《誕生日の夜、恋人と家族に見捨てられ、偽物の姉に人生を奪われた本物の令嬢は、復讐のために生き直す》全部章節:第 71 章 - 第 80 章

109 章節

第71話

修は有言実行の男だった。その日の夜、さっそく昴のもとを訪れた。 昴の怒りも、この数日でいくらか収まってはいた。しかし父親としての面子もあり、自分から許しを与えるわけにはいかない。そこへ修が絶好の口実を運んできたため、渡りに船とばかりにこう告げた。 「修くんが直々にお越しくださったのです。今回の件は、これで不問としましょう」 だが、修はすぐには席を立たなかった。 数秒の沈黙のあと、言葉を慎重に選ぶように口を開く。 「一つ、お聞きしたいことがあります。澪は……その、何か体に問題を抱えているのでしょうか」 書類をめくっていた昴の手が止まった。 ゆっくりと顔を上げ、鋭い視線を修へ向ける。 「なぜ、それを知っているのですか」 修の喉が小さく上下した。 さっき澪に無理やりキスをし、パニック発作を起こさせてしまったなどとは、口が裂けても言えない。 修は視線を逸らし、曖昧に言葉を濁した。 「ええと……偶然、気づきまして。彼女、身体に触れられることに異常なくらい敏感なんです。少し触れただけでも、ひどく取り乱していました」 昴は眉をひそめたまま、何も答えなかった。 実のところ、澪にそんな症状があることなど、彼自身も初めて知ったのだ。 だが二人は知る由もなかった。 このとき綾音が廊下に立ち、書斎で交わされた会話を一言一句逃さず盗み聞きしていたことを。 ――身体的な接触に異常なほど過敏。 
last update最後更新 : 2026-07-26
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第72話

だが彼は慌てて身体を隠そうとはしなかった。 まるで、自分の裸を見られたことなど少しも気にしていないようだった。 少しだけ面白がるような声音で言う。 「ドアノブ……壊れるかと思ったよ、澪お嬢様」 その言葉で、澪はようやく我に返った。 慌ててドアノブから手を離し、大きく一歩後ずさる。 危うく自分の足にもつれて転びそうになった。 「ご、ごめんなさい!私、てっきり――」 「てっきり、何?」 鷹斗は身体ごと彼女へ向き直った。 小麦色の胸板を惜しげもなくさらし、シャツを肩に引っ掛けたまま小首を傾げる。 「私がもう帰ったとでも思った?」 澪の視線は言うことを聞かず、ほんの数センチ下へ滑った。 きれいに割れた腹筋に一瞬目を奪われ、すぐに弾かれたように顔を背け、ぎゅっと目を閉じる。 「ご、ごめんなさい!着替え中だなんて知らなくて!わ、私、外で待っています!」 そのまま逃げ出そうと背を向けた瞬間、 「お嬢様」 鷹斗に呼び止められた。 澪の足は、その場に縫い付けられたように止まる。 「振り返って」 低く落ち着いた声だった。不思議と逆らえない引力を帯びた声。 澪は唇を噛み、ゆっくり振り返った。 だが視線だけは必死に床へ固定し、決して上へ向けようとはし
last update最後更新 : 2026-07-27
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第73話

「私が信じているのは、あなたの腕です。プロとしての」 澪は鷹斗をまっすぐ見つめ、真剣な表情で言った。 「あの日、療養施設で私を助けてくださった時の応急処置、とても手慣れていましたから」 「腕がいいことと、人柄がいいことは別問題だよ。優秀な医者の中にも、倫理観の欠けた人間はいくらでもいる」 鷹斗は肩をすくめた。 「……水を差すようで悪いけどね」 「いいえ」 澪は視線を伏せ、どこか寂しげに微笑んだ。 「おっしゃる通りです。私の考えが甘かったんだと思います」 その一瞬、鷹斗は彼女の目尻にかすかな陰りを見つけ、胸の奥がふっと和らぐのを感じた。 「率直に言わせてもらうよ。私たちは知り合ってまだ日が浅い。せいぜい顔見知り程度の関係だ。そんな大事な薬の成分鑑定を私に任せようとするのは、少し無防備すぎるんじゃないかな」 澪は顔を上げ、少し無理をして笑みを浮かべた。 「仕方ないんです。信じるしかありませんでした。あなた以外に頼れる人が思いつかなくて……一か八か賭けるしかなかったんです」 鷹斗は複雑な表情で彼女を一瞥したが、それ以上は何も追及しなかった。 彼は車を路肩に寄せて停車させ、しばらく沈黙したあとで口を開く。 「君は運がいい。ちょうど薬の成分を調べられる知り合いがいる」 澪の瞳がぱっと輝いた。 「本当ですか!?」 鷹斗は答える代わりに、上着の内ポケットからスマートフォンを取り
last update最後更新 : 2026-07-27
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第74話

