All Chapters of 魔法のシャーベットー昼間は歯科衛生士、夜はVTuberアイドルが溺愛彼氏が出来るまでー: Chapter 11 - Chapter 20

51 Chapters

第10話 デビュー曲

「よし、歌おう!」真帆子が元気よく立ち上がった。「待って!」琴子は慌てて手を挙げる。「私、八年も歌ってないんだけど?」「大丈夫!」「その自信どこから?」「琴子だから!」その言葉に思わず笑ってしまう。玲司は机の上へ一冊のファイルを置いた。「これがデビュー曲だ」琴子はゆっくり表紙を開く。そこには大きく書かれていた。『魔法のシャーベット』「タイトルも同じなんだ。」「ユニットの世界観を伝える一曲だ。」玲司は静かに説明を始める。「可愛いだけじゃない。聴いた人が前を向ける曲にする。」琴子は楽譜を見つめた。歌詞の一節が目に入る。『冷たい心も きっと溶けていく』胸がぎゅっと締めつけられる。まるで今の自分みたいだった。「歌ってみろ。」玲司に言われ、琴子はゆっくり息を吸う。震える声。最初の一音は頼りなかった。けれど。真帆子が自然とハモる。二人の声が重なった瞬間、不思議なことが起きた。歌いやすい。昔、一緒に配信していた頃の感覚が少しずつ戻ってくる。歌い終えると部屋は静かだった。「どう……だった?」恐る恐る尋ねる。真帆子は目を潤ませていた。「やっぱり琴子だ。」「え?」「この声がないと魔法のシャーベットじゃない。」照れくさくて目をそらす。その時だった。「悪くない。」玲司が短く言う。それだけ。それだけなのに。妙にうれしかった。「玲司、それ褒めてる?」真帆子が笑う。「ああ。」「もっと褒めればいいのに。」「必要ない。」「また冷たい。」雅臣が肩をすくめる。「だからモテないんだよ。」玲司は無視した。代わりに琴子へ一枚の紙を差し出す。「今後の予定だ。」そこにはレッスン、収録、配信準備がびっしり書かれていた。「えぇ……。」琴子は青ざめる。「こんなに?」「デビューまで二週間。」玲司は淡々と言う。「時間がない。」真帆子はガッツポーズをした。「青春だー!」「二十八歳だけどね。」「年齢は関係ない!」その勢いに琴子も笑ってしまう。笑った瞬間だった。玲司がふと呟く。「その顔だ。」「え?」「笑って歌ってろ。」一瞬だけ優しい表情を見せた玲司は、すぐにいつもの無表情へ戻る。「休憩終わり。」「もう!?」「レッスン再開だ。」琴子は楽譜を抱きしめた。まだ怖い。でも。も
last updateLast Updated : 2026-07-08
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第11話 昼の私、夜の私

翌朝。「おはようございます!」琴子は白衣に着替え、鏡の前で深呼吸した。昨日まで歌っていた自分が嘘みたいに、今日は歯科衛生士だ。「琴子さん、おはよう!」受付スタッフが笑顔で声をかける。「おはようございます。」診療が始まると、次々と患者が来院する。「今日はクリーニングですね。」「よろしくお願いします。」いつものようにスケーラーを手に取り、歯石を除去していく。患者が安心したように目を閉じる。「琴子さんにやってもらうと痛くないから安心するの。」その一言に、琴子は思わず笑顔になった。「ありがとうございます。」歌うことも好き。でも、この仕事も大好きだ。患者さんの笑顔を見るたびに、歯科衛生士になってよかったと思える。昼休み。スタッフルームでお弁当を開いた瞬間、スマートフォンが震えた。『玲司』「もしもし?」『今日は二十時からレッスンだ。』「今日も?」『デビューまで時間がない。』琴子は予定表を見る。明日も朝から診療。「終わるの何時?」『二十二時予定。』「……朝九時半から仕事なんだけど。」『知ってる。』「寝不足になるよ?」『だから終わったら送る。』「え?」『車を出す。』それだけ言って電話は切れた。「相変わらず説明が足りないんだから。」思わず苦笑する。午後の診療も無事に終わり、そのままスタジオへ向かう。「遅くなりました!」「お疲れー!」真帆子は元気いっぱいだった。「今日はボイストレーニングからね!」「その前に。」玲司が紙コップを差し出した。「温かいはちみつレモン。」「私に?」「ああ。」「……ありがとう。」真帆子がにやにや笑う。「また琴子だけ。」「違う。」玲司は無表情のまま答えた。「お前は冷たいもの飲んでただろ。」「え?」「喉が心配なだけだ。」真帆子は肩をすくめる。「はいはい。そういうことにしとく。」「違う。」玲司は否定する。でも琴子は知っている。真帆子には何も渡していない。どうして私だけ。その疑問が、少しずつ胸の中で大きくなっていく。昼は歯科衛生士。夜はVTuber。二つの夢を抱えた毎日が、静かに動き始めていた。
last updateLast Updated : 2026-07-09
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第12話 秘密のレッスン

