Semua Bab 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる: Bab 41 - Bab 50

57 Bab

第38話 痛みを知らない失敗作

爆発の煙が洞窟から完全に消えるまでには、しばらく時間がかかった。焦げた金属と薬品の刺激臭が湿った岩肌へまとわりつき、床にはフィオルが投げた右腕の破片が散らばっている。白い人工骨らしき欠片、細い金属線、ひしゃげた関節部品。その中心に座ったフィオルは、自分の腕が一つなくなっていることなど大した問題ではないように、左手だけで破片を一つずつ拾い集めていた。爆発を起こした本人が一番落ち着いているという異様な光景に、イセラは湾曲刀へ添えていた指をいつまでも離さず、ネフィリアも少年の細かな動きを観察するように紫紺の瞳を細めていた。「敵意はないみたいだな」リュゼルが低く言うと、イセラは鼻を鳴らした。「敵意がないまま人を吹き飛ばす奴のほうが面倒だ」「それは否定できない」フィオルは会話を聞いているのかいないのか、床から拾った金属片を光に透かしている。欠けた部品を使えるものと使えないものへ分けているらしく、使えないと判断したものは自分の横へ無造作に積んだ。その肩口から肘へ続く接合線には薄い赤色の液体が滲み、少しずつ腕を伝って腰の布を濡らしている。血だけではないと本人は言っていたが、人間の出血によく似ている以上、リュゼルには放置する気になれなかった。「フィオル、その腕を見せて」「腕?」少年は自分の右側を見てから、そこに腕がないことを思い出したように目を瞬いた。「肘のほうだ。液が漏れてる」「ああ。まだ閉じてないからね」「止める」リュゼルが背嚢から布と薬草を取り出すと、フィオルは不思議そうに首を傾げた。拒否する様子はないものの、自分へ何かをしてもらう理由が理解できていない顔だった。「どうして?」「どうしてって、壊れてるから」「直せばいいよ」「だから、今その前に漏れてるものを止めるんだ」「あとで部品をつける時に全部開けるよ?」「それでもだ」リュゼルはフィオルの前へ片膝をついた。接続部分へ近づくと、金属と人工骨の隙間に人間の筋肉へ似た淡い赤色の組織が見える。完全な機械ではない。生きた組織と錬金術の素材をつなぎ合わせて造られているらしい。触れる前に一度フィオルへ視線を上げた。「触るぞ」「うん」許可を得てから周囲の汚れを布で拭う。赤い液体の一部は血で間違いないらしく、温度もある。フィオルはリュゼルが傷口を洗っている間も眉一つ動かさず、むしろ何をしているのか
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-27
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第39話 壊れたら直せばいい

フィオルの新しい右腕が完成したのは、洞窟を出る予定時刻を二刻ほど過ぎた頃だった。部品庫まで三日歩く必要があると言っていたが、爆発で散った古い腕の中にも再利用できる金属輪や導線が残っており、リュゼルの背嚢に入っていた工具と、ネフィリアが影で削り出した小さな金属片を組み合わせれば最低限の修復はできたらしい。肘から先だけ色合いがわずかに違い、手首の接合部には剥き出しの銀線が一本残っている。それでも五本の指は滑らかに開閉し、フィオルは何度も拳を握っては、初めて手を手に入れた子どものように楽しそうに眺めていた。「今度は爆発しないんだろうな」洞窟を出る直前、イセラが念を押した。フィオルは自分の右手を目の高さまで持ち上げ、手首を一周回してから首を傾げる。「たぶん」「たぶんをやめろ」「爆発する部品は外したよ。だから大丈夫だと思う」「思う、も不安になるな」イセラが露骨に嫌そうな顔をする横で、ネフィリアは完成した腕を観察していた。接続部から漏れていた赤い液体は止まっており、先ほどリュゼルが巻いた布も外されている。錬金生命体の身体がどういう仕組みで動いているのか、彼女にもすべては分からないらしい。「少なくとも、魔力の循環は安定しているわ」「じゃあ使っていい?」フィオルが尋ねる。「歩いたり物を持ったりする程度ならね。自分で千切って投げるのは禁止よ」「分かった」「本当に?」「今は投げない」「今は、を付けないで」ネフィリアが額を押さえる。リュゼルは思わず笑いかけたが、フィオルが本気で条件を理解しようとしている顔をしていたため、すぐ口元を戻した。悪戯をやめさせているのではない。この少年には、自分の身体を壊すことが危険だという前提そのものがない。何が許され、何が許されないのかを一つずつ言葉にしなければならないのだろう。城への帰路は、往路より慎重に選んだ。フィオルを加えたことで歩調が変わり、彼がどの程度連続して歩けるのかも分からない。ところが本人は疲労らしいものをほとんど見せず、イセラの後ろを軽い足取りでついてくる。時折、岩壁から突き出した鉱石や地下茸に興味を示して勝手に寄り道しようとするため、そのたびリュゼルかネフィリアが呼び戻した。「これ食べられる?」フィオルが紫色の茸を指差す。「毒だ」「食べたらどうなる?」「普通の人間なら口と喉が腫れて息ができなく
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-28
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第40話 錬金生命体の心臓

