جميع فصول : الفصل -الفصل 150

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第141話

瑞穂メディカルがどれほど価値のある会社か、澪もよく知っている。一流の研究者がそろうチームを、紗耶の尻拭いに回した。しかも、最終的な成果も紗耶のものになるのだろう。自分が「K大の責任者を替える」と言ったからだろうか。征司は紗耶の窮地に手を貸す同時に、これ以上彼女を困らせるなと澪を牽制しているのかもしれない。しかし、澪はもうそんなことをいちいち気にするつもりはない。結局今日提出されたのは単なる試験データに過ぎない。肝心な配合については、紗耶はまだ完成させていない。もし期限に遅れれば、容赦なく彼女をチームから外すつもりだ。午後になり、ドキュメンタリーの撮影日程が正式に決まったという連絡が入った。彼らの研究活動に支障が出ないよう配慮した上で、撮影が行われるとのことだ。このドキュメンタリーは非常に意義深く、医学研究の内容を広く伝えることで、人々の役にも立つはずだ。――紗耶は病院で治療を受けている。蓮が時間を割いてお見舞いにやって来た。「澪、本当にそんなことを言ったのか?たまたまアカリ製薬に入っただけで、自分に決定権があるとでも思ってるのか?ずいぶん偉そうな口を叩くんだな」紗耶をチームから外すと脅したのだという。蓮は思わず笑った。澪は自分が何様のつもりなのだろう。知之の決定を覆せるとでも思っているのか。フェイほどの実績があるならまだしも、澪は救急外来で数年働いていただけの末端のスタッフだ。紗耶はかすかに笑った。「私は別にいいの。研究に専念して、一人でも多くの患者さんの役に立ちたいだけだから。澪さんがどうしても男の取り合いにばかりかまけていたいなら勝手にすればいい。私には相手をしてる暇はない」「紗耶は心が広いから助かってるよ。それに、征司が君の味方だ。負け犬は征司に文句も言えないから、君に当たり散らしてるだけだろ」蓮はリンゴをかじりながら、気楽な調子で言った。紗耶はたちまち頬を赤らめた。蓮の言葉に、彼女の心は当然のように喜びと優越感で満たされた。澪のような田舎出身の下っ端と比べることすら、馬鹿馬鹿しいことだ。「征司ってやつ、マジで君を大事にしてるんだ。君が食事も取らずに徹夜ばかりしてるからって、こんなに世話を焼いてくれるなんて。こんな特別扱い、他で見たことないぜ」蓮はからかうように言った。
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第142話

紗耶は予想外の喜びに心が弾み、目にさらに甘く優しい光を帯びている。征司がこんなにあっさりと承諾してくれるとは、彼女も思っていなかった。前回の生配信では、二人揃って出演できず、残念な思いをした。だが、今回はドキュメンタリーだ。ライブ配信のように決められた進行や話題に縛られず、二人らしい姿を見せられる、仕上がりも全く違ってくるはずだ……そう考えると、彼女の心はさらに弾んだ。澪が邪魔になるかと思ったが、結局のところ、相手は全く脅威ではなく、笑えるほど取るに足らない存在だ。征司が出演を承諾したこと自体、彼に認められている女は自分だけだと世間に示しているようなものではないか。自分との将来を考えていなければ、彼がこうして二人の映像を残そうなどと思うはずがない。蓮も驚いていた。実のところ、彼はほんの冗談のつもりで言っただけだ。何しろ、これは公に放送されるドキュメンタリーである。つまり、征司はとうに、紗耶との未来を思い描いているのだろう。祖父の命の恩人であるという事実を抜きにしても、紗耶という存在を真剣に見直すべきだと思った。――ドキュメンタリーの撮影が目前に迫っている。撮影はアカリ製薬の研究センター、瑞穂メディカルの研究所、S総合病院の臨床試験センターの三か所で行われる。本番前に、各現場でカメラの位置や撮影の流れを確認することになっている。澪が研究センターに着いたときには、すでに伊織がスタッフに指示を出し、カメラの位置を調整している。「西洋医学と和漢医学がテーマなんだし、柴崎先生にも少し出てもらえないか、聞いてみない?」と伊織が持ちかけた。隆一が後ろ盾として登場し、澪と一緒に研究する姿を映すだけで、澪の名は業界中に一気に広まるはずだ。隆一は、国を代表する和漢医学の権威である。彼が澪を認めていると分かれば、それ以上に確かな後ろ盾はない。澪は腕に立った鳥肌をさすりながら言った。「先生が引退して何年経ったと思ってるの。もともと人前に出るのが嫌いだし、今は玲衣のことしか頭にないから、私なんか相手にしてくれないわよ」隆一は今何をするにも玲衣が最優先なのだから、どうしようもない。「聞くだけ聞いてみようよ。お願い」伊織は隆一の知名度にタダ乗りしようとしているのが見え見えだ。澪はその肩を指先で押し
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第143話

