愛する妻が置き手紙一つ置いて家出をしました。~初恋を拗らせた旦那様は妻を取り戻したい~ のすべてのチャプター: チャプター 41 - チャプター 50

55 チャプター

第41話 守れなかった騎士

 「私の髪を編んで」と、ニコッと微笑んだ笑みは弱々しいものだったが、これ以上謝罪を続ければ更に暗い出来事を思い出させてしまうかもしれないと、アンは再度櫛を手にとってオリヴィアの髪を梳く。「……今日は髪を高く上げましょうか。外は暑いですから」「少しでも涼しくなるように」とアンは白銀の髪を器用に頭の高い位置で結んで、シニヨンスタイルにした。横から流れる前髪が色っぽさを演出する。 オリヴィアは満足したように笑った。アンもそんなオリヴィアを見て、「お似合いです」と笑みを浮かべた。顔色が若干戻ったようでアンは胸を撫で下ろす。「まるで、女神が地上に降りて、下層の人間達を慈愛に満ちた目で見つめるような、お佇まいです」「フフッ」と吹き出したオリヴィアが、あまりにも綺麗に笑うから。 アンは目頭が熱くなり、涙の跡を頬に残さないために、俯いた。  アンは心の中で理解していた。 オリヴィアが今こうして穏やかに過ごせているのは、大嫌いなあの男のお陰だと……あの男が、オリヴィア様を昔のように、笑う子に戻したのだ。 昔、自分の手だけで守れると思った。それはただの傲慢で、いつしか、オリヴィアが人質なのではなく、アン自身が人質になってしまい、立場は逆転していた。『お前の騎士と離されたくなければ、言う事を聞きなさい』『この白髪を庇ったりしたら、二度と騎士になれないようにしてやるわ』 それを何度無視して、あのクソ皇女たちと母親達を殺そうとしたか分からない。でも、ここで手を出してしまえば、誰がオリヴィア皇女を守るのか、という葛藤が生じた。奴らを殴れば気は晴れる。でもそれは一瞬で、その後永遠にオリヴィア皇女の傍に居る事は出来なくなる。『絶対に何があってもあの子の傍を離れないでね』 生前に私にそう言ったのはサラ女皇だった。 私が少しでも助けてしまえば、この約束は破られる事になってしまう。 例え、父が皇帝の弟でも、嫌われて辺境伯に婿入りさせられた父の立場は弱く、それと同様に私の立場は弱かっ
last update最終更新日 : 2026-08-01
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第42話 今年のイアンは様子が違う

  ※ イアンの覇気のなさは周囲が心配するレベルだった。 だからと言って、仕事が疎かになっている訳でもなく、書類は凄いスピードで捲られ、各部署から預かった領収書を元に作られた出納帳の記載は正しい。むしろ、陸軍第二部隊から提出された領収書の中に、不明瞭なものがあると気付いた程である。 手は動いているのに、目は明後日の方向を向いていた。手元を一切見ていないのに計算に狂いがない事にイアンの隣りに座るシェルフは恐怖を覚え、小鹿のように震えた。 国の英雄、国王の腹違いの弟、王位継承権はまだ放棄していない、そんな男が何を思ったのか、国王の前で「事務官になりたいです」とか言ったお陰で、英雄が国軍経理課へ異動してきた。 同じ軍人でも、事務官は体育会系というより文化系だ。彼が陸軍兵士だった頃の姿を知っていた為、体育会系の筋肉男が経理課へやってくる事に、事務官達は恐れ戦いた。 ──が、イアンが初出勤の日に全員へ挨拶をする姿を見て、思ったのだ。『ふつうに、イケメン好青年じゃね?』 陸軍兵士の頃は話し掛けにくいオーラだったにも関わらず、イアンの雰囲気は柔らかくなっていて、取っつき難さはなかった。しかも優秀で、仕事が早い。コミュニケーションはそつなく取れて、女性の扱いも上手だった。ガサツな男が多い中、サーレン将軍の次にイアンは紳士的だった。 そんなイアンともっと仲良くなりたいと思うのは当然の事だし、仲を深めようと、経理課の連中全員がイアンを飲みに誘ったが、彼は断ってばかりだった。「オリヴィアの顔を少しでも長く見たい」という理由だ。「婚約者を理由にするなんてもっと上手い断り方はないのか」と怒りを覚えはしたものの、二人の結婚式で、初めてオリヴィアを目にした時「そう思っても仕方ないな」と腑に落ちた。オリヴィアは十五歳という若さで幼さが残っていたものの、白いドレス姿は女神のようだった。腰まで伸びた長い銀色の髪をアップにせず、そのまま背中へ流していた。それは正解だったように思う。銀色の髪は、シルクをふんだんに使って仕上げられたドレスによく映えた。彼女が歩く度に髪とドレスが陽の光を反射し、式場が別世界のように煌めくのだ
last update最終更新日 : 2026-08-05
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第43話 ただの餌付けじゃん

