Todos los capítulos de 婚約破棄されたあとに再会した幼なじみからの溺愛が止まりません: Capítulo 111 - Capítulo 120

126 Capítulos

第111話 独断

 澪は、スマホを持つ手に力をこめた。 ――仁が話せないなら、あたしが会いに行く。 電話の向こうで、短い沈黙が流れた。『……ああ、主人ね。五時半か六時ごろには帰ってくるかしら。再雇用先が、うちから近いから』 志津の声には、戸惑いがにじんでいた。それもそうだろう。夫の帰宅時間を聞かれれば、澪が訪ねてくるつもりだと察しがつくはずだ。「ありがとうございます。それでは、六時ごろに伺います」『……わかったわ。待ってるわね』 そのとき、ポーンと軽い音がして、エレベーターが到着した。「朝早くに、失礼しました」 通話を切ると同時に、銀色の扉が左右に開いた。奥の鏡に、澪の姿が映る。 まっすぐ前を見据えた、自分の顔。 さっき扉にぼんやりと映っていた顔とは、どこか違う。目の奥に、力がみなぎっているように見えた。  その日は、仕事中にはできるだけ仁の父のことを考えないようにした。 今はやることが多い。コラボ第三弾は澪の好きにしていいと言われているが、だからといって、全てが自由なわけではない。 現在企画しているのは、家族全員で使えるフェイスケアとボディケアの商品だ。肌の弱い家族がいても、みんなで同じものを使えるように、仁と意見を出し合っている。 手作りコスメなら、使い切れる量だけ作れば、酸化しやすいオイルを使っても問題はない。けれど市販品となると、品質を保つために酸化防止剤が欠かせない。天然由来のものを選んだとしても、それが肌に合わない人もいる。 だから、どこを落としどころにするかが、直近の課題だった。 候補の成分表をスクロールしながら、ふと指が止まる。 ――家族全員で、使えるもの。 そこには、父親だって含まれる。「なんで女の使うものを、お前が作るんだ」 電話越しに聞いた言葉が、耳の奥によみがえった。澪は小さく首を振って、画面に視線を戻した。 材料の選定に没頭し
last updateÚltima actualización : 2026-10-20
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第112話 拒絶

 宗一郎は、その場に縫いつけられたように動かなかった。 目を見開いたまま、まばたきひとつしない。玄関の明かりの下で、薄いくちびるだけが、かすかに震えていた。 ――届いた。 澪は拳を握りしめて、一歩前に出た。「そうです。十七年です。私はその気持ちに応えたくて、こうしてご挨拶に伺いました」 けれど、宗一郎の顔に浮かんだのは、苦いものを噛んだような表情だった。「あれが誰と結婚しようが、なにをしようが、私の知ったことではない」「そ……んな」 冷たい水を浴びせられたように、指先から熱が引いていく。 志津が、あわてて夫の袖に手をかけた。「あなた! 澪ちゃんに向かって、そんな――」「あれは、家を捨てた」 低い声が、志津の言葉を断ち切った。「母親を置いて、自分の夢に走った男だ」 宗一郎の手が、体の横で固く握られる。骨ばった指の関節が、白く浮き上がった。痩せた体のなかで、背筋だけがまっすぐに伸びている。 志津の手が、夫の袖からすべり落ちた。そのまま、目を伏せる。 ――母親を、置いて? 澪は、眉を寄せた。 今朝の電話で、志津は、仁がずっと化粧品を作りたがっていたため、応援していたと言っていた。そんな母親を、仁はどうして「置いて」いくことになったのだろう。「でも、おばさんは仁の夢を応援してたって――」「この話は終わりだ」 宗一郎はぴしゃりと言い、それから、ことさらていねいに付け加えた。「……どうぞ、お引き取りください」 今度こそ、宗一郎は澪に背を向けた。まっすぐな背中が、廊下の奥へ遠ざかっていく。「待っ……」 追いかけようとした声は、喉の途中で止まった。 なにを言えばいい。この人に、なにを言い返せるというのだろう。 あたしは、仁と十七年離れていたあいだのことを、なにも知らない
last updateÚltima actualización : 2026-10-21
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第113話 はじめての怒り

