All Chapters of 森宮社長、奥様は娘を連れて離婚します: Chapter 131 - Chapter 140

317 Chapters

第131話

薔子は、いかにも困り果てたような顔で澪を見ている。母の結婚を壊し、澪を生まれ育った家から追い出し、長い間放り出したままにした。自分たち母娘は堂々とその家に居座り、何不自由ない暮らしをしてきた。それなのに今度は、澪に自分の夫まで譲れと言うのか。澪は口元だけで笑い、はっきりと言い返した。「征司に頼まれて、紗耶のために私に離婚を迫るつもり?」紗耶は上から目線で言い放った。「征司には当然、自分から言えない言葉がたくさんあるよ。まさかさっさと出ていけなんて言えると思う?」薔子も穏やかな口調で続けた。「これは身内だけで片をつければいい話よ。離婚してしまえば、あなたが七年も結婚してたなんて、誰にも分からないでしょ。男と七年も一緒にいたことさえ伏せておけば、再婚しやすいでしょうし。これ、あなたのためを思って言ってるのよ」さも本心から心配しているかのような薔子の態度に、澪は嫌悪感しか覚えない。 彼女はふと笑みをこぼしたが、その瞳の奥に温度はない。「いいよ。二人そろって土下座して、私に頭を下げなさい。そうしたら、あんなクズ男を紗耶に譲ってあげるか考えてあげてもいいわ」紗耶の顔色が一変した。澪がこれほどまでに過激なことを言うとは、思ってもいなかったのだろう。薔子もさすがに作り笑いを保てなくなった。「澪、あまりにも話が通じないわね!」澪はこれ以上、二人を相手にする気はなかった。まともに相手をすれば、疲れるだけだ。彼女は二人を完全に無視し、きびすを返して立ち去った。伊織は仕事がちょうどひと段落し、澪が戻ってくるのを見ると、機嫌よく言った。「征司が仕事で忙しくて本当に助かったわ。そうじゃなかったら、紗耶の思い通りになるところだった。人前で征司は私のものだって見せつけるつもりだったんでしょ?ふざけないでよ」征司と一緒に生放送に出ようとした時点で、何を狙っているかなんて言うまでもない。澪は眉間を押さえ、静かに言った。「これも、征司が紗耶を甘やかしてるからでしょ。何でも彼女の言うとおりにする。結果的にうまくいかなかったとはいえ、わざわざ付き添うことを承諾した時点で、紗耶が彼にとっての特別な存在なのだと世界中に知らしめたようなものだわ」征司が一度でも紗耶に合わせた以上、これからも同じことは繰り返されるだろう。
Read more

第132話

澪はコメント欄に目をやった。たしかに、彼女の美しさを褒める声は少なくない。彼女はただ微笑んで受け流した。午後になると、スマホが立て続けに震え始めた。画面を見ると、普段はほとんど連絡を取らない征司の友人たちからのメッセージだ。【真琴のお子さんのお披露目会があるんだ。ぜひ来てね。やっぱりあなたがいないと盛り上がらないから】澪は、自分に声がかかるとは意外だ。スマホが再び震え、小泉真琴(こいずみ まこと)からの個別メッセージだ。【澪、やっと産後の体調も落ち着いたの。今日、ホテル・グランヴィアで赤ちゃんのお披露目会をするから、絶対来てね】真琴は征司の友人の中で唯一、澪と実際に会ったことがあり、気兼ねなく話せる女友達でもある。ほかにSNSでつながっている人たちは、せいぜいネット上の知り合いにすぎない。征司が澪を自分の友人たちに紹介したことは一度もないから、ほとんど誰も澪の顔を見たことがない。真琴とは、偶然がきっかけで知り合った。澪は彼女のことが好きで、友人としても大切に思っている。少し考えてから返信した。【うん、もちろん行くよ】披露宴はかなり盛大に催されるらしい。澪は赤ちゃんへの贈り物を選んだほか、調合室で、肌に優しく、虫よけにもなる赤ちゃん用の生薬パウダーを調合した。夕方の混雑する時間帯、地下鉄に乗って会場に向かった。会場は予想以上の華やかさで、各界から招待客が駆けつけている。招待客の席はグループごとに分けられており、澪は指定されたエリアに向かった。だが、席に近づく前に、数人の会話が耳に入った。「あー、やばい。間違って澪にメッセージ送っちゃったんだ。まさか本当に来たりしないよな?」澪はそっと足を止めた。もう一人の男が呆れたように笑った。「お前、頭大丈夫?征司があいつを公の場に連れてきたこと、一度もないだろ?こんなことも間違えるなんて、どうかしてるよ」「俺、大罪人になっちゃうかも……今日は征司が紗耶を連れてくるんだぞ。もし澪が来て二人の邪魔をしたら、紗耶に何て言えばいいんだよ。嫉妬に狂った澪が紗耶に掴みかかったりはしないよな」……そのメッセージは、相手を間違えていたのだ。まさかそんな馬鹿げた理由だったとは、澪も思わなかった。道理で急に親切な誘いが来たわけだ。紗耶はすでに彼
Read more