(昨日と様子が違うんだけど? 『今年はいつもと違う四年目になる!』とか仕事中に訊いてもいないのに、僕に言ってきたよね?) 昨日と打って変わって、今日は目が死んでいるのだ。 シェルフは心配になって声をかけるも、聞いているのか聞いていないのか、生返事が返ってくる。恐怖を通り越して、イアンの様子が面白いと感じてきた頃にイアンから話しかけられてシェルフはペンを置いた。「話したそうなのに、話してくれず『何でもない』って言うのは、それって何かあるよな?」「まぁ、含みがある言い方だから、ある……とは思うぞ」 ブツブツ「そうか」と口の中で呟いていたと思うと、両肩を掴まれシェルフはヒッと悲鳴を上げた。イアンの目が血走っていて、正直怖い。「妻の様子がおかしいのは、悪いことの前兆か?」「うぇ、あっ」「俺は取り返しのないことをしたんだな?」「うっ、ひっ、あっ」「そうなんだな? 俺はしでかしたんだな?」「うっ、うぷっ」 一言も返事をしていないのにイアンは一人で完結して青褪めた。 肩を揺らされて、気持ち悪くなって吐き気を催したシェルフは周囲の人間に助けてもらおうと目を左右に動かすも、全員が瞬時に背を向けて「月末だから忙しいな……」とワザとらしく声を上げて書類整理をするのが見える。「そろそろ肩から手を退かしてくれ」と訴えようとしたが、イアンの悲痛に歪んだ表情を見てシェルフは何も言えずに口を閉ざした。「俺はどうしたら……」 昨日の花畑イアンを見ているせいで、目の前のイアンがあまりにも可哀想に見えてきて、シェルフはイアンの話を訊く事にした。「身に覚えは? その、何かしでかした、っていう」「犬を飼いたがっていたのに、断った」「は? それだけ?」「んな訳あるか」と続けたら、イアンに凄まれた。顔面が男前で彫りが深い分、迫力がある。一瞬怯みはしたが、シェルフは怯えずに話を続けた。「あのな、普通…&helli
last update最終更新日 : 2026-08-06
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第44話 妻をモノで釣らない方法

  その通りなので、イアンは何も言えず黙ってしまう。 イアンは、オリヴィアと再会してからの日々を思い返した。 オリヴィアと再会してからすぐの頃はぎこちなかったし、目も合わせてくれなかった。そんな彼女と少しずつ打ち解けていって、そこまで辿り着くのにシェルフの言う通り、貢ぎ物を沢山贈った。それが功を奏した訳ではないが、ちょっとずつ笑いかけてくれるようになって、プロポーズにまで漕ぎ付けた。 結婚してから「一緒のベッドで私のことを抱き締めて眠って欲しい」って言われた時は、イアンは死ぬんじゃないだろうか、と思いもしたが、そう言ってくれたということは、自分を信用に値する男だと認めてくれた、ということだ──嬉しかった。(心は開いてくれている筈だ。だが、それが100%かと言われると、断言出来ないのが現状だ……) オリヴィアはイアンと会話はしてくれる。食事中やベッドの中で、今日聞いた話や今日の出来事、読んだ本の内容──しかし、イアンとの生活をどう思っているかはオリヴィアの口から語られたことは一度だってなかった。(オリヴィアは自分の心中をオリヴィアの騎士、アンにだけしか語らない)「俺は本音で伝えている。それじゃ駄目なのか? 言葉にしたくないなら、それを言ってくれるまで待てば良いじゃないか」 アンと同じように打ち解けることが出来れば、オリヴィアはいずれ俺に何でも話してくれる筈だ。まだ自分がそこまで到達していないことなんぞ分かり切っている。オリヴィアとアンは長く一緒に過ごしていた分の絆がある。それを簡単に越える事は出来ない、と分かっているのだ。 オリヴィアが傍に居てくれるだけで、そして笑ってさえいてくれれば、それで良い。彼女には幸せになって欲しい、幸せにしたい。 あわよくば好きになって欲しい、なんぞ──そんな我儘は言わない。一度たりとも──「愛している」という言葉に返事がなくても構わない。(ただ、オリヴィアを傷付けたくないだけ、嫌われたくないだけなんだ)「でもな、お前らがオシドリ夫婦、っていうのは俺分かっているからさ……」
last update最終更新日 : 2026-08-07
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第45話 言葉より伝わる方法

