All Chapters of ゴミとして捨てられた聖女、王国を奪う: Chapter 91 - Chapter 100

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王都封鎖

 王都の空気は、重かった。 秋の風は吹き抜ける、だが冷たいだけではない。 何か、湿ったものが混じっている。 王都ブリュード西区画。 城壁の上に立つヒマリは、ゆっくりと遠眼鏡を下ろした。 嫌な感じがする。 昨日より確実に――魔王城が、近い。 もちろん距離が変わるはずはない。 けれど、そう思ってしまうほど、存在感が増していた。 黒い外壁。 空へ突き出した無数の砲塔。 沈黙した巨大建造物。 今はヒマリの制御下にある――はずだった。「……また動いてる」 小さく呟く。 魔王城外壁の砲塔が、ゆっくり角度を変えていた。 ギギ……ギギギ…… 鈍い音。 誰も操作していない。 命令も出していない。 まるで、何かを探しているみたいに。「昨日より稼働数が増えている」 隣でフェルマーが言った。 銀縁眼鏡の奥で、魔法術式が高速回転している。 だが、その顔色は悪い。「砲台に魔物反応は?」「ありません」 即答。 そして。「……それが、一番おかしい」 ヒマリは眉を寄せた。「魔王城内部の魔力流が変質しています」「変質?」「本来、魔王城はヒマリの浄化魔力を基準に最適化されている」「今は、クルスが代わってくれているけど」「内部で別系統の演算処理の痕跡が見える」 嫌な沈黙。「人間の感情波形に酷似した魔力反応です」 ヒマリの胸が、小さくざわついた。「……感情?」「痛み。憎悪。恐怖」 フェルマーは低く続ける。「特に、救済を求める感情への異常執着が見える」 その瞬間。 胸の奥で声がした。『ヒマリ』「クルス?」 静かな声。  魔王城コアを司るヒマリとの融合体。『君が救った人たちを覚えてる?』 ヒマリは目を瞬いた。 戦災孤児。 遺体を抱き、泣いていた母親。 家族を失った兵士。 ロンデルの助けを求めた人々。 全部、覚えている。『浄化した穢れは、本当に消えていたと思う?』 呼吸が止まった。「……どういう意味?」『人間の感情は複雑すぎる』 クルスの声が重くなる。『苦痛を取り除いても、苦しんだ記憶までは消えない』 ヒマリは魔王城を見た。 巨大な黒い城。 おかしなくらい、魔物の気配が感じられない。(まさか……)『魔王城が、学習している』 ぞわり、と背筋が冷える。『救済されなかった痛みを』 そ
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ジギスムント廃嫡

 サンドランド王宮の空気は、張り詰めていた。 誰一人として声を荒げない。 それなのに――沈黙そのものが怒鳴っているようだった。 長机の上に広げられた地図。 北部都市群。 王都ブリュード。 そして、赤く引かれた海路図。 老いたサンドランド王サムールは、机に置かれた報告書を見下ろしていた。 その目はまだ砂漠の王のものだった。「……失敗したか」 低い声。 側近たちが息を呑む。 北部都市群との独占契約交渉。 ロンデル公子擁立工作。 すべて――失敗。 都市群はヒマリ女王を支持。 油田の権益を明け渡し、海路は確保とあるが、 本来の成果とは程遠い。 さらに、ロンデル公子アレクシスがそのまま王都へ合流。 すべてがジギスムントの報告と異なる。「ジギスムントは?」 側近が言い淀む。「……戦争継続の構えです。 すでに第一軍を従え、王都に進軍中」 空気が重くなる。 老王は静かに目を閉じた。「止まれぬか」 誰に向けた言葉でもなかった。 王だからこそ分かる。 一度、前に進むしかない王になった者は。 止まれない。 壊れるまで。 その時だった、扉が乱暴に開く。 伝令が飛び込んできた。「陛下!!」 顔色が悪い。 息も荒い。「申し上げます!!」 伝令は、震える声で告げた。「北部都市でのヒマリ女王暗殺――失敗!!」「……何だと?」老王の声が初めて揺れた。「そんな命は出しておらん」 場が凍った。 誰も言葉を発しなかった。 老王だけが、静かに立ち上がる。「……呼び戻せ」「陛下?」「進軍中のジギスムントを呼び戻すのだ!」 声は低い。 だが、怒りが滲んでいた。「今すぐ行け」「は、はい!」 側近たちが慌ただしく動き出す。 だが。 その時。 別の伝令が飛び込んできた。「陛下!! 北部都市群ネリィ副主席より抗議通達が!!」 巻物を差し出す。 老王が目を通す。 一行。 二行。 その顔から、感情が消えた。 静かに巻物を閉じる。「女王暗殺未遂の証拠を握られ、 飛行魔物による船団焼き討ちまで匂わせてきている…… 白々しく、開かれた貿易などと」 誰かが、ごくりと息を呑む。「陛下……?」 老王はゆっくりと言った。「サンドランドは、本日をもって政治中立を宣言する」 ざわめき。「へ、陛下!?
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侵入した暗殺部隊