第133話

澪の置かれている立場を、真琴もよく分かっている。愛されていない妻のほうを、まるで横から入り込んだ女のように扱う――そんな理不尽な考え方を真琴は許せない。きつい口調ではないが、紗耶の面目を潰してやろうという意図はあからさまだ。案の定、皆の前であそこまで露骨に尋ねられると、その場にいる者たちの表情が一気に複雑なものへと変わった。皆うすうす気づいてはいても、わざわざ口に出さずにいる。それを人前で正面から問われれば、誰だって返答に困ってしまう。紗耶は不満そうに眉をひそめた。自分が征司の腕に手を添えているのに、見ればわかるでしょう。いちいち聞く必要があるか。もしかして澪がまた何か余計なことを吹き込んだのではないか。一方の征司は淡々と目を上げただけで、少しも動じる様子はない。すぐに隣の男が場を取り繕うように口を挟んだ。「真琴、ほら、紗耶に決まってるだろ。征司にとって特別な人なんて、他にいるわけないだろ」澪はもう、この界隈の「いい加減さ」には嫌気が差すほど慣れきっている。一人の相手に誠実でいることが、こいつらにとってよほど息苦しいだろう。真琴は、誰も澪の顔を見たことがないことを分かっている。だからこそ、わざと困ったように声を上げた。「あら大変。私、征司の奥さんも招いたの。もし来られたら、まずいかしら?」紗耶は、この場にいる誰も澪の正体を知らないことは見抜いていた。それでも不快感を隠しきれず顔を曇らせると、終始口を挟まない澪を冷ややかに見つめた。澪がどうしてここに来たのか。征司が今日、誰を連れてくるかくらい、澪だって分かっているはずだ。それなのに、わざわざ来たのだろうか。人目のないところで張り合おうとするやり方が紗耶は嫌いだ。「じゃあすぐに連絡して、適当に断ったほうがいいんじゃない」征司と紗耶に気を遣った人がそう提案した。真琴の顔色が曇った。誰も、征司の本当の妻がすぐそばにいるとは知らないまま、彼女を傷つけるようなことを好き勝手に口にしている。澪をかばいたい。ここで真実を明かして、紗耶が征司の妻のように振る舞っていることを暴いてやりたい。真琴にはそんな思いもある。しかし、征司の顔を潰すわけにはいかない。この世界では、何気ない一言にも、必ず代償が伴うのだ。「普通にもてなせば
Read more