土曜日の午後、深田町にある『N5カフェ』。 澪は待ち合わせの二十分ほど前には店に着いていた。 窓際のボックス席に腰掛け、時折スマートフォンに目を落としながら、静かに相手を待っていた。 午後四時四十七分。 入口のドアベルがチリンと涼やかな音を立てる。 鷹斗が店内へ入ってきた。 ダークグレーの薄手のジャケットを羽織り、手にはクラフト紙の封筒を提げている。 彼はまっすぐ澪のもとへ歩み寄ると、向かいの席に腰を下ろした。 「早いね」 そう言って封筒をテーブルへ置き、彼女の前へ滑らせる。 「ほら。頼まれていた報告書だ」 澪が手を伸ばしかけた、その瞬間だった。 カフェのドアが勢いよく開き、制服姿の警察官が二人入ってきた。 二人はそのままテーブルまで歩み寄ると、警察手帳を提示した。 「望月鷹斗さんですね。偽造薬販売の容疑で通報がありました。署までご同行願います」 ――偽造薬? 澪の手が宙で止まる。 「何かの間違いじゃありませんか!」 彼女は弾かれたように立ち上がり、考えるより先に鷹斗の前へ立ちはだかった。 「鷹斗さんがそんなことをするはずありません!」 先頭の警察官が眉をひそめる。 「お嬢さん、公務執行の妨げはご遠慮ください」 「証拠はあるんですか!」&
last update最後更新 : 2026-07-28
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第76話

澪は自室へ戻ると、静かにドアへ鍵をかけた。 ドアにもたれかかって深く息を吸い込み、上着のサイドポケットから小さく折りたたまれたメモを取り出す。 指二本ほどの幅しかないその紙片には、水性ペンで短い文字が書かれていた。 ――虹見駅・東口コインロッカー C-127暗証番号:0421 メモを握る指先に、思わず力がこもる。 胸の奥では、心臓が早鐘のように激しく打っていた。 鷹斗は最初から分かっていたのだ。 今日、何かが起こることを。 だから綾音の抜き打ち検査を見越して、わざと封筒には祖母の偽の報告書を忍ばせ、本物は別の場所へ隠していた。 澪はメモを胸に抱きしめ、長く息を吐き出した。 鷹斗。 これからも、あなたを信じていいのよね。 翌日、日曜日の午前。 澪は深くベースボールキャップをかぶり、マスクを着け、ごくありふれたキャンバストートを肩に掛けて虹見駅の雑踏へ紛れ込んだ。 東口のコインロッカー周辺を二周ほど歩き、知った顔がいないことを慎重に確かめてから、C-127番のロッカーへ向かう。 暗証番号を入力すると、カチッという小さな音とともに扉が開いた。 中に入っていたのは、昨日目にしたものとまったく同じ、ごく普通の茶封筒だった。 澪はそれを素早くトートバッグへしまい、足早にトイレへ向かう。 個室へ入り、鍵をかけてからようやく封を切る。 中から現れたのは、三枚のプリント用紙。
last update最後更新 : 2026-07-29
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第77話

男は再び沈黙した。 ようやく口を開いた声は、押し殺したように低かった。 「ああ。成分分析をしたのは俺だ。嬢ちゃんが何を聞きたいのかも分かってる。だがな、今この国でその薬を手に入れる方法は一つしかない。裏の闇市場だ」 澪の呼吸が一瞬止まる。 男は続けた。 「そして、その闇市場全体を牛耳っている巨大な暴力団組織がある。そいつらの名は――『青龍会』だ」 青龍会。 まったく聞き覚えのない名前だった。 男の声が澪を現実へ引き戻す。 「鷹斗がパクられたのも、おそらくそれ絡みだ。あいつの動きが、どこかの誰かの逆鱗に触れたんだろう」 スマートフォンを握る澪の指先は、白くなるほど力が入っていた。 男の声はいっそう低くなり、誰かに聞かれることを恐れているようだった。 「嬢ちゃん。今あんたが見ているのは、氷山の一角にすぎない。嫌な言い方になるが、忠告しておく。 これ以上、この件には首を突っ込まないほうがいい。 S-77の裏には、とてつもない利権を抱えた連中がうごめいている。これ以上嗅ぎ回れば、逮捕どころの話じゃ済まない。 あんたが鷹斗を巻き込み、本来あいつが踏み込むはずのなかった渦の中へ引きずり込むことになる」 澪は個室のドアにもたれ、静かに目を閉じた。 足元から押し寄せる波のような罪悪感が、胸の奥をじわじわと満たしていく。 警察が踏み込んできたあの時。 鷹斗が見せた、まるですべてを予想していたかの
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第78話