 城壁が、悲鳴を上げた。 夜の王都に、巨大な破砕音が響き渡る。 ガゴォォォォン――。 魔王城の砲塔から放たれた重射撃が、 王都西区画の結界を正面から打ち砕いた。 白い防壁が大きく揺らぎ、その直後。 積み上げられていた石造りの城壁が、耐えきれずに崩れ落ちた。 粉塵が夜空へ舞い上がる。 砕けた石が雨のように降り注ぎ、 城壁上にいた兵士たちが叫び声を上げる。「城壁が――!」「崩れるぞ! 退け! 退けぇ!!」 長い年月をかけて築かれた王都の防壁が、 わずか一撃で穴を開けられる。 ヒマリは、とっさに身を伏せた。 爆風が吹き抜ける。 耳鳴りが響き、粉塵で視界が白く染まった。 それでも、彼女はすぐに立ち上がった。「クルス……もっと射角をずらして。城壁への被害が大きすぎる」『無茶を言うな!  砲門がいくつあると思っている!?』 クルスの声にも焦りが混じっていた。『こちらの干渉を防ぐために、魔王城は一斉射撃へ切り替えている。 攻撃予測そのものを再演算する必要がある』「つまり……一度射角をずらしただけで 魔王城が対応しているってこと?」 ヒマリの表情が険しくなる。 ただ暴走しているだけではない。 こちらの行動に合わせて、変化している。「フェルマー!」「ああ、無事だ」 すぐに返事が返ってきた。「王都全体に広げたとはいえ、私の結界が一撃で破られるとは――」 ヒマリは周囲を確認する。 崩れた城壁からは煙が立ち上り、 その向こうには、ぽっかりと夜の闇が広がっていた。(城壁が……抜けた) 胸の奥が冷たくなる。 それは単なる防壁の破壊ではない。 王都へ続く道が、開いたということだった。     ◆ その穴を、影が抜けた。 十一人。 全員が黒い外套に身を包み、気配を極限まで消している。 城壁崩壊による混乱と、舞い上がる粉塵。 逃げ惑う兵士たち。 暗殺者たちにとって、侵入するにはこれ以上ない好機だった。「今だ」 先頭の男が、低く呟く。「ヒマリは城壁上にいる。混乱に乗じて接近する」 影たちは一斉に動いた。 無駄のない足運び。 互いの距離を完璧に保った連携。 彼らは訓練された暗殺者だった。 ジギスムントが最後に残した切り札。 北部都市群での失敗し、最後機会を狙っていた。 全員が理解していた。 
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勝つためではなく

