Semua Bab ゴミとして捨てられた聖女、王国を奪う: Bab 81 - Bab 90

94 Bab

ヒマリ、山脈を越えて北部都市群へ

 ロンデル東部山脈。 北と南を隔てる巨大な岩壁には、なお雪が残り、  強い風が雲を流していく。 だが、空を渡る者にとって、それは越えられない境界ではない。 慎重さを要する空路――それだけだった。     ◆ 飛行魔物ドラムが、白い雲を裂いて飛ぶ。 大きな翼が風を掴み、一定の高度を保ちながら山脈を越えていく。 背に乗るヒマリは、錫杖を抱くように握り、遥かな先を見つめていた。 眼下には、雪をまとった尾根がどこまでも続く。 飛行魔物で山脈を越えること自体は、不可能ではない。 だが、安定した魔力供給。 人を襲わないほどの高い忠誠心。    長距離飛行に耐える個体。 安全な着地点。 多くの条件が揃わなければ成立しない。  だからこそ、誰も試そうとはしなかった。 ヒマリは、そっとドラムの首筋を撫でる。「ありがとう、ドラム」 低く穏やかな鳴き声が返る。 胸の奥では、焦りだけが静かに渦巻いていた。 ノリスの消息が途絶えた。 ようやく届いた知らせは、  アレクシス公子と共に北部都市群で保護されているという報告。 本来なら確認すべきことは山ほどある。 フェルマーによる異界残滓の測定。 ジギスムントの脅威。 ロンデル公国の警備。 王が軽々しく城を空ける状況ではなかった。 それでも、待てなかった。 ノリスは助けを求めない。  苦しくても、一人で抱え込む。 だからこそ――迎えに行かなければならない。『ノリスは無事だと何度も言っている。君が動く必要はどこにもない』  クルスの声が響く。「あなたは、たまに嘘を付く。大事なことは自分で確かめる」(直接会って、話さなきゃ) 王として正しい判断なのか。 そう問われれば違うのかもしれない。 もっと個人的で、感情的だ。 それでもいい。  自分は、そういう王でありたい。『北部都市群がサンドランドと協定を結んだ確率82%  場合によっては、敵地に飛び込むことになる』「二人が無事なら、それでいい」 ヒマリは顔を上げる。 雪の稜線の向こうで景色が変わる。 白銀は深い緑へ。 やがて、海に面した白い街並みが姿を現した。(……着く) 北部都市群。 ノリスと、アレクシスが待つ場所。     ◆ 同じ頃。  北部都市群・議事堂前。「王都側からの
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女王が持ってきた新しい道

 重厚な木扉が静かに閉じられた。 長机を挟み、中央にはヒマリ、  その向かいにはペトラとネリィが腰を下ろしている。 窓の外では、ドラムの低い鳴き声がかすかに響いていた。 しばらく誰も口を開かなかった。 山脈を越え、本当に飛行魔物で現れた女王。 しかも、それはただの奇策ではない。 北部都市群が数か月もの間、答えを見いだせずにいた問題へ、  一つの現実的な可能性を示していた。 やがて沈黙を破ったのはネリィだった。「……まず確認させて」 その目は、商人そのものだった。「あなた、本当に飛行魔物の定期運用を考えているの?」 ヒマリは静かに頷く。「はい」「でも飛行魔物は数が少ないし、気性も荒い。  長距離飛行には訓練も必要よ」 ネリィは指を組みながら淡々と続ける。「餌代もかかるし、積める荷も船には遠く及ばない。  象徴としては優秀でも、基幹交易を担うには力不足だわ」 鋭い指摘だった。 ペトラは口を挟まず、ただヒマリを見つめる。 どう答えるのかを見極めようとしていた。 ヒマリは少し考え、落ち着いた声で答える。「おっしゃる通りです。大量輸送の代わりにはなりません」 その言葉に、ネリィの眉がわずかに動いた。 否定もしない。 誇張もしない。「木材や鉱石を大量に運ぶなら、海路には敵いません」 一拍置き、ヒマリは続ける。「でも、『止まってはいけない物』なら運べます」 ペトラが静かに目を細める。「医薬品、希少素材、魔導部品、契約書や緊急外交文書。そして――」 ヒマリは二人を見つめた。「木材不足で造船が止まりそうな都市へ、  最低限必要な資材を届けられます」 ネリィの思考が止まった。 造船三都市。 シュヴァルツ。 ミュール。 そして港湾加工区。 ロンデル崩壊以降、慢性的な木材不足に苦しみ続けている地域だ。 船台は止まり、補修は遅れ、海路そのものが細り始めている。 だからこそ北部都市群は、  サンドランドとの独占契約に心を揺らしていた。 飛行魔物は海路を置き換える存在ではない。 しかし物流を止めないための「止血」としてなら、  十分な価値がある。(……なるほど) ネリィは理解した。 これは代替ではない。  海路を補完する第二の物流網だ。 依存先を一つ増やす。  それだけで交
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私か、公子か

