澪は、スマホを持つ手に力をこめた。 ――仁が話せないなら、あたしが会いに行く。 電話の向こうで、短い沈黙が流れた。『……ああ、主人ね。五時半か六時ごろには帰ってくるかしら。再雇用先が、うちから近いから』 志津の声には、戸惑いがにじんでいた。それもそうだろう。夫の帰宅時間を聞かれれば、澪が訪ねてくるつもりだと察しがつくはずだ。「ありがとうございます。それでは、六時ごろに伺います」『……わかったわ。待ってるわね』 そのとき、ポーンと軽い音がして、エレベーターが到着した。「朝早くに、失礼しました」 通話を切ると同時に、銀色の扉が左右に開いた。奥の鏡に、澪の姿が映る。 まっすぐ前を見据えた、自分の顔。 さっき扉にぼんやりと映っていた顔とは、どこか違う。目の奥に、力がみなぎっているように見えた。 その日は、仕事中にはできるだけ仁の父のことを考えないようにした。 今はやることが多い。コラボ第三弾は澪の好きにしていいと言われているが、だからといって、全てが自由なわけではない。 現在企画しているのは、家族全員で使えるフェイスケアとボディケアの商品だ。肌の弱い家族がいても、みんなで同じものを使えるように、仁と意見を出し合っている。 手作りコスメなら、使い切れる量だけ作れば、酸化しやすいオイルを使っても問題はない。けれど市販品となると、品質を保つために酸化防止剤が欠かせない。天然由来のものを選んだとしても、それが肌に合わない人もいる。 だから、どこを落としどころにするかが、直近の課題だった。 候補の成分表をスクロールしながら、ふと指が止まる。 ――家族全員で、使えるもの。 そこには、父親だって含まれる。「なんで女の使うものを、お前が作るんだ」 電話越しに聞いた言葉が、耳の奥によみがえった。澪は小さく首を振って、画面に視線を戻した。 材料の選定に没頭し
Última actualización : 2026-10-20 Leer más