征司は慌てる様子もなく、ゆっくりと澪に視線を移した。そして、その視線がぴたりと止まった。彼女の異変に気づいたからだ。 澪の顔が明らかに強張っているのを見て、征司はわずかに目を細めた。だが澪は征司の視線には気づかず、反射的に二階へ続く階段を見た。玲衣は今、家にいるのだろうか。それとも遊びに出ているのか。秘密が今にも露見しそうな恐怖に襲われ、平静を保つことができない。まさか征司が、紗耶を連れて先生の家に来るとは夢にも思わなかった。「森宮社長、柴崎先生のお宅にまで足を運ばれるとは、随分とご熱心ですね」知之は澪の動揺を察して、彼女が気持ちを整える時間を稼ごうと、さりげなく彼女の前に立ち塞がった。知之の言葉は決して大げさではない。隆一が暮らしているのは、多くの政財界の要人が住む高級住宅街で、許可がなければ、敷地内へ入ることすらできない。征司はかすかに口元を緩め、知之が澪をかばうように前へ出たことにも気づいている。「和漢医学の振興に尽力されている佐藤真一(さとう しんいち)局長とご縁がありまして。今日は局長にご紹介いただき、伺いました」と彼は淡々と答えた。澪はぎゅっと拳を握りしめた。征司が幅広い人脈と絶大な影響力を持っていることは知っている。だが、そのすべてを紗耶のために惜しみなく使っているとは。あまりにも馬鹿げている。隆一も当然内心は苛立ちを募らせている。佐藤局長がわざわざ案内してきた以上、そう簡単に追い返すわけにもいかない。かつて孫婿も同然だった征司が、愛人を連れて来て、その女を引け上げてほしいと頼んでいるのだ。これで頼みを聞いてもらえるとでも思っているのか。隆一には、わざわざ喧嘩を売りに来たとしか思えない。「考えるまでもない。実力のない人間を引き上げてやる気はない」隆一はお茶の入った湯呑みを置き、取りつく島もなく言い放った。紗耶の表情が一瞬こわばった。実力がない?自分はエリートで、若手の中でも誰にも負けない経歴を持っている。なのに柴崎先生はなぜここまで見下すのだろうか?自分以上の才能を持つ人間など、そういるはずがない。「お引き受けいただけるのであれば、先生が設立された『RAYこども医療支援基金』に、重い病気を抱える子どもたちの支援金として十億円を寄付いたします」征司
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第144話