フィオルが城へ来て二日目の朝、広間の長卓は食事ではなく工具と布で埋まっていた。細い鉗子、磨いた金属板、魔力を測るための古い結晶針、灰牙の荷物から見つけた小型の灯石、それからネフィリアが王域の倉庫で発見した深淵王家時代の診察具らしきものまで並んでいる。フィオルはその中央で上衣を脱ぎ、卓上へ腰掛けていた。淡い金緑色の髪が肩へ落ち、白い胸元には首から腹部へ向かっていくつもの細い接合線が走っている。本人は緊張するどころか、自分の身体を調べられることを珍しい遊びのように感じているらしく、ネフィリアが道具を並べるたびに横から覗き込んでは、それが何に使われるのか質問していた。「動かないで」ネフィリアが結晶針を胸部へ近づけると、フィオルは素直に両手を膝へ置いた。ただし右腕は昨日の戦闘で大きく損傷したままで、指の動きもぎこちない。応急修理だけで城まで戻ったため、手首を回すたび接続部から小さな金属音がしていた。「これ、刺すの?」「刺さないわ。魔力の流れを見るだけ」「刺してもいいよ」「よくない」リュゼルが横から即座に口を挟むと、フィオルはそちらを向いて笑った。「でも、痛くないかもしれないよ」「そういう問題じゃないって昨日も言っただろ」「昨日も怒られたね」「覚えてるならやめろ」フィオルは楽しそうに頷いたが、その反応が理解したからなのか、単にリュゼルが怒ることを一つの現象として記憶しただけなのか、まだ判断はつかない。少し離れた壁際ではイセラが腕を組み、子どもたちが勝手に近づかないよう見張りながら、こちらの様子を窺っていた。シュカたちも気になって仕方がないらしく、回廊の角から何度も顔を出している。「普通の人間なら、ここに心臓がある」ネフィリアはフィオルの左胸へ指先を当てた。鼓動はない。皮膚は温かく、血も流れているのに、人間の身体なら必ず感じられる拍動だけが存在しなかった。「フィオル、自分の中に何があるか知ってる?」「たぶん賢核」答えは早かった。「先生がそう呼んでた。胸の奥にあって、止まると僕も止まるって」リュゼルの眉がわずかに寄る。「止まったことは?」「ないよ。だから僕、死なないと思ってた」昨日と同じ調子だった。死という言葉に恐怖がなく、ただ未知の仕組みについて話している声だった。ネフィリアは接合線の一部へ細い金属板を差し込み、慎重に留め具を外し
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-29
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第41話 研究所の扉

