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All Chapters of 7年越しの復讐契約: Chapter 31 - Chapter 40

49 Chapters

第十六話法廷の嵐

弁護人資格の、一時停止。わたしは明朝の法廷に立てない。玲二の弁護人席は、空席になる。「九条の手だ」玲二の声が低かった。「お前という最大の駒を、盤に上がる前に外した」巧妙だった。あまりに。綱紀委員会を動かしたのは、表向きは「氷室澪が証拠を偽造した」という匿名の告発。その告発者の名を見て、わたしは凍りついた。——朝霧詩織。継妹が、最後の一突きを刺してきた。九条に「氷室夫人にしてやる」と唆され、わたしの証拠を「夫の事件で妻が捏造したもの」と証言した。わたしが組み上げた三枚を、一夜にして“信用できない毒樹の果実”に変える、たった一つの楔。法廷は二時間後に始まる。弁護人のいない被告人・玲二の前で、颯太が淀みなく有罪を立証していく。証拠を出そうにも、出す資格を奪われた。外部分散の保険さえ、いまや裏目だ——「資格を停止された弁護士が、世論を脅しに使って圧力をかけている」と、逆に描かれかねない。わたしは詰んだ。七年研いだ刃を、鞘から抜く前に叩き落とされた。玲二がわたしの肩に手を置いた。「澪。俺はいい。お前はここで退け。資格を失えば、父君の再審もできなくなる。お前まで——」「黙って」声が震えた。怒りでも、恐怖でもなかった。雨の夜、三百人の前で捨てられた、あの夜の感覚が戻ってきていた。何も守れない女。お父さんのときも、そうだったでしょう——詩織の囁きが、耳の奥でこだまする。わたしは椅子に座り込みそうになった。ここまでだ、と思った。あの男は、わたしの想定の二手先にいた。——そのとき、スマホが鳴った。非通知。出るべきではなかった。けれど出た。「もしもし」『……お姉ちゃん』詩織だった。泣いていた。『ごめん。ごめんなさい、お姉ちゃん。わたし……告発、したの。お祖父様に、そうすれば氷室の家に入れてやるって言われて。でも、さっき……颯太さんに、電話で言われた。「お前はもう用済みだ。証言が済んだら、お前も消える番だ」って。笑いながら。……わたし、駒だったの。お姉ちゃんを刺すための、使い捨ての』世界の、軋む音がした。『お姉ちゃん。わたし、持ってるの。三年前の、録音。颯太さんとお祖父様が「崖の件は処理した」って話してるのを。怖くて、ずっと隠してた。お守りみたいに』詩織の声がすがるように細くなった。『——これ、まだ、間に合う?』わたしは立ち上がっていた。
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第十七話妹

午前八時四十分。公判まで、二十分。わたしは詩織と、裁判所の地下の喫茶室で向き合っていた。七年ぶりに、まっすぐに。奪われ続けた七年だった。この女に、父の死後の居場所を、婚約者を、弁護士資格を、何度も。憎しみは骨の髄まで沁みている。許せるわけがない。「なぜ、わたしに渡すの」わたしは訊いた。冷たく聞こえたかもしれない。「あなたはわたしを刺した。今朝、刺したばかりよ」詩織は両手で顔を覆った。「お姉ちゃんが、いつも、まっすぐだったから」嗚咽の隙間から、言葉が漏れた。「お父さんが死んでも、殺人犯の娘って言われても、絶対に折れなかった。わたしには、それができなかった。だから……欲しかったの。お姉ちゃんの持ってるものを、ぜんぶ。そうすれば、お姉ちゃんになれる気がして」——ああ、と思った。この女は、ずっとわたしを憎んでいたんじゃない。なりたかったんだ。なれなくて、奪うことしかできなかった。歪んでいる。歪んでいるけれど、それはわたしがいちばんよく知っている飢えだった。父を奪われた人間の、飢えだった。「録音を」わたしは手を差し出した。「証人として、法廷に立てる? 立てば、あなたは九条を裏切ったことになる。颯太の言うとおり、“消される番”が本当に来るかもしれない」詩織の手が震えた。それでも、彼女は鞄からレコーダーを取り出した。「立つ」涙でぐしゃぐしゃの顔で、彼女は言った。「お姉ちゃんの、妹として。……最後に、一回だけ」わたしはその手を取った。許したわけじゃない。七年は、そんなに軽くない。だがいま差し出された手を振り払えるほど、わたしは強くも、冷たくもなかった。「資格を停止されたのは、わたし」わたしは立ち上がった。頭の芯が、また氷のように冴えていく。「でも、弁護人はわたし一人じゃない」隣に、玲二がいた。「弁護人の追加選任を、開廷直後に申し立てる」わたしは言った。「主任は別の弁護士に立ってもらう。わたしは資格停止中でも、“証人”にはなれる。証拠の入手経緯を、証言台から語れる。——詩織の録音と、桐生の証言と、颯太自身の通行記録。三枚を、別の口から法廷に入れる」九条はわたしという駒を盤から外した。だが駒を外された盤の上に、わたしは別の三人を立たせる。父も、恩師も、継妹も——あの男が踏みつけてきた人間たちを、ぜんぶ。「行きましょう」わたしは詩織を見た。生まれて初めて
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第十八話法廷