 澪は、残りの数歩を、足を踏みしめるようにして歩いた。 こんなにも足が重いのは、初めてかもしれない。 近づくにつれて、仁の顔がはっきりと見えてくる。口元は固く結ばれ、目だけが、温度をなくしたように冷たかった。 知らない人の顔だった。 ラボでビーカーを光にかざしていた、子どもみたいな顔。今朝、玄関で見送ってくれた、やさしい顔。そのどれとも違う。「……仁」 仁の二メートルほど手前で、澪は足を止めた。それ以上は、どうしても前へ進めなかった。 仁は柱に背を預けたまま、身じろぎもしない。エントランスの自動ドアが、誰もいないのに一度だけ開いて、また閉じた。「なんで、親父に会いに行った」 今まで聞いたことがないほど、低い声だった。 澪は、ごくりと唾をのんだ。喉が、からからに乾いていた。「どうして、知って……」「……おふくろから、電話があった」 短い答えだった。それ以上は、なにも言わない。 門の前で小さく手を振っていた志津の姿が、脳裏に浮かんだ。「だって……仁が、おじさんに会わせてくれないから……」 蚊の鳴くような声だった。語尾は、かすれて消えた。「俺に黙って行くことは、ないだろ」 声を荒げることはなかった。ひと言ひと言を、ゆっくりと、静かに置いていく。 それが、怒鳴られるよりもずっとこわかった。 直哉は、責めるときほど声を大きくした。仁は違う。声が静かになればなるほど、その声の奥に沈んでいる感情の重さが伝わってくる。 組んだ腕の先で、仁の指がシャツの袖をきつくつかんでいる。布に、深いしわが寄っていた。 ――黙って行ったのは、あたしだ。 仁を責める資格なんて、ほんとうはない。今朝、キッチンに立つ仁の背中に、胸のなかで謝ったばかりなのに。「…&hel
last updateÚltima actualización : 2026-10-22
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第114話 栄転ではなかった

 仁は、膝のあいだで組んだ手に、また視線を落とした。 親指だけが、行き場をなくしたようにゆっくりと動いている。うつむいた顔は影になり、表情がよく見えない。「俺が小学校を卒業してすぐ、引っ越しただろ」 ぽつりと、仁が言った。「あれ、栄転なんかじゃなかったんだ」「……え?」 聞き間違いだろうか。 仁は今、「栄転なんかじゃなかった」と言ったのか。「う……そ、でしょ」「うそじゃない。親父は、まわりにはそう言ってた。でも実際は、左遷だった。社内のごたごたで失脚して、地方に飛ばされたんだ。子どもだった俺には、そんなことわからなかったけどな」 澪は、なにも言い返せなかった。 ずっと、おじさんの栄転で引っ越したのだと思っていた。 あの春の夕方、台所で両親が話していた声が、耳の奥によみがえる。『高宮さんのご主人、栄転されたんですって』『……そうか。そりゃ、たいしたもんだ』 「えいてん」という言葉の意味がわからなくて、父のシャツの袖を引いた。『お父さん、えいてんって、なに?』『出世して、遠くの会社に行くことだ』 ――そっか。おじさん、出世したんだ。 だったら仕方ないよね、と。泣きたいのをこらえて、自分に言い聞かせた。 それなのに、ほんとうは左遷だったなんて。「向こうに移ってから、おふくろが、心を病んだ」 仁は、淡々と続けた。声には、なんの抑揚もなかった。まるで、よその家の話でもしているみたいに。「朝、起きられない。飯も作れない。一日中、カーテンを閉めた部屋で横になってる。家のなかも、めちゃくちゃだった」 澪は、息をするのも忘れて、仁の声を聞いていた。 仁の親指が、止まった。「親父は、そういう家から目をそらして、仕事に逃げた。帰ってくるのは、いつも夜中だ。だから、俺がやるしかなかった。米の炊
last updateÚltima actualización : 2026-10-23
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第115話 勝手にしろ