午後六時。歯科医院のタイムカードを押した琴子は、大きく息をついた。「お疲れさま、琴子さん!」「お疲れさまです!」ロッカーで白衣を脱ぎ、急いで私服へ着替える。スマートフォンを見ると、玲司からメッセージが届いていた。『十八時三十分、スタジオ集合』「あと十五分!?」慌てて駅へ走る。「琴子ー!」改札前で手を振る真帆子は、すでにスポーツドリンクを二本抱えていた。「はい!」「私の?」「うん!」「ありがとう!」「……と思った?」真帆子は一本を自分で開けて飲み始めた。「それ私の!」「あはは、ごめんごめん!」「もう!」そんな二人を見ていた玲司が、小さくため息をつく。「騒ぐ元気はあるらしい。」「玲司!」「これ。」玲司はコンビニ袋を差し出した。「え?」中にはサラダチキンとおにぎり、それに野菜ジュース。「夕飯。」琴子は目を丸くした。「まだ食べてないだろ。」「……なんでわかったの?」「昼休みが短かった。」「見てたの?」「勤務表。」「勤務表!?」真帆子が吹き出した。「玲司、ストーカーみたい!」「違う。」「違わなくない?」「栄養管理だ。」真顔で言われると反論できない。三人は笑いながらスタジオへ入った。レッスンが始まる。「もう一回!」「はい!」二時間後。琴子は床へ座り込んだ。「はぁ……きつい……。」「まだいける!」真帆子は元気いっぱいだ。「なんでそんな体力あるの?」「毎日走ってるから!」「聞いてない……。」その時だった。雅臣が大きな袋を抱えて現れた。「差し入れだ!」「わぁ!」真帆子が駆け寄る。「プリン!」「好きだろ?」「大好き!」雅臣は満足そうに笑う。「ほら、お前の分。」真帆子は迷わず受け取った。「ありがとう!」その様子を見ていた琴子は小さく笑う。「真帆子って、本当に食べ物に弱いよね。」「えへへ。」玲司が時計を見る。「休憩十分。」「短っ!」「配信準備もある。」パソコンが立ち上がる。VTuber用のアバターが画面に映し出された。「かわいい!」琴子の目が輝く。「これが私たち?」「そうだ。」玲司は画面を操作する。「配信テストを始める。」琴子はマイクを握った。「こんばんは、『魔法のシャーベット』です。」その一言だけで胸が高鳴る。夢だった。
last updateLast Updated : 2026-07-10
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第13話 声が似ていますね