文化祭当日。大講堂の舞台裏にある楽屋。 綾音は化粧鏡の前に座り、三、四人の生徒に囲まれていた。ドレスの裾を整える者、耳元の髪飾りを直す者。鏡の脇のテーブルには、一足のガラスの靴が大切そうに置かれている。 それはただの舞台小道具ではない。昴が今回の舞台のためだけに、海外のオートクチュール工房へ特注した限定品のガラスの靴で、表面には繊細なラインストーンが散りばめられていた。 「綾音さん、この靴、本当に素敵ですね!」 そばにいた演劇部の女子生徒が感嘆の声を上げる。 「本当ですよ!修さんと並んだら、美男美女でまさにお似合いのカップルです!」 綾音の唇に、完璧な笑みが浮かんだ。 軽くドレスの裾を揺らせば、純白の衣装は咲き誇る白薔薇のように華やかに広がる。鏡に映る自分へ向かって緩く巻いた髪を払うと、精巧な髪飾りがきらりと光を弾いた。 その一方、楽屋の隅では澪が一人、パイプ椅子に腰掛けていた。 身にまとっているのは深紫色の悪役令嬢の衣装。しかし、生地は粗く、袖口に刺繍された鈍い金色の薔薇模様も、ところどころほつれている。 彼女の周りに人はおらず、髪を整えてくれる者もいない。長すぎるドレスの裾を安全ピンで留める作業すら、自分一人でこなさなければならなかった。 その時、カーテンが開き、修が入ってきた。 彼の視線は綾音を囲む人だかりを越え、真っ直ぐに隅の澪へ向けられる。 大股で歩み寄り、彼女の前で立ち止まると、見下ろすように問いかけた。 「おい、準備はどうだ」 「うん」 澪は安全ピンを留める作業に夢中で、修に目を向けるこ
last update最後更新 : 2026-07-30
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第79話

廊下には人影ひとつなかった。 修は舞台袖へ向かって早足で進み、角を曲がったところで急に足を止める。 澪の姿が目に入ったからだ。 彼女は舞台袖の陰に立ち、その隣には千尋と理奈がいた。 千尋は澪の襟元のしわを丁寧に整えている。その手つきは、壊れやすい磁器でも扱うかのように優しかった。 理奈は壁にもたれ、スマホの画面を素早く操作している。 その光景を見た瞬間、修の胸に言いようのない怒りが噴き上がった。 それは先ほど楽屋で覚えた苛立ちとは比べものにならないほど激しかった。 彼は大股で歩み寄ると、千尋の手首を乱暴につかみ、澪のそばから引き離した。 「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」 強く引かれた千尋はよろめき、危うく転びそうになる。 「何するのよ!手を上げる気?」 理奈が眉をひそめ、一歩前へ出て千尋をかばうように立ちはだかった。 修は鼻で笑い、澪と千尋を二度ほど見比べる。 「何する、だと?ここは舞台スタッフ専用エリアだ。こいつのどこがスタッフなんだ?こんな場所でご機嫌取りとは、少しは空気を読め」 理奈の眉間に刻まれた皺がさらに深くなる。 「どこがご機嫌取りなのよ。性根が曲がってるのは、あんたの方でしょ――」 「修の言う通りですわ」 廊下の向こうから、甘ったるい声が流れてきた。 ガラスの靴をカツ、カツと鳴らしながら、綾音が歩いてくる。 ドレスの裾
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第80話

舞台上では、一本のピンスポットライトが鋭い剣のように中央を切り取り、真昼のような白い光で照らし出していた。 配信画面には、弾幕コメントが滝のように流れ続ける。 事前に仕込まれていたネット工作員の煽りもあり、「#悪役令嬢の真の顔#」のハッシュタグは、すでに校内SNSのトレンド上位に躍り出ていた。コメント欄は、ほぼ一方的な罵倒で埋め尽くされている。 【美佳子マジでキモい】 【こんな奴が令嬢とかありえない】 【雪乃ちゃん可哀想。あんな女にいじめられて】 【直樹、さっさと美佳子を捨てて雪乃と駆け落ちして】 だが、舞台上の澪は、そのすべてを意にも介さなかった。 彼女は舞台の左手に立ち、粗末な深紫色の衣装をまとっている。袖口に刺繍された鈍い金色の薔薇が、スポットライトを浴びて冷たく輝いていた。 その演技は、誰の予想をもはるかに超えていた。 台本に書かれた悪役令嬢の辛辣な台詞でさえ、彼女の口から紡がれると、胸を締めつけるような、冷たく押し殺された悲しみを帯びる。 「私が、こんなものを望んでいたとでも?雪乃から宝石を、舞踏会を、そして婚約者まで奪い取ったのは、それらを愛していたからだとでも?」 彼女は向かいに立つ、修の演じる直樹を静かに見つめた。 決して大きな声ではない。それでも、その声は講堂の隅々まで澄み渡って響いていく。 一歩踏み出すたび、ピンスポットライトも彼女を追うように静かに移動した。 「愛してなんていないわ。私が欲しかったのは、そんなものじゃない。私はただ……見つけてほしかっただけ」 
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