 城壁の上。 ヒマリは、崩れた防壁の向こうを見つめていた。 黒い流れが、王都へ入り込んでいる。 無数の黒い蟻の群れ。 それは生き物の群れというより、 巨大な意思を持った災害のようだった。「ヒマリ、蟻とは言え魔物であれば、浄化は有効ではないか?」 フェルマーが問いかける。 ヒマリは錫杖を握ったまま答えた。「やっている。でも……おかしい」 白い光が広がる。 蟻の群れへ触れた瞬間、何匹かが霧のように消滅した。 しかし、消えた数よりも、増える数の方が圧倒的に多い。「蟻でしょう?  本来なら単純な生物のはずなのに……」 ヒマリは眉を寄せた。「欲望が、絞れない」「あの一匹ごとに自分の意思があるとでも?」「信じられないけど――」 白い光の中で、黒い蟻の群れが蠢いている。「飢え、恐怖、逃げたいという本能 ……いくつもの感情が絡み合っている」 一瞬、ヒマリは言葉を失った。「まるで……人間みたい」「厄介ですね」 フェルマーの魔導眼鏡に、複雑な術式が流れていく。「ですが、一定の効果はあります」 彼は蟻の群れを見つめた。「弱った個体は、結界に触れることで消滅しています」「追い出せる?」「一匹ずつなら可能でしょう」 フェルマーは間を置いた。 そして、城壁の下を見る。 黒い波が、石畳を覆っていた。「ですが……問題は数です」 ヒマリは錫杖を握り直した。 再び浄化術式を展開する。 白い光が壁となり、蟻の群れを押し戻した。 しかし、光の外側では別の群れが進み続けている。 終わりが見えない。「クルス」『見えている』「どうすれば止まる?」 返事はすぐには来なかった。 わずかな沈黙。 どこか遠くで悲鳴が上がった。『……魔王城のコアへ直接干渉するしかない』「コアは、私が取り込んだはずじゃないの?」『その後の問題だ』 クルスの声が低くなる。『ヒマリが取り込んだ部分とは別に、魔王城に残されたシステムがある……。 それが今、完全自律稼働している』 一拍。『僕の演算すら、押されている』 ヒマリは遠くを見る。 夜空の向こう。 黒い外壁を持つ魔王城。 一斉砲撃を終えた無数の砲塔が、今も静かに動いている。(次は、どこを撃つ?) 城壁か。 市街地か。 それとも――。「ヒマリ様!」 兵士が駆け寄ってき
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私の足で選ぶ 前編

 王都ブリュードが見えた頃、アリシアは息を呑んだ。「……え」 王都の空を、黒煙が覆っている。 遠くでは悲鳴が響き、城壁の上を兵士たちが慌ただしく走っていた。 戦争というより、災害だ。 馬車が速度を落とすと、護衛の一人が険しい表情で振り返った。「殿下。これ以上は危険です」 門前は混乱していた。 避難民、負傷兵、物資を運ぶ兵士。 怒号と泣き声が入り混じり、誰もが必死に動いている。 その中で、サンドランド王家の紋章を掲げた馬車は、あまりにも目立っていた。 当然だった。 今のサンドランドは、王都ブリュードにとって敵国なのだから。「止まれ!」「所属を名乗れ!」 門兵たちが一斉に武器を構える。 護衛が前に出た。「サンドランド王家直属護衛だ! 敵対する意思はない!」 一瞬で、周囲の空気が凍りついた。「……サンドランドだと?」「捕縛しろ!」 剣が抜かれる。 その瞬間、アリシアは馬車の扉を開いた。「殿下!」 護衛の制止を振り切り、自ら地面へ降りる。 冷たい風が外套を揺らした。 足が震えている。  それでも、アリシアは前へ進んだ。「武器はありません」 小さな声だった。  だが、震えながらも真っ直ぐに門兵を見つめる。「私は、サンドランド王女アリシアです」 一拍置いて、頭を下げた。「王族としての礼を受けることと、ヒマリ女王への取次ぎをお願いします」 門兵たちが顔を見合わせる。「王女……?」「サンドランドの王女が、なぜここへ……」 疑念と警戒が入り混じる。 それでも、アリシアは逃げなかった。「お願いです」 もう一度、深く頭を下げる。「疑惑が消えぬのであれば、捕虜としての扱いでも構いません」 その言葉を聞いた年配の兵士が、小さく息を吐いた。「我々では判断できん……フェルマー様に確認を取れ」 ◆ しばらくして、慌ただしい足音が近づいてきた。 現れたのは、フェルマーだった。 アリシアの姿を見た瞬間、その表情が止まる。「……驚きました」 珍しく、本音が漏れた。「まさか、自ら来られるとは」 アリシアは小さく頭を下げた。「非礼は承知しております……。 ですが、夫、ジギスムントの軍勢が明日にも到着してしまうのです」「よく知らせて下さいました」 フェルマーは感謝の意を示し、門兵を下がらせる。「
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私の足で選ぶ 後編