その声を聞いた瞬間、隆一は弾かれたように立ち上がり、慌てて中庭へと駆け出した。玲衣の声だ。幼い頃から見守ってきた玲衣は、物心ついてから病気でつらいとき以外は滅多に泣かなかった。その玲衣が、あれほど痛そうな声を上げたのだ。澪もすぐに玲衣の声だと気づき、胸が大きく跳ねた。反射的に庭へ飛び出そうとしたところで、知之にさりげなく手首をつかまれて引き止められた。征司がいる。知之の目がそう訴えている。澪は背筋が冷たくなるのを感じながら、どうにか飛び出したい衝動を抑えた。ところが紗耶は二人が親しげに手を握り合っているのを見逃さず、すぐに納得したような顔をした。「そういうことだったんですね。榊さんも澪さんに頼まれると断れないんですか?今日は澪さんのために、柴崎先生にお願いに来たんでしょう?」その声を聞くだけで、澪は反射的に吐き気を覚え、眉をひそめた。その時、征司の視線が何気なくこちらへ向けられたのを感じた。彼は視線を落とし、知之の手に留めたが、何も言わなかった。「でも、榊さんは征司ほど気前よく澪さんにお金を出せるのかしら。十億円は決して安い金額じゃないもの。彼女のために使うくらいなら、アカリ製薬の研究開発に投資したほうが、よっぽど見返りがあると思いますけど」紗耶はにこやかに微笑んだ。澪のために隆一の機嫌を取り、子ども医療基金にまで大金を寄付するなど、知之にできるはずがないと彼女は思う。澪のような女は、遊び相手ならともかく、本気で金をかけるほどの相手ではない。知之はあきれたように笑った。「森宮社長には妻がいるって世間で騒がれてますよ。既婚者にそこまで金を出させて、よくそんなに堂々としていられますね。その奥さんから慰謝料を請求されてもおかしくない立場でしょう」澪を目の前にして、よくもここまで堂々と振る舞えるものだ。ここまで強気でいられるのも、征司が後ろ盾だからだ。痛いところを突かれた紗耶は、腹立たしげに顔をこわばらせた。澪はきっと知之にあることないこと吹き込んだに違いない。そうでなければ、知之が自分ではなく澪の味方をするはずがない。澪は唇を引き結んだ。実のところ、彼女は少し心配している。征司の前で、彼の愛する女の顔をここまで潰してしまった。征司が報復として知之やアカリ製薬に危害を加えるのではないかと。
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第145話

澪の鋭い視線にひるんだ律樹は、怯えをごまかすように逆上し、奪ったおもちゃを地面へ叩きつけた。組み立てられていたブロックが、音を立ててばらばらに崩れた。「だから何だよ!俺が欲しいものは何だって手に入るんだ!くれないなら、こいつだってもう遊べないからな!」律樹は勝ち誇ったように胸を張った。玲衣と同い年だが、丸々と太っているせいで、体格は二回り以上大きく見える。紗耶は隆一の懐にいる女の子の顔までは見えなかったが、まずいことになったと察し、慌てて律樹を止めて隆一に頭を下げる。「柴崎先生、申し訳ありません。弟はまだ幼くて分別がないんです。どうか大目に見てください。その子はお孫さんですか?私から謝罪させていただきます」内心では全く頭など下げたくないが、相手は隆一の孫娘だ。このまま隆一の怒りを買っても何の得もないと思った。いずれ隆一に弟子入りし、和漢医学研究センターに入るためにも、良好な関係を築いておかなければならない。隆一は玲衣を抱き上げると、怒りを隠そうともせずに言い放った。「謝れば済むと思うな。壊したものも、玲衣に負わせた傷も、すべてきっちり償ってもらう!できないなら、その躾のなっていないガキと一緒に今すぐ出ていけ!」ここ数年、滅多に声を荒らげることのない隆一が、これほど激しい怒りを見せたのは初めてだ。紗耶は思わず身をこわばらせ、顔を曇らせた。彼女には理解できない。たかが子ども同士のいざこざではないか。転んで少しけがをしたくらいで、ここまで怒る必要があるのだろうか。澪はできる限り自分を落ち着かせて隆一に声をかけた。「まず玲衣の手当てをお願いします。勝手口から入ってくださいね」そうすれば、征司と顔を合わせずに済む。隆一も澪の意図を察してうなずき、玲衣を抱いたまま家に入っていった。紗耶には、澪がこの件を利用して隆一に取り入ろうとしているようにしか見えない。「ずいぶん勝手に仕切るのね。ここが自分の家だとでも思ってるの?」彼女はそう言って隆一のあとを追おうとしたが、澪の横を通り過ぎるところで腕をつかまれた。紗耶は不快そうに眉をひそめた。「あなたには関係ないでしょ?こんなことで柴崎先生に取り入れると思ってるなら、勘違いよ。子ども同士のちょっとした喧嘩でしょ。転んで少し擦りむいたくらいで、そんな大げさに
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第146話