第134話

真琴は、それを澪の強がりだと思った。澪がどれほど傷ついているのかは、表情からは分からなかった。それでも真琴は、話を聞くだけで自分までつらくなり、顔をしかめた。「つらいでしょう。分かるよ。でも、男なんてそんなもんじゃない?うちの人だって、私は見て見ぬふりをしてるの。あの人たちは、そういう本能を動いてるようなものだから。あんまり自分を追い詰めちゃだめよ。少しは肩の力を抜きなさい」澪はただ微笑んだ。彼女はもうとっくに割り切っている。真琴のように見て見ぬふりはできない。一生そんな惨めな思いを我慢し、中途半端に妥協するくらいなら、一度すべてを壊してやり直したほうがいい。「でもね、子どもが生まれてからは、前より家に帰ってくるようになった気がするの」真琴は澪を見つめ、心から案じるように言った。「澪も子どもを作ってみたらどう?子どもができれば、男だって少しずつ家庭を大事にするようになるかもしれないし。よその女とも、縁が切れるかもしれないわ」子どもなら、もういる。ただ、子どもは男をつなぎ止めるための道具ではない。不誠実な父親の姿を、子どもに毎日見せるつもりもない。「よかったら手伝うわ。うちの人、とっておきのお酒が何本かあるの。それを征司に飲ませてみなさい。気持ちが盛り上がれば、子どもだってすぐに授かるかもよ」真琴は本気で澪のことを心配しているから、できることは何でもしてやりたいのだ。「もうすぐ征司と離婚するの」と言いかけて、澪は口をつぐんだ。美佐子から、離婚のことは当分誰にも話さないようにと言われたからだ。その好意を断ろうとしたとき、背後で革靴の足音がして、なぜか胸がざわついた。振り返ると、征司が甘いフルーツカクテルを片手に、こちらを通り過ぎようとしていた。それは、彼にはひどく似合わない飲み物だ。誰のために持っているのか、考えるまでもない。征司は足を止め、感情の読めない目で澪をじっと見た。さっきの話を聞かれていたのだと悟った瞬間、澪は思わず唇を噛んだ。なぜか、ひどく腹立たしい。澪はこんなふうに誤解されるのが何より嫌いだ。真琴の言う通り、酒で征司を酔わせてまで彼との子どもを望むつもりなどない——そう伝えたいと思った。だが征司はかすかに鼻で笑っただけで、背を向けて歩き出した。澪は言葉を失った。得体
Read more

第135話

澪は誰かに引かれたのも分からないまま、腕をつかまれて騒ぎの中心から引き離された。振り返ったときには、すでに拳が肉を打つ鈍い音が聞こえている。どこから現れたのか、聡祐がその男に掴みかかり、容赦なく殴りかかっている。男の悲鳴が会場に響き渡った。お披露目会に来ていた客たちも何事かと次々に集まってくる。騒ぎの中心にいる澪に好奇心の入り混じった視線がいくつも向けられた。澪は慌てて聡祐を止めようとする。「陸原さん、何をしてるんですか!」澪には聡祐が何を考えているのか分からなかった。聡祐とは、親しいわけでもない。会うたびに、決して愉快な雰囲気とは言えなかった。それなのに今ここで彼女を助けるなんて、一体どういうつもりなのか。聡祐は、さっきの男が澪にちょっかいを出そうとしたと思っているらしい。男の胸ぐらをつかんだまま、澪が止めに入っても聞く耳を持たなかった。澪は背は高いが体つきが華奢で、聡祐に振り払われて数歩よろめき、どうにか体勢を立て直した。「陸原さん……」せめて、真琴のお祝いの席でこれ以上騒ぎを大きくしないでほしい。そう言おうとして顔を上げた瞬間、人だかりの外に立っている征司と目が合った。彼は少し離れた場所に立ち、見下ろすように澪を見ている。その眼差しには威圧感があるが、その表情はどこまでも冷淡だ。彼はいつからそこにいたのだろう。自分があの男に絡まれていたところを、見ていたのだろうか。どちらにしても、征司がまるで他人事のように見ているという事実は変わらない。止めようとも、助けようとも、庇おうともしない。もう征司に未練はないし、この結婚そのものにも嫌気がさしている。それでも澪は、はっきりと思い知らされた。紗耶だったら、征司がこんなふうにただ見ているだけで済ませるはずがない。きっと真っ先に駆け寄り、相手を問い詰めて、彼女を守っただろう。澪はふっと口元を歪め、聡祐を止めようとしている手を下ろした。騒ぎはますます大きくなった。誰かが通報したのだろう。澪は疲れ果てていたが、結局、揉め事を起こした二人の男と一緒に警察署まで同行しなければならない。パトカーに乗る直前、澪は何気なく後ろを振り返った。ちょうどそのとき、征司は紗耶に腕を取られ、会場へ入っていくところだった。紗耶は顔を上げて楽しそう
Read more