 北部都市群の医療院。 白い石壁に潮風の匂いが混じる廊下を、ヒマリは足早に進んでいた。 胸の奥が、ずっと痛む。 ノリス。 アレクシス。 二人の名前が胸を締めつける。 角を曲がった、その瞬間だった。 ヒマリの足が止まる。 廊下の先、窓から差し込む光の中に、  一人の黒髪の少女が立っていた。 ノリスだった。 触れれば消えてしまいそうなほど儚く、細い肩が小さく震えている。「ヒマリ……?」 その声には、ほんの一瞬だけ安堵が滲んだ。 来てくれた。 その事実だけで張り詰めていた心がほどけそうになる。 だが次の瞬間、その安堵は苦い現実へと変わった。(これで……終わるのね) ヒマリはゆっくりと歩き出す。 一歩、また一歩。 逃げ場のない距離まで近づくと、  ノリスは無意識に半歩だけ後ずさった。「無理し過ぎよ……本当に山脈を越えて……?」「うん」 ヒマリは微笑んだ。「迎えに来たよ」 その一言だけで十分だった。 ノリスの膝から力が抜ける。「どうして……」「王都もロンデルも置いて……私なんかを……」 ヒマリはその前に立つ。「私なんかじゃない」 静かだが、揺るがない声だった。「言ったでしょ。  ノリスは――もう一人の私だって」 ノリスの瞳が揺れる。 一瞬だけ救われた気がした。 それでも胸を締め付ける思いは消えない。(でも私は……)(アレクシス公子を連れて帰れなかった)(この町の優しさに甘えてしまった)「私は……アレクシス公子を連れて帰れなくて  ……ここで……その……」 言葉が続かない。 ヒマリは、その表情だけですべてを察した。「……優しくされた?」 ノリスは否定できなかった。 静かに涙が頬を伝う。「……揺れたの」「今も揺れてる」「ヒマリが来てくれて嬉しい。  でも……来なければよかったって思ってしまう私もいる」 短い沈黙が流れる。 ヒマリは手を伸ばした。 しかし抱き締める代わりに、  そっとノリスの顎へ触れ、視線を合わせる。「じゃあ、選んで」 ノリスの呼吸が止まる。「……え?」「私か、アレクシス公子か」 逃げ道のない問いだった。 ノリスの瞳が大きく揺れる。「そんなの……選べない!」 涙が溢れる。「どっちも離れたくない!」「だから……あなたが裁いて!」
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女王と公子、それぞれの覚悟