あまりにも静かで突き放すような問いかけに、澪は息が詰まり、思わず乾いた笑いを漏らした。これでは、二人を叩いた自分だけが悪者で、征司と紗耶は悲劇の恋人同士だというようではないか。息苦しさで胸が大きく上下し、耳の奥では低い耳鳴りがしている。澪は痺れている手を握りしめ、征司をまっすぐに見返した。庭の暖かな明かりに照らされている征司を見ていると、かえって体の芯まで冷えていくようだ。「そんなに彼女が大事なら、代わりに私を一発叩けばいいじゃない」澪は上着も着ていない。冷たい風にさらされ、声がかすかに震えているが、その目には隠しようのない嘲りが浮かんでいる。征司が紗耶のためなら、どこまで自分を踏みにじれるのか見てみたい気さえした。もし今日、紗耶が澪を叩いたら、征司は澪のけがなど気にも留めず、むしろ紗耶が手を痛めていないかと心配するのだろう。征司は青ざめた澪の顔をじっと見つめ、その挑発には取り合わず、逆に問いかけた。「澪、どうしてそこまで怒っているんだ?何か理由があるんだろう」その問いに、澪は頭から冷水を浴びせられたような気分になった。征司はいつもこうして鋭く核心を突いてくる。征司たちから見れば、澪は隆一の家の事情に口を出せる立場ではない。そんな澪が、隆一の家の子どものことでここまで取り乱せば、疑問に思うのも当然だ。「征司、大丈夫?」背後にいる紗耶もようやく我に返り、自分の頬の痛みも忘れ、心配そうに征司を見上げた。征司は澪から視線を外し、紗耶を安心させるように短く答えた。「大丈夫だ」これではまるで、愛し合う二人を引き裂く悪役が澪で、法律上の妻でいることさえ罪だと言われているようだ。紗耶はようやく澪に目を向け、表情を険しくした。「あなた、正気なの?征司にまで手を上げるなんてよくできるわね。これ、暴力よ。私たちがその気になれば、絶対に責任を追及してやるから!」「私たち?」澪はその言葉を拾ってゆっくりと問い返した。「あなたは征司の何なの?愛人?不倫相手?それとも、ただのセフレ?」そのあまりにも露骨な言葉に、紗耶の顔色がみるみる変わった。澪の理不尽さを心底憎んでいるが、ここは隆一の家だ。ここで言い返せば、かえって澪の思うつぼだと分かっていた。隆一にこれ以上悪い印象を持たれるわけにはいかない。「ま
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第147話

澪は隆一先生に取り入って、偉そうに振る舞っているだけだ。柴崎先生ほどの人間が、澪など本気で相手にするはずがないと紗耶は思った。それでも、今日頬を叩かれた屈辱は決して忘れない。紗耶は澪に口を挟む隙を与えず、きびすを返して歩き出した。澪からすれば、むしろこの二人に早く消え失せてほしい。二人が背を向けて、数歩歩き出したその時、突然、暗がりから律樹が飛び出し、ものすごい勢いで澪の腹に体当たった。澪は予想外の衝突で後ろに倒れ、腰を庭の岩山に強く打ちつけた。激痛が走り、暗闇の中、澪の顔からすっと血の気が引いた。腰に力が入らず、その場に立つことさえできない。知之がすぐに駆け寄り、倒れている澪を抱きとめた。律樹は仕返しができたとばかりに、あっかんべーをしてみせた。「お姉ちゃんを叩いた罰だ!べーっ!意地悪ババア!」そう言い捨てると、彼は一目散に駆け出し、誰よりも先に車に乗り込んだ。征司が物音に気づいて振り返った。その黒い瞳には、冬の冷気を思わせる鋭い光が宿り、眉間にわずかなしわが寄った。だが、少し離れているため、澪の顔色までは見えない。律樹が何をしたのかも目に入っておらず、知之に抱きかかえられる澪の姿だけが見えた。征司は目を細めて澪を見据えると、足を止めて、こちらに来ようとした。「征司、頬が痛くて……」そのとき、紗耶が突然、征司の袖をぎゅっとつかんだ。不安そうに慌てた声を上げた。「血も滲んでるみたい……」征司は歩みを緩め、紗耶に目を向けた。確かに、澪に叩かれたところに皮膚が擦れ、うっすらと血が滲んでいる。征司は眉をひそめて、澪から静かに視線を外すと、そのまま紗耶を連れて車に向かった。征司が迷うことなく紗耶を選んだことに、澪は少しも驚かなかった。二人の後ろ姿が見えなくなると、澪はとうとう力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。腰への衝撃はかなりのもので、もうほとんど身動きが取れない。知之は小声で悪態をつくと、澪を抱きかかえて家の中に入った。隆一はすでに玲衣の傷の手当てを終えた。手慣れた処置のおかげで、手のひらの出血も止まっている。ところが今度は、澪がソファにうつ伏せになっている。隆一は腹を立てた様子だったが、すぐに鍼灸道具を持ってきて、澪の治療を始めた。「ちょっと目を離したと思ったら
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第148話

