Masuk「ようやく……ようやく、ずっと待ち望んでいたこの時がきましたわ」 バセロルト公爵家の長女アーベリアに、ユグドール王国の王太子ライラックとの婚約の打診が届く。 昔から彼との婚約を望み、夢見ていたアーベリアは、その話に二つ返事で承諾する。 しかし王城は、王妃と王妃派が牛耳る『魔の巣窟』だった。 息子を溺愛する王妃に目をつけられたアーベリアは、城の者達から冷遇される。 さらに王太子と親密な関係の伯爵令嬢が現れ、念願だった彼の婚約者としての立場が危うくなり…… それでも彼女は、胸に秘めるただ『ひとつ』の思いのため、いくつもの危機に立ち向かっていく。 「――愚かな皆様へ。さぁ、御覚悟はよろしくて?」
Lihat lebih banyak「…………は?」 イグニスの口から、思わず怪訝な声が発せられる。「あの女狐は、自分達の代わりに、あなた達が王太子と小娘ペアと並んでダンスをしなさいと言ってるわねぇ」 理解を拒否したイグニスに、カロリナはわかりやすく言葉を直して説明する。「何をフザけたことを――」「王妃は、君がダンスを踊れないという情報をどこからか仕入れ、皆の前でアーベリアに恥をかかせるためにこのような茶番を仕組んだのでしょう」「本当、考えることが幼稚で陰険よねぇ。捻くれた性格が表れてるわ」 ヒューガは顎に指を添え「ふむ」と頷くと、穏やかな顔つきのままイグニスに言った。「非常に遺憾なことに、この国では王族の【命令】は絶対です。あきらかに理不尽な命令は突っぱねられますが、この程度の命令なら問題ないでしょう。行ってきなさい、二人とも」「はい、お父様」「俺は……」「自分を信じれば大丈夫よぉ、イグニス。頑張ってねぇ」「…………」 唇を噛み締めるイグニスを遠目で見ていたルマーサは、口元に当てた扇の下で、赤い唇の端をニヤリと大きく持ち上げた。「何をグズグズしてるの? もう曲が始まるわよ。さっさと位置につきなさい!」「…………」 眉間に皺を寄せるイグニスにアーベリアは微笑むと、彼の腕に自分の腕を絡めた。「さぁ、いきましょう、イグニス」「…………」 アーベリアの顔を見てイグニスは唇を結んで黙り込み、ダンス広場へと足を向ける。「ライラックさまっ、上手にあたしをリードしてくださいねっ」「ジューンメリーも、可愛らしいダンスを僕に見せておくれよ」 二人はすでに位置について、身体を寄せ合って自分たちの世界に入っていた。 アーベリアとイグニスは二人から少し距離を置いて立ち、互いに軽く礼をして向き合う。「……すまない。恥をかかせてしまう」 微かに震えているイグニスの拳を、アーベリアはそっと手で触れた。「あなたと一緒にかく恥は、〝恥〟などではありませんわ。それさえも、わたくしにとって大切で素敵な〝想い出〟になるのですから。今はただ、わたくしと一緒にこの時間を楽しみましょう?」「……っ」 イグニスは、優しく微笑むアーベリアの言葉に銀色の瞳を大きく見開く。 やがて彼は、目を細めて微かに笑った。 彼の身体の震えは、いつの間にかピタリと止まっていた。 会場内に、優雅なダンスの曲
「お父様、お母様。お久しぶりです。お会いできて嬉しいですわ」 ふわりと笑うアーベリアに、ヒューガとカロリナも微笑みを返す。「私もですよ、アーベリア」「うふふっ。アーベリア、その姿とっても綺麗よぉ」「三人の侍女さん達と、お母様が贈ってくださったこの素敵なドレスのお陰ですわ。本当にありがとうございます」「いいのよぉ。こんなことしかできなくてごめんなさいね?」「いいえ、お母様。そんなことありませんわ。お父様達が陰でわたくしを助けてくださっていること、知っておりますもの。大好きですわ、お父様、お母様」「ははっ、これは嬉しい言葉を聞けましたね」「わたしも大好きよぉ、アーベリア。……あぁ、もちろんイグニスもよ?」「思い出したように付け加えないでくれ」「これより、国王陛下から【戦勝記念日パーティー】開催の御挨拶を賜ります」 四人が仲良く談笑していると、案内役の張り上げた声が会場に響き渡った。「全員集まったので、【戦勝記念日パーティー】の開始を宣言する」 瞬間、会場内がシンと静まり返る。 それだけでは挨拶が終わらないことを、皆わかっているのだ。「あれは忘れもしない……。今からだと、そう……確か……十二年前だ。この国の宗主国であったセインウッド王国の王族は、あろうことかワシの弟であったディーンを毒殺した。『気に食わなかった』という理由だけで、ワシの唯一人の弟を殺したのだ! その横暴さと下劣極まりない行動にワシは怒りの頂点に達し、憎きセインウッド王国に反旗を翻した!!」 拳を振り上げたセンダンの熱弁は続く。「結果、ワシらは勝利を収め、セインウッド王国は殲滅した。〝悪〟は滅びたのだ! 〝正義〟を掲げたこの国の勝利は同然だった。敵(かたき)を取ったワシに、弟の魂も浄化され、天の国で喜びに満ち溢れていることだろう。今あるこの国の平和は、ワシら王族が作っていると言っても過言ではない。これからもワシらを讃え、敬い、この国と王族のために尽力していくといい」 センダンがようやく話し終わると、会場のあちこちから一斉に拍手が送られてくる。 【戦勝記念パーティー】恒例の、毎年ほぼ同じ内容の式辞だ。「我らが崇拝する国王陛下、万歳!」「正義の国、ユグドール王国万歳っ!」 称賛の声を飛ばす者は、王派や王妃派の貴族達だろう。「……何が〝平和〟だ。王家に媚びへつらう貴