(……結局、アレクシス自身の口から、  ロンデルを託すと言わせてしまった)   『それでいい、最適解だ』  クルスの満足げな声が響いた。「……正式に謝罪をしないといけないわ」 ヒマリが静かに口を開くと、部屋の空気が少しだけ張り詰めた。 アレクシスは穏やかに首を振る。「不要です。  ヒマリなら、僕より上手くロンデルを立て直してくれるでしょう」 だがヒマリは視線を逸らしたまま、小さく息を吐いた。「そうじゃない。  どうしても助けられなかった。約束を守れなかった」「いいえ」 静かな否定だった。 ヒマリが顔を上げる。「あなたは助けたんです」「……何を?」 アレクシスは少しだけ目を伏せた。「ノリスを」 突然、名前を出されノリスの呼吸が止まる。「彼女は最後まで迷っていました。  影として生きるか、魔王として消えるか。  その狭間で揺れ続けていた」 少し間を置いて、アレクシスは再びヒマリに微笑んだ。「でも最後に選んだのは、あなたでした」 部屋が静まり返る。「だから僕は助けられたんです。  彼女がいなければ、僕はここにいません」 その言葉は穏やかだった。 けれど、何よりも重かった。 ヒマリはゆっくりと息を吐き、小さく笑う。「……先を越されちゃったわね」 柔らかな笑みだった。 しかし次の瞬間。 「「ノリスは――」」 二人の声が重なり、空気が変わった。 ヒマリは苦笑しながら肩を落とす。「……私も戸惑ってる」 隠しても仕方がないと悟ったように、本音を口にした。「では、ノリスを許してくれるんですか?」 静かな追撃だった。 逃げ道はない。 ヒマリは少しだけ考え、ゆっくり答える。「……あなたも必要だから」 王としての答え。 だがアレクシスは静かに首を振った。「違うでしょう」 柔らかな口調なのに、その言葉は鋭かった。「あなたは必要だから迎えに来る人じゃない」 一拍置き、少しだけ笑う。「それに僕に対しても、少し甘かった」 ヒマリの呼吸が止まる。「違いますか?」 視線を逸らさず問いかけられ、ヒマリは黙ったままだった。 やがてアレクシスは小さく息を吐く。「……安心しました」「安心?」「はい。あなたが、ちゃんと人間で」 ヒマリは苦笑した。「……それ、褒めてる?」「え
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王が越える一線

 戦略室には、重苦しい空気が漂っていた。 巨大な机の上には海路図が広げられ、  新造船団の模型がいくつも並べられている。 本来なら、それらはサンドランドの繁栄を象徴するはずだった。 だが今は、いくつもの模型が倒れたまま放置され、  誰一人として直そうとはしない。 そんな空気ではなかった。 参謀の一人が緊張した面持ちで口を開く。「……王よ」 震える声だった。「北部都市群は、ヒマリ女王との協力を正式に決定しました」「あれを女王などと認めてはいない」 低い声が返る。「ですが、飛行魔物による空路の開拓を――」 その先は続かなかった。 ジギスムントは窓辺に立ったまま、地図から目を離さない。 微動だにしない王の背中を前に、参謀たちは息を潜める。 静寂だけが戦略室を満たしていく。 やがて、ジギスムントはゆっくりと目を閉じた。 頭の中で、飛行輸送という新たな盤面を計算する。 空路開拓の航続距離と速度。 北部都市群との運用による利益の分配。 そして――海路独占の崩壊。 計算は、一瞬だった。(……終わった) 盤面を読み切った者だけが抱く静かな確信だった。「ギーレ港を飛び越え交易が始まり、三か月もすれば……詰みか」 独り言のように漏れた声に、参謀たちは顔を見合わせる。 誰も言葉を返せない。「なぜ、共同管理に……」 ジギスムントはゆっくり歩み寄り、山脈を示す線へ指を置いた。「権益を、自ら手放すと言うのか」「……はい」 参謀は深く頭を下げる。「ペトラ主席は即断し、  ヒマリ女王との同盟および貿易協定を締結したとの報告です」 再び沈黙が落ちた。 指先が北部都市群を静かになぞる。「切り札の魔物を共同管理にしてまで、北部都市群に肩入れするとは」 驚くほど穏やかな声だった。  棋士が投了を悟る、その瞬間の静けさに似ていた。 海路に価値があったのは、誰も山脈を越えられなかったからだ。 その前提が崩れた今、独占は崩れ、利益は分散する。 長い年月をかけて築き上げた盤面が、音もなく崩れ始めていた。 ジギスムントは静かに椅子へ腰を下ろす。「戦場で二度敗れ……」 低く呟く。「交易でも敗れ……」 そして、小さく息を吐いた。「アレクシス公子まで奪還された」 拳がゆっくりと握られる。(……フェルマーがいれば)
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影の刺客、北部都市群へ

