「…………は?」 イグニスの口から、思わず怪訝な声が発せられる。「あの女狐は、自分達の代わりに、あなた達が王太子と小娘ペアと並んでダンスをしなさいと言ってるわねぇ」 理解を拒否したイグニスに、カロリナはわかりやすく言葉を直して説明する。「何をフザけたことを――」「王妃は、君がダンスを踊れないという情報をどこからか仕入れ、皆の前でアーベリアに恥をかかせるためにこのような茶番を仕組んだのでしょう」「本当、考えることが幼稚で陰険よねぇ。捻くれた性格が表れてるわ」 ヒューガは顎に指を添え「ふむ」と頷くと、穏やかな顔つきのままイグニスに言った。「非常に遺憾なことに、この国では王族の【命令】は絶対です。あきらかに理不尽な命令は突っぱねられますが、この程度の命令なら問題ないでしょう。行ってきなさい、二人とも」「はい、お父様」「俺は……」「自分を信じれば大丈夫よぉ、イグニス。頑張ってねぇ」「…………」 唇を噛み締めるイグニスを遠目で見ていたルマーサは、口元に当てた扇の下で、赤い唇の端をニヤリと大きく持ち上げた。「何をグズグズしてるの? もう曲が始まるわよ。さっさと位置につきなさい!」「…………」 眉間に皺を寄せるイグニスにアーベリアは微笑むと、彼の腕に自分の腕を絡めた。「さぁ、いきましょう、イグニス」「…………」 アーベリアの顔を見てイグニスは唇を結んで黙り込み、ダンス広場へと足を向ける。「ライラックさまっ、上手にあたしをリードしてくださいねっ」「ジューンメリーも、可愛らしいダンスを僕に見せておくれよ」 二人はすでに位置について、身体を寄せ合って自分たちの世界に入っていた。 アーベリアとイグニスは二人から少し距離を置いて立ち、互いに軽く礼をして向き合う。「……すまない。恥をかかせてしまう」 微かに震えているイグニスの拳を、アーベリアはそっと手で触れた。「あなたと一緒にかく恥は、〝恥〟などではありませんわ。それさえも、わたくしにとって大切で素敵な〝想い出〟になるのですから。今はただ、わたくしと一緒にこの時間を楽しみましょう?」「……っ」 イグニスは、優しく微笑むアーベリアの言葉に銀色の瞳を大きく見開く。 やがて彼は、目を細めて微かに笑った。 彼の身体の震えは、いつの間にかピタリと止まっていた。 会場内に、優雅なダンスの曲
最後更新 : 2026-08-13 閱讀更多