 ――あたしが、隣にいればいい。 うまくいくかどうかは、わからない。今日の宗一郎の態度を思えば、門前払いされるかもしれない。 それでも、このままでいてほしくなかった。仁にも、あの家にも。「ねえ、仁」 澪は、重ねた手をそっと握った。「今度の週末、一緒に、仁の実家に行こうよ」「……え?」 仁が、目を見開いた。「だって、このままじゃよくないよ。……って、他人のあたしが言うのも、なんだけど」「いや」 仁は、ゆっくりと首を横に振った。「澪は、他人じゃない。俺の家族になるんだ」 冷えきっていた仁の手が、澪の手を握り返してきた。「……たしかに、澪の言うとおりかもしれない。俺も、ずっとどうしたらいいのかわからなかった。なんとかしたいと思っていたのに、なにもできなかった」 仁は、夜の暗がりに目を向けたまま、小さく息を吐いた。「もし、今がそのときなら――やるしかないよな」 苦いものを噛んだような顔のまま、仁の口元が、わずかにゆるんだ。「週末に行くって、おふくろに連絡しとく」「……うん」 澪は、何度もうなずいた。  週末。澪は仁とふたりで、もう一度、高宮家の門の前に立った。 インターホンを押したのは、仁だった。ボタンに添えた指が、ほんの一瞬だけ止まって、それからボタンを押し込んだ。「いらっしゃい、仁。澪ちゃんも」 志津は、にこやかに出迎えてくれた。けれど、すぐに困ったように廊下の奥を振り返る。「ごめんなさいね。あの人が、玄関で話すって……」 仁は、なにも言わずにうなずいた。 ふたりで玄関に立ったまま、しばらく待った。 やがて、廊下の奥から、重くゆっくりとした足音が近づいてきた。 
last updateÚltima actualización : 2026-10-24
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第116話 引越しの日

 仁の父から、結婚の許しをもらった。 正式な許しとは、とても言えない。それでも、その夜、志津から《よかったわね、ふたりとも》とメッセージが届いた。 ――勝手にしろ。 あれはやっぱり、宗一郎なりの「いい」だったのだ。 両家から結婚の許しをもらって、仁の顔から力みが抜け、肩の荷が下りたようだった。「そろそろ、一緒に暮らす部屋、探さないか?」「そうだね……。でも、あたしはここでもいいけど」 仁が暮らしているマンションは1LDKだが、かなりゆったりとした間取りで、ふたりで暮らしても困らない広さだった。実際、澪は週の半分を仁の部屋で過ごしているが、不便を感じたことは一度もない。「でも、家族が増えるかもしれないだろ。ここより広いところに引っ越そう」 たしかに、そのとおりだ。仁も澪も子どもをほしいと思っている。だから、ここより広い部屋に移ったほうがいい。「仁は、どれぐらいの広さがいいと思ってるの?」「澪は、子ども何人ほしい?」 質問を質問で返されてしまった。なんと答えようか迷って、仁に目を向ける。 仁は、やけにうれしそうな顔をしていた。「……ふたり、かな」 そう答えると、仁は満面の笑みを澪に向けた。「ふたりか。いいな。……じゃあ、部屋は最低でも三部屋必要だな」 気が早すぎる。けれど、そう言って指を折る仁があまりに楽しそうで、澪は思わず笑ってしまった。  それから、週末ごとに物件を見に行った。 最初は、仁と澪の両方が会社に通いやすい場所にしようと話していた。けれど、澪は考え直した。 コラボ第三弾の仕事で、澪はダーマコードのラボに通うことが多い。休日にひとりでラボに入ることもある。だったら、ラボのそばのほうが、なにかと都合がいい。「仁の会社に近いところにしようよ」 そう言うと、仁は目を丸くした。「澪の会社から
last updateÚltima actualización : 2026-10-25
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第117話 利益相反