 北部都市群の夜は静かだった。 港の灯りが海面を淡く照らし、  遠くから荷役の音だけが規則正しく響いてくる。 その静寂を裂くように、一つの影が中央医療院の屋根を滑っていた。 月光すら映さない漆黒の人影。 人の姿をしていながら、人ではない。 王家直属の隠密魔導士  ――ジギスムントが最後まで温存していた切り札である。 影は屋根の縁から壁へ溶け込むように染み込み、  そのまま三階病棟へと潜り込んだ。 狙う標的は、ただ一人。 ヒマリ女王。(目標確認) 感情のない思考だけが流れる。(対象を排除する) 使命は、それだけだった。     ◆ 同じ頃。 病棟の廊下を、ヒマリとノリスは並んで歩いていた。 アレクシスの病室を出た帰りである。「少しずつ顔色も良くなってきたみたい」「そう? 自分じゃ分からなくて」 ノリスは照れくさそうに笑う。 その笑顔を見て、ヒマリもようやく肩の力を抜いた。 しかし、その直後だった。 ノリスの足がぴたりと止まる。 胸の奥で心臓が嫌な音を立てた。 異界へ踏み込んだ時と同じ感覚。 肌を撫でる冷気。 世界そのものが歪むような違和感。 間違いない。 殺意だ。「……ノリス?」 ヒマリが振り返る。 ノリスは返事をせず、静かに目を閉じた。 風の流れ。 魔力の揺らぎ。 わずかな気配を探り、そして見つける。「ヒマリ」 張り詰めた声だった。「隠れて」「え?」「早く!」 叫ぶと同時に、廊下の石壁が波打つ。 壁が黒い液体のように溶け、その中から人の形をした影が姿を現した。 白い双眸だけが、不気味に闇へ浮かび上がる。 ノリスの血の気が引いた。(この術は……) 王都で見た。 王家直属の隠密術式。 魔王だった頃の自分だけが知る、王家最強の暗殺魔導。「ヒマリには触れさせない」 考えるより早く身体が動く。 ヒマリを背中へかばい、一歩前へ踏み出した。 影は音もなく距離を詰める。 殺気はない。 あるのは任務だけ。 だからこそ恐ろしい。「……ジギスムント」 その名を呟いた瞬間、影の腕から漆黒の剣が伸びた。 月光すら飲み込む闇の刃。 同時に医療院へ警鐘が鳴り響いた。     ◆「侵入者だ!」「三階だ!」「ヒマリ女王を守れ!」 兵士たちが一斉に廊下へ雪崩れ込む。 矢
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交易という名の停戦

 襲撃から一夜が明け。 ペトラの執務室には、ヒマリ、ノリス、ペトラ、ネリィの四人が集まっていた。 重い沈黙を破るように、ペトラが静かに口を開く。「刺客は捕縛した」 ヒマリが顔を上げる。「生きてるの?」「ああ。口も割らせた」 ペトラは一拍置き、小さく息を吐いた。「……方法は聞かないでほしい」 その一言で十分だった。 商人国家にも、表に出せない仕事はある。 北部都市群で暗殺未遂を起こされた以上、  ただで放免することなどあり得なかった。「……分かった。続けて」「首謀者はジギスムントだ。刺客は王家直属の影術士だった」「やっぱり」「それだけじゃない」 ペトラは真っ直ぐヒマリを見る。「アレクシス公子の失われた目と腕。  どうやら、ジギスムントが保管しているらしい」 部屋の空気が凍りつく。 ノリスが息をのむ。 ヒマリは表情を変えなかったが、錫杖を握る指先にだけ力が入った。「……義眼や義手に使える組織が残っているということ?」「そうだ。適合する組織がなければ魔術的な接合は難しい。  それを知って、切り札としているのだろう」 ネリィが静かに呟く。「交渉材料、ということね」 ペトラは黙って頷いた。 ◆ ヒマリは窓の外へ目を向ける。 朝の港では船が行き交い、市場には人々の声が満ちていた。 ペトラは静かに口を開いた。「北部都市群として宣戦布告をしてもよいぞ。  一度、強い態度で臨むべきだ」「もっと、いい方法があるわ」 盤面を読み切る男が、盤面の外へ手を伸ばした。  追い詰められた相手は、何をするか分からない。 それよりも――。 頭の中に、一枚の地図が広がる。 北部都市群とサンドランドを繋ぐ海路を  王都も巻き込んだ、大陸規模の交易圏として再生する。 富が循環すれば、戦争の動機が薄れる。「サンドランドにも海路を開放しましょう。  北部都市群にも、王都にも。  空路も絡め、全部を繋げる」 ネリィの目が、鋭くなる。「……独占を手放すということ?」「すべて、共有する」 一拍置いて微笑む。「ネリィ、あなたの海路は今、年でどれくらい稼いでる?」「……それを聞いてどうする気?」「その数字が十倍になるとしたら?」 沈黙。 ネリィの目が細くなる。「誰かが独占するより、全員が使える方
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王と商人の決着

