愛する妻が置き手紙一つ置いて家出をしました。~初恋を拗らせた旦那様は妻を取り戻したい~ のすべてのチャプター: チャプター 51 - チャプター 55

55 チャプター

第51話 ただのサーレン

「そうですね。今の私はただのサーレンなのでサーレンとだけお呼びください」「そんな、呼び捨てなんて出来ないです」 オリヴィアにとってサーレンは、夫になるイアンの勤務先の長だった人だ。それもただの長じゃない、大国の防衛を司る組織のトップに立っていた人である。そんなサーレンを呼び捨てなんて出来るわけがない。それにサーレンはカイロ領の新領主として赴くのだと聞いた。それは彼の今までの実績を見れば当然で、彼だからこそ万が一の事が起きた場合、新ネロペイン帝国とスェミス大国の国境を防衛する事が出来ると両国の長から認められたのだ。 フト、オリヴィアは自分の背後に立つアンが静かで気になった。いつもなら男性とオリヴィアが喋っていたら間に入って、彼女の盾になるというのに。「申し訳ございません、オリヴィア様」と背後のアンから小声で話しかけられる。「私、この方苦手なんです……人を殺した事がないような顔をしているくせして、核心をついてくるので……」(アンに苦手な人居るの?)  アンの様子に戸惑っていたら、 「私は元の身分が低いので呼び捨てでも構わないです」「そんなのぜったいダメです! なんてお呼びしましょう」 背後のアンが一言も発さない。助け舟を出してくれない。 こういう時はなんてお呼びしたら良いのか分からない。(淑女教育を私は受けていないから、なんてお呼びしたらいいか分からないわ) アワアワしていたら、喉を鳴らす音が聞こえて目の前に立つサーレンをオリヴィアは見た。(もしかして、からかわれた……?) 彼は口元に拳を当てて笑いを堪えていた。琥珀色の瞳に涙を潤ませてまで笑おうとするなんて──「ひ、ひどいわ!」 つい顔を真っ赤にして叫ぶと、「すまない、レディ」とサーレンは眉を下げた。「揶揄うつもりはなかったんです」 本当に申し訳なさそうだったからオリヴィアは「怒っていません」と小声で
last update最終更新日 : 2026-08-14
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第56話 今日は別々に寝よう

  いつから、こういう状態だったのかしら、とオリヴィアはイアンを心配した。自分の計画を成し遂げる事に一生懸命で、イアンが具合悪そうにしている事に食事中気が付かなかった。 まるで、苦しんでいるように瞼を閉じるイアンに、オリヴィアは体温を測ろうと思って彼の額に掌を当てた。「熱はなさそ」 うね、と続けようとしたら、イアンが急に立ち上がって最後まで言えなかった。 オリヴィアは立ち上がったイアンを視線で追い、その顔を見上げた。「すまない、オリヴィア……具合が悪いようだから先に寝る事にするよ」「イアン……デザートは?」(デザートの心配をしているわけじゃないのに……)  いつもと違う様子のイアンにオリヴィアは面食らってしまって、ついイアンの背後に給仕の従僕がプリンを運ぶ姿が目に入って口に出てしまった。 「オリヴィアが食べてくれ」「イアン、違うの。プリンじゃなくて」 誤解を解こうとして、立ち上がったイアンの手を掴もうと手を伸ばすと、オリヴィアの細い指が掠っただけで、その手を捕らえる事は出来なかった。イアンが後に一歩後退ったからだ。 「オリヴィアに風邪をうつすといけないから──今日は別々に寝よう」 目を合わせずに、イアンからそう言われたオリヴィアはキュッと唇を噛み締める。夕立の前触れのように瞳が潤み出した。「別々に寝よう」と言ってオリヴィアに背を向けたせいで、イアンは知る由もなかった。「ど、どうしてそういう事言うの……?」(結婚してから一日たりとも欠かさずに同じベッドで眠っていたのに。私がイアンじゃなくてプリンを心配したから怒っているの……?) オリヴィアの悲痛な叫びはイアンの耳には入らなかった。 彼は、オリヴィアから「別れの挨拶」を「結婚記念日の朝に告げる」と宣言をされたと勘違いをしているのだ。あれもこれもユングがイアンの誤解を解
last update最終更新日 : 2026-08-15
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第52話 一緒に植えている花

 「カイロ領に行かれても、たまには戻ってこられるでしょう?」「戻りませんよ」「どうして?」 オリヴィアは思わず前のめりになって、強めに問い質してしまって、上目使いでサーレンを見上げた。 そうやって見上げてくる姿は庇護欲がそそられる。そんなオリヴィアにサーレンはただ優しげに微笑んだ。「カイロを立て直すには忙しく動き回るでしょうから。それに、私は身寄りがありませんからね」「お友達だっているし、イアンも寂しがるわ」と伝えると、演劇がもうすぐ始まる事を知らせるベルが鳴った。この時にやっと、アンから「行きましょう」とオリヴィアは話しかけられた。 まだ言いたい事があるオリヴィアだったが、サーレンから「それではレディ」と話を切り上げられてしまう。 オリヴィアは諦めて、サーレンにお辞儀をしてから彼の元を通り過ぎた。すると、サーレンから声をかけられてオリヴィアは後ろを振り返った。  「イアンと一緒に植えている花は育ちましたか?」「花?」「あの場所は水も豊富ですし、あの広さにきっと綺麗な花が咲くでしょうね」 一緒に植えている花なんてない。何の事を言っているのか訊き返そうとしたら「では、さよならレディ」と話を打ち切られてしまい、サーレンは来賓席に向かった。 そうしてオリヴィアとアンは観客席に赴き並んで座る。隣のアンは「先程はすみません」と、会話に助け船を出さなかった事をオリヴィアに謝罪していたものの、オリヴィアはアンの謝罪を聞いていなかった。 サーレンが言った「イアンと一緒に植えている花」なんて、存在しない。──サーレン様は何か勘違いをされているのかも。 (でも──)「水も豊富」「あの広さ」っていう単語が妙に引っ掛かる。 ブーっと演劇が開始される音が鳴り、広い噴水の周囲にあった土だけの花壇が、オリヴィアの脳裏を過った。 次の日、オリヴィアはアンの追跡を振り切って、結婚後に住む屋敷へ訪れた。 あの噴水の近くの花壇で汗で濡れた背中を見つけた。長袖を肘より上まで捲し上げてスコ
last update最終更新日 : 2026-08-15
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第53話 初の共同作業