  シェルフは首を捻った。イアンの目は至って真剣でふざけたことを言っているように見えなかった。「シェルフの話を聞くと、俺が読んだ本には、妻を喜ばせる為には、まず貢ぎ物をしろ、と書いてあった。しかし、その本の内容は間違いだったんだな。『妻を否定するな』と書かれていた本の内容も、間違いだったんだ」「おぉ……?」「貢ぎ物以外の方法で、オリヴィアをどう喜ばせたらいいかを、俺は知りたい」「そんな本……」(あるか……? そんな事よりこいつは、本を見て勉強してんのか? っていうか、妻を喜ばせる為に貢げとか、どんな本読んでんだ) 「そんなの歴代の彼女から学べば良いじゃん。何をしたら喜んだとか覚えてるだろ?」「俺はオリヴィア一筋だ。オリヴィア以外の女のことなんて知らん」(その言い方って……オリヴィアちゃん以外と経験した事ないってこと? 四年前まで童貞だったの?) イアンが陸軍兵士だった頃、本基地内で女性兵士から声を掛けられる姿を、シェルフは何度も目にしていた。当時は愛想がなくても、実力があって、男前とあれば当然の事だと思う。しかしイアンは据え膳を食わなかった。冷たくあしらう姿を何度も目撃した事がある。(……ってことは本当に)  疑惑が脳裏に浮かんだが、シェルフは首を横に振った。 (こんなイケメンが、経験人数一人とかの筈ねぇよ。僕が知らないところで、遊んでいる筈だ。でも、オリヴィアちゃん命だからな……あり得るのか……? でも、まぁ……一途ってことだよな。悪いことじゃない)(無駄な筋肉だな……) とシェルフは思ってしまった。その肉体にその顔面でモテまくるなら、僕は沢山の女の子と遊ぶ。「本はあるのか?」 イアンに再度訊ねられて、シェルフは腕を組んで考え
last update最終更新日 : 2026-08-08
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第46話 ふしだらなことはしない

 「身体でコミュニケーションを取るんだよ。セックスって意味! ベッドの中だと聞き辛いこととか訊けたりするし、素直になったりもするもんだろ? 相手に対してもっと愛情が増すだろ? そういったコミュニケーションはどうなんだ、って訊いてんの、俺は! そういうのでイアンは喜ばせているか? 一方的になったりしてないか?」 と、小声で早口に伝えてみる。 言い終わって満足して息を洩らしてからイアンの横顔を見ると、ポカンと間抜けな顔をしていてシェルフは面食らってしまう。何故、ここで間抜けな顔をするんだ、お前は。「おい」と呼びかけると、反応がない。暫くイアンの様子が戻るのを待っていると──ゆっくりとイアンの顔がシェルフへ向いた。彼は──青褪めていた。それはもう、真っ蒼に。(図星だったのか? 一方的なのか……?)  その体格で向かってこられると、怖いよな……とオリヴィアに勝手に同情しつつイアンに声を掛けた。「どうした、大丈夫か?」「俺はオリヴィアが嫌がることは一切しない」「おう」「ふしだらなことはしない」 きっぱり言い切ったイアン。 頭に疑問を浮かべるシェルフ。(嫌がることはしない、ってことは……今も拒否しているってことだよな……? てことは、清い関係じゃん) イアンはオリヴィアちゃん一筋、さっきの言動から女性経験はない……と予想される。(イアンの女性に対する振る舞いがサーレン元将軍のように紳士的だったのは、単に真似たんじゃなくて……女性の扱いが分からないからなのか?)「本の話に戻ろう。妻を喜ばせる為の本はあるか?」「『女性の扱い方』って本に詳しく書いてある」「雑念が入るから読んだことはない」(睦事のハウツー本だけど、それを読んだことがない……初心者用の教本を読んだことがない……っ
last update最終更新日 : 2026-08-09
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第47話 平和な世の将軍