第136話

征司が乗り気ではないまま、ここへ来たことは澪にも分かっている。おそらく真琴は、征司が澪のことなど放っておくつもりだと察して、無理を承知で頼み込んだのだろう。それなのに征司は、わざわざ紗耶まで連れてきた。これは「変な勘違いをするな」という、彼なりに釘を刺しているのだろう。「ところで、陸原さんはどうしてあの騒ぎに巻き込まれたんですか?澪さんと親しいんですか?」紗耶が不意に尋ねた。澪のために人を殴るなんて、紗耶にとっても予想外だった。もしかすると、聡祐が澪に心を惹かれているのではないか――そう思うと、ますます気分が悪くなった。聡祐は何気なく澪を見た。だが、澪は彼のほうなど少しも気にしていない。聡祐は鼻で笑った。「目の前であんなことがあれば、見過ごすわけにもいかないでしょう。朝比奈さんが相手に気を持たせるような態度を取ったから、あんな事態になったんじゃないですか」聡祐が澪の素行を心底見下しているのだと察して、紗耶はようやく満足げな笑みを浮かべた。先ほど一瞬、聡祐が澪に好意を持っているのではないかと疑った。女のためにケンカをするなんて、好意を持っていなければ普通はしない。もっとも、紗耶が本当に気にしていたのは、征司までが同じように考えるのではないかということだ。 万が一、それがきっかけで征司が澪に気を留めるようになったら……紗耶は振り返って征司の様子を窺った。彼はメッセージを返信していて、聡祐の言葉は聞いているはずだが、何も言わずそのまま警察官のところへ行って手続きを済ませた。その顔には、「全く興味がない」とあからさまに書かれているようだ。 それを見て、紗耶の瞳にはさらに深い笑みが広がり、気分まで軽くなった。当然、澪の目にも征司のその態度ははっきりと映っている。ただ、おかしくて仕方ない。聡祐とは、何度か顔を合わせたことがあるだけで、仲がいいわけでもない。それでも、澪が男に絡まれているのを見ると助けに入ってくれたというのに、七年も連れ添った夫である征司は、完全に見殺しにしたのだから。「もういい」征司は戻ってきて、腕時計に目をやり、淡々とした表情で言った。「陸原さんは、このあと会場に戻るんですか?」聡祐はもう会場に戻る気などなかった。「いや、行きません。お祝いも済ませたし、
Read more

第137話

征司はすぐには車に乗り込まず、外で聡祐としばらく話をしていた。その間、紗耶は助手席に乗り込み、後部座席の澪には目もくれず、ごく自然な手つきでサンバイザーのミラーを下ろして化粧を直し始めた。口紅を塗り終えると、慣れた様子で小物入れを開け、使った口紅を中へしまった。一連の動作に、ためらいはなかった。何度もこの車に乗り、征司に甘やかされてきた者だけが持つ気安さだ。二人の間の親密さを、これ以上ないほど見せつけられた気がした。澪は声を立てずに笑った。七年一緒にいても、紗耶のようにこの車でくつろぐことなどできなかった。やはり愛されている女は、何をするにもあんなに自然でいられるのだろう。その瞬間、澪はこの二人と同じ車に乗るのが嫌になった。想像していた以上に居心地が悪い。どうにか別の車で真琴のところへ行けないかと考え始めた。その時、紗耶がバックミラー越しに澪を見て、ゆっくりと口を開いた。「私、バッグはいつも後ろに置くことにしてるの。ちょっとどいてくれない?」まるでこの車のすべてを自分のものだと言わんばかりの言い方で、自分こそがこの車の女主人は自分だと示しているようにも聞こえる。妻である自分が後部座席に追いやられているのに、これ以上譲れと求められるとは思ってもみなかった。彼女は手首をさすりながら、淡々と言った。「嫌なら降りれば?言っておくけれど、この車だって、まだ私と征司の共有財産かもしれないし」ちょうどそのとき、征司が車に乗り込んできた。紗耶はバッグに手を伸ばして、小さく声を上げた。手の甲を見ると、バッグのスタッズで擦ったらしく、二センチほどの浅い切り傷ができている。征司は少し考えるように紗耶の手を見て、後部座席の澪に振り返った。「車を一台回す。真琴のところへ、一人で行けるか?」澪はハッとした。征司の穏やかな低い声を聞いて、澪は一瞬、何を言われたのか分からない。「……何?」「紗耶を病院に連れて行かなきゃ」征司は澪を見たまま、落ち着いた声で続けた。澪は黙り込んだ。何か言おうとしたが、もうすぐ別れる相手と、こんなことで言い争う必要がないと思った。彼女は手首を袖の中に隠し、何も言わずにシートベルトを外して車を降りた。こんな小さなかすり傷に、征司はまるで一大事かのように心を痛めている。な
Read more