東京地方裁判所、第一〇四号法廷。被告人席に、氷室玖二。検察側主任に、九条颯太。傍聴席の最前列に、車椅子の老人——九条嗣道が勝者の顔で座っている。弁護人席には、わたしが立てた追加選任の弁護士。そしてわたしは傍聴席ではなく、証人として廊下に控えていた。颯太の冒頭陳述は完璧だった。動機、機会、状況証拠。氷室玖二が兄を憎み、総帥の座を奪うために崖から突き落とした——三百人の前でわたしを切り捨てたときと同じ、淀みない弁舌で。開廷十分後、弁護側が新証拠の取り調べを請求した。「異議あり」颯太が即座に立った。「弁護側の証拠は、氷室玖二の妻——資格を停止された弁護士・氷室澄が収集したものだ。証拠偽造の調査対象者が集めた証拠に、証拠能力はない」来た。九条の本命の一手。わたしを毒の源にして、三枚すべてを枯らす狙い。弁護人が静かに答えた。「では、収集者本人を証人として尋問します。証拠の入手経緯を、宣誓のうえ本人の口から明らかにします。偽造でないことは、経緯が証明します」わたしは証言台に立った。宣誓し、語った。父が湖畔の小屋に七年前から託していたデータを、どんな言葉の手がかりで見つけ、どう奪取したか。一切の捻造の入る余地がない、その経緯を。法廷は水を打ったように静まった。経緯が具体的であればあるほど、偽造の主張は痩せていく。颯太の額に、汗が滲み始めた。「次の証人を」弁護人が言った。「桐生章吾」老いた恩師が証言台に立った。そして七年の罪を、すべて認めた。自らの破滅と引き換えに。「私は九条嗣道に脅され、朝霧誠一を嵌めました。そして三年前、九条颯太が氷室玖一氏を崖から突き落とすのを、この目で見ました」傍聴席の老人の、組んだ手が初めて動いた。颯太が立ち上がった。「桐生の私怨です。証言は信用できな——」「では、物証を」弁護人が一枚の記録を示した。「事故当夜、深夜二時。現場へ続く唯一のインターを通過した、九条颯太検事の公用車の通行記録。聞き込み先は、現場から十分の無人の漁港。深夜二時に、誰に、聞き込みを?」法廷がざわめいた。颯太の口が、開いて、閉じた。「最後の証人を」弁護人が言った。「朝霧詩織」颯太の顔から血の気が引いた。
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第十九話三枚の証拠