「お疲れさまでした!」最後の患者を見送り、琴子は大きく息をついた。時計を見る。十八時十分。「まずい!」十八時三十分にはスタジオ集合。「琴子さん、今日もレッスン?」隣のユニットで片づけをしていた真帆子が笑う。「うん。でも間に合わない!」「急ごう!」二人は急いで白衣を脱ぎ、ロッカーへ向かった。「今日の夜ご飯どうする?」「コンビニかな。」「また?」「作る時間ないよ。」歯科衛生士。VTuber。毎日が時間との戦いだった。電車へ飛び乗ると、玲司からメッセージが届く。『遅刻一分につきスクワット十回。』「鬼!」思わず声が出る。真帆子がスマホをのぞき込み、大笑いした。「玲司らしい!」「笑いごとじゃないよ!」スタジオへ着くと、玲司は腕時計を見ていた。「二十九分五十秒。」「セーフ!」「十秒前だ。」「よかったぁ。」「スクワットはなし。」「そこ本気だったの?」玲司は真顔だった。「当然だ。」「怖い!」そのやり取りを見ていた雅臣が笑う。「そんな鬼教官じゃ人気者になれないぞ。」「人気を取るのは俺じゃない。」玲司は琴子たちを見る。「二人だ。」その言葉に、琴子は少しだけ背筋が伸びた。レッスンが始まる。歌。ダンス。配信練習。あっという間に二時間が過ぎた。「今日はここまで。」「はぁ……。」琴子は床へ座り込む。「疲れたぁ。」「でも楽しかった!」真帆子は笑顔だ。「その元気分けて。」「半分ならいいよ!」「半分でも多い。」四人で笑った、その時だった。玲司のスマホが鳴る。画面を見ると、表情が少しだけ変わる。「……どうしたの?」琴子が尋ねる。玲司は静かにスマホを差し出した。そこには一枚のスクリーンショット。配信予告のコメント欄だった。『このVTuberさんの声……いつも通ってる歯医者さんの衛生士さんにそっくり。』その場の空気が止まる。琴子は青ざめた。「え……。」まだデビュー配信もしていない。なのに。もう、気づかれ始めている……?
last updateLast Updated : 2026-07-11
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第14話 まだ秘密のままで

「このVTuberさんの声……いつも通ってる歯医者さんの衛生士さんにそっくり。」そのコメントを見た瞬間、琴子の顔から血の気が引いた。「う、うそ……。」真帆子もスマートフォンをのぞき込む。「あれ? 本当だ。」「『本当だ』じゃないよ!」琴子は思わず立ち上がった。「まだデビュー配信もしてないのに!」「予告動画だけで気づくなんて。」真帆子は感心したようにうなずく。「すごい耳の人がいるんだね。」「感心してる場合じゃないから!」スタジオに笑いが広がる。雅臣はソファにもたれながらニヤリと笑った。「人気が出る証拠じゃないか。」「いやいや、身バレの危機だから!」「俺は顔が見えなきゃ平気だと思うけど。」「私は平気じゃない!」琴子は頭を抱えた。昼は歯科衛生士。夜はVTuber。その生活を守るために、顔出しをしないと決めたのだ。患者さんに知られたらどうなるんだろう。職場に迷惑をかけたら。そんな不安ばかりが浮かんでくる。玲司はコメント欄を最後まで読み終えると、スマートフォンを閉じた。「慌てるな。」「でも……。」「まだ推測だ。」冷静な声だった。「証拠はない。」「そうだけど……。」「それに。」玲司は琴子を見る。「お前は嘘をついているわけじゃない。」「え?」「昼は歯科衛生士として働き、夜は歌う。」玲司は静かに続ける。「どっちも、お前だ。」その言葉に、琴子の肩から少し力が抜けた。真帆子も笑顔でうなずく。「そうそう!」「私は歯科衛生士も大好きだし、歌も大好き!」「どっちかなんて選べないよね。」琴子は小さく笑った。「……うん。」雅臣が勢いよく立ち上がる。「よし!」「今度は何?」「コメントが増えたなら宣伝のチャンスだ!」玲司が即座に却下する。「早い。」「まだ早い。」「でも広告は必要だ!」「配信が終わってからだ。」「レイジ、お前ほんと慎重だな。」「当然だ。」二人はまた言い合いを始める。その様子を見て、真帆子が琴子の耳元でささやいた。「ねぇ。」「なに?」「この二人、仲いいよね。」「……どこが?」「毎日ケンカしてるもん。」「それ仲いいの?」「うん!」真帆子は満面の笑みだった。「ケンカするほど仲がいいって言うじゃん!」琴子は思わず吹き出した。「その理論でいくと、毎日大変だね
last updateLast Updated : 2026-07-11
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第15話 初めてのファン

