだ。澪に皆の前へ引きずり出され、恥をかかされるところだった。だが征司がかばってくれた。紗耶はすぐに、澪につかまれている腕を振りほどいた。「私は大丈夫。律樹が待ってるから、話が済んだら来てね」それだけ言うと、紗耶は澪を見ようともせず、その場を離れた。澪がまた感情的になれば厄介だから、わざわざ巻き込まれる必要はない。紗耶が立ち去ると、澪はすべてを悟り、冷たく笑った。 征司は、澪がまた紗耶を引きずり回して騒ぎを起こし、彼女の正体を公にすることを恐れているのだ。「離婚の話なら、今さら言われなくても分かってる」澪は彼に掴まれていた手を強く振りほどいた。だが、熱で身体に力が入らなかったせいか、勢い余ってよろめいてしまう。征司はすぐに澪の腕をつかみ、倒れないよう支えた。澪が振り払おうとしても構わず、今度は手の甲で、汗の浮かぶ彼女の額に触れて、征司はわずかに眉を寄せた。「熱があるのか?」今さら何を、と澪は思った。笑いが込み上げたが、こんな場面で笑ったところで、自分が惨めになるだけだ。澪は何も答えず、一歩下がった。彼に触れられた場所を無言で拭って、彼を見上げて言った。「安心して、離婚を長引かせるつもりはないから」征司は、澪が手首をぬぐう仕草を見て、その表情には何の変化もなかった。「感情的になるだけで問題が解決するなら、この世に難しいことなどない。ただ泣けば済む話だ」彼が何を言いたいのか、澪には分かっている。さっき皆の前で紗耶との関係を明かそうとしたことを、感情に任せた軽率な行動だと思っているのだろう。正毅
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第170話

征司の感情を揺さぶることができるのは、やはり紗耶だけなのだろう。だが、もうどうでもいい。七日にしたのは、八日から玲衣が幼稚園に通い始めるからだ。離婚のことを先に済ませておけば、玲衣の生活も落ち着く。澪は離婚に備え、薬を飲んで体調を整えた。そのおかげで、熱はかなり下がった。七日の午前、澪は二人が暮らしていた家に向かった。扉の前に立つと、澪はいつもの癖で暗証番号を入力した。ピッ、ピッ、ピッ—— 【暗証番号が違います】一瞬戸惑ったあと、澪はすぐに悟った。征司が家の暗証番号を変えたのだ。離婚を控えた今、完全に線を引くつもりなのだろう。七年間暮らしていた家に入れなくなっても、不思議と胸は痛まなかった。征司が暗証番号を変えた以上、自分もすでに部外者なのだという自覚を持たなければ。澪はインターホンを押した。ほどなくして警備員が駆けつけてドアを開けてくれた。「奥さま、ご自宅なのに、どうしてインターホンを?」澪はただ微笑んだ。ここは、すぐに自分の家ではなくなる。リビングに入ると、ちょうど階段を下りてきた征司と目が合った。その後ろには、スーツをビシッと着こなした見知らぬ男がついている。征司は澪の顔を二、三秒見つめてから、短く言った。「座って」暗証番号を変えられたことで、澪は自分がもう客なのだと思い知らされた。言われるままソファに腰を下ろして、征司の言葉を待った。征司は澪の隣に置かれた一人掛けのソファに座った。その男がすぐに、ある書類を澪の前へ差し出した。離婚協議書である。ただし、それは七年前に二人が交わしたものとは別のものだ。「目を通して、追加したいことがあれば何でも言ってくれ。納得できたら、サインすればいい」征司は淡々と言った。離婚の話をしているのに、知らない人が見れば、ビジネスの交渉だと思うだろう。なぜ改めて協議書を作り直したのか気にはなっているが、澪は黙って書類を手に取った。一つずつ目を通していくうちに、驚きを通り越して言葉を失った。征司が提示した条件が、あまりにも破格すぎだからだ。「……これは、どういう意味?」澪が顔を上げると、征司は横目でこちらを見た。「気に入らない?どの点が?高瀬先生に書き直すこともできる」「そんな必要ない」澪は首を横に振った
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