詩織が証言台に立った。七年、わたしから奪い続けた女。今朝、わたしを刺した女。その手が震えながら、レコーダーを掲げた。颯太と九条嗣道の肉声が、法廷に響いた。三年前の、あの夜の会話。『——崖の件は、処理した』『玖一は、どこまで掘んでいた』『氷室の社印の件まで。朝霧の娘に渡る前に、潰しました』法廷の空気が凍りついた。颯太が立ち上がった。「黙れっ、それは……っ」その狼狽が、何よりの自白だった。そして——傍聴席の老人が初めて、口を開いた。「弁護人」九条嗣道の声は静かだった。半世紀、影から国を動かしてきた男の声。「その録音は、いつのものかね。三年前。録音の同意は? 違法に取得された会話は、証拠から排除される。それがこの国の法だ。——私が作った法だ」最後の一手。違法収集証拠の排除。録音を、法廷から消す。だがわたしはその一手を読んでいた。弁護人がわたしを見た。わたしは証言台から、静かに告げた。「九条さん。その録音単体なら、おっしゃるとおりです」わたしは言った。「でも、わたしは録音“だけ”を出していません。録音は、桐生氏の証言と、颯太検事の通行記録を、相互に裏づける一枚として出した。三枚は、互いに独立した経路で、互いを証明し合っている。一枚を排除しても、残る二枚が、排除された一枚の内容を、間接事実として立証します」一拍。「あなたが教えてくれた手口です。一枚の証拠は潰せる。でも、独立した三枚は潰せない。——七年前、あなたは父を、一枚のアリバイ潰しで葬った。今日のわたしは三枚で来ました」九条嗣道の、底の見えない目が、初めて——揺れた。「それと」わたしは続けた。「この法廷の外に、同じ三枚が複製されています。全国紙、日弁連、地方検察庁。わたしの合図が途絶えれば、自動で公開される。あなたが今、この法廷で何を排除しようと、外の三枚は止まらない。あなたが半世紀握り続けてきた“静けさ”は——今朝、もう、終わったんです」これは、弁護ではなかった。交渉だった。父が拒み、殺された取引。それをわたしは立場を逆にして、逃げ場を完全に塞いだ上で突きつけていた。半世紀、司法を操ってきた男は、自分が作り上げた法廷で、自分が築いた証拠の作法によって、初めて追い詰められていた。その日、すべてが、覆った。
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第二十話契約の終わり

氷室玖二は無罪。実兄殺害の真犯人として、九条颯太がその場で緊急逮捕された。九条嗣道には、贈収賄、証拠隠滅教唆、殺人教唆——半世紀分の罪状の捜査が始まった。彼の“静けさ”を恐れぬ検事たちが、地方から続々と動き出した。わたしへの綱紀調査も、告発が虚偽だったと判明し、撤回された。そして——朝霧誠一の再審が決定した。横領も、口封じの殺人も、その濡れ衣のすべてが晴れる道が開いた。七年。わたしはようやく、父の無実を証明した。法廷を出ると、雨が上がっていた。あの夜、わたしを捨てた雨と、同じ七月の空。けれど今日は、雲の切れ間から光が射していた。詩織が人混みの端に立っていた。証言を終えた継妹は、何かを言いかけ、結局、小さく頭を下げて去っていった。許しは、まだ遠い。けれど七年で初めて、わたしたちは同じ側に立った。それは、ゼロではなかった。玖二が隣に来た。もう、被告人ではない。もう、わたしが滅ぼすべき男でもない。「契約は」彼が静かに言った。「もう、お前を縛らない。父君の無実は証明された。お前は自由だ。氷室の名を捨てて、どこへでも行ける」七年越しの復讐は、終わった。契約は、その役目を終えた。わたしは鞄から一枚の紙を取り出した。あの夜、署名した契約書。三年、妻になれと記された、あの一枚。そして彼の目の前で、それを二つに破いた。「これで、契約は消えた」わたしは破片を見せた。「あなたがわたしに求めた二つ——弁護人として隣に立つこと、敵の懐に入ること。どちらも、もう果たした。契約は、ない」玖二の、氷の目が揺れた。「だから、ここから先は」わたしは彼の手を取った。雨上がりの光の中で。「契約じゃなく、わたしが自分の意志で言う。——もう一度、結婚して。氷室玖二。今度は、三年の期限も、報酬の一枚もなしで」長い、ながい沈黙のあと。氷の総帥が、初めて、何の計算もない顔で笑った。「条項は?」彼がかすれた声で訊いた。「ひとつだけ」わたしは答えた。「——もう、ひとりで盤に立たないこと。二人で立つこと」彼の腕が、わたしを抱き寄せた。今度は、宙で止まらなかった。七年前、わたしを生かしたのは、復讐だった。七年後、わたしを生かすのは——もう、復讐じゃ、なかった。〔第一部・完〕
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第七話ひびの入る氷