 朝の陽光が、砂岩で築かれた離宮の間を黄金色に染めていた。 静まり返った広間の中央には、  北部都市群主席ペトラがただ一人立っている。 護衛も親書も持っていない、この場に必要なのは武力でも書面でもなく、  交わされる言葉だけだからだ。 仮の玉座の上では、ジギスムントが静かにペトラを見下ろしている。「……北部都市群の主席が、わざわざ一人で来るとはな」 感情を押し殺した声だった。 ペトラは肩をすくめる。「伝言で済む話なら、ここへは来ていない」 臣下としてでも、商人としてでもない。  国家を代表する交渉人として、この場では対等に立つ。 暗殺者を送り込まれた抗議も込め、ペトラは一礼すらしなかった。 ジギスムントは小さく頷く。「聞こう」 その一言を待っていたように、ペトラは単刀直入に切り出した。「ヒマリ女王は、海路を開放する」 言葉が消えると、玉座の間には重苦しい沈黙だけが残った。「……独占を手放すということか」「違う」 ペトラは即座に否定する。「手放すのではない。開放するのだ」 一歩だけ前へ進む。「サンドランドも、北部都市群も、王都も。  誰もが利用できる海路を築く」 ジギスムントは答えない。 ただ、その瞳だけが静かに細められる。 頭の中では、輸送量、関税、収益予測、利益配分  ――あらゆる数字が瞬く間に組み上がり、  新たな交易圏の姿を描き始めていた。 ペトラは急かさない。 この男は考える時間を与えた方が、より正確な答えへ辿り着く。 やがて、ジギスムントが静かに口を開く。「……条件は」「アレクシス公子の失われた目と腕を返してもらう」 再び空気が止まる。 ジギスムントの表情は変わらなかった。 だが、その瞳だけがわずかに揺れる。「……知っていたか」「刺客からな」 一拍置き、ペトラは静かに続けた。「北部都市群にも、  表には出せない仕事があると理解していただけるだろう」 その一言で十分だった。 ジギスムントは小さく息を吐く。「……海路の開放と引き換えに、それを返せと」「そうだ」 再び長い沈黙が流れる。 やがてジギスムントは低く呟いた。「それでは、私は敗北を認めることになる」 周囲の温度が下がった気がした。 王として積み上げてきた誇りが、静かにその声へ滲んでいた。 しかし、ペト
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出発の朝