第138話

澪はまさかこんなことを言われるとは思わず、喉の奥から笑い声が漏れた。「つまり、二人が残業中に我慢できなくなって、会社でそういうことをしているかもしれないっていう意味ですか?」あまりにもストレートな言い方に、その社員も困ったように頭をかいた。「まだお若いですし、お付き合いも順調ですから……紗耶さんはいずれ社長夫人になられる方ですし、会社だってご自宅のようなものなんでしょう。すぐにノックしてきます。長くお待たせはしません」澪は口元だけで笑った。「お願いします」全く、新鮮な展開だ。まだ離婚が成立していない夫の情事を、自分が目撃するかもしれないというのだから。いっそ動画にでも撮っておけば、離婚を進めるための材料になるし、森宮家から余計な口出しもされずに済むのではないか……そんなことすら頭をよぎった。「朝比奈さん、どうぞお入りください」澪がそんな想像を巡らせているうちに、ドアが開けられ、狂った妻を演じる絶好のチャンスは呆気なく潰えた。澪は残念そうに首を振り、数秒ためらってからゆっくりと中に入った。片づけたのか、それとも最初から何もなかったのか。広いオフィスには特に変わった様子は見当たらない。澪が最初に目にしたのは、デスクの向こうに座る征司だ。そのそばには紗耶が立ち、身をかがめて征司の耳元で何かを話している。二人の間には、確かに言葉では言い表せないほどの親密な空気が漂っている。二人が同時にこちらを振り向いた。征司の眼差しは落ち着いていて、何の感情も見せなかった。「プロジェクトの件か?」一方、紗耶は露骨に不機嫌そうだ。「アカリ製薬にはもう返事をしたはずです。薬の研究は、急かされたからといって進むものじゃないでしょう」澪は紗耶の態度を見てすべてを理解した。客用のソファに腰を下ろし、落ち着いた声で言った。「つまり、あなたは自分の能力不足を認めて、順調に進むべき業務をめちゃくちゃにした挙げ句、遅れた分を共同研究先に負担させるおつもりですか?」その一言は、紗耶の実力を面と向かって否定するようなものだ。紗耶の顔がすぐに曇り、それでも皮肉めいた笑みを浮かべた。「榊さんに言われて来たの?それとも最初から私に不満があって、自分から来たのかしら。榊さんを後ろ盾にして、ずいぶん偉そうにするわね」紗耶か
Read more