その夜、氷室の邸が襲われた。侵入者は三人。プロだった。警報を切り、佐伯を昏倒させ、東棟へ——わたしの部屋へまっすぐ向かってきた。狙いは明らかにわたしだった。最初の男がドアを開けた瞬間、わたしは机上のスタンドを投げつけ、廊下へ逃げた。法律は学んだが、格闘は知らない。心臓が喉まで上がる。背後で足音。捕まる——と思った刹那。西棟から影が飛び出した。玲二だった。わたしは彼の戦う姿を初めて見た。氷の総帥は盤上で人を殺すだけの男ではなかった。三人を無駄のない動きで沈めていく。最後の一人がナイフを抜き、わたしへ向かってきたとき——玲二は自分の腕でそれを受けた。鮮血が白い壁に散った。「玲二っ」侵入者たちが消えたあと、わたしは震える手で彼の腕を縛った。傷は深かった。彼はわたしのために刃の前に身を入れた。契約上の妻のために。愛も要らないと言った男が。「なぜ」声が震えた。「契約なんでしょう。わたしは駒なんでしょう。なのになぜ——」「黙って巻け」玲二は顔を背けた。だが彼の鼓動がわたしの指先に伝わってきた。氷の男の、人間の鼓動が。その夜、わたしたちは初めて契約書のない言葉を交わした。玲二は兄のことを話した。氷室玲一——三年前、"崖からの転落事故"で死んだ兄。だが、と玲二は言った。「兄は死ぬ前の半年、ある不正を追っていた。氷室グループの金が七年前、ある弁護士を嵌めるために使われた——その真相を」わたしは息を呑んだ。「兄はその金を承認した人間を突き止めかけていた。社印を悪用した人間を。そして——崖から落ちた」玲二はわたしを見た。氷が完全に溶けていた。「澪。お前の父親と俺の兄は、同じものを追って同じ手で殺された。七年前と三年前。二つの死は、ひとつの事件だ」父と、玲二の兄。別々の悲劇だと思っていた二つが一本の線で繋がった。その線の先に立っているのは——わたしの恩師の、顔をしていた。「桐生は七年前、あなたのグループの社外取締役だった」わたしは記憶を手繰った。「社印の決裁権を持てる立場にいた。そして三年前、あなたのお兄様が真相に近づいたとき——」「消された」玲二が言った。部屋の空気が凍りついた。だが——どこか、噛み合わない。桐生は父を破滅させた"黒幕"にしてはわたしを拾い、弁護士に育てた。なぜ、生かした? なぜ、自分を脅かしかねない娘をわざわざ手元で育てた?「玲
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第八話取引

氷室玲二の実兄殺害事件。その起訴に立つのは、九条颯太。そして颯太はわたしを呼び出した。検察庁の冷たい取調室に。元婚約者が机を挟んだ向かいに座る。皮肉な再会だった。「久しぶりだな、澪」颯太は笑った。雨の夜、わたしを三百人の前で切り捨てた、あの笑み。「氷室の妻におさまったそうじゃないか。殺人犯の娘が今度は殺人犯の妻か。お似合いだ」「ご用件を」「取引だ」颯太は一枚の書類を滑らせた。「氷室玲二の有罪を裏づける、お前の証言。妻として知り得た事実を検察に渡せ。そうすれば——」彼はもう一枚滑らせた。「お前の父親の再審に、検察は協力する。お父上の無実、証明してやってもいい」心臓が跳ねた。父の無実。七年、求め続けたもの。それが今、目の前に置かれている。玲二を売れば、手に入る。——わたしを試している。颯太の背後にいる誰かが。「ひとつ伺っても」わたしは書類に手をつけなかった。「この取引、誰の指示ですか。あなたの一存ではないでしょう、九条検事。あなたは——使われる側だ。七年前も、いまも」颯太の笑みがわずかに歪んだ。図星だった。彼もまた盤上の駒にすぎない。「最後に、ひとつだけ教えてあげる」颯太は立ち上がり、ドアの手前で振り返った。勝ち誇った顔で。慈悲のつもりの、最後の一突きで。「お前のお父さんが死んだ週。最後に面会に行った人間が誰だか知ってるか」わたしは答えを知っていた。だが聞きたくなかった。「桐生章吾だ」颯太は言った。「お前の恩師。お前の父親が獄中で"自死"した、その三日前に面会している。記録が残っている。——お前を七年間、手元で育てた、あの男がな」ドアが閉まった。わたしは椅子に縛りつけられたように動けなかった。父が死ぬ三日前、桐生は獄中の父に会っていた。何を話した。何を渡した。何を——奪った。「お父さんの無実は、わたしが必ず証明するからね」七年前、雨の中でわたしを生かしたあの言葉が今、まったく違う響きを帯びて頭の中でこだました。あれは、慰めだったのか。それとも——口を封じた男の、罪悪感だったのか。わたしは父の再審請求書を握りしめた。冒頭の「請求人」の欄に自分の名を書いた。そして証明すべき相手の名を書く欄で、ペンが止まった。七年かけて滅ぼすと決めた相手は、氷室玲二だと思っていた。違った。わたしが本当に滅ぼすべき相手の名は——「先生」と呼んで慕
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第九話昔みたいに