研究所へ向かうことが決まったのは、フィオルの賢核に走る亀裂を確認した翌朝だった。ネフィリアが古い王家の記録を何冊か引き出し、人工魔力炉の修復に関する記述を探したものの、残されていたのは構造の概要と危険性についての記録ばかりで、実際の補修方法までは分からなかった。賢核は心臓だけではなく、記憶と魔力循環と身体維持を同時に担う。外側の関節や人工骨のように、似た素材を削ってはめ込めば済むものではない。製造に使われた術式、核を構成する鉱石、魔力配列、過去の修復記録、そのどれか一つでも見つかれば可能性は上がるとネフィリアは言った。「僕がいたところの奥にあるよ」フィオルは食事の途中で、干し肉を噛みながら何でもないことのように言った。リュゼルが顔を上げる。「何が?」「作った場所。洞窟からもっと下に行くと研究所がある」「昨日は三日くらい先に部品庫があるって言ってなかったか」「あれも研究所の一部だよ。僕が使えるところだけ部品を持ってきてた」ネフィリアの手が止まった。「賢核を作った設備も残っている可能性がある?」「たぶん。先生は胸のやつを直す時、いつも奥の部屋へ連れていってた」フィオルは自分の胸へ手を当てる。そこにはまだ《試作第十三号》の刻印がある。その番号を本人は気にしていないように見えたが、前夜から何度も自分の名前を口にしていることをリュゼルは知っていた。「なら行く」リュゼルが即座に言うと、ネフィリアが紫紺の瞳を細めた。「全員でね」「俺もそのつもりだった」「今の返事は信用しておくわ」イセラは椅子の背へ寄りかかりながら、フィオルを見る。「道は覚えてるのか」「途中までは」「途中まで?」「研究所、時々道が変わるから」「どういう意味だ」「扉が勝手に閉まったり、床が沈んだり、壁が増えたりする」イセラの顔が露骨に険しくなる。「それを先に言え」フィオルは悪びれず笑った。「聞かれなかったから」その返答にリュゼルとネフィリアが同時に額へ手を当てた。城を出たのは、それから一刻ほど後だった。今回はフィオル本人も同行する。道案内が必要だからという理由だけではなく、自分の賢核に関する記録を、本人を置いて探しに行くべきではないとリュゼルが考えたからだ。ネフィリアも反対しなかったが、戦闘で自己修復を使わないこと、危険があっても自分を囮にしないこと、勝手に
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-29
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第42話 死んだ博士の願い

研究所の最奥へ続く通路は、培養槽や部品庫の並ぶ区画とは空気そのものが違っていた。壁を這っていた魔力管は途中で途切れ、天井の灯りもほとんど死んでいる。代わりに床へ厚く積もった埃が足音のたびに薄く舞い、古い紙と乾いた薬品、それから長い年月を経た骨の匂いが、冷たい空気へ沈んでいた。リュゼルが灯石を掲げると、光の輪の外側では倒れた書棚や錆びた器具の影が人の姿のように伸び、フィオルはその間を歩きながら、いつになく口を閉ざしていた。「この辺り、覚えてるのか」リュゼルが尋ねると、フィオルは少し遅れて頷いた。「何回か来たよ。先生が胸を直す時、ここまで連れてきた。でも途中で眠くなる薬を入れられたから、奥はあんまり見てない」「その先生って、最後まで残っていた錬金術師?」ネフィリアの問いに、フィオルは胸元へ手を置いた。衣服の下には、細い亀裂を抱えた《賢核》がある。「うん。みんな動かなくなったあともいた人。僕の手とか脚とか、胸も何回か直してた。朝になったら先生も動かなくなってて、心臓を交換しても駄目だった」イセラの耳がわずかに伏せられた。フィオルは以前と同じ出来事を話しているだけなのに、その口元にはもう笑みがなかった。悲しい時は笑うものだと教えられていた少年が、少なくとも今は、自分の表情を無理に作ろうとしていない。その変化をリュゼルは言葉にせず、ただ歩幅をフィオルへ合わせた。通路の突き当たりには、周囲の金属扉とは異なる木製の扉があった。長い年月で乾き切り、表面には無数の細かな亀裂が走っている。イセラが先に近づき、耳を澄ませてから鼻先をわずかに上げた。「中に生きてるものはいない。骨の匂いが一人分。紙と油、それに古い血も少し残ってる」フィオルの足が止まった。「先生、まだいるんだ」リュゼルは扉へ手を掛ける前に振り返った。「入らなくてもいいぞ」「行く」返事は短かった。橙色と翡翠色の瞳には迷いがある。それでもフィオルは逃げず、胸元を押さえたまま一歩前へ出た。扉を開くと、乾いた蝶番が低く軋んだ。部屋は思ったより広く、壁際には金属製の書庫が並び、中央には大きな机が一つ置かれている。その机へ、白骨化した老人が突っ伏していた。白衣だったと思われる布はほとんど朽ち、背骨と肩甲骨の上へ灰色の繊維だけが残っている。片腕は胸の下へ折り畳まれ、もう片方の骨ばった手は、机の端に置かれた
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-30
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第43話 人間になる必要はない