 ソファへ戻る足取りがおぼつかなかった。 人事に呼ばれるような覚えは、まったくない。 ただひとつ考えられるとすれば、仁と婚約したことくらいだ。けれど、社員の婚約は個人的なことのはず。それなのに、休日の夜にわざわざ電話してくるなんて。 仁の隣に腰を下ろすと、ずん、と体がソファに深く沈んだ。「どうした? 顔色、よくないぞ」 仁が、澪の顔をのぞきこんだ。けれど澪は視線が定まらず、仁の顔をまっすぐに見ることができなかった。「澪」 大きな手が、澪の肩をつかんだ。 その手の熱で、ようやく我に返った。「……仁」「さっきの電話、なんだったんだ?」「会社の人事から……。明日、時間をもらえないかって。あたし、なにもしてないと思うんだけど……」 仁の眉間に、しわが寄った。腕を組み、ソファの背もたれに体を預ける。「俺たちの関係のこと、かもしれないな」「……え?」「憶測で言っても、しかたない。まずは、ちゃんと話を聞いてこい」 仁は、それ以上は言わなかった。 かわりに、仁は腕をほどき、澪の肩を自分のほうへ引き寄せた。「なにを言われても、帰ってきたら俺がいる」 仁の胸に、頬が触れる。とくん、とくん、と規則正しい鼓動が聞こえた。 澪は、仁のシャツをぎゅっとつかんで、小さくうなずいた。  翌朝、玄関で靴を履いていると、仁が見送りに出てきた。 大きな手のひらが、澪の頬をそっと包む。「いってらっしゃい」「……いってきます」 昨日の夜と同じ、あたたかい手だった。  月曜日の朝、出勤するとすぐ、人事部から会議室へ来るように言われた。 会議室のドアをノックする。なかから「どうぞ」と声が返って
last updateÚltima actualización : 2026-10-26
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第118話 二本の歯ブラシ

 会議室を出ると、廊下の蛍光灯が、やけにまぶしく感じられた。 手のなかで、三つの選択肢を書いた紙が、くしゃりと音を立てる。 グロウセオリーでの仕事は、どれも楽しかった。もちろん、いいことばかりではない。つらいことも、悔しいことも、たくさんあった。けれど、そのどれもが、澪の血肉になってきた。 それなのに、この会社に残ってこの仕事を続ける道は、どこにも用意されていなかった。 自席に戻り、モニターに向かう。けれど、画面の文字が目の前を滑っていくだけで、少しも頭に入ってこない。 澪はキーボードから手を離し、その手をきゅっと握りしめた。 ――ここで、この仕事を続けられなくなるかもしれない。 そう思うと、胸の奥が締めつけられる。 それでも、答えを出すまでは、自分はまだグロウセオリーの社員だ。コラボ第三弾の企画も、ほかに受け持っている仕事も、止めるわけにはいかなかった。 澪はお腹に力を入れて、もう一度、モニターに向き直った。 「ただいま」 新しい部屋に越してから、初めての出勤日。家に帰ると、仁はもう帰宅していた。「おかえり。お疲れさま」「仁も、おかえり。すぐ夕飯の支度するね」「いいよ。一緒にやろう」 仁はシャツの袖をまくって、キッチンで手を洗いはじめた。 仁は、澪が今日、人事と話したことを知っている。 澪の顔を見たとき、仁の目が、ほんの一瞬だけ止まった。けれど、仁はなにも聞いてこなかった。 自分でもまだ考えがまとまらず、頭のなかはぐちゃぐちゃだった。だからこそ、なにも聞かずにいてくれることが、ありがたかった。 澪も手を洗い、エプロンをつけた。「今日、なに食べたい?」「なんでもいい。冷蔵庫にあるもので作ろう」 結局、冷蔵庫の残りもので、親子丼と味噌汁を作ることになった。親子丼は仁が、味噌汁は澪が担当することになった。 仁は手際よく鶏肉を切り分け、玉ねぎをくし形に刻んでいく。迷いのない包丁の
last updateÚltima actualización : 2026-10-27
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第119話 社長夫人