「行くな」玄関で、玲二がわたしの腕を掴んだ。氷の総帥の仮面が初めて、完全に外れていた。そこにあったのはただ怯えた男の顔だった。「あれは罠だ。桐生はお前に話すために呼ぶんじゃない。お前を、消すために呼ぶ」「だったら、なおさら行く」わたしは彼の手をほどいた。「七年待ったの。父を嵌めた人間と、机を挟んで座る夜を。怖いのは——あなたの方じゃない?」玲二は答えなかった。その沈黙がわたしの胸に小さな棘を残した。彼は何を知っている。何を、わたしに言えずにいる。桐生の指定した場所は彼の別荘だった。七年前、父とよく三人で訪れた湖畔の家。わたしは録音アプリを起動し、ジャケットの内側に仕込んだ。弁護士の流儀だ。証言は必ず残す。暖炉の前で、桐生はブランデーを傾けていた。昔のままの穏やかな笑み。「来てくれたか、澪」彼はもう一つのグラスを差し出した。「座りなさい。長い話になる」わたしは座らなかった。「父を、嵌めたんですね。先生」桐生はグラスを置いた。否定しなかった。その事実が刃のように胸を裂いた。「ああ」彼は静かに言った。「私がお前の父さんのアリバイを握り潰した。氷室の社印を使って、捏造の決裁を通した。——七年前のことだ」世界がぐらりと傾いた。本人の口から聞くと、こんなにも違う。「なぜ」声が震えた。「父はあなたの親友だったでしょう」「親友だったとも」桐生の目に初めて、痛みが滲んだ。「だから悔やんでいる。毎晩。——だが澪、聞きなさい。私は“命じた”んじゃない。私は“やらされた”んだ。私の頭の上には、私を駒として使う人間がいた。私が断れば、潰されるのは私だけじゃなかった。お前の母さんも、まだ子供だったお前も——」「だから父を売った、と」「だからお前を生かした」桐生は立ち上がった。「事件のあと、私はお前を引き取り、弁護士に育てた。罪滅ぼしだと思っていた。だが本当は——お前を手元で見張るためだったのかもしれん。お前が真相に近づかないように。私の罪に、たどり着かないように」慈愛と監視。七年間、わたしが受け取っていた愛情はその二つで編まれていた。吐き気がした。「父が亡くなる三日前、面会に行きましたね」わたしは絞り出した。「何を、奪ったんですか」桐生の表情が凍った。図星の、その先の図星。「……お前の父さんは最後まで諦めていなかった」彼は窓の外、暗い湖を見た。「自分を
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第十話父の遺言