賢核の修復には、研究所の診察室ではなく、城の東側にある小さな工房を使うことになった。研究所に残されていた設備の中にはまだ動くものもあったが、何十年も放置された施設へフィオルを長時間寝かせることを、ネフィリアが嫌がったためだ。必要な器具だけを選び、イセラとリュゼルで背負えるだけ持ち帰り、壊れた魔力炉の代わりには王域から引いた安定した魔力を使う。古代の錬金技術と深淵王家の魔術を無理に組み合わせる作業になるため、成功する保証はなかった。それでも、死んだ博士の人生を丸ごと継承するよりは、何度も間違えながら自分たちの手で進むほうがいいと、四人とも同じ結論を選んでいた。工房の中央には、寝台代わりの細い作業台が置かれている。その上へ横になったフィオルは、胸元を開かれた状態でも妙に落ち着いていた。皮膚と人工組織を兼ねた胸部装甲は左右へ開かれ、その奥には拳ほどの大きさをした《賢核》が淡く青緑色に光っている。数日前に見た時より、亀裂はわずかに広がっていた。内部を巡る光も一定ではなく、数回に一度、引っかかるように明滅する。そのたびフィオルの指先が僅かに震えたが、本人は痛みとして認識していないらしく、むしろ天井へ埋め込まれた王域の光を眺めていた。「本当に痛くないのか」リュゼルは細い工具を手にしたまま問いかけた。フィオルは視線だけをこちらへ向け、少し考えてから答える。「押されてる感じはするよ。あと、胸の中が熱い。でも痛いがどれかはまだ分からない」「分からないなら余計に動くな。異常が出ても自分で気づけない可能性がある」「分かった。動かない」素直に答えたあと、フィオルは両手を腹部の横へ置いた。以前なら「壊れたら直せばいい」と笑っていた少年が、今は自分の身体を乱暴に扱わないよう意識している。それだけでも、リュゼルには数日前とは違って見えた。ネフィリアは作業台の反対側へ立ち、研究所から持ち帰った金属板を一枚ずつ確認していた。机には死んだ博士が残した記録が開かれ、賢核の構造図にはリュゼルたちが何度も書き込んだ印が増えている。完全な修復法はどこにも残されていなかった。それでも、亀裂の進行を抑えるための魔力配列と、内部循環を一時的に別経路へ逃がす方法だけは読み解けた。壊れた箇所を新品へ戻すことはできなくても、傷口へ橋を架けるようにして負荷を分散することはできる。「次」ネフィリアが低く
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-31
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第45話 死に場所を探す男

ヴァレクが目を覚ました時、結界外周にある空き部屋には淡い紫色の光が満ちていた。城の本棟からは少し離れ、もともとは崩れかけた監視所だった場所を《王域形成》で補修した部屋で、寝台と小さな卓、水を流す細い水路以外にはほとんど何もない。預かった大剣は扉の外でイセラが管理しており、窓代わりの細い開口部にはネフィリアの影鳥が止まっている。子どもたちが暮らす場所から距離を取りながら、見捨てることもしない。その中途半端な扱いが気に入らないのか、ヴァレクは目を開けてすぐ険しい顔をした。起き上がろうとした身体は、肘をついたところで止まった。黒鉄の鎧はすでに外され、胸から脇腹にかけて巻かれた応急処置の布には赤黒い染みが広がっている。左脇腹の裂傷が最も深く、右肩には魔物の爪が食い込んだ跡があり、古傷の上へ新しい傷が重なっていた。額には熱があり、呼吸も浅い。それでもヴァレクは自分の状態を確かめるより先に、壁際の椅子へ座っていたリュゼルを見た。「まだいたのか」「見張りだからな」「獣人の女に任せればいい」「イセラは外を見てる。俺は怪我人を見る」ヴァレクの暗赤色の右目が、寝台脇の道具へ移った。薬草を煮出した水、清潔な布、針と糸、フィオルが作った簡易的な消毒液。それを見ただけで、何をされる予定なのか理解したらしい。「必要ない」声は掠れていたが、意思だけははっきりしていた。リュゼルは椅子から立った。「傷を縫わないと塞がらない。熱も上がってる」「必要ないと言った」「死ぬぞ」「そのために来た」返事は一拍もなかった。リュゼルの手が止まる。ヴァレクは本気だった。脅しでも、自暴自棄になっている者が反射的に吐く言葉でもない。長い時間をかけて自分の中へ落とし込んだ決定を、事実として口にしている。痛みに顔を歪めながらも、その目には死そのものへの怯えがなかった。リュゼルには、それが分かってしまう。《看取り人》。かつて役立たずと呼ばれた職能は、死に近い者の痛みと恐怖を感じ取る。能力を意識すれば、ヴァレクの苦痛を少し引き受けることも、死へ向かう身体をわずかに楽にすることもできるだろう。だが。今は使わなかった。ヴァレクは病や事故で死を迎えようとしているのではない。自分から死に場所を求め、治療を拒んでいる。その男から痛みだけを奪えば、結果として死へ進む苦痛を和らげることになる。それが
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-03
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第46話 騎士は子どもに負ける