「二十件……。」琴子は予約画面を何度も見返した。さっきまで三件だったはずなのに。「本当に増えてる。」真帆子は嬉しそうに両手を叩いた。「やったぁ!」「まだ二十件だ。」玲司は冷静だった。「浮かれるには早い。」「玲司はもっと喜ぼうよ!」「本番はこれからだ。」そう言ってノートパソコンを開く。画面には配信スケジュールと、レッスン予定がびっしり並んでいた。琴子は思わず苦笑する。「本当に休みないね。」「デビュー前だからな。」「歯科医院もあるのに。」「だから効率を上げる。」玲司は迷いなく答えた。「睡眠時間だけは削るな。」「そこは守ってくれるんだ。」「倒れられると困る。」その言い方は相変わらず素っ気ない。でも琴子には、それが優しさだと少しずつわかってきていた。翌朝。「おはようございます。」白衣に着替えた琴子は、診療室へ入る。今日も予約はいっぱいだった。「琴子さん、お願いします。」「はい。」患者さんを診療台へ案内し、クリーニングを始める。スケーラーを動かしながら、自然と笑顔になる。「痛くないですか?」「大丈夫ですよ。」患者は安心したように目を閉じた。治療が終わると、五十代くらいの女性が笑顔で言った。「ありがとう。今日も気持ちよかったわ。」「ありがとうございます。」「またお願いね。」その一言が嬉しかった。歌も好き。でも。歯科衛生士として誰かを笑顔にする時間も、同じくらい好きだった。昼休み。琴子がお弁当を食べていると、真帆子が勢いよく席へ座った。「琴子!」「なに?」「予約、三十五件になってた!」「えっ!?」スマートフォンを見る。本当だ。少しずつ。本当に少しずつだけど、数字が増えている。「うれしい……。」自然と笑みがこぼれる。その様子を見ていた玲司が静かに言った。「それがファンだ。」「え?」「一人増えるたびに、お前たちを待ってる人が増える。」琴子は予約画面を見つめた。三十五人。まだ小さな数字。でも、あの頃の自分なら、その三十五人のために全力で歌っていた。「……頑張ろう。」「うん!」真帆子が大きくうなずく。「三十五人を百人にして、千人にして、いつかドーム!」「話が大きいよ。」「夢は大きいほうがいい!」その時だった。雅臣が大きな花束を抱えてスタジオへ入って
last updateLast Updated : 2026-07-12
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第16話 あと六日

デビュー配信まで、あと六日。スタジオへ入ると、玲司はホワイトボードの前に立っていた。「今日から実践だ。」「実践?」琴子が首をかしげる。「配信は歌だけじゃない。」玲司はペンを走らせた。【歌】【トーク】【コメント返し】【笑顔】「全部できて初めてVTuberだ。」真帆子は元気よく手を挙げる。「先生!」「なんだ。」「笑顔は得意です!」「知ってる。」「えへへ。」「だが、お前は喋りすぎる。」「えっ。」「コメントを読む前に一人で盛り上がる。」雅臣が吹き出した。「確かに。」「ひどーい!」玲司は琴子を見る。「逆に琴子。」「はい。」「コメントを読みすぎる。」「え?」「全部返そうとする。」「だって嬉しいし……。」「三千件来たらどうする。」「……。」「寝られない。」真帆子が笑い転げた。「琴子らしい!」「だから役割を決める。」玲司はホワイトボードへ書いた。『真帆子=場を盛り上げる』『琴子=歌とコメント』「これでいく。」「了解!」真帆子は敬礼する。その姿に琴子も思わず笑った。「じゃあ始める。」玲司がカメラを回す。赤いランプが点灯した。「本番だと思え。」「えっ!?」「こんばんはー!」真帆子は満面の笑み。「『魔法のシャーベット』です!」琴子も続く。「今日は来てくださってありがとうございます。」真帆子が肘でつつく。「もっと笑って!」「あっ、ご、ごめん!」「硬い!」「緊張してるの!」二人のやり取りを見ていた雅臣が拍手した。「いいじゃん。」玲司は首を横に振る。「まだだ。」「厳しいなぁ。」「デビューしたら何千人に見られる。」その言葉で空気が引き締まる。何千人。今は予約三十五人。それでも、いつか。その時だった。琴子のスマートフォンが震えた。歯科医院のグループチャット。『来月の医院紹介動画を作ります。顔出しできる人、募集中です。』「えっ……。」琴子の動きが止まる。「どうした?」玲司が気づく。「医院紹介動画だって。」「それが?」「顔出し……。」VTuberは顔を隠す。歯科医院は顔を出す。二つの世界が、少しずつ近づいてきている。「どうしよう……。」琴子はスマートフォンを見つめたまま、小さくつぶやいた。その横で真帆子は、のんきに笑っていた。「
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第17話 秘密は甘く溶けていく