「祖父だ」邸に戻ったわたしが問い詰めると、玲二は長い沈黙のあとでそう言った。逃げなかった。初めて、まっすぐにわたしの目を見て。「氷室宗玄。七年前の氷室グループ総帥。俺の祖父だ。お前の父親のアリバイを葬れと、社印を動かせと命じたのは——桐生じゃない。桐生はその手を汚しただけだ。命じたのは、俺の、血だ」部屋がぐらりと回った。「あなたは……知っていたの」声が掠れた。「最初から。わたしと契約したときから。わたしの父を破滅させたのがあなたの一族だと知っていて——わたしを妻にした」「知っていた」玲二の声は痛みで満ちていた。「祖父が死に、兄が総帥になって、兄はこの家の罪を知った。お前の父親を嵌めた一族の罪を。兄はそれを世に出して、償おうとした。氷室の名が地に落ちても、と。——だから殺された。この家の罪を、墓まで持っていくために。兄を殺したのが桐生か、桐生を使った“上”か、俺はまだ証明できない。だが兄はお前の父親と同じ真実を追って、同じ手で消された」彼は震える手で何かを差し出した。あの夜、わたしが書斎で見つけた氷室の社印の押された捜査報告書。「これを、お前にわざと見つけさせたのは俺だ」玲二は言った。「自分の一族を告発する証拠を、お前の手に握らせるために。お前がいつか俺を——氷室を、滅ぼせるように。それが、俺にできる唯一の償いだと思った」愛も要らないと言った男が、自分の血を裏切る刃を妻の手に握らせていた。「ずるい」わたしは泣いていた。怒りなのか、それ以外なのか、もうわからなかった。「滅ぼすつもりだったのに。あなたを。なのにあなたが先に、自分を差し出すなんて——そんなの、ずるいじゃない」玲二はわたしを抱き寄せようとして、止めた。触れる資格がない、というように。その手が宙で止まったまま、震えていた。わたしは、その手を取った。自分でも、なぜそうしたのかわからなかった。七年、滅ぼすと決めてきた男だ。わたしから父を奪った血の、最後の一人だ。憎むべき理由なら、両手に余るほどある。なのに——彼が自分を差し出したその瞬間から、憎しみはもう、行き場をなくしていた。「触れていいの」わたしは囁いた。「資格なんて、誰が決めるの。あなた? それとも七年前の、あなたの血?」「澪」彼の声が掠れた。「俺は——」「黙って」わたしは彼の手を自分の頬に押し当てた。冷たいと思っていた手が、
last updateLast Updated : 2026-06-27
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第十一話逆転の四十八時間

弁護士資格の剥奪。証拠隠滅の告発。普通の人間なら、終わりだ。だがわたしは普通の弁護士ではない。彼らは致命的な間違いを犯した。法廷弁護士を、法の罠で殺そうとした。それは相手の得物で斜りかかるのと同じことだ。わたしは四十八時間で、詩織の“証言”の矛盾を七つ、書面に並べた。彼女が「わたしが証拠に触れた」と証言した時刻、わたしは別件の法廷にいた——百人の傍聴人と、速記録という、崩せないアリバイの中に。颯太が父にしたのと同じ手口をわたしは今度は自分を守るために逆さに使った。アリバイの捻造ではなく、アリバイの証明として。懲戒委員会は告発を退けた。詩織の偽証が逆に立件されかけた。盤の一手目をわたしは取り返した。だが本丸はそこじゃない。父が遺した全証拠。「あれは、澪に託した」——七年前、父が桐生に遺した最後の言葉。父はそれをわたしの中に隠した。わたし自身も気づかない形で。七年。わたしはその謎をずっと足元に置いて歩いていたのだ。考えろ。父が誰にも見つけられず、けれど“澪なら必ずたどり着ける”と確信して隠す場所。桐生でも、九条でも、氷室でも開けられない。澪だけの——。思い出したのは、父の最後の手紙だった。獄中から届いた、たった一通。当たり障りのない近況と、最後の一行。『澪。お前が司法試験に受かったら、いちばんに、母さんと三人で撮った“あの写真”を見返しなさい。父さんとの約束だ』あの写真。七歳のわたしと両親が、湖畔の別荘で撮った一枚。ずっと、ただの思い出だと思っていた。——思い出。そう、思い込まされていただけだ。父は弁護士だった。言葉を二重に使う男だった。『見返しなさい』——それは、感傷ではなく、指示だ。あの写真のどこかに、父は七年前から、わたしだけにたどれる道筋を残している。誰にも見つけられず、けれど澪なら必ず行き着く場所に。桐生でも、九条でも、氷室でも開けられない、わたしと父だけの場所に。胸が、早鐘を打った。在り処が、見えた気がした。「玲二」わたしは立ち上がっていた。「父が遺したものの場所が、わかったかもしれない。確かめに行く。いますぐ」鍵を掴んだ、そのとき——邸のインターホンが鸣った。佐伯が青ざめた顔で告げた。「奥様。——九条嗣道様が、おひとりでお見えです」
last updateLast Updated : 2026-06-27
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