城の朝は、住人が増えるたびに少しずつ騒がしくなっていた。王域の結晶灯が夜を模した青紫色から淡い白へ変わる頃には、水路で顔を洗う音が響き、食料庫から朝食用の保存肉が運ばれ、フィオルの作った簡易照明が廊下の端から順番に灯っていく。三匹の月角兎は餌を求めて広間の隅を走り回り、子どもたちは誰が皿を並べるか、誰が水を汲むかで毎朝のように小さな言い争いをしていた。崩れかけた地下神殿だった頃には、足音一つにも魔物の気配を疑っていた場所が、今では寝起きの欠伸や笑い声を受け止めるようになっている。その変化をリュゼルは悪くないと思っていたが、同じ光景を別の価値観で眺めている者もいた。広間の入口へ立ったヴァレクは、朝食前の混乱を目にして露骨に眉間へ皺を寄せていた。外周区画で一時滞在を始めてから数日が経ち、深かった脇腹の傷もどうにか塞がりつつある。本人は「死ぬのをやめたわけではない」と念を押していたものの、高熱が下がった翌朝には自分から包帯を巻き直し、預けていた黒鉄の鎧の手入れまで始めていた。生きる意思が戻ったとは言い切れないが、少なくとも身体を壊れたまま放置することはやめている。そのヴァレクの目の前では、シュカが片足で椅子へ乗って棚の皿へ手を伸ばし、隣では二人の子どもが水を零し、その横を月角兎が走り抜け、フィオルは食卓の端いっぱいに工具を広げて壊れた魔力灯を分解していた。「全員、止まれ」低く通る声が広間へ落ちた瞬間、それまで重なっていた物音が不自然なくらい一斉に止んだ。兵を率いてきた者の声には、意識せずとも人を立ち止まらせる圧が染みついているらしい。シュカは棚へ伸ばしていた手を止め、フィオルも小さな金属板を持ったまま顔を上げた。鍋の火加減を見ていたリュゼルまで反射的に振り向き、それに気づいて自分で少し嫌な顔をした。ヴァレクは広間へ入り、子どもたちを順番に見回した。「食事前に走るな。席へ着く前に手を洗え。工具と食器を同じ卓へ置くな。それから、物を取るために椅子へ立つな。落ちる」最後の一言は明らかにシュカへ向けられていた。少年は渋々椅子から降りたものの、唇を尖らせている。「リュゼル」「何だ」「いつもこうなのか」「もっと酷い日もある」ヴァレクの右目が僅かに見開かれた。「なぜ放置している」「放置してない。今も声かけてただろ」「声を飛ばすだけでは統制とは言わん」「統制す
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-03
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第47話 剣を教える者