澪は知之の懸念がもっともだと分かっている。先ほどの征司の視線をまだはっきりと覚えている。彼は感情の起伏が激しく、すぐに怒り出すような男ではない。だが、その顔に一切の感情を見せないからこそ、底知れず恐ろしいのだ。「でも、今日やり返しておかないと、後々厄介なことになる。征司はもう隙を見せないから」どうせ、征司とはもう円満に別れられるような間柄ではない。今さら恨みが一つ増えたところで、何も変わらない。「何にしても、用心しておいたほうがいい。K大との共同研究を早く終わらせれば、向こうも何か仕掛ける口実がなくなる」征司は澪を愛していない。夫婦であるよしみで手加減してくれることもないだろう。だからこそ、できる限り先回りして手を打っておかなければならない。腰を痛めたことを玲衣に気づかれないよう、澪は服の下にコルセットを巻いた。一緒に風呂に入り、歯を磨かせ、スキンケアをしてやると、いつもどおり寝かしつけた。眠っている時も、玲衣は澪の腕を抱え込んだまま離さない。その小さな手を見つめると、澪はたまらなく愛おしい気持ちになった。だが、玲衣をあらゆる試練から守り抜く力をつけるためには、自分自身が早く成長しなければならない。澪は玲衣の柔らかな頬に何度も口づけてから、静かに部屋を出た。アカリ製薬とK大の共同研究は、いよいよ最終段階に入った。動物試験と臨床試験を無事に終えれば、いよいよ承認申請の手続きに進むことができる。新薬の開発者として澪の名前が正式に記載されれば、このプロジェクトもようやく一区切りつく。伊織からも、ドキュメンタリーの撮影スケジュールの連絡が入った。撮影当日になっても、澪の腰はまだ治りきっていない。サポーターを着けていなければ、長時間立ったり歩いたりするのは難しい。この日は瑞穂メディカルで動物試験を行う予定だ。ドキュメンタリーの撮影も、ここから本格的に始まる。研究センターに着き、エレベーターを待っていると、大勢の人に囲まれてこちらに歩いてくる紗耶の姿が目に入った。ふとその手元に目をやると、腕には見覚えのある腕時計がはめられている。この前、蓮がSNSに載せていた、征司が買ったペアウォッチの女性用モデルだ。澪は一瞬だけその時計に目を留めたが、すぐに何事もなかったように視線を外した。紗耶のそばには、前
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第149話