 その声は、同じ部署の三枝のものだった。 まわりにいる同僚たちも、楽しそうに相づちを打っている。「朝倉さんって、仕事もできるし、婚約者はスパダリだし、完全に勝ち組だよね」「社長夫人とか、いいなー。あたしも、どこかの社長と知り合いたい!」 きゃっきゃとはしゃぐ声が、ドアの隙間からこぼれてくる。 悪気がないのは、わかっている。三枝は入社したころから気さくに話しかけてくれる同僚で、一緒にランチに行ったことも、一度や二度ではない。 仁は、今をときめくダーマコードの社長だ。ビジネス誌にもファッション誌にも取り上げられて、知らない人のほうが少ない。そんな人と婚約したと聞けば、誰だって「勝ち組」だと思うのだろう。 けれど、当の澪にとっては、勝ち組でもなんでもなかった。 退職するか。コラボ第三弾から外れて会社に残るか。それとも、澪が提案することになる三つ目の案を選ぶか。 どれを選んでも、これまで積み上げてきたなにかを手放すことになる。 もし、退職して仁の会社に移ったら。 そこでもきっと、澪は「社長夫人」として扱われる。澪の仕事を見てくれる人はおらず、「高宮仁の妻」というラベルでしか見てもらえない。これまでの交渉も、選んできたブランドも、全部「社長の奥さんだから」のひと言で片づけられてしまう。 そう思った途端、足もとがぐらりと揺れた気がした。 「朝倉澪」という人間は、ほんとうに、どこかに必要とされているのだろうか。 仁の隣にいるから、価値があるように見えているだけなのではないか。 胸の奥で、ずっと眠っていたものが、ゆっくりと頭をもたげる。五年前、なにもかも失ったあの日に思い知らされた、「あたしにはなにもない」という感覚だ。 マグカップの取っ手が、手のひらに食いこんだ。 澪はマグカップを握りしめたまま、給湯室には入らずに、そっと踵を返した。  その日の午後、資料を届けに行った先で、後輩の女性社員に声をかけられた。「朝倉さん、ご婚
last updateÚltima actualización : 2026-10-28
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第120話 三つの選択肢

 会社から示された選択肢は三つで、回答期限は二週間後だった。 デスクのモニターが暗転して、黒い画面に自分の顔が映りこむ。目に光がなく、どんよりとしている。手入れは一日も欠かしていないのに、肌の色つやまでくすんで見えた。 いちばん手っ取り早くて安心なのは、グロウセオリーを退職し、ダーマコードに移ることだろう。仁はきっと、快く迎え入れてくれる。 もしかしたら、グロウセオリーとの窓口を任せてもらえるかもしれない。この会社のことを知りつくしている澪にとっては、仕事もしやすいはずだ。 ふたつめは、コラボの担当を外れてグロウセオリーに残る道だ。その選択肢が用意されているのは、これまでの仕事を評価してもらえているからだろう。ダーマコードとの仕事に関われなくなるだけで、この会社で働きつづけることはできる。 ――でも、それでいいの? 自分で手がけてきた仕事を手放してまで、ここに残る意味はあるのだろうか。 そして、三つめは、会社を辞めるのでも、ただ残るのでもない道を自分で探し、提案することだ。 そんなものがほんとうにあるのか、澪にはさっぱりわからなかった。「もう……どうしたらいいの」 澪は、両手で頭を抱えた。  考えても考えても、答えは出なかった。 とうとう澪は、昼休みに会社の外へ出て、実家の母に電話をかけた。「お母さん? ちょっと、相談があるんだけど……」『どうしたのよ、珍しいわね。なに? 言ってごらん』 澪は、仁との婚約によって利益相反の問題が生じたことと、会社から三つの道を示されたことを、かいつまんで話した。 すると母は、電話の向こうで、あっけらかんと笑った。『なんだ、簡単じゃない。そんなに真剣に考えなくたって、今の会社を辞めて、仁くんの会社に移ればいいでしょ?』「そう……なんだけど」 たしかに、そうだ。会社を辞めて、仁の会社に移る。それがいちばん楽だ。
last updateÚltima actualización : 2026-10-29
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