食料庫の棚を直していたリュゼルの背後で、何かが風を切った。反射的に振り返り、右手を上げる。掌へ収まったのは一本の木剣だった。城の倉庫に残っていた硬木を削ったものらしく、刃に当たる部分は丸めてあるが、重さも長さも実戦用の片手剣に近い。振り向いた先にはヴァレクが立っていた。傷が塞がってから数日が過ぎ、もう歩行に支障はない。それでも黒鉄の鎧はまだ身につけず、簡素な黒衣の腰へ自分用の木剣だけを差している。「構えろ」「何で?」「見ていられん」リュゼルは受け取った木剣と、ヴァレクの隻眼を交互に見た。「何が」「全部だ」言い切ると、ヴァレクは食料庫から出ていった。説明を続ける気はないらしい。リュゼルは半ば呆れながら、作りかけの棚へ視線を戻した。フィオルが新しく作った冷却器のおかげで保存できる食料が増えたため、昨夜から棚を一段増やしている。最後の金具を打てば完成するところだった。「これ終わってからじゃ駄目か」廊下へ声を投げると、少し離れたところからヴァレクの返事が飛んだ。「午後でも棚は逃げん」「俺も逃げないぞ」「お前は死ぬ可能性がある」棚と剣の話が、いつの間にか生死の話になっている。リュゼルは小さく息を吐き、木槌を工具箱へ戻した。こうなったヴァレクが引かないことは、この数日で分かっている。中庭へ出ると、すでに見物人が増え始めていた。シュカたちは朝食の後片づけを途中で切り上げて城壁際へ集まり、フィオルは片手に分解途中の魔力灯を持ったままついてきている。外周の見回りから戻ったばかりらしいイセラも、黒豹の耳についた細かな砂を払いながら壁際へ寄った。最後にネフィリアまで現れ、黒紫色の長衣の腕を組んで中庭を見下ろしている。「全員来る必要ある?」リュゼルが尋ねると、シュカが即答した。「何するのか気になる」「僕も」フィオルは楽しそうに木剣を見る。イセラは短く言った。「見ておく価値はありそうだ」ネフィリアだけは何も言わなかったが、その口元がわずかに緩んでいる。「絶対楽しんでるだろ」「あなたが何度地面へ転がるか興味があるだけよ」「十分楽しんでるじゃないか」そんな会話のあいだにも、ヴァレクは中庭中央の小石を足で除け、足場を確認していた。そこだけ切り取れば、騎士団の訓練場と変わらない厳格さだった。「来い」呼ばれ、リュゼルは中央へ歩く。木剣を片手
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-04
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第48話 死者の技を使わない戦い

王域の西端を巡回していた影鳥が異常を伝えてきたのは、朝食の器を片づけ終えた直後だった。普段なら外周を一巡した影鳥は静かにネフィリアの肩へ戻るが、その日は広間へ飛び込んだ途端に輪郭を激しく震わせ、床へ落ちる直前で黒紫色の影へ崩れた。直後、城全体を下から持ち上げるような鈍い振動が走り、長卓に残っていた金属杯の水面へ細かな波紋が広がる。二度目の衝撃では壁の簡易照明まで明滅し、月角兎が驚いて食料庫の陰へ逃げ込んだ。ネフィリアはすぐに片膝をついて掌を石床へ当て、王域を通して西側の結界へ意識を伸ばした。「何かが結界へ身体をぶつけているわ。かなり大きい。それも一度や二度ではないみたい」「魔物?」リュゼルが立ち上がると、ちょうど外周確認から戻ってきたイセラが黒豹の耳を西へ向けた。結界越しでも聞こえる低い咆哮が遠くで響き、少し遅れて岩盤を重い爪が削る音が届く。彼女は目を閉じたまま数呼吸ほど振動を読み、やがて険しい表情で腰の湾曲刀へ手を置いた。「一体だ。四足でかなり重い。熊型だと思うが、普通の個体じゃない。結界の同じ場所を狙ってる」三度目の衝撃が来た。今度は王域そのものが軋む感覚までネフィリアへ届いたらしく、紫紺の瞳が鋭く細まる。結界は魔物を遠ざけるには十分な強度を持っているが、同じ一点へ大型魔物が何度も体当たりすれば、魔力の薄い箇所から亀裂が広がる可能性がある。フィオルも工具を置いて立ち上がりかけたものの、リュゼルはすぐ手で制した。「フィオルは残ってくれ。王域の魔力値を見て、西側だけ急に落ちたら影鳥を飛ばして知らせてほしい」「僕も行ったほうが役に立つかもしれないよ?」「戦うことだけが役に立つことじゃない。今は結界の状態を正確に見られる奴が残ってるほうが助かる」フィオルは少しだけ迷ったあと、自分の胸元へ手を置いて頷いた。賢核を修復してから、自分を壊してまで前へ出ようとする癖は少しずつ減っている。「分かった。壊れそうになったらすぐ呼ぶ」と答え、子どもたちのいる広間中央へ戻っていった。リュゼルは黒鎖短剣を腰へ差し、ヴァレクも壁際へ置いていた欠けた大剣を背負った。イセラは二本の湾曲刀を確認し、ネフィリアは子どもたちへ王域の中央から離れないよう言い聞かせる。四人が城門へ向かったところで、先頭を歩いていたヴァレクが足を止めた。「今日は継承した能力を使うな」ネフィリアの表
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-05
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