 夜の医療棟に慌ただしく会談の場が設けられる。 負傷兵のうめき声と治療の指示で満ちている場所が、 魔導灯の淡い光に照らされ、臨時の仕切りと椅子が運び込まれた。 窓の外では、遠く警鐘が鳴り続けていた。 魔王城の異常。 黒い蟻型魔物。 そして王都封鎖。 人々は恐怖の中にいる。 対談の準備が進む中、フェルマーはそっと耳打ちをする。 ヒマリは小さく頷くと、アリシアに置かれたばかりの椅子を勧めた。「座る?」 アリシアは少し迷ってから、頷いた。「……ありがとうございます」 ヒマリは温かい茶を差し出す。 アリシアは両手でカップを包んだ。 白い湯気が、二人の間をゆっくりと昇っていく。 しばらく沈黙が続いた。 やがて、アリシアがぽつりと呟いた。「……怖かったのです」 ヒマリは何も言わなかった。 ただ、続きを待つ。「ジギスムントが……私を王妃として扱うたびに」 アリシアの指が、カップの縁を強く握る。「心が浮ついて……逆らえなくなりました」 一度、言葉が止まる。「それが……幸せだったのです」 ヒマリは黙って聞いていた。「でも、ふとした瞬間に正気に戻るのです」 アリシアの声が震える。「夫は破滅へ向かっている。止めなければならない、と」 カップの中で、茶が小さく揺れた。「父は、ジギスムントを廃嫡するつもりです」 そして、さらに小さな声で続ける。「ヒマリ女王への暗殺未遂も…… サンドランドは関与しておりません」 ヒマリは目を伏せた。(私を、女王と呼ぶんだ……) 少しだけ苦笑する。(真面目なのよね) 壊れるまで耐える人間ほど、自分を責めてしまう。「アリシア」 静かに名前を呼ぶ。「あなた、ずっと頑張ったのね」 その一言で、アリシアの肩が震えた。 まるで、今まで誰にも許されなかった言葉を 初めて受け取ったようだった。「……っ」 唇を噛む。 涙を堪えようとする。 けれど、一滴が頬を伝った。「頑張ったんです……」「うん」「彼を、一人にしてはいけないって……」「うん」「これから、すべて良くなるって……」「うん」 それでも、アリシアの声は次第に崩れていく。「でも……あの人は、ずっと遠くを見ていて……」 とうとう声が途切れた。「どうしよう……こんなことを言うつもりじゃ……」 ヒマリは静かに首
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アリシアの返書 ~沈黙のひび~

 砂漠の陣営は、朝焼けに染まっていた。 オレンジと紫の混ざった光の下、幕営の布が乾いた風に揺れている。 その中央。 ジギスムントは軍議の幕の中で、地図を見つめていた。 蝋燭の炎が揺れるたび、地図の上に引かれた国境線が歪んで見える。「魔王城の異常は拡大しております」 将校が報告を続ける。「各地で小規模な魔物の出現が確認され、民の不安も高まっています」 一度、言葉を切る。「王都奪還には、絶好の機会かと」 ジギスムントは答えなかった。 報告の一つ一つを聞きながら、 使える情報と使えない情報を静かに選り分けている。 その時だった。幕の入口が開く。「陛下!」 伝令が駆け込んでくる。「アリシア様より返書が!」 ジギスムントの目が上がった。 伝令の手には、一通の封書。 見慣れた封蝋。 小さな花の型押し。 アリシアのものだった。 将校たちの間に、わずかな緊張が走る。 誰もが、その手紙が何を意味するのかを考えていた。 ジギスムントは封書を受け取った。 封を切る。 紙を取り出し、折り目を開く。 一行目に目を通した瞬間。 指が止まった。『私は、サンドランドへ戻りません』 幕の中を、風の音だけが通り過ぎる。 ジギスムントの表情は変わらなかった。 眉も動かない。 ただ、紙を持つ指先にだけ、わずかに力が入った。 二行目。『あなたの王妃にはなれませんでした』「……陛下?」 誰かが声をかけた。 ジギスムントは答えなかった。 視線は、その二行に固定されたままだった。 二行だけで、十分だった。 胸の奥へ、何かが沈んでいく。 悲しみなのか。怒りなのか。 それすら分からない。 ただ、これまで自分の中にあった何かが、静かに崩れていく。「陛下……ご命令を」 伝令の声に、ジギスムントはようやく動いた。 返書を丁寧に折り直す。 握りつぶすことはしなかった。 元の折り目に沿って折り、懐へしまう。「……構わん」 いつもの静かな声だった。「進軍を続ける」「しかし、サンドランドは中立化を――」「聞こえなかったか」 その一言で、幕の中が凍りついた。「アリシアは王都に囚われたのだ」 ジギスムントは地図を見下ろす。「王都奪還には、二重の意味が生まれた」 誰も、それ以上は口を挟めなかった。 ジギスムントは地図を
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王都防衛――痛みを喰らう蟻【前半】