  ※  その昔、ネロペイン帝国は直接スェミス大国に手は出さなかったが、代わりに支配下へ置いていた国の軍隊を利用しスェミスと同盟を結んでいる国へ侵略させていた。スェミスは同盟国を侵略から防衛する為に援軍を出し、帝国と直接ではない戦争を繰り広げてきた。帝国は他国を利用し、またスェミスへ直接手を下さずにスェミスの豊富な資源を狙い続けた。 帝国との戦争は長年続いていたが、直接武力衝突はなかった。しかし五年前、ついに直接武力衝突に至り、帝国は滅亡した。それから五年経過するが他国で小さな小競り合いはあるものの、今は大きな戦争もなく平和を保っていた。もう五年もスェミスの軍隊は戦地へ赴いていなかった。 そんな平和な時代の将軍となったユングは、どちらかと言えば身体を動かす方が好きだ。頭よりも身体を動かす方が得意である。しかし現状は自分が苦手とする事が一気に己に圧し掛かっていた。国軍の最高指導者と言っても平和な世の中になって指揮する戦争がまずない。書類整理に、他国との軍事防衛に関する政策や調整、外交──全て好きじゃなかった。外交はまだ良い、酒が飲めるからだ。でも書類に印鑑を押すのは苦手だ。押しても押しても次々と書類が持ち運ばれてくる。(サーレン将軍はあの時代を顔色一つ変えずに全部こなしていたから、やっぱり素晴らしい方だった) 将軍の座を退いて、辺境伯の称号を授かりカイロ領の領主となって国を出て行ってしまったあの方が憎い……玉座の間で褒美として受け取って、「陛下の命令だから」と、颯爽と国を出て行ってしまわれた……。(平和の世になったのは喜ばしい事だが、書類は見たくない) そう思いながら机に額をぶつけていた所にイアンはユング将軍の執務室に入った。「……ユング将軍、お忙しかったでしょうか?」 敬礼したイアンにユングは上半身を机から戻し答礼をした。「別に構わんぞ。暇だから」 机の上に列をなして並ぶ大量の書類はどう見ても「暇」には見えないのだが、イアンは気にする事はなくユングに促されるままソファへ腰を下ろした。
last update最終更新日 : 2026-08-10
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第48話 妻は離婚をしたい?

 イアンはシェルフに話したのと同じ内容をユングへ話した。今朝のオリヴィアの様子に、オリヴィアに喜んでもらう為に何を参考にしたら良いか──。「犬なんですが……実は犬をサプライズの為に用意していて。当日、プレゼントをしたら、彼女の気持ちが落ち着くかなと思うんです」「ふむ」「今朝の様子は俺のただの勘違いだった、ってなるじゃないですか」「ふむ」「でも、先程シェルフから『貢ぎ物は餌付けと変わらない』みたいな事を言われました。確かに物で釣るような行為は良くない、彼がいう事は一理あると思って、貢ぎ物をせずオリヴィアに喜んでもらいたいのですが、俺は何を参考にしたらよいでしょうか?」「ふむふむ」「──ユング将軍、訊いておられますか?」「ふむ! 聞いている!」 そう叫んでユングは両膝を叩いた。 ただ頷いているだけのユングをイアンは訝し気に見つめたが、「聞いてるって」と笑う。彼が笑窪もなくこうやって笑う時は話を誤魔化す時だと陸軍時代に長い間彼の部下だったイアンは知っていた。 「私は真剣に悩んでいるんです。結婚生活が長いユング将軍にご教授願いたく」「ちゃんと聞いてるって! イアンの嫁さんが、今朝言いたかった事は犬の事じゃないと俺は思うぞ」「なんだとお思いですか!? 私はそれくらいしか思いつかないんです」「教えても良いが」 急に真剣な面持ちになったユングにイアンは身を乗り出して、ゆっくりと頷いた。「知りたいんだな? 本当に良いんだな?」「はい──私はオリヴィアの不安を一つでも拭ってあげたいんです」「そうか──お前にそれだけの覚悟があるんだな」「分かった」と重く低い声で言葉を発したユング。 そんなユングの言葉を固唾を飲んで待つイアン。「グゥイン公爵夫人はお前と離婚をしたいと考えているんだ──……」 しん──……。 時計の音しか拾わない。この部屋は防音防壁だ。外の音は
last update最終更新日 : 2026-08-11
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第49章 俺が可愛くないから!