「もう一回!」 玲司の声がスタジオに響く。 「はい!」 琴子と真帆子は息を合わせて歌い始めた。 デビュー配信まで、あと六日。 昼は歯科衛生士。 夜はVTuber。 二人の生活は想像以上に忙しかった。 レッスンが終わる頃には時計の針は午後十時を回っている。 「つ、疲れたぁ……。」 琴子は床へ座り込んだ。 「今日は患者さん十六人だったし……。」 「私は十四人!」 真帆子はまだ元気そうだ。 「なんでそんな体力あるの?」 「愛!」 「意味わかんない!」 スタジオに笑い声が響く。 玲司はミネラルウォーターを二人へ差し出した。 「水分。」 「ありがとう。」 琴子が受け取る。 真帆子も手を伸ばした。 「私もー!」 玲司は無言で二本目を渡す。 「……。」 真帆子がじっと玲司を見る。 「なに。」 「今日は二本持ってきた。」 「当たり前だ。」 「昨日は一本だった。」 「昨日はお前が俺のを飲んだからだ。」 「あっ。」 真帆子は舌を出した。 「えへっ。」 「笑ってごまかすな。」 「ごめーん!」 琴子は思わず吹き出した。 「真帆子らしい。」 「玲司、細かい!」 「管理してる。」 「誰を?」 「二人とも。」 その言葉に、琴子は少しだけ胸が温かくなる。 厳しい。 冷たい。 でも。 ちゃんと見てくれている。 その時だった。 勢いよく扉が開く。 「みんなー!」 雅臣だった。 今日は大きな保冷バッグを抱えている。 「差し入れ!」 「また?」 琴子が苦笑する。 雅臣は得意げに笑った。 「今日は暑いからな。」 バッグの中から出てきたのは、色とりどりのシャーベットだった。 「わぁ!」 真帆子が目を輝かせる。 「グレープ!」 「お前の。」 雅臣が笑う。 「ありがとう!」 迷いなく受け取る真帆子。 続いて雅臣は、淡いミント色のカップを琴子へ差し出した。 「はい。」 「チョコミント。」 「覚えてたの?」 「好きなんだろ。」 「……うん。」 その様子を見ていた玲司が小さくため息をつく。 「レッスン前に冷たいものは食べるな。」
last updateLast Updated : 2026-07-14
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第18話 秘密の練習