「ジューンメリー……?」 ライラックの戸惑いの呼びかけに耳も貸さず、ジューンメリーは笑顔でイグニスのすぐ前まで来た。「こんなにステキなお方だったんですね、イグニスさまっ。あたし、イグニスさまともっとお近づきになりたいですっ」 うっとりとした表情を浮かべながら、ジューンメリーはイグニスの胸に飛び込もうとした。 彼女の行動を興味本位で見ていた参加者達は、一斉にギョッと目を剥く。(おいっ、王族の前だぞ!? しかも王妃が見ているのに!?)(さっきまで殿下とイチャイチャしていたのに、なんて変わりようだ……! 顔が良ければ誰でもいいのか!?)(いや、あの令嬢は爵位の高い男ばかりと交際していると噂で聞いたことがあるぞ。イグニス卿はバセロルト公爵家の次男だから問題ないんだろう。顔は殿下より遥かに美形だしな……) 参加者達がコソコソと小声で言い合い、そのうちの一人が辺りをグルリと見回した。 ジューンメリーの両親であるリアンジュ伯爵と夫人の姿は、この会場に見当たらない。 多大な借金持ちのリアンジュ伯爵家は、王太子のパートナーとなった娘だけを出席させ、伯爵と夫人は体裁を気にして欠席したのだろう。(親がいなければ、娘を注意する者がいないじゃないか!)(あぁ、誰か……王妃が怒り出す前にあの令嬢を止めてくれ……!) 王族の手前、何もできず皆がハラハラと見守る中、ジューンメリーの身体がイグニスの胸へと吸い込まれる―― ――はずだったが、それは見事に空振りに終わった。 イグニスがサッと素早く横に避けたのだ。「えっ――ぶふっ!」 ジューンメリーが勢い余って見事にすっ転んだ。 誰も動かず助けてくれる者がいない中、ジューンメリーはノロノロと上半身を起こす。 まさかイグニスが自分を拒否し避けるとは思っていなかったジューンメリーは、自分の今の状況が信じられず呆然としていた。 しかし、すぐさま可愛らしく両頬を膨らます。「もうっ、イグニスさまのイジワルっ。照れなくったっていいんですよっ」 プクリとした頬のまま、ジューンメリーはわざと怒った仕草をしながらイグニスを見上げ――ピシリと固まった。 彼は眉間に皺を寄せ、ジューンメリーを銀色の瞳で鋭く睨みつけていたのだ。 今まで相手になった男性からは、好意の熱視線や優しい眼差しだけ向けられてきたジューンメリーだったので、ま
――戦勝記念日パーティー、当日の朝。 アーベリアはカロリナが送ってくれたドレスを見つめ、ほぅ……と溜め息をついた。 それは、感嘆の息――ではなく、落胆からきたもので。「とても美しいドレスなのですけれど……。背中に留めるボタンがあるので一人では着られないですわ……」 アーベリアの専属侍女であり侍女長であったミモザが捕まってから、未だ彼女に専属侍女がつけられていないのだ。「俺が目を瞑りながら留めようか」 「気持ちはありがたいのですけれど、さすがにあなたでもそんな器用なことはできないでしょう? せっかくお母様が贈ってくださったのですし、このドレスを着てパーティーに出席したいのですが……。仕方ありません、今回は別のドレスに――」 その時、扉からノックの音が聞こえた。 自分の部屋に人が来ることは滅多にないので、アーベリアは不思議に思いながらも「はい」と返事をすると、「失礼いたします!」 という元気な声とともに扉が開かれ、サラサ、ナナカ、リラの三人が姿を現した。「あら? あなた方は――」 「私達、アーベリア様とイグニス様のお支度のお手伝いをしにまいりました! どうぞよろしくお願いいたします!」 サラサがニコッと笑ってお辞儀すると、ナナカとリラも笑顔で頭を下げる。「まぁ、あなた方が……。よろしいですの?」 「はい! 昨日、アーベリア様のお兄様が突然私達の前に現れて、『二人のことをよろしく頼むよ』と丁重にお願いされたんです。ですので、誠心誠意お二人の準備をお手伝いさせていただきます!」 「お兄様……ラハンお兄様が?」 「はい! ラハン様、とっても素敵な方でした……」 頬をポッと染めたナナカに、サラサとリラはうんうんと大きく頷く。「兄上は女性に対してかなりの紳士だからな。そして相変わらずの神出鬼没だ」(それに、そんな堂々と現れて彼女達に頼むとは……。全然陰から手助けしていないじゃないか) 心の中で苦笑するイグニスの背中を、リラがグイグイと押してきた。「さぁさぁ! 殿方はここから出て、自室で準備をしましょう! 行きますよ!」 「あ、あぁ……」 「リラさん、イグニスを頼みましたわ。ありがとうございます」 「はいっ、お任せください!」 リラはグッと拳を握り締め頷くと、困惑気味のイグニスと一緒に部屋を出ていった。「では、私達が