 『お帰りはいつになりますか?』 ──今日はいつ頃帰るか訊ねて、夕食時にでも言いましょう。『明日は何時頃に帰りますか?』 ──今日言えなかったら、明日。じゃあ何時頃のお帰りになるかしら?『明日は何時ごろに寝ますか?』 ──もしも言えなかったら……流石に結婚記念日前日には言いましょう。寝る前とか。『記念日の夜は?』 ──寝る前にも言えなかったわ。じゃあ記念日の夜、寝る前に言いましょう。(いつ俺に離婚を言い出そうかと、悩んでいる……?) 『イアン──私と離婚して下さい』 (あの美しい声音で言われるんだ。残酷過ぎる……! ……この三年間と三百六十三日で、俺はオリヴィアの心の憩いの場所になる事は出来なかったのか。オリヴィアを俺から解放してあげた方がむしろ幸せなのか……?) 彼女の口から「幸せ」と言われた事は一度もない。(彼女の願いを叶えてあげなかった……俺が犬を飼ってあげなかったことが原因では? あれがオリヴィアに最終決断を下させるきっかけになったんじゃないか? でも、本当は用意してあるんだ。あの時、サプライズなんて考えずに、あの場で黒い仔犬を探しに家を出て行ったら……違う結末になっていたんじゃないか?)「過去の自分に戻りたい……」 呻くように呟いて頭を抱えながらソファに倒れたイアンに、ユングは手を伸ばした。(ここまで動揺するとは) 正直なところ、どうしてオリヴィアがイアンに帰宅時間や就寝時間を訊ねたかなんて本人じゃなきゃ分らぬ事だし、本なんて読む必要がないのだ。人に意見を求める必要も、本に答えを探す必要もない。自己啓発や占いの結果の本は、誰にでも当てはまるような事を提示してあって、自分に当てはまると錯覚してしまう。 単にイアンはオリヴィアに直接訊ねるのが怖くて、他人に意
last update最終更新日 : 2026-08-12
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第50話 同じ琥珀色の瞳

  ※   スェミス大国の陛下──イアンの兄から賜った屋敷にイアンとオリヴィアは住んでいる。 玉座の間でロイドから結婚の許可を貰ったがオリヴィアがまだ結婚が出来る年齢には達していなかった。 オリヴィアが十五歳を迎えるまでの一年の間に屋敷は急ピッチで整備され、家具が次々と用意され人が住める状態となっていった。それから身元が確実な人達をイアン直々に厳選して使用人を雇いいれた。屋敷はたった半年で人が住める状態となり、若い夫婦を支える使用人達が揃った時、オリヴィアはイアンから使用人達を一人一人丁寧に紹介された。緊張したものの、皆からは朗らかで優しそうな印象を受けた。最後に紹介されたターニャは表情を崩さずオリヴィアは一番緊張したものの、挨拶の締めで「これから宜しくお願いします」とフワッと笑った時、皆と仲良くやれそう、と思え、それからターニャを好きになった。だって、その笑顔が十七歳のイアンの笑顔に似ていたから。 屋敷内を紹介され、庭園も案内された時、噴水の周囲だけ寂しい雰囲気だったのがオリヴィアは気になった。そこだけ空の花壇で土だけだったからだ。 その場所の正体を知ったのは、イアンから屋敷を案内されて三日後の夜だった。 「今まで出来なかった事を体験させたい」というアンの想いの元、オリヴィアはアンに連れられて首都の劇場を訪れた。 夜だと言うのに観劇に訪れている人が多く、熱気に溢れた人々を見る事に夢中になって、観客席へ向かっていると、貴賓席の出入り口前に見慣れた男が立っている事に気が付いた。どうやら向こうもオリヴィアに気が付き、男は微笑みを浮かべてから会釈をした。「サーレン閣下」  ドレスの両端を摘まんで会釈をすると頭上から低いけど穏やかな声音が降りてきた。 「私はもう将軍を引退しましたから閣下ではありませんよ」「では、なんとお呼びしたら……?」 ゆっくりと顔を上げたら、声と同じ雰囲気を纏うサーレンがいた。 彼はスラリとして背が高かった。体格が良いイアンを見ているからか小さいように感じていたものの──イアンよりも高
last update最終更新日 : 2026-08-13
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