デビュー配信まで、あと四日。朝七時。「ふわぁ……。」琴子は大きなあくびを噛み殺した。昨夜レッスンが終わったのは午後十時半。帰宅して発声練習を復習し、お風呂に入ったら日付が変わっていた。眠い。それでも白衣に袖を通すと、不思議と気持ちは切り替わる。「おはようございます。」診療室へ入ると、院長が振り返った。「おはよう、琴子さん。」「今日も予約いっぱいだね。」予約表を見る。午前だけでクリーニング八人。午後はメインテナンスとホワイトニング説明が続く。「頑張ります。」最初の患者を診療台へ案内する。「おはようございます。」「よろしくお願いします。」超音波スケーラーを手に取り、丁寧に歯石を除去する。「痛くないですか?」「全然。」患者は笑った。「琴子さん、本当に優しいね。」その一言だけで眠気が吹き飛ぶ。(この仕事、好きだな。)歌も好き。でも、この笑顔も守りたい。昼休み。真帆子がパンを片手に走ってきた。「琴子ー!」「どうしたの?」「今日もレッスン楽しみ!」「元気だねぇ。」「昨日ね、夢見たの!」「どんな?」「武道館!」琴子は思わず笑う。「まだ配信もしてないのに?」「夢くらい大きく!」その時、受付スタッフが話しかけてきた。「そういえば昨日、患者さんが言ってましたよ。」「え?」「最近お気に入りのVTuberがいるんですって。」琴子の心臓がドクンと鳴る。「そ、その人なんて名前でした?」「えーっと……。」一瞬、空気が止まる。「忘れちゃった。」「……ですよね。」心の中で大きく息を吐いた。まだ大丈夫。まだ誰も気づいていない。仕事が終わり、スタジオへ向かう。「こんばんは!」玲司はすでに機材の前に立っていた。「今日はコメント返しの練習だ。」「コメント返し?」「ファンとの距離を縮める時間だ。」真帆子が手を挙げる。「はい!」「なんだ。」「全部返事する!」玲司は首を横に振った。「配信が終わらん。」「そっか!」「でも、その気持ちは忘れるな。」珍しく玲司が少しだけ笑った。琴子はその横顔を見つめる。(やっぱり、この人……。)冷たいようで、一番優しい。その時だった。雅臣がスタジオへ飛び込んできた。「大変だ!」「今度は何?」雅臣はスマートフォンを差し出した。そこには街
last updateLast Updated : 2026-07-16
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第19話 眠れない朝

デビュー配信まで、あと三日。午前六時三十分。目覚まし時計の音で、琴子はゆっくり目を開けた。「……もう朝?」昨夜レッスンが終わったのは午後十時半。帰宅してから歌の録音を聞き返し、コメント返しの練習をしていたら、気づけば時計は午前一時を回っていた。「眠い……。」それでも起きなければならない。昼は歯科衛生士。夜はVTuber。どちらも自分で選んだ夢だから。洗面所で冷たい水を顔にかける。鏡に映る自分は少しだけ疲れていた。「よし。」小さく笑って白衣をバッグへ入れる。今日も患者さんを笑顔にしよう。その気持ちだけは、どんなに眠くても変わらなかった。「おはようございます。」歯科医院へ入ると、院長が予約表を見ながら振り返った。「おはよう。今日は忙しいよ。」琴子も予約表をのぞき込む。午前だけで九人。午後も八人。さらにホワイトニングカウンセリングが二件入っていた。「頑張ります。」最初の患者は小学一年生の男の子だった。診療台に座るなり、不安そうに唇を結ぶ。「怖い……。」琴子はしゃがみ込み、男の子と目線を合わせた。「今日は歯をピカピカにするだけだよ。」「痛くない?」「うん。先生とお姉さんが一緒にいるから大丈夫。」男の子は少しだけ笑った。クリーニングが終わると、男の子は嬉しそうに口を開ける。「つるつる!」「頑張ったね。」ハイタッチすると、小さな手が元気よく返ってきた。その笑顔を見た瞬間、琴子の胸はじんわり温かくなった。(やっぱり、この仕事が好き。)歌も好き。でも患者さんの笑顔も、同じくらい大切だった。昼休みになると、真帆子がお弁当を持って隣へ座る。「琴子、大丈夫?」「え?」「今日、眠そう。」「バレた?」「八年もコンビ組んでるもん。」真帆子は得意そうに笑う。「昨日も練習したんでしょ?」「ちょっと復習してたら遅くなっちゃって。」「無理しちゃダメだよ。」その言葉はいつもの天然な真帆子とは違い、とても真剣だった。「琴子が倒れたら、私、本気で泣くから。」「ありがとう。」その一言だけで、疲れが少し軽くなった気がした。仕事を終えた琴子がスタジオへ着くと、玲司は琴子の顔を見るなり言った。「今日は一時間早く終わる。」「え?」「集中力が落ちてる。」「でも、あと三日しかないよ?」「だからだ。」
last updateLast Updated : 2026-07-16
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