 翌週の正午。 北部都市群の中央医療院へ戻ったペトラは、  そのまま執務室へ向かった。 部屋には、すでにヒマリとノリスが待っていた。 窓の外では港が活気づき、荷役の掛け声が潮風に乗って響いている。 ペトラは二人の前まで歩くと、何も言わず黒塗りの木箱を机へ置いた。 鈍い音が室内に響く。「……これは」「約束の品だ」 ペトラは短く答えた。「ジギスムントは交渉に応じた」 ヒマリは静かに木箱へ手を添える。 重い。 その重さが、この箱に収められたものの意味を物語っていた。(これが……) アレクシス公子の右腕と右目。 ジギスムントが最後まで切り札として握り続けていたもの。 ヒマリは蓋へ手をかけかけて、そっと手を離した。 ここで確かめるものではない。  フェルマーへ託すべきものだ。「私が行っても、ジギスムントは会ってくれなかったでしょう。  ……ありがとう」 自然と頭が下がる。 だがペトラは苦笑して首を振った。「礼を言われることじゃない」 一拍置いて続ける。「北部都市群の信用を守っただけだ」 その言葉に、ヒマリは小さく笑った。 商人らしい答えだった。 ペトラは椅子へ腰を下ろし、改めてヒマリを見る。「一つ聞く」「うん」「海路開放。本当に実行するつもりか」 真剣な問いだった。「もちろん」 ヒマリは迷わず頷く。「短期的には損をする」「分かってる」「空路の利用料も減り、サンドランドは再び力をつけるだろう」「それも分かってる」 それでも表情は変わらない。 窓の外では、船が港を埋め、人々が忙しく荷を運んでいる。「でもね」 静かな声で続けた。「富は独占するより循環した方が、最後はもっと大きくなると思う」 ペトラは黙って耳を傾ける。「一つの港だけが栄えるより、町と町が繋がった方がいい。  物流が増えれば、人も技術も文化も動く」「その結果、誰か一人じゃなく、みんなが豊かになれる」 ネリィなら数字で証明してくれるだろう。 ヒマリは、その未来の景色を信じていた。「戦争で奪うより、交易で増やした方がいい」 その一言に、ペトラは静かに息を吐く。「……商人としては反論できん。――儲かる話だからな」 苦笑が漏れる。 ヒマリも笑った。「これから王都に戻って、正式な交渉団を派遣するわ。  一度に送れる飛
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フェルマーとの再会 ~ ヒマリの新たな問い

 王都ブリュード 黄昏時。 王都ブリュードの上空へ、ドラムの影がゆっくりと差しかかった。 戦場の危機を救って以来、  飛行魔物は民衆の味方だと認知されつつあった。 城門の兵士たちが驚いたように夕闇に染まる空を見上げる。「ヒマリ様だ!」「お戻りになられた!」 歓声が広がる。 ドラムは王城の中庭へ静かに降り立った。 翼をたたむと、ヒマリたちはゆっくりと地面へ降りる。 そのまま王城の執務室へ向かった。 ◆ 侍女が扉を軽く叩く。「どうぞ」 フェルマーの落ち着いた声が返ってくる。 扉が開かれると、  机へ向かっていたフェルマーが、ゆっくり顔を上げる。 ヒマリ。 ノリス。 そして、アレクシス。 三人の姿を見た瞬間、その表情がわずかに和らいだ。「……無事で何よりだ」 静かな一言だった。 だが、その言葉には本心からの安堵が込められていた。「ただいま」 ヒマリが笑う。「それから――」 胸に抱えていた黒い木箱を差し出した。「早速だけど、これ。  アレクシスの義眼と義手、作れる?」 フェルマーは両手で受け取ると、すぐには蓋を開けなかった。 重さを確かめるように静かに持ち上げ、魔力の流れへ意識を向ける。 やがて、小さく頷いた。「……保存処理は完璧だな」 木箱へ優しく手を添える。「これなら魔術的な再接合も十分可能でしょう」 ヒマリの表情がぱっと明るくなる。「本当?」「ええ」 フェルマーは穏やかに微笑んだ。「アレクシス公子ほどの魔力量があれば、  義眼も義手も限りなく本来の身体に近づけられます」 アレクシスは思わず息をのむ。 失ったものを取り戻せるかもしれない。 その希望だけで胸が熱くなった。「……よろしくお願いします」 深々と頭を下げた。  するとフェルマーの眼差しが静かに鋭さを帯びた。「礼は女王陛下に言いなさい」 一拍置いて続ける。「私は、あなたのことを亡国の公子としか思っていません。  ジギスムントに捕らわれたままであったら、  廃嫡して別の王を立てる道もあった」 その口調は厳しかったが  アレクシスが無事に戻ったからこそ出て来る言葉でもあった。「ヒマリ女王には、言葉では言い尽くせない感謝があります」 そして真っ直ぐフェルマーを見つめる。「その恩に報いるため
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