第139話

紗耶には、澪の言いたいことが分かっている。おそらく、知之のほうから今回の遅れについて何か言われたのだろう。だが、知之が澪にこれほど無礼な口を利くよう指示したとは到底思えない。紗耶から見れば、澪はアカリ製薬でたいした権限も持たない研究員にすぎない。知之の名を借りて、この機に乗じて自分に難癖をつけに来たのだと思った。「森宮社長が慈善事業のつもりであなたを援助するのは勝手だ」その言葉を聞いて、征司は手にしているペンをゆっくりと回し、澪に目を向けてのんびりと口を開いた。「江口、澪さんにお茶を出して、少し落ち着かせてやれ」それは自分が感情的になっていると言いたいのだろう。澪は眉をひそめた。征司は紗耶をかばって、自分が紗耶の面目を潰したと思っているのか。紗耶は、征司が自分の側に立っていることをよく分かっていて、わずかに顎を上げた。「征司、気にしないで。仮眠はやめて、先に進捗を確認してくるわ。私が何もしていないみたいに言われても困るから」紗耶は上着を手に取り、ヒールを鳴らして部屋を出ていった。澪のそばを通り過ぎるときには、嘲るように小さく笑ってみせた。澪はそんなことを気に留めなかった。これで十分だ。目的は果たしたのだから、もう帰っていいと思う。征司は紗耶に夢中で、彼女の言い分なら何でも通す。しかし、アカリ製薬までがその尻拭いをする義理はない。紗耶をそこまで心配して夜通し研究に付き添うほどなら、これからも何晩でも付き合えばいい。澪は席を立とうとしたが、その前に征司が歩いてきて、澪の左隣の一人掛けの椅子に腰を下ろし、焦る様子もなく彼女を見据えて言った。「あれだけ言って疲れただろう。お茶くらい飲んでから帰れ」彼の表情からは、その真意を読み取ることはできない。紗耶のために、あとで仕返しでもするつもりなのだろうか。澪は疑うようにテーブルの上のお茶を見た。今、二人が穏やかに向かい合ってお茶を飲めるような関係だとは到底思えない。 彼女が別れを告げようとした時、江口が慌てて入ってきて、額の汗をぬぐいながら飛び込んできた。「社長、大変です!紗耶さんが疲れで倒れました!」征司は勢いよく立ち上がり、その拍子にテーブルにぶつかって、澪の前に置かれていたお茶が倒れた。ぬるい茶が、澪の胸元に一気にこ
Read more

第140話

伊織の話を聞いているだけで、澪は頭が痛くなった。部屋の中を歩き回ってから、ようやく声を出した。「律樹はこれからも玲衣と同じ幼稚園に通うの?」「そうなのよ。知り合いのお父さんがその幼稚園の運営に関わっているんだけど、前に玲衣の入園枠を取られたときに、その人に事情を聞いてもらってたの。で、今日になってようやく分かったんだけど、征司が幼稚園側に口を利いて、律樹にもう一つ枠を取ってもらったんだって。特例でね」伊織は怒りを抑えきれない様子だ。「それができるなら、最初から玲衣の枠を取らなくていいじゃない。どうしてあんなことしなきゃいけないの。これから先、もし玲衣と顔を合わせることになったら……」澪が心配しているのもまさにそのことだ。彼女はずっと、征司なら律樹のために別の良い幼稚園を探すものだと思っていた。まさか、こうなるとは思わなかった。入園はもう間近で、今から玲衣の幼稚園を変えようとしても間に合わない。征司のように、どこへ行っても融通を利かせてもらえる立場ではないからだ。玲衣を入園させなければ、そのぶん成長の機会を先送りにすることになる。都内で子どもを通園させるだけでも条件は多い。まして、あのような名門幼稚園ならなおさらだ。澪は混乱する頭を落ち着かせるように、鼻筋を押さえた。「征司が律樹を頻繁に送迎するのでなければ、顔を合わせる可能性は高くないと思う」「征司の立場から考えても、律樹はあくまで白石家の子どもなんだし、彼がしょっちゅう幼稚園へ顔を出す理由はないわ」そうは言っても、澪はやはり不安が消えない。伊織は、できるだけ明るい声で言った。「大丈夫よ。玲衣は公的な書類上、兄さんの娘なんだから。兄さんも来月には帰国するし。たとえ征司が玲衣に会ったとしても、自分の子だとは思わない。こっちには、ちゃんと奥の手があるんだから」澪もその点には同意している。玲衣はすでに宇一の娘として必要な手続きが済んでいる。たとえ征司がいつか玲衣のことを知ったとしても、彼はもう自ら親権を主張しないという同意書に署名しているのだ。 今さら撤回することなど絶対に許されない。 玲衣を守るために、澪は何重にも手を打ってきた。宇一という存在と、まもなく成立する離婚のことを思い出すと、澪の張り詰めた緊張が少しだけ和らいだ。「状
Read more
PREV
1
...
1213141516
...
32
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status