 赤黒い光が、王都の空を染めていた。 魔王城の鼓動が、石畳の奥から響いてくる。 ドクン。 ドクン。 まるで巨大な心臓が、 王都そのものを握り潰そうとしているようだった。 ヒマリは西壁へ向かって走っていた。『ヒマリ』 胸の奥で、クルスの声が響く。『急げ。もう始まってる』「何が!?」『コアが魔王城の外壁まで出てきている』 一瞬の沈黙。『君が来るのを待ってる』 次の瞬間だった。 魔王城の最上部に、巨大な魔法陣が浮かんだ。 クルスの声が低くなる。『あれだ』 赤黒い光が収束していく。 そして――。 王都全域に、声が響いた。『……観察完了』 誰もが動きを止めた。 魔王城の最上部。 そこに、誰かが立っている。 白いローブ。 長い黒髪。 整いすぎた顔。 男とも女ともつかない、美しい姿だった。 だが、どこか壊れている。 頬の下で何かが蠢いた。 一瞬だけ、複眼が覗く。 触角が見える。 人間の顔の奥に、別の生き物が潜んでいるようだった。 寒気が走る。『人間とは――なんと美しい欠陥か』「……あなた、誰?」 ヒマリは王錫杖を身構えた。 その存在は、ゆっくり笑う。 艶やかな笑顔だった。 (なんと、美しい……) 兵たちの息を呑む音が聞こえた。『私は――ベル・ブリュード』 優しかった空気が凍る。『人間の完成形だ』 ベル・ブリュードの姿が消えた。 直後、魔王城の砲塔が一斉に光った。「伏せて!」 フェルマーの叫びが響く。 ドガァァァァン!! 赤黒い砲撃が王都へ降り注いだ。 二重に展開された結界に正面から炸裂する。 衝撃で城壁が揺れ、兵士たちが地面へ叩きつけられた。「結界、維持!」「結界班、魔力供給を切らすな!」 フェルマーが叫ぶ。 やがて砲撃が収まった。 誰もが息を呑む。 結界は――耐えていた。「……防げた?」 兵士の一人が呟いた。 しかし、ヒマリは違和感に気づいた。「……何か、降ってくる」 砲撃の残骸。 黒い塊が、城壁のあちこちへ落ちている。 そして――。 黒い塊が割れた。 中から、細い脚が伸びる。 さらに別の塊が弾けた。 今度は羽音が響いた。 ブブブブブ――。「……蟻?」 地面を黒い群れが走り始める。 空では無数のハエが舞い上がった。 瞬く間に、王都の
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王都防衛――痛みを喰らう蟻【後半】