腰はまだ治りきっておらず、澪は時折、気づかれないよう実験台に手をついてどうにか体を支えて休むしかなかった。それを見て、芹奈がそっと近寄ってきた。「澪さん、低血糖じゃないですか?」澪が首を振ろうとしたとき、入口のほうから声がした。「皆さん、疲れたでしょう。森宮社長が特別にフルーツとお弁当をご用意くださいました。お昼にしましょう」あちこちから歓声と感謝の声が上がった。「普段、こんなもの出ないよね。紗耶先輩がいるからだよ。森宮社長が心配してるのは私たちじゃなくて、先輩なんだから」「これ、水城のお弁当じゃん。高いし、予約もなかなか取れないやつ。一人前で三日分の給料が飛ぶよ。森宮社長、太っ腹!」紗耶は少し照れたように笑った。「前に、徹夜して低血糖になったことがあるの。それから征司がすごく気にしてくれるようになって……せっかくだから、皆さんも一緒に食べて。お礼なんていいからね」芹奈は思わず澪を見た。「澪さんも、少し食べたらどうですか?」澪はまったく食欲がなかった。向こうで紗耶が皆に弁当を配っているのを見て、マスクをつけ直した。「大丈夫。芹奈は早く食べてきな。二人前くらい食べて、森宮社長の財布を少しだけ痛めつけてやればいいから」それでも芹奈は、澪のことが気がかりなようだ。だが澪としては、食事よりもただ座って、鈍く痛んでいる腰をゆっくりと伸ばしたいのだ。椅子に腰を下ろすと、紗耶を囲んでいる人たちの話し声が耳に入ってきた。「紗耶先輩、森宮社長もドキュメンタリーに出るんですか?二人が並んでたら、付き合ってることなんて、見てる人にもすぐ分かっちゃいそう」紗耶は唇をほころばせた。「征司なら、時間を作れれば、顔を出すかもしれないわ」蓮の言ったことを、紗耶は覚えている。征司と一緒に映り、少しでも親密な素振りを見せれば、二人のことは誰の目にも明らかになる。何しろこのドキュメンタリーは、食事と休憩の時間を除けば、ずっとカメラが回っている。「森宮社長って、本当に先輩のこと大事にしてますよね。頼んだことには何でも応えてくれるし、番組で二人のことを公にするなんて、羨ましすぎます」「先輩、そんなに大切にされてるなら、お二人、もうすぐご結婚されるんじゃないですか?」澪は顔も上げず、頭の中では、配合のどこがうまくいっていないのかを
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第150話

静まり返った実験室に、驚いた声が走った。澪自身も、こんなことになるとは思っていなかった。先日、律樹に突き飛ばされたときに痛めた腰は、まだ治りきっていない。彼女は一日中、痛みをこらえていた。征司に支えられなくても、自分で体勢を立て直すくらいはできるはずだ。それなのに……澪は目を伏せ、込み上げる苛立ちを押し殺して、征司をそっと押しのけると、他人行儀な口調で礼を言った。「どうも」と言った。征司はゆっくりと澪を見下ろし、何気ない口調で尋ねた。「どこか具合でも悪いのか?」澪が眉をひそめた。周りのざわめきがいっそう大きくなった。彼らの目には、森宮社長がただの研究員を気遣うような性格には到底見えないからだ。紗耶は手にしている器具をきつく握りしめ、責めるような冷たい視線を澪に向けた。「ここは研究のための場所で、仕事をするところでしょう。ここにいる皆さんへの影響も、もう少し考えてください」紗耶は、澪が征司に色目を使ったと直接責めることはせず、研究に打ち込んできた皆のために言っているような口ぶりだ。その瞬間、澪に向けられる視線の意味合いが変わった。K大の研究員も紗耶のそばへ歩み寄り、非難するように澪を見た。「そうですよ。それに……森宮社長がどういうお立場か分かっているのに、誤解を招くようなことは控えたほうがいいのでは?」撮影用のカメラが回っており、征司の許可を得ていない以上、彼らは、「社長と紗耶さんこそが恋人同士だ」などと軽々しく口にすることはできない。「どうするんですか?今の場面、絶対に撮られてましたよ」その声に、紗耶の表情がさらに曇った。澪が何をしようとしているのか、彼女にはようやく分かった。撮影されているのをいいことに、征司と特別な関係にあるように見せようとしているのだ。本来なら、今回の撮影で注目を浴びるのは自分と征司のはずだった。それなのに、まだ征司とはろくに話してすらいないのに、澪はあんな真似をして先に目立とうとした。紗耶はふいに、冷たく笑った。「そういうことだったのね……」紗耶の意味ありげなひと言に、周囲もすぐ気づいた。澪は、視聴者に自分と森宮社長の間に特別な雰囲気があるように勘ぐらせるつもりなのだ、と。K大の研究員は当然のように紗耶の肩を持った。「森宮社長と紗耶
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