  ツイっと右に移動したイアンの視線を辿ると、花が咲いていない苗が大量に並んでいた。「あれは全部ジャスミン?」「そうだよ。今から植えたら俺達の結婚式までには全部咲いていると思って。ここへ二人で住む頃には色とりどりなジャスミンが咲いているはずだ」(あれを一人で植えようとしていたの? どうして?)「オリヴィアが大好きだからだよ」 オリヴィアの問いは心の中で言ったつもりなのに声に出ていたみたいだった。 (どうして、イアンは私なんか好きになったのかしら……取り柄なんてないのに。帝国で穀潰しと罵られた日々を過ごしていたのに)『君を帝国の兵士から助け出した時、一目惚れしたんだ』 イアンはそう言っていた。『髪の色と、夕焼けのような瞳も好きだ』(目が腐っているんじゃないかしら……?) オリヴィアは母親が褒めてくれた髪と瞳の色を幼少時は大好きだった。──大好きだったのに、罵倒され、髪をぐちゃぐちゃにされ、自尊心を傷つけられた。そのせいで、銀色の髪を見るのが嫌いになって鏡を覗く事さえも憂鬱だった。 自分ではそう思っているのに、そう告白したイアンの表情は慈しみに溢れていて、オリヴィアは昔のワンちゃんを思い出す。あの頃から変わっていない微笑みを見て、オリヴィアの心臓は痛いくらい締め付けられた。 「本当は内緒にしたかったんだけど、バレちゃったね」 頬を赤く染めたイアンを見ると、頬が汚れている事にオリヴィアは気が付いた。 その汚れをじっと見つめていると、その視線にイアンは気が付いたようだ。「さっき触った時に汚れたかな」 軍手をはめた右手で頬を擦ったからか、汚れが余計に広がっただけだった。「私が拭いてあげる」「拭いてくれるの……? あ、ありがとう」「しゃがんで」と言うとイアンはゆっくりと腰を下ろす。同じ目線の高さになって彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。金色の瞳は蜂蜜が
last update最終更新日 : 2026-08-16
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第54話 女神の冠

 ※ オリヴィアは昼間、結婚記念日の計画に必要なものの一つ、『花冠』を用意する為に庭園で過ごした。庭師が手入れしているグゥイン公爵家の庭園は、レンガ色の石畳の道の左右に美しく整備された芝生があって、その芝生には左右対称で色彩豊かな花々が並んでいた。その先には涼やかな水飛沫を上げる丸型の噴水が広がっている。噴水を囲むように咲いている黄色、ピンク、白色のジャスミンのうちの白い花を摘んでから、オリヴィアはその噴水の低い石座席に座って花冠を編んだ。 ジャスミンを二本、垂直にクロスして、縦に置いたジャスミンにもう一本の茎を折れないように巻き付ける。それをひたすら繰り返しながら、オリヴィアはイアンと一緒にジャスミンの苗を植えた日を思い出していた。「──フフっ」 思い出し笑いをして、「私、イアンのことを本当に好きなんだわ……」とオリヴィアは再確認をした。一本一本花を編む度にイアンへの気持ちが胸に沁みて、愛しさが溢れ出すのだ。(イアンに伝えなきゃ――。いつも伝えられてばかりだから、私も同じだって伝えるの。少しでも貴方の想いに応えたいって、思ってる。それに、サーレン様に感謝をしなくちゃ) あの劇場で、サーレンから訊ねられなかったら、オリヴィアは今の生活を当然のように受け入れていたに違いないと思っている。多くの使用人達に支えられている事に、感謝一つせずに過ごしていたに違いない――イアンが汗と土にまみれて自分の手で花植えをしている姿を見て、屋敷の全ては、"誰か"の手で私達の為に準備されたものだって知る事が出来た。 (イアンに結婚記念日の朝に愛しているって言うわ。目が覚めて、一日の始めに瞳が映す|人《イアン》に。そして、イアンが初恋の人って告げるの。月夜のダンスを思い出してくれたら、嬉しいけど……)「私、言うわよ」宣言した方が良いかしら?「どうしましょうか」と首を傾けてオリヴィアは手を黙々と動かし続けた。 ジャスミンの花々を長く編んで、それから輪にした。重なる所を茎で結んで、余った茎を隙間に入れ込んで目立たないようにする。「完成だわ!」
last update最終更新日 : 2026-08-17
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