 黒い蟻の群れが、城壁の前で一つに集まり始めた。 地面を埋め尽くしていた無数の蟻が、 互いに絡み合い、膨らみ、重なっていく。 やがて、それは人の形を取った。 巨大な女の上半身。  その下には、巨大な蟻の腹部。 無数の腕が伸び、その身体には無数の顔が浮かんでいた。 顔は、すべて泣いている。「誰も……」 重なった声が、王都へ響き渡る。「助けて……くれなかった」 兵士たちの動きが止まった。 その言葉は、誰もが心のどこかで知っている痛みだった。 失ったことがある。 救われなかったことがある。 届かなかった願いがある。 それは悲鳴であり、祈りでもあった。 ヒマリは、その異形を見つめた。 そして、胸の奥が冷たくなる。「……あなたは」 無数の顔が、一斉にヒマリを見る。「誰なの?」 その輪郭は、魔王城の最上部に立つ白い影とよく似ていた。「けひょ。我は――ベル・ゲラーテ」 低い声が響く。 兵士たちが後退する。「ベル・ブリュード様の分体として魔王城に、人間を捧げる者」 ヒマリは王錫を突き立てた。「浄化波動を十秒間隔へ変更!」 フェルマーが即座に魔法盤を書き換える。「寒い……」「私を愛して……」 無数の顔が一斉に裂けた。「あなたと――一緒にぃぃぃぃ!!」 絶叫。 黒い津波が城壁へ殺到する。「迎撃!!」 フェルマーが叫んだ。 ハエを牽制しつつ、巨大な結界が展開される。 グシャ。 黒い波が白い結界へ激突した。 だが、押し返せない。「今の内に追い払え!!」 城壁が軋む。 だが、兵士たちの顔に絶望が浮かび、  結界で蠢く蟻に浮足立つ。「怯むなぁぁぁぁ!!」 アレクシスが城壁へ飛び乗った。「立て!!」 たった一言だった。  それでも、ここまで回復した事実と  その苦労を見ていた者たちから鬨の声が広がっていく。「ロンデル公子に負けるな!  おおおおおっ!!」 兵士たちが再び剣を構える。 崩れかけた戦線が持ち直す。 アレクシスは息を吐いた。(……一人で背負わせない) ヒマリと交わした約束。  あなたのいる所に追いつくと――。      ◆ だが、ベル・ゲラーテは止まらなかった。 結界を食い破り  フェルマーの術式さえ呑み込んでいく。「あなたたちも……一緒に……」 無数の声が
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故郷を守る王

 街道の向こうに、黄金と黒の軍旗が見えていた。 サンドランドと第一軍の混成軍。 だが、それを確認する余裕は誰にもなかった。 朝になっても、蟻の波は止まらない。 ハエの群れも結界がはち切れそうな程、膨らんでいた。     ◆「シュルツ軍を救援するんだ!」 城壁の上で、アレクシスが叫んだ。 出来たばかりの義手から、銀の剣が閃く。 一撃で風の刃が蟻型魔物を吹き飛ばす。 だが、その足元へすぐに次の波が押し寄せてきた。「くそっ……!」 地上は、もう限界だった。「隊長! 城壁に蟻が張り付いています!」「城門前、第三防衛線が崩壊寸前です!」 報告が次々と飛び込んでくる。 戦線が長すぎる。 兵が足りない。 救援に回す余裕などない。 その時だった。 ブブブブブ――!「上だ!」 結界の一部が破れ、黒い群れが急降下する。 兵士たちが身を伏せた。 次の瞬間。 無数の炎刃が空を裂いた。 ――ザァァァァァン! 黒い霧が縦に切り裂かれ、燃え上がる。「対空班! 第三式、連動展開!」 フェルマーだった。 巨大な魔法陣を空に展開し、 額に汗を浮かべながら結界の修復に魔力を注ぎ続けている。 結界の内側に穴を塞ぐように光槍が走り、爆裂する。 ハエ型魔物が次々と落下していった。「これで空からの侵入は防いだ!」 だが、フェルマー自身も分かっていた。 地上の蟻を止めなければ、いずれ城門が破られる。  そうなれば、王都そのものが危ない。     ◆ その頃。 街道を進む軍勢の先頭で、ジギスムントは王都を見つめていた。 黄金と黒の軍旗が、朝風にはためいている。 重騎兵。 魔導騎馬。 その後ろには、王都奪還のために集めた大軍が続いていた。「陛下」 将校が馬を寄せる。「間もなく王都外縁です」「そうか」 短い返事。 ジギスムントの視線は、前を向いたままだった。 遠くに見える。 赤黒く脈打つ魔王城。 そして、王都を覆う黒い霧。「魔王城暴走の報は事実だったか」「はっ。現在、王都西壁は魔物群に包囲されています」「ヒマリは?」「前線で指揮を執っているとのことです」 一瞬。 ジギスムントの眉が動いた。「……愚かな女だ」 静かな声だった。 だが、その言葉にはわずかな苦みがあった。 王